第31話 尻

 街から北の森へ。

 大きな森を背負うように我が家が見えてくる。

 確かにあらためて見ると、街の住人には少し近寄り難い雰囲気があるのかもしれない。

 家の前では、クリスティーヌと子供たちが遊んでいるようだ。

 楽し気な絶叫が聞こえてくる。

 母親たちの姿はない。

 裏の畑か、それともまだ街で仕事を探しているのだろうか。

 厨房側の煙突からは薄っすらと煙が上がっているので、昼飯はしっかり食ったのだろう。

 西日が眩しくなってきたが、まだ晩飯には少し時間がありそうだ。


「なんだか疲れたわね。やっぱり家は落ち着くわ」

「アンの場合、家というか森だろ?」

「ふふっ、そうかもしれないわね。でもほら……この季節、この時間の森って綺麗よね」

「ああ、たしかにな……明日は二人で森に入ろうか」

「素敵ね! 私は今晩からでもいいわよ?」


 大きな木桶を背負ったまま、アンが器用に靴を脱ぎ捨てる。

 やはり裸足が落ち着くようだ。

 アンと違い、俺は特別街が落ち着かないなどということは無いのだが、そんな俺でもなんだかホッとしてしまう。


「フー! おかえり~! アンも、おかえり~!」

「おう、クリスティーヌ! よーしよしよしよし」

「ふんっにゅあ、ふんっふんっ」


 子供たちに追われるように走ってきたクリスティーヌの頭を抱え込み、耳を揉みほぐす。

 クリスティーヌはフガフガ言いながらも額をこすりつけてくる。

 ああ、なんて落ち着くクマ耳なんだ……可愛い奴め。


「アンさん、その大きな木桶は何に使うの?」

「お風呂にしようと思って、買ってきたのよ」

「雪が降る前に風呂小屋も作りたいところだが、まぁしばらくはこれで何とかなるだろ。ありがたいことにうちには大魔法使い様がいるしな!」


 アンが巨大な木桶を置くと子供達が競うようにその中へと飛び込んでいく。

 ネリッサの息子のナダブだけは木桶の外側から、不思議そうに質問してくる。

 ただ、ナダブがそう聞いたのは、なにもでかい木桶が珍しかったからでは無いのだろう。

 どちらかというと今のアンの状態と木桶に何らかの関係を期待してのことだろうが……。


「うん、それで……アンさんはなんで落ち葉の上に転がって……笑っているの?」

「ちょっと変わったやつなのさ。いい女ってのは、大体ちょっと変わってるもんだ」

「ふふふっ。ねぇ、フー。私は幸せね」

「そうなのか? まぁ、とりあえずこのあたりの落ち葉には、たまに血吸い虫が紛れ込んでるから……気を付けた方が良いぞ」

「二人は仲が良いね……。よし、僕たちで水を入れるよ。みんな~、運ぶよ~!」

「俺は少し中の様子見てくるから、水はいったら呼びに来てくれ」


 そうして家に入る直前、背後から歓声が聞こえる。

 子供たち五人がふらつきながらも、巨大な木桶を井戸の隣に持って行くことに成功したようだ。

 アンとクリスティーヌは少し離れた場所で、その様子を笑いながら見ている。

 あの調子なら日が暮れる前に風呂に入れそうだ。


「あら、おかえりなさい、フーさん」

「ネリッサも帰っていたのか」

「ええ、簡単な賃仕事は多いみたいで、服の袖付けを大量に請け負ってきました。グゼルから来た人の勤め先からもらった仕事なんですけどね」

「おお、良かったじゃないか」

「それで、少しは家のためにお金を入れようかと――」

「いらんいらん、そもそもそんな大した金にはならんだろ」

「ですが……」

「勝手に稼いで良い具合にやっておいてくれ。俺は俺で勝手にお前の尻見て楽しんでるから。あんま気にすんなよ。ああ、ただ畑の世話はよろしく」

「フーさんは……いえ、私のお尻が好きなんですか? 別に見るだけじゃなくって――私は良いんですよ?」


 少し遠慮がちにネリッサが体を寄せ、サラサラとした黒髪をかきあげつつ、同じく黒い瞳を潤ませこちらを見上げるてくる。

 熟練の技だなぁ。

 ぷっくりとした唇に口元のホクロも色っぽい。

 アンとはまた違った、しっとりむっちりとした体も、かつての俺ならこのままむしゃぶりつきたくなるようなものだろう。

 だが……汗臭いなこいつ。

 グゼルの街を出てから風呂にもろくに入れていないだろうし、今日も一日中仕事を探したり畑などで働いていたのだろう。


「あ~、う~ん……いや、いい。ネリッサはいい女だが、それだけに反応できないのは……余計むなしくなりそうだ。それより今日はでかい木桶手に入れてきたから、ゆっくり風呂を楽しんでくれ」

「そうですか……いつもありがとうございます」


 しかし……残念だ。

 ネリッサの身体を見ていると、なんだか掻き立てられるようなものがありそうなんだが……やはりだめなんだよなぁ。

 全力疾走しているにもかかわらず、その力がうまく伝わらず前には進まない……そんな空回りしているような感覚だ。

 まったく……悪魔め。


「フー! そろそろ飯作るぞ?」

「ああ、ゼット、いいところに――」


 ちょうど厨房から出てきたゼットを捕まえ風呂係を押し付け、俺は街で買ってきたものを整理する。

 いくつかの布地や麻紐、後はノミやノコギリ、金槌、にかわなどを物置部屋へ並べていく。

 後は矢じりを六つとボロボロの木盾を買い足した。

 森を歩いている時、丸々と太った山鳥を何度か見かけ、ずっと欲しかったのだ。

 矢と弓を用意して、あいつらを食ってやりたい。

 とはいえ弓矢は作るのも調整するのも時間がかかる。

 明日以降だな。

 ひとまず飯ができるまで斧の手入れだ。

 手斧の柄を持ち、今日の騎士たちを思い出す。

 この手斧では厳しいな……。

 悪魔の力を最大限利用して強引に泥臭く戦えば、あの三人の騎士たちは殺せるだろう。

 だが……あの女騎士は無理だろうなぁ。

 武器や防具の問題もあるが、それ以上に俺の技量が圧倒的に足らない。

 所詮傭兵の力任せの動きだ。

 それに比べあの女騎士は凄かった。

 女にしてはやや大柄ではあるものの、俺より小さな体でアンのあの斬撃を受けきった。

 最初のビーダへの斬撃をよく観察していたのだろう。

 それにしたって、あの怪力を殺しきるとは相当な技量だ。

 しかもどこからともなく現れ、するりと二人の間に割り込み……格好良かったな。

 俺もあんな感じで颯爽と登場したい。

 せっかくこれだけ無茶が効く体を手に入れたし、夜の森で訓練してみるか。

 正直今の自分がどこまで戦えるかよくわからんしな。


「森にはモンスターも大量にいるようだし……。へへへっ……なんだか血がたぎってきたぞ! よし、ぼろ盾も補強しておくか。夜が楽しみだぜ」

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