推しに殺される大罪人に転生。推しのために……
流庵
第一章 転生編
プロローグ
月明かりすら届かない、漆黒の闇の中。
俺は、侵入禁止エリアに指定された元貴族の屋敷に忍び込んでいた。この辺り一帯は、ほとんどが崩れかけた廃墟だというのに、この屋敷だけが奇妙なくらいに原形を留めている。
「……ちっ、ハズレか」
めぼしい物は、とうの昔に持ち去られた後らしい。いくつもの部屋を物色するが、得られたのは埃だけだった。
「――ッ!」
次の部屋へ足を踏み入れようとした、まさにその瞬間。
風の刃が、俺の鼻先を掠めて壁に突き刺さった。あとコンマ一秒でも動きが早ければ、俺の顔は綺麗に両断されていただろう。
見つかったか!
即座に近くの窓を突き破り、闇夜へと身を躍らせる。着地の衝撃も構わず、ひたすら走る。背後からは、追撃の風魔法が次々と放たれ、俺の体を的確に削っていく。
だというのに、敵の姿はどこにも見えない。一体、どこから攻撃しているんだ……。
魔法の嵐を必死にくぐり抜けながら、視界の端に、遠くの屋根に佇むフードの人影を捉えた!
あれが術者か!
だが、おかしい。魔法はまったく違う方向からも飛んでくる。他に仲間がいるのか? これでは、まるで蜘蛛の巣に絡め取られた蝶だ。逃げ切れる気がしない。
「くそっ! こうなったら、せめて……!」
どうせ逃げられないのなら、その顔だけでも拝んでやる。
俺は覚悟を決め、人影に向かって一直線に駆けた。無数の風の刃が俺の体を切り刻み、左腕が肩から千切れ飛ぶ。激痛が全身を駆け巡るが、それでも走るのを止めない。
しかし、ついに右足までが吹き飛ばされ、俺は勢いのまま無様に地面を転がった。
……ここまで、か。
もはや、指一本動かす力も残っていない。尽きかけていく命の灯火をただ感じていると、ゆっくりとした足音が近づいてきた。
蹴り上げられ、無理やり上を向かされた視界の端に、フードの奥で三日月のように歪む、紅い唇が見えた気がした。
「――ッ!」
◆ ◆ ◆
「ちっ、
画面には、無情にもエンドロールが流れ始める。
このゲーム『セブン・レリックス』は、一人のキャラクターの生涯を体験するというコンセプトだ。そのため、死ねばそこで終わり。コンティニューもできず、強制的に終了する。
流れゆくエンドロールを眺めながら、今回のプレイを反芻する。
このゲームには、俺のすべてを捧げてもいいと思える推しキャラがいる。氷の聖女と呼ばれる、レティシア・セレスティアルだ。
白銀の長髪は、陽光を弾く新雪のように煌めき、アイスブルーの瞳は、底まで見通せる湖のように澄み渡っている。その美しくもどこか哀しげな表情は、見る者すべてを虜にする。間違いなく、このゲーム随一の人気キャラクターだろう。
ゲームのクライマックスである邪神との最終決戦において、彼女の力は不可欠だ。
だが、彼女は誰にも心を開かない。その鉄壁の無表情から「氷の聖女」と呼ばれ、結婚イベントで彼女を選ぶと、修道女になるか自害するかの二択を突きつけてくる徹底ぶり。
そんな彼女の、悲しげな無表情以外の顔が見たくて、俺はこれまで何十回となくゲームをプレイしてきた。
数回のクリア後。一定の条件を満たすことで、レティシア本人を操作できるようになる。
彼女自身を使いゲームを進めると、必ず始まるのが聖女覚醒イベントからだ。
彼女の物語は、婚約者を殺し、聖女として覚醒する衝撃的なイベントから始まる。婚約者は、巨大なゴーレムで帝都を破壊した国家反逆者。
しかし、その詳細は文章で語られるのみ。他のキャラクターで婚約者について尋ねようものなら、レティシアは二度と姿を見せなくなる。まさに禁句だ。
今回プレイした盗賊は、レティシアの寝室から日記を盗み出すことに成功した。そこに記されていたのが、彼女の婚約者、ルーシャス・シャドウブレイズの情報だった。
日記を頼りに、閉鎖された旧シャドウブレイズ領へ潜入するところまでは順調だった。だが、あと一歩のところで謎の敵に見つかり、殺されてしまったわけだ。
あの敵はいったい何者? 死ぬ瞬間俺は蹴られ上を見ることができたが、アレは女だったはずだ。そのまま首を斬られたので一瞬しか見ることはできなかったのが残念だ。
それにしても、一体、なぜルーシャスはレティシアを裏切ったのか?
レティシアの哀しみが彼のせいだと思うと腹立たしいが、彼が死ななければ、彼女は聖女として覚醒しない。つまり、世界を救うためには、ルーシャスは死ななければならないのだ。なんという矛盾。
考え事をしているうちに、エンドロールが終わる。条件を満たしていれば、ここで新たなキャラクターが解放されるはずだ。
画面が切り替わり、【新キャラクター解放】の文字と共に表示されたのは――まさかの【ルーシャス・シャドウブレイズ】の名だった。
「マジか!」
遂に、あの謎に包まれた男の人生を追体験できる!
明日……いや、もう今日か。仕事なんて知るか。有給だ!
俺は逸る心を抑えきれず、すぐにゲームを始めようとコントローラーを握った、その瞬間。
けたたましいブレーキ音と、壁が砕ける轟音が鼓膜を突き破る。
振り返った俺の視界を埋め尽くしたのは、巨大な青い鉄の塊だった。
「ゴフッ!」
アパートの壁を突き破って部屋に侵入してきた大型トラックに押し潰され、口から大量の血が溢れ出す。骨が軋む嫌な音を聞きながら、俺の意識は急速に遠のいていく。
不思議と痛みはなかった。スローモーションで迫り来るトラックを眺めながら、俺はテレビ画面に目をやった。ゲーム機は無事らしい。
画面には、【ルーシャス・シャドウブレイズでゲームを開始しますか?】の文字と、【はい】、【いいえ】の選択肢が、まだ表示されたままだ……。
「誰かいるのか⁉」
「大丈夫か⁉」
「人がいたら助からないだろ?」
遠ざかる野次馬たちの無責任な声が、まるでBGMのように聞こえる。
薄れゆく意識の中、最後の力を振り絞り、まだ僅かに動く右手の親指を動かす。
ただ、推しの謎を解き明かすために。レティシアの、本当の笑顔を見るまでは、死んでたまるか……!
コントローラーの【はい】のボタンを押し込んだところで、俺の意識は、完全に闇へと沈んだ。
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