「……件の一人息子というのは、お前の同級生だろう、リナ?」


 その『縁切り』は、前回のように偶然遭遇した突発的なものではなく、あくまでも『依頼』だった。


 それも、特段、急ぎというわけでもない。


 いつものように従兄の家を尋ねると「……リナ向けの仕事だ」と言われ、いつものように「んっ、分かった」と請け負った。


 それだけで、特別なことなど何もない、単純作業(ルーティーン)じみた導入である。



「……依頼人は、タナシ氏。……高校一年生の一人息子が、最近、不登校気味らしい。……何か悪い『縁』でもあるのではないかと、心配した親御さんからの依頼だ」



 などと説明を受けながら、あたしはふすまの隙間越しに、件の依頼人らを覗き見る。


 人のよさそうな、母親だという女性の隣に、きまり悪そうに正座している男子が見え――


「……件の一人息子というのは、お前の同級生だろう、リナ?」


「んっ、そうだけど……。あんま、話したことないし。『縁切り』してしまえば、もう関わることもない奴だもの」


 従兄に問われるも、あたしは割と本心から、そう言っていた。


 小中学校と比べて高校というのは、特段の理由がないと同級生とのかかわりは薄くなりがちなものだ。たしか彼はタナシジュンノスケという名だったと思うけれど、正直なところ、知っているのはそうした顔と名前だけ。あたしの通う東高校は進学校だから、二年生からは文系クラス理系クラスに分かれてしまうのだけれど――たしかうちのクラスは男子全員理系で、女子全員文系に進む予定らしいので、文理変更でもしない限り来年は別のクラスになるのがほぼ確定している。


 従兄は「……同級生だろう?」なんて言っているけれど、その辺の事情も分かっているはずで――そうでもなければ、存外に過保護な従兄があたしに「同級生との『縁切り』」をさせようとするはずがない。要は、これは「……同級生との縁が切れてしまうかもしれないが、それでもいいか?」という、少々不器用な従兄なりの最後確認というわけだ。


 とはいえ、存外格好つけな所のある従兄にそれを指摘するのも野暮なので、あたしも努めて淡々と『業務』をすすめることにする。


「ちなみに従兄さんから見て、タナシの『縁』は、どう見える?」


「……俺の目に止まるような、破滅的な『縁』は、まったくない。……依頼を受けている以上、ほんの微かに『悪縁』のようなものがある気はしているわけだが。……リナも知っている通り、俺の目ではそのあたりの微妙なところが全く分からん」


 出会った頃から割とそうだったけれど、この従兄殿は細身の美形で高身長、文武共に優れた完璧人間じみた所がある。


 得意な分野への適性は業界でも最高峰(トップクラス)で、『零(ゼロ)のレイヤ』なんて通り名さえもあるのだけれども。


 破滅的な『業』を見ることばかりに尖っていて、それ以外の『縁』の感知能力に関しては業界でも最低水準(レベル)なのが、最大の欠点なのだった。


 だというのに、彼の神谷家というのは業界の中でも伝統ある古参の家柄であり、幅広い『縁切り』の依頼が舞い込むので――こうした苦手分野の依頼が来るたび、あたしへとