第8話 カフェ『TAKATSUKI』

「――今日もありがとうございます、遠山とおやまさん、石見いわみさん。また来てくださいね!」



 それから、暫く経て。

 夕さり頃、若い男女のお客さんを笑顔で見送る戸波となみくん。そんな彼に、2人も嬉しそうに答え店を後に……ほんと、流石ね戸波くん。


 ちなみに、先ほど戸波くんは名前を呼んでいたけれど――今の2人が、以前からの彼の知り合いというわけではなく。ただ、誰に対してもそうなだけ。なんと、彼は来店する全てのお客さんから名前を聞き、お客さまではなく名前そちらで呼ぶようにしていて。

 とは言っても、当然ながら誰に対しても強制することはない。実際、そういうのが苦手で迷惑そうにする人もいるし、それも当然。だけど、大半の人は喜んでくれているのが傍目にもはっきりと伝わって……ほんと、私には到底できない芸当ね。




「ところで、ほんと良いとこっすよねここ。働いてるから言うわけじゃないっすけど、他のどのカフェよりここが好きっす。こっから見える自然も最高ですし、店の中も幻想的で……すみません、語彙力なくて、俺」

「……いえ、とても嬉しいわ。ありがとう……と言うのも少し変ね。私だけのお店じゃないのだし」


 その後、ほどなくして。

 営業を終え閉店作業の最中さなか、ふと莞爾かんじとした笑顔で告げる戸波となみくん。突然ではあるけれど、そう言ってもらえるのはやっぱり嬉しい。まあ、私だけのお店じゃないんだけども。


 さて、ちょうどその話が出たので軽く当カフェの説明を――ここ『TAKATSUKI』は地元の小さな山の中腹辺りに立ち、店内なかの窓からは四季折々に色を変える豊かな自然を一望できる。そして、明かりは最低限の灯火ともしびと僅かに射し込む陽光ひかりのみという、いわゆるSNS映えはしないであろう仄暗い空間なのだけれど……むしろ、当カフェはそこを一つの魅力として――


「――でも、やっぱ一番は高月たかつき先輩がいるからっすけどね!」

「……っ!! ……全く、調子のいいことを……」


 すると、パッと咲くような笑顔でそんなことを言う戸波くん。……全く、私なんかのどこがそんなに良いんだか。





「……ねえ、戸波くん。随分と野暮なことを聞くようだけど……貴方、今までに交際していた人はいたの?」

「ええ。一応、高校時代に一人だけ。まあ、すぐに振られちゃいましたけどね……俺のせいで」

「……そう、申し訳ないことを聞いたわね」

「いえ、気にしないでください!」


 それから、ほどなくして。

 黄昏に染まる帰り道にて、少し躊躇いつつそんなことを尋ねてみる。すると、嫌な表情かお一つせず微笑み答える戸波くん。だけど、心の内がどうかは定かでなく……うん、やっぱり聞かなきゃ良かったかな? まあ、今更だけれど。



 ただ、それはそうと……まあ、思った通りと言うか、交際経験はほとんど無かったようで。と言うのも、中々に衝撃ではあったけど……彼にとって、ああいう行為は昨夜が初めてだったそうなので。


 そして、それは紛れもなく事実だろう。尤も、元より彼の言葉を疑うつもりなどないし、そもそもその必要もないのだけど……彼にそういう経験がないことは、昨夜のあの最中さなかにも明確に……いや、人のことを言えるほど私もさして経験があるわけでもないけれど。ただ、疑う余地もなくたいそうモテる彼だから頗る意外だっただけで――



「……そもそも、ないですから」

「……へっ?」


 すると、ふとそう口にする戸波くん。そして、柔らかな眼差しでふっと微笑み告げる。私の良く知る――されど、胸がぎゅっとなるような哀しい微笑えみで。



「……そもそも、ないんです――俺に、誰かを愛する資格なんて」





「…………ふぅ」


 それから、数時間後。

 夕食や入浴、そして読書を終え毛布へとうつ伏せになる私。……ふぅ、今日は色々と忙しない日々だった……主に、心が。まあ、そういう意味では今日も仕事でむしろ良かったけど。



 ただ、それにしても……随分、冷めた女なのだと我ながら改めて痛感する。まあ、それはお互い様なのかもしれないけど……裏切られた形になったとは言え、3年以上も付き合ってきたはずのあの人が、昨日の今日だというのにほぼ脳裏にすら過らない。少なくとも、今日1日彼のことで何かしらの感情が動いた記憶がない。そういう意味でも、やはり昨日の浮気あれは良いきっかけだったのだろう。むしろ、今や色んな意味で感謝の念すら抱いてしまってるくらいだし。


 ぎゅっと、毛布を手繰り寄せる。……戸波くんの、匂いがする。刹那、ハッと蘇る。感触、温度、眼差し、笑顔――あの夜の全てが、ハッと脳裏に蘇る。それは、この上もなく心地好く――



『……そもそも、ないんです――俺に、誰かを愛する資格なんて』



 刹那、ぎゅっと胸が痛む。……何が、あったの? 貴方の過去に……いったい、何が――


 

 

 

 


 











 


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