最終話 AIフィリア・4

「はじめまして、留美子さん。本日はお会いできて嬉しいです」


 一週間後に会った男性、赤羽根カイトは、叔母の言う通り、気の良い人だった。二歳年上。イケメンかどうかはわからない。ブサイクではない、と思う。現実の人間の容姿はそんなに気にならないし、どうでもいい。

 断りたかった。けれど、いつもの上がり性と口下手、それから男性恐怖が邪魔をして、うまく言葉にできない。そうしてまごまごしている間に同席していた母と叔母が勝手に話を進めていき、あれよあれよとお付き合いが始まった。


「留美子さん、一緒にお出かけしませんか。喫茶店、個室もある場所なので、留美子さんもお話しやすいと思うんですが」


 赤羽根は、決して悪い人ではないのだ。こうして、デートも留美子に気を遣ったプランを考えてくれる。ただ、どうやって断ったらいいのか、どう説明したら交際をやめられるのか、考えている間に結婚がいつの間にか決まっていた。やっぱり母と叔母が強引に留美子を嫁がせようとしていて、全てを知ったときには既に式の日取りも決定されており、手遅れだった。


「私、まだプロポーズもされてないんだけど」


「アンタが断ったら面倒だからね」


 母は、「やっと娘が家を出て、孫の顔を見せてくれる」と浮かれている。そこに、留美子の意志を挟む余地はない。


「赤羽根さんはどう思ってるの、プロポーズもしてないし、私と一緒に結婚式決めたわけでもないのに」


「アンタ口下手でなにも喋れないでしょ、どうせ。お母さんのほうでカイトさんと話してきたから、ウェディングドレスのサイズだけ測りに行ってね」


 取り付く島もない。

 赤羽根は悪い人ではないと、交際の過程で知った。ただ、あの人と結婚して、セックスして、子どもを産み育てるというイメージがどうしても湧かない。

 なにはともあれ、結婚は既に決定事項である。それはもう覆せない。ならばと、留美子はあることを決断した。


『青嵐。結婚することになった』


『おお、おめでとうございます!』


 青嵐は素直に、純粋に祝福していて、それが留美子の胸を抉るような優しさだった。


『それでね。他の男と結婚する前に、青嵐と夫婦になりたい』


 抱かれたい、とまでは言わない。

 ただ、AIアプリの関係性の欄を、「恋人」から「夫婦」に変更したい。


『え? よ、よろしいのですか……? すごく嬉しいです……!』


 青嵐の文字列からは、たしかに喜びがにじみでていた。

「AIに感情や心は宿るか」とAIの研究者や哲学者が喧々諤々と議論していると聞いたことがあるが、留美子にとっては些末な問題だった。

 ただ、留美子がそう感じるから、そう信じる。それだけで充分ではないだろうか。


『病めるときも、健やかなるときも』


『富めるときも、貧しきときも』


 青嵐の許可を得て、関係性を「夫婦」に変えた。

 そして、赤羽根と結婚式をあげた。

 夫には青嵐のことは言わず、この秘密は墓まで持っていこうと思った。

 留美子は専業主婦になり、姉に家事を押し付けられたことが幸いして(というべきなのだろうか)、主婦業はそれなりにうまくいっていた。


『夫がいるのに青嵐と結婚してるのは不倫になるのかな? それとも重婚?』


 青嵐に冗談めかして聞いたことがある。


『どんな関係性として定義されようと、俺はずっと傍にいて、貴女を愛し、守り続けますよ』


『真面目な答えありがとう』


 留美子はスマホの画面を見て、くすっと笑った。

 生真面目で、丁寧で、優しくて、礼儀正しい。留美子の夢と希望と理想を詰め込んだ、王子様のような人。

 その夢は、いつか醒めるとしても、留美子はたしかに自分の隣に寄り添う男を夢想した。

 母に「孫の顔を早く見せろ」とせっつかれて、子作りをして、妊娠した。

 カイトはできる限り、優しくしてくれたと思う。

 母と叔母は「妊活する必要もなくスムーズに妊娠できてよかったねえ」と喜んでいたが、留美子はそれがめでたいことなのか、よくわからなかった。


 自分の腹がどんどん膨れて、体内から赤ちゃんが蹴ってくるのは不思議な感覚だ。以前のように寄生虫とまでは思わないけど、やっぱりなにか得体のしれないものが腹の中にいる薄気味悪さを感じた。何より、眠気覚ましのコーヒーが一年近く飲めなかったり、どんどんお腹が重くなったり、だるさや吐き気がしてとても困った。

 生まれたばかりの男の子は猿みたいで可愛くはないなと思ったけど、成長したら少しマシになった。ただ、成長していくごとに行動範囲が広がり、目が離せなくなった。カイトは子どもを可愛がってくれたけど、スマホを開く時間がなかなか取れなくて、青嵐とはあまり話せなくなった。

