【14】ウルリカの戦術(ハーヴェイの教育の賜物)
天使の聖獣プリュムはクルリ、と身を翻し、ウルリカに背を向けた。
白く美しい翼をぱっと、見せつけるように。
「ご用命を、我が主」
ご用命を、と問われ、ウルリカは正直困ってしまう。
異層〈アスガード〉に住む天使は、高い殲滅能力を有するらしい。
だが今しがた相まみえた〈聖獣〉、そして使役経験のない天使である。彼女は一体何ができるのか、ウルリカは知らないのだ。
(翼が生えているから、空を飛べるわよね……。あと、槍で攻撃はできる。魔術は何が使えるの……?)
大胆すぎる登場は意表を突いた。ロイクも唖然としている。
(でも、この後はどうしろっていうのよぉ……!)
こんなことなら、エステルも事前にすり合わせをしてくれたってよかったのに。
ウルリカが密かに頭を抱えていると、ロイクが先手を仕掛けてくる。
サラマンダーが炎の剣を構え、駆け出した。ウルリカはハッとして、プリュムに声をかける。
「プリュム、えっと……飛んで、避けてっ!」
プリュムはウルリカが命じるまで、動こうとしなかった。
事前に本来の主から説明を受けているのだろう。
これは召喚術師の代役として戦う決闘。〈聖獣〉は主の命令がなければ、動いてはならないのだ。
プリュムは何故かウルリカを横抱きにすると、高く跳躍してサラマンダーの攻撃から逃げた。
「ひいっ!」
ウルリカは情けなく悲鳴を上げた。
人間の身であるウルリカは、もちろん空を飛んだ経験はない。
初めて経験する高所に震え上がりながら、思わずプリュムの首にしがみつき、遠い地上を見下ろした。
プリュムは細身の体躯ながら、腕にはしなやかな筋肉がついている。ウルリカを抱く力は安定していた。
ウルリカを抱えて彼女の両手はふさがっている。これでは攻撃ができない。
サラマンダーが火球を次々に放つ。
ノアの時とは違い、手を抜いていないのだろう。大きな火球がいくつも迫るのを目にして、ウルリカは「全部、全部避けて!」と叫んだ。
曖昧な命令だが、プリュムはスイスイと火球を難なく避ける。
だが、このままでは防戦一方だ。
「ね、ねえっ、プリュムは何ができるのっ?」
「風と雷の魔術が得意です」
プリュムは簡潔に答えた。
どうやら主であるエステルと同じ属性が得意らしい。
「そして、我が槍は相手の急所を的確に貫き、頸を刎ね落として見せましょう」
「そ、そこまでしなくていいから……」
物騒すぎる提案にウルリカは顔を引き攣らせながら、冷静に戦術を組み立てる。
正直なところ、使役するのが天使といえど、本来の〈守護聖獣〉ではないプリュムとウルリカでは、この戦闘は分が悪いのだ。
〈守護聖獣〉とその術者。結びつきが強く信頼関係が高ければ、思考を共有することができるらしい。そのため、術者がわざわざ口に出さずとも、〈聖獣〉を手足動かすことができる。
ロイクとサラマンダーもそれを可能としているのだろう。ロイクは〈共有〉の陣を書き、その中央で瞳を閉じ、膝をついている。サラマンダーと感覚を共有しているのだ。
だがウルリカは、プリュムをそれこそ手足のように使うことはできない。
どこかで待機しているであろうエステルが、プリュムに魔力を送っているだろうが、その限界値も計れない状況だ。無計画な魔術の乱発は避けたい。
ロイクの得意属性は炎と土。攻撃力に特化したサラマンダーは、機動力が高く、反応もなかなか早い。
(勝ち筋は限りなく薄い、けど……)
ウルリカにはひとつ、気にかかる点があった。
それが勝利の鍵となるかもしれない。
ウルリカはプリュムの耳元で作戦を話すと、彼女は頷き、詠唱を紡いだ。
