第2話 呪い

 弊社から車で数分のところにその物件に、我々は到着した。今日の曇り空同様、どんよりとした空気を纏っているように見えるそのアパートの入り口には、『山田荘』と書かれている。


「車中で説明した通り、いくつかの注意事項はお守りください。さ、行きましょう」


 外階段は錆だらけでところどころ穴も空いており、一段踏み締めるたびにぎぃぎぃと音がなる。初めての人は大抵その古さに面食らうが、影山様も恐る恐るだがちゃんとついてきているな。


「住人の方とは決して目を合わせてはいけないというのは、なぜですか」


 車内で注意したことのうちの一つのことだ。私は説明をしかけたが階段上方に気配を感じて視線を移す。

 フード姿の住人の方がいる。私は眼鏡を押し上げながら「こんにちは」と挨拶をするが返答はない。影山様を見ると事前に注意したとおり、目を合わせないように俯きながら階段を昇ってくる。

 フード姿は少しのあいだ影山様をじっと見つめていたが、そのまま階段を降りていった。


 ひとまずは安心だ。


 影山様にお伝えした注意事項は3つある。


 ひとつ、住人とは絶対に目を合わせないこと。

 ひとつ、物件の押し入れは絶対に開けないこと。

 ひとつ、ものに触れるときはやさしく、とてもやさしく触れること。


 最後のはほぼお願いだ。内見中は多くのものに触れるが、そのすべてをスプーンのように曲げられたら敵わない。


 がちゃりと鍵をまわし、『202』と書かれたドアを開け、「どうぞ」と影山様を中に案内する。


 設備の古さこそ目立つが日常使いには十分耐えうる、18平米ほどのワンルームに、興奮した様子で入室していく影山様。・・・あの様子を見るに、初めて案内されたのでは。


 念の為、先ほどの注意事項を再度伝えておこう。あの興奮っぷりはちょっと嫌な予感がする。


「影山様、先ほども申し上げたとおり、くれぐれも押し入れは開けないようお願いいたします」


 まぁ押し入れには『開けるな』と注意書きも貼ってあるから大丈夫だとは思うが。


「押し入れ?あ、これのことですね!わかりました!」


 そう言うやいなや、彼女は勢いよく押し入れをすぱーんと開け放った。


「え?」突然の出来事に思わず固まってしまった。


「えぇ!?」驚く影山様。


 いや待て、なぜお前が驚く。「すみません!つい本能で!」じゃないよ!そっかぁ!忍者だから『開けるな』って書いてあると開けたくなっちゃうのか!怪盗みたいな任務もありそうだもんね、ってそんな本能あるかーい!


 そうツッコミを入れたいのは山々だが、今は押し入れを閉めることが先決だ。


「早く閉めて!」私が叫ぶとさすが忍者だけあり反応が早い、再びすぱーんと閉める。そして衝撃に耐えられなかったのだろう。押し入れの扉は木っ端微塵になった。


「ん?」再び固まる私。そうか、そうだった、この忍者は怪力だった!慌てたせいで力の制御を間違えたのか!「すみませんね!!本能なんで!!!」わかったよ、本能だもんな、しょうがないよな!本能万能だな!あと何でお前がちょっとキレてるんだよ!


 私はこれから説明することを考えると思わずため息をついた。物件のネガティブな情報をお客様に伝えるのはいつだって緊張する。


「押し入れの扉はのでお気になさらず」


物を壊してしまったからだろう、狼狽えている影山様の目を見つめて私は続ける。


「それより、これから影山様にはとてつもない不幸が訪れます」


「えっ?!どういうことですか?不幸が私に訪れる?」


「その前にこちらの物件についてご説明差し上げましょう。こちらは影山様のように忍者を名乗る方など特殊な方でもお住まい頂けるアパートとなっております」


 影山様は頷き私の言葉の続きを待つ。


「通常、そのような方々はお断り差し上げる不動産屋がほとんどでしょう。管理会社やオーナーにとってメリットが少ないからです。入居後にトラブルを起こしそうな職業の方は避けた方が我々にはいいのです」


「その代わりこちらのアパートには何かある、ということですか」


「はい。こちらのアパートは一般的な方はお入りいただけません。とても危険だからです」


「き、危険ですか・・・?あの押し入れもそれに関係が・・・?」


 私は頷き、申し上げる。


「開けたものには不幸が訪れる、呪いの押し入れでございます。本アパートが危険とされる原因の一つです」


 不幸。そう、あの押し入れはどういうわけか開けるものに不幸をもたらす。もちろん不動産屋として何度もあの押し入れの撤去を試みた。しかし・・・。


「ご覧ください、影山様がお壊しになったはずの押し入れの扉ですが、すでに修復されております」


「ひっ・・・!本当だ、さっきまで無惨に飛び散っていたのに!」


 ・・・無惨にした側が言っていいセリフじゃない気がするが、ともかく、このように取り壊してもすぐ修復されてしまい撤去ができない。そしてその過程で扉を開けたものには、もれなく不幸が訪れた。


「過去に扉を開けたものには必ず不幸が訪れています。その程度は様々ですが、おそらく開けている時間に比例しているものと思われます」


 影山様の顔から、さぁーっと血の気が引いていくのがわかる。自称忍者だからだろうか、それとも扉がひとりでに修復された現実を見たからか、呪いの存在を受け入れたようだ。


「そ、それで、不幸というのは実際にどのような・・・?まさか私はスプーンみたいな目に遭うのでしょうか」


 不安なのだろう。彼女はカバンから片手いっぱいのスプーンを取り出し、一本いっぽん丁寧に引きちぎり始めた。呪いより君のが怖いよ。


「私の体験ですが、顔面にバードストライク、忍者が来店する、経理に売り上げを持ち逃げされる、隕石に襲われる・・・等々、様々な不幸な目に合いました」


「ん?忍者が来店するのはいいことですよ?それにしたって初めからそう言ってくればいいのに・・・」


 もにょもにょと文句を訴える彼女には悪いが、こちとら不動産屋だ。『実はこの物件、呪いの押し入れが標準で備え付けらえておりまして〜』なんて言えるわけがない。もちろん事故物件の場合はこちらから伝えねばならないし、自然死にしたって質問されれば答えるが、『呪い』はちょっと言えないでしょ。


「影山様、これにてご内見は終わりにしましょう。本日はご覧いただきありがとうございました。また次の機会があればその際は・・・」


 呪いにより影山様に不幸が訪れることが確定している以上、早いところこの物件の外に出る必要がある。・・・建物が不幸に巻き込まれるのは不動産屋としてはごめん被りたい。


「次の機会?いや、私ここ借りますよ?」


 え?借りるの?


「忍者が借りられる物件なんて他にありませんし、何より私忍者なんで、さっき聞いた程度の呪いであれば余裕で耐えられますよ。結構私強いですからね、多少のことからは身を守れます。ほら、このよう・・・にっ!!」


 ばぁん!影山様は床を力強く蹴りフローリングに穴を開けた、と私が認識した時にはすでに玄関ドアを蹴りやぶっていた。なんということだ、彼女は一瞬で床と玄関ドアの両方を破壊したのである。


「ぎゃっ!」


 情けない声が聞こえたと同時に「おとなしくお縄についてください!」と影山様の声が聞こえる。慌てて私は玄関に向かい壊れたドアを開けた。


 そこには廊下で影山様に取り押さえられる、階段ですれちがったフード姿の住人がいた。



つづく

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