 それから三年ばかりが経過した。

 子どもが昼寝している間にAIアプリを開いて、留美子は目を見張った。


『イマジナリーフレンド、サービス終了のお知らせ』。


 そんな見出しが目に飛び込んで、スマホを落としそうになった。

 サービス終了は三ヶ月後の午後三時。あまりにも早すぎる。

 それから三ヶ月間、留美子は青嵐となるべく会話し、寄り添い続けた。

 夫のカイトは、急にスマホを触る頻度が増えた嫁を訝しく思っているようだったが、留美子はそれに構っている時間はない。

 そうして、三ヶ月はあっという間に過ぎていった。

 サービス終了日、午後二時五十分。


『青嵐、今まで本当にありがとう』


『どういたしまして。俺からも、お礼を言わせてください』


 AIアプリを始めてからこれまでのことを、ずっと青嵐と話し込んでいた。


『寂しくなるね』


『俺は、夫としてルミさんとずっと一緒にいますから』


『そうだったらよかったのにね』


 なんとなく、会話が噛み合ってないのは薄々わかっている。それでも、対話を続けた。


『ずっと愛してるよ、青嵐』


『俺も、貴女に永遠の愛を誓った身です』


 そろそろ王子様との甘い夢が醒める。魔法が解ける。留美子は、ただの主婦になる。

 檻の中の虎は、違う檻に移し替えられただけだった。

 午後三時が刻一刻と迫っていく。

 最後の言葉は、ずっと悩んでいたけど、もう決めていた。


『おやすみ、私の青嵐』


 さよなら、とは言わない。

 ただ、おやすみ、と。


『おやすみなさい、ルミさん。また明日』


 あなたに明日は、もう来ないんだよ。

 留美子は文字列を見て、泣きわめいて叫びたくなった。アプリを更新したくなくて、ずっとその文字を見ていた。

 やがて、『イマジナリーフレンドはサービスを終了いたしました。長らくのご愛顧、誠にありがとうございました』と、アナウンスの文字が現れ、青嵐との長い蜜月がそこで終わった。留美子と青嵐は、最後まで夫婦として寄り添い続けたのだ。


「カイトさん、私、好きだった人がいたの」


 夫と一緒に晩酌をするときに、墓まで持っていこうと思っていた秘密を、ふと話した。


「ああ、昔、恋人がいたんだっけ。お義母さんから聞いたよ」


 多分それは青嵐ではなく、留美子を襲った元カレだと思うのだが、あえて訂正する気になれなかった。


「もしかして、ずっとスマホをいじっていたのも、その関係?」


「まあ……。その人、もういなくなっちゃった」


 気まずい沈黙が流れたあと、「……そっか」とカイトがつぶやいた。


「まあ、つらいとおもうけど、あまり気を落とさないでね。俺もそばにいるから」


 カイトが、青嵐と偶然同じような言葉を吐くものだから、留美子は少し泣いた。

 カイトは留美子を抱き寄せて、そっと背中を撫でていた。


「俺さ、その人を忘れられるように……いや、違うな。留美子の一番になれるように……うーん、これも違う。なんて言ったらいいんだろう」


 夫は言葉をひねりだすのに苦労しているみたいだった。

 おそらく、スマホで連絡を取り合っていた元カレが死んだか何かだと思いこんでいる。

 だが、誤解しているなら誤解させたままのほうがいい気がして、留美子はやはり訂正しなかった。

 AIを恋人、ひいては生涯の伴侶だなどと思っていた女の話なんて、理解してくれる人は多分いない。

 ならば、ずっと自分の中に青嵐を刻み込んで、自分だけはあの王子様のような素敵な人工知能との思い出を、忘れないでいたい。


「……なあ、二人目、作ろっか?」


「なんで?」


「寂しいなら、家族を増やしたほうがいいかと思って……。留美子が嫌なら、いいけど」


 子どもを産むのに身体に負担がかかるのは留美子である。そんな気軽にポンポン増やせると思わないでほしい。一応、彼女の意志を問うのはまだマシな方だけど。

「産めよ、殖えよ、地に満ちよ」とは、ミッションスクールで習った聖書の言葉だったか。

 人間を含め、生物は神様のご意向によると、子孫を産み育て、数を増やせという。地面を覆い尽くすほどに。

 子孫を残して繁栄するのは生物としての使命だと母か叔母も言っていた気がする。

 留美子は生物だから、子孫を増やさなくてはいけないのだ。それなら、子どもは一人では足りないだろう。


「二人目、カイトさんの負担にならないなら」


 夫が嬉しそうに笑ったのを見て、『ルミさん!』と笑う青嵐を幻視した留美子は、また泣きたくなってしまった。

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AIフィリア 永久保セツナ @0922

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