第22話 語り部はここに


 その週の土曜日は、わたしの新体操部は午前中のみ練習、奈央ちゃんのバスケ部は午後から練習の日だった。部活から帰ってきたわたしとほぼ入れ替わるようにちょうど奈央ちゃんが部活へと行き、両親も土曜日だというのに仕事に行っていたから、家にはわたし一人しかいなかった。


 一人でリビングでくつろいでいると。午後3時過ぎに雛菜ちゃんが訪ねてきた。


「雛菜ちゃんがうちに来るなんて珍しいね。なんかあった?」


「いや、特に用事がないけれど、久々に栞の家に遊びに来たくなっただけだよ。最近は学校以外で会うのはだいたい私の家だからね」


 そう言って物珍しそうにリビングを見回す雛菜ちゃん。


「ここはわたしの部屋じゃないから別にへんなものは置いてないと思うよ。……って、べつにわたしの部屋に見られちゃいけないものが置いてあるわけでもないけど!」


「あらあら、それはこの後の栞の私室チェックも楽しみだね。妹ちゃんとお熱くやってる痕跡が見つかるかしら」


「わたしの部屋にはないから! 首輪も麻縄も、全部奈央ちゃんの部屋だから!」


 慌てるわたしを揶揄うような笑みを向けてくる雛菜ちゃん。けれど、雛菜ちゃんがテーブルの上に置きっぱなしにしていた読みかけの百合漫画に視線を落とすと。雛菜ちゃんの表情からわたしをからかうようなふざけた様子が消える。わたしが置きっぱなしにしていたのは、幼馴染同士の恋愛を題材にした作品だった。


「昔っから栞って幼馴染百合が好きよね。その一方で姉妹百合モノはアレルギーみたいに読まない。——それは、幼馴染と付き合うことがやっぱり諦められてないから? 漫画のような展開を今でも期待してるから?」


 図星だから、雛菜ちゃんの言葉がナイフのように胸に突き刺さって、痛い。


「10年前のあの時、私がそうなるように仕向けておいてなんだけどさ。最近の栞達を見ていて思うところがあるからあえて言わせてもらうよ。——妹ちゃんの『奴隷』になってからの栞、全然本心隠せてないよ。本当はあの時の決意を後悔してるんじゃないの?」


「……漫画の中と現実が違うことくらいわかってるし、一説には幼馴染と結ばれる確率は0.7パーセントしかないって言うんだよ? だから、そもそもあの時に決断してなくても、早々に別れてもう二度と会うことはなくて、当然恋人同士になることなんてなかったって」


 やっとのことで喉の奥から押し出した言葉。そんなわたしに、雛菜ちゃんは肩を竦める。


「栞がそれでいいならそれでいいけどさ。もし今後、妹ちゃん――いや、奈央に彼氏か彼女ができて、その子と結婚するってなったら、あなたはちゃんと笑顔で送り出せるの?」


「……もちろん。今は奈央ちゃんも奴隷ごっこをしているせいでちょっとおかしくなっちゃってるだけなんだよ。自分の姉と付き合うとか、本来の奈央ちゃんだったら生理的に受け入れられるはずもないことなんだから。ここでわたしが自分の欲望を優先させたら、絶対奈央ちゃんを将来苦しませることになっちゃう。それは、なんだったら雛菜ちゃんの方がよく知ってるでしょ」


「まあ、そうだけど」


 雛菜ちゃんは困ったように言葉を濁す。そして。


「雲雀ヶ丘家毒ガス籠城事件から10年——雲雀ヶ丘奈央は、まだ記憶を取り戻す兆しはないんだよね?」


 無理やり話題を変えるように雛菜ちゃんがそんなことを言ってきた。


「全くと言っていいほど、ね」


「だとしたら、今年も雲雀ヶ丘家の10回忌とか雲雀ヶ丘家のお墓の掃除とかは私達で適当にやっておくしかないかぁ」


「おばさんやお姉さん達の墓の掃除、今年もわたしも手伝うよ。奈央ちゃんに見つからないようにこっそり抜け出してね」


「うん、そうしてくれるとすっごく助かる」


 そんなことを話している時だった。玄関の方から何かが落ちる鈍い音がした。


 それでわたしははっとする。時刻は午後四時過ぎ。バスケ部はいつも16時まで練習をしてるから、奈央ちゃんが帰ってくるのはあと30分は後だと思っていたのに……。


 わたしの中に戦慄が走る。それは雛菜ちゃんも同じだったみたい。けれど、焦っても、それはもう後の祭りだった。


「雛菜お姉さん、うち来てたんですね。で、お姉ちゃん。さっき話されてた『雲雀ヶ丘奈央』って、誰の事?」


 いつもの奈央ちゃんからは想像ができないほどの低い声で聞いてくる奈央ちゃん。


「それは、えっと……」


「黙ってないで言って! わたしは、この『清瀬家』の子じゃないってこと? 教えて! これは『命令』だよ」


 命令。その言葉にわたしの言葉はびくん、と反応しちゃう。奈央ちゃんにその言葉を持ち出されたら絶対服従してしまう体に、わたしはこの数か月間で調教されちゃったから。


「わかった。奈央ちゃんがそう言うならば全て話すよ。事の発端は10年前、わたしがまだ7歳の時のこと……」


「ちょっ、なに話してるの、そんなこと話しても誰も幸せにならない! だから、妹ちゃんが記憶喪失であることを知った時、栞は全てを隠して、妹ちゃんの『理想のお姉ちゃん』になるって決めたんでしょ。いろいろなものを犠牲にして」


語り始めてしまったわたしを雛菜ちゃんが静止してくれるけれど。


 ——それに、奈央ちゃんから積極的に攻められて心のどこかでは、もう隠しているのは限界じゃないか、って思ってたんだ。


 そう自分にいい訳して、わたしは語り始める。奈央ちゃんの壮絶な過去を、そしてわたしが初恋相手を諦めるまでの物語を。

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