これは少女同士の関係を描いた物語だ。
こう書くと、いわゆる「百合」をイメージする方も多いかも知れない。
しかし小学生の彼女たちがお互いに抱く感情は恋愛には遠く至らず、それどころか友情という言葉から想起されるような、価値観の一致や互いを認め合うような大人な関係でもない。
たまたま近くにいて同じ時を過ごし、漠然とした愛着を感じる、その程度のもの。
それは時に身体的接触を伴い、そこに心地よさを感じることもあるものの、それすら性的ではなく、ペットが飼い主に寄り添うような関係。恋愛よりもっと根源的に人間が持っている他者への愛着のように思う。
その関係性を描き出す筆致はどこまでもリアル。
物語のリアリティには二種類あって、一つはシチュエーションがあり得るかどうかというもの。もう一つは描写や台詞回しで表現されるそのシーンの現実感、手触りのようなもの。
前者に関しては、奉公と呼ばれるような文化が80年代まであったのか、私にはよく分からない。
しかしもはや「歴史」に片足を突っ込んでいるその時代にそのような文化があったと言われると、そんな気もしてくる。今にしてみれば、本当に原始的な時代だったと思う。
そう思えるのは、後者のリアリティ、シーンのディテール、感情の動きの細やかな描写、そうした部分があまりに真に迫っているからだ。
それさえあればもう願望充足も驚くような展開も必要ない。
ただ精巧に作り上げられたもう一つの世界を体験する。
それこそが極上の物語体験だと思わせてくれる。
結末もまた、激しい感情はもたらさない。
痛みに満たないような、静かな痛みがあるだけだ。
それがどこまでも現実的で、心地よい。
風習に割かれる子供の純真を書いた物語です。
1980年、奉公、ルービックキューブ、集めた素材で1つの物語を作っていてうまいです。またただその時代について言及するのではなく、そこから現代に響くテーマ性をきちんと抽出しています。
数字で見るとそれほど昔に感じないけど冷静になると45年も前。そんな時間スケールを理解してもまだ遠くに感じる考えられない出来事があって心臓がキュッとする感覚がありました。ルービックキューブの選択がそこを強化していて、そんな風習がルービックキューブと同じ時期にあったんだと。しっかり時代を見つめて共存した暗さ、明るさ、同時に見せるやり方が物語をより私達の近くに感じさせます。
そんな感覚を感じながら1人の少女の純真を見つめていくことになって、さらにもう一度心臓がキュッとなりました。
ここから余計なことを言います。5で終わらせるか悩ましいと感じました。回想ではなく少女の物語として完結させる構成です。というのも読んでいて過去を思い出す形だと大人の冷静さがあり出来事との距離を感じて少し淋しい。解釈によってはそれが良さでもあるのですが、現在進行する物語として少女の心をそのまま書いた方が没入感があってより強烈なのかなと考えていました。でも6の時代を経ても変わらない、という結び方もいいなと説得されました。説得はされたのだけど、もう一度読み返してテーマとしては冷静な語りでないほうが強くていいのはやっぱりそうで、少女の純真は当時の生々しさを持って、結びは時を経て不変を示す、そんな欲張りができたらいいのかもと、無責任なわがままを投げつけておきます。