***
砂煙が晴れて天使の〈聖獣〉が身を現したとき、正直ロイクは負けるかもしれない、と思った。
だがそれは杞憂に終わる。
即席のパートナーを、おちこぼれのウルリカは使いこなせていないらしい。
今も空を無様に逃げ回り、サラマンダーの攻撃を避けている状態だ。
このままいけば、ロイクの魔力は尽きてしまう。だがその前に、決闘の制限時間が切れるだろう。
決闘では制限時間内に勝敗がつかなかった場合、攻撃回数が多い方の勝利とされている。
今のところ、攻撃のすべてが躱されているものの、火球を放っているサラマンダーがより多く攻撃している判定となり、ロイクの勝利となるだろう。
ロイクは何も、ただ火球を放っているわけではなく、着々と攻撃回数を稼いでいたのだ。
ロイクが密かに考えていると、ようやく天使が攻撃に転じるらしい。
無数の雷の矢がサラマンダーに降り注ぐ。サラマンダーと同化したロイクは、的確に矢を炎の剣で払った。
そして続けて風の刃が襲う。これも炎の息吹で打ち消した。
どうやらウルリカと天使は、魔術で反撃を仕掛けるようだった。
ロイクも同じ立場であれば、その戦法を選んだだろう。
今はウルリカを抱えている天使は、白銀の槍を持っていた。貫けるものはないと告げた彼女は相当の手練れだろう。剣術を得意とするサラマンダーも、純粋な武力では天使に押し負けるかもしれない。
だが、天使と同化できていないウルリカは、サラマンダーとの物理対決ではどうしても不利になる。
槍で切りかかれ、避けろ、と攻撃や防御のたびに命じる必要があるウルリカは、戦闘経験も乏しいはずだ。
〈聖獣〉同士の戦いは、ロイクが有利だ。
決闘において、術者への攻撃は禁じられている。
それは過去に過激な戦闘で死傷者が出たためだ。それからは術者には強力な結界が張られている。
仮に〈聖獣〉が術者を攻撃した場合は、失格負けとなる。
だから前回のように、〈聖獣〉を囮にして術者に殴りかかる浅ましい戦法は選ばないと思うが。
(……嫌な胸騒ぎがする)
ロイクが気を引き締めたとき、天使の〈聖獣〉は詠唱を紡ぐ。
風の魔術だ。刃は竜巻となり、訓練場をグルグルとなぞった。
しかし、竜巻はサラマンダーへの攻撃ではないようだ。サラマンダーの動きを止めるように周囲に円を描く。
竜巻とともに砂塵が生じた。
ロイクはチッと舌打ちする。
(目くらまし。これが狙いか)
ロイクは風の属性を持たず、風の魔術を苦手としていた。
そのため、高度な風に立ち向かう術を持たない。
(目を凝らせ。天使の気配を感じろ)
サラマンダーの目を通して、ロイクは敵の姿を探す。
砂煙に視界を奪われていたが、前方に、翼を広げたようなシルエットが見えた。
砂煙に隠れて、サラマンダーへ攻撃を仕掛けるつもりだったのだろう。
サラマンダーと同化したロイクが剣を振るおうとしたとき、さあ、と視界が開けた。
その目の前にいたのは、ローブを翼のように見せかけて広げた少女。
ウルリカはしたり顔で笑っている。まるで計画がうまくいったと言わんばかりに。
術者を傷つけてはならない。ロイクは咄嗟の判断で、剣を振るう手を止める。
それでは、天使は何処に消えた?
サラマンダーに同化したロイクは、頸筋に冷たいものが当たるのを感じた。
それは銀色の穂先だ。
ロイクは慌てて〈共有〉を解いて、自らの眼を開く。
ロイクの視線の先にいたのは、天使に背後から槍を突きつけられた、自らの〈守護聖獣〉の姿だった。
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