4話「いよいよ出発」
朝日がオレンジ色に染めた空は、弱々に青みを広げていく頃、街の出入り口の巨大な石造りの門の前に、子供二人の姿があった。
両者とも背中には大きなリュックを背負い、それぞれの薬指には白色の宝石をはめ込んだ貴重な指輪が光っている。これは、先生から贈られた魔術師セットの一品だ。
自身の顔の半分ほどを占める大きな丸メガネをかけた少年は、小さな木の枝を手にしている。これも魔術師セットの一品だ。
二人は朝に弱いようで、コクリコクリと首を揺らしながら門前に立っている。
「なぁ、オークス……エリスはいつ来るんだ……」
重い矇を半分だけ開き、大事そうに胸の前で杖を持って待っているオークスに話しかける。
「今にどうせ走ってきますよ。もう少し待ってみましょう」
「……うん」
短い会話が終わると、二人は大きなあくびをした。
目頭に泪を浸めながら、門から続く大通りをじっと見つめる。
そこに、一人の少女と女性がこちらに走ってくるのが見えた。
ロイスは、いったいどれだけ待たせるんだという表情を一瞬だけ浮かべたが、眠気に負け、再び矇が重くなる。
「オークス、起きて、エリスが来たよ」
「うぅん……」
授業中はいつも寝ているオークス。この日はいつも以上に早起きしたせいか、眠け顔はなかなか治らない。
ロイスは、オークスが完全に寝てしまわないように「おきろー」と肩を握り、体を揺さぶる。起こしている側も眠気で限界に達しており、ロイスのトレードマークといえる大きなメガネが、揺れる顔に合わせて吹っ飛んでしまった。
「おっと……危ないよ。これ、落としたら割れてましたね」
「んー?あ、ありがとうございます」
メガネが地面に落ちる小前に、エリスと一緒に走ってきた女性がキャッチし、ロイスにメガネを渡す。
ロイスは渡されたメガネをかけ直し、女性に深々とお迎倒した。
「ごーめーんーなーさーい!!寝坊しましたわ!!」
「まぁ、ふぁー、いつものことだし、気にしなくていいよ」
全力で謝っているエリスに、あくびをしながら適当に返事をするオークス。
「ありがとう、オークス!! この借りは、絶対いつか返すからね!」
息を切らしながら駆け寄ってきたエリス。彼女もまた大きなリュックを背負い、右手の薬指には、ロイスとオークスと同じデザインの指輪が光っている。
エリスはいつもとは違い、茶色い髪を無造作に束ねていない。そのため肩口で揺れるショートヘアが、彼女に新鮮な印象を与えていた。
「二人に紹介するわね。こちら、ヒノビさん。先生のお知り合いらしいのだけど、私も初めてお会いするの」
エリスの隣に立つ女性は、鎧やプレートといった重装備をまとうことなく、軽快な動きができそうな簡素な服装をしていた。彼女の腰には短刀が収められており、全体的にすらりとした体型が際立っている。ルビー色の髪を三つ編みにまとめ、空色の瞳が鋭くも温かい印象を与えていた。その鮮やかな髪色とは対照的に、服装は大胆で、どこか艶やかな雰囲気を漂わせている。
「こんにちは。私はヒノビ。あなたたちが言う『先生』から、護衛を頼まれたの。普段はヒノって呼ばれているから、そう呼んでくれると嬉しいな」
ヒノビは明るい声と笑顔で自己紹介をした。その軽やかな様子に、眠気が抜けきらないロイスとオークスもようやく顔を上げ、彼女をまじまじと見つめた。驚きとともに二人の視線が交差する。
「二人とも、気づくの遅いですわよ! ヒノビさんは、あの炎狐族のご令嬢なんですって!! こんなすごい方がダイネの街にいらっしゃるなんて、とっても興奮しますわよね!」
エリスが目を輝かせながら言うと、ロイスが神妙な面持ちで続けた。
「確かに、四大国を相手にすべての侵略を跳ね返した伝説の種族ですからね。その御息女が護衛をしてくださるなんて、光栄の極みです」
約50年前に起きた「大戦」。それはこの『ダイネ』の街周辺に位置する四大国と、炎狐族との間で繰り広げられた領土争いだった。
炎狐族――彼らは、もともとこの大陸に古くから住み着いていた先住民族であり、人間が街を形成する遥か以前からこの地を守り続けてきた。人間たちが街を築き始めた後も、彼らは干渉することなく静かに共存していた。だが、領土拡大を目指す大国たちがその暗黙の平和を破り、炎狐族の領域へ侵攻を開始した。
その結果、ロイスが言った通りである。すべての攻撃を跳ね返した炎狐族の勝利――いや、それ以上の「圧倒的な敗北」を人間側に与えた。だが、戦後も彼らは報復を行わず、勝者として何ら見返りを求めることもなかった。それどころか、戦そのものが無かったかのように振る舞い、再び静かに暮らし始めたのだ。
「最強」とまで称される彼らの中でも、御息女としてその名を知られるヒノビ。その彼女が、自分たちを護衛すると言うのだから、これほど心強い存在はいないだろう。
そんな背景を知るロイスやエリスの表情には、驚きと敬意が入り混じっていた。一方でオークスはその場の空気に圧倒されながらも、ヒノビをちらりと見上げる。
「先生に頼まれちゃったからね。道中はしっかりみんなを守るよ!」
ヒノビは白い歯を見せて無邪気な笑顔を浮かべた。その様子に、エリスが弾けるような声をあげる。
「すごいですわ! 私、今回の旅がますます楽しみになってきました!」
「……エリス、落ち着いて」
ロイスが軽くたしなめると、エリスは赤面しながらも姿勢を正した。
「すみませんわね。ヒノ先輩、自己紹介を続けてくださいまし」
「うん、ありがとう! じゃあ改めて、みんなも自己紹介をお願いね」
ヒノビが両手を腰に当て、にこやかに問いかける。その視線を受け、ロイスが一歩前に出た。
「私はロイスといいます。もしよろしければ、炎狐族についていろいろ教えていただきたいです」
「私はエリスですわ! 道中、先生とのご関係もぜひたーっぷり教えてくださいまし!」
次はオークスの番だった。視線が自分に集まると、彼の肩は小さく震えた。しばらく視線を床に落としたまま沈黙が続く。
「……ぼ、僕は……」
オークスは一度息を飲み込むと、やっとの思いで言葉を絞り出すように続けた。
「オークス……といいます……。え、えーっと、人見知りなので……あの、うまく話せないかも、ですけど……その……がんばります……」
声がだんだん小さくなり、最後は蚊の鳴くような声になってしまった。その姿にヒノビは一瞬驚いたようだったが、すぐに柔らかな笑顔を浮かべた。
「オークスくん、ありがとう! そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。これから少しずつ仲良くなろうね!」
ヒノビがそう言うと、オークスは恥ずかしそうに頷き、また俯いてしまった。
三人がそれぞれ名乗ると、ヒノビは笑顔で一人一人の名前を復唱した後、大きく手を広げた。
「みんな、よろしくね! ……っていうか、かわいい!」
突然の賛辞に驚く三人を構うことなく、ヒノビは勢いよく彼らを抱きしめた。ロイスとエリスは呆然としながらも、ヒノビの無邪気な行動に思わず笑顔を浮かべる。オークスは目を丸くし、体を固くしてしまう。
「ひ、ひぃっ……!」
思わず漏らした声に、ヒノビは慌てて手を離した。
「ご、ごめんね! 驚かせちゃったかな?」
オークスは頷くことしかできず、エリスとロイスが苦笑しながらその場を取り繕う。
「オークスはとっても繊細なんですの。でも優しい子なので、どうかゆっくり接してあげてくださいまし」
「そうだね。ヒノさん、オークスには少しずつ慣れてもらえるようにお願いします」
「もちろん! 無理はさせないよ!」
ヒノビの優しい言葉に、オークスはほんの少しだけ安心したように見えた。
ヒノビにとって共通の人物を通して、初めてできた友達だった。もしくは弟子のような存在なのかもしれないが、彼女にとってはどちらも、顔がくしゃっとするほどうれしいことだった。
4人での簡単な自己紹介が終わり、一呼吸置いたところでロイスがあるお願いをする。
「移動ルートを確認しておきたいのですが、お願いできますか? ヒノさん」
「そうだね。まぁほとんど安全なルートしかないから大丈夫だとは思うけど、一応しておこうか」
ロイスは移動手段と宿泊場所、もしくは道中の危険地帯などをある程度最初に共有しておくことを提案した。
隣町『アンブルグ』までは徒歩でおよそ3日。元々は3人での移動を想定していたため、出来るだけ危険を避けつつ行動しようとすべての危険地域と想定されるものを避け、遠回りしての移動を予定に入れていた。だが、優秀な護衛がついたことで、それも必要なくなった。
山や渓谷などの明らかに危険な場所は基本的に無く、平原が続いている。しかし、3カ所だけ危険を孕んでいる場所がある。だがこれも、子供だけで移動した場合に危険だとロイスが判断した場所だ。
「私たちが居るこの『ダイネ』の街から、南に向かって平原を進む。この辺りに猛獣とかはめったに出ないからおそらく1日程度で平原を抜けられると思うから、一旦そこらでキャンプをする」
「キャンプ!? 私、初めて街の外に出るのでも楽しみでしたのに、キャンプまでするなんて……」
ヒノビの提案に鼻息を荒くして目を輝かせているエリス。彼女はこの街で育ってから、家柄の事があり容易に外に出歩くことができていなかった。そのため、今回の事は人生初の事であり、今まで夢見ていたことだったのだろう。
「エリス、一旦落ち着こう」
「わかってますわよ。ごめんなさい。ヒノ先輩続けてくださいまし」
場を乱したことを詫び、再びヒノビの提案へと話を戻す。
「1日目はこんな感じ。2日目は、この森に入って進むことになるけど、私がいるから大丈夫。森で一泊することになるとは思うけど……」
「いい……と思う」
「じゃあ2日目もこれで行こうか。3日目は1日目と同じような平原が続いてる場所を通ることになるだろうから、危険は少ないだろうね」
大まかだが、道中のルートは頭に入った一行。どうにも興奮気味であるエリスが心配ではあるが、基本的にはヒノビについていけば隣町『アンブルグ』までは安全なはずだ。
「それじゃあ、そろそろ出発しよう」
ロイスが一声かけ、一同は町の出入り口である門とその奥に広がる平原に目をやる。
先頭のロイスが進むと、皆もそれに続いて歩き始める。
門の外、街の外は、少年少女たちにとって未知の土地であるとともに憧れの土地でもある。先生から、本から、幾度となく街の外の話が出てくる。その度に、その情景や風土、大地の感触、風の匂いなど今いる街とどれほど違うのかに期待を膨らませきた。今、目の前に広がりつつある緑の草原も、門の内側からは飽きるほどに見てきている。
この日、『ダイネ』の街から若芽が大地に力強く根を張る、大きな一歩を踏み出した。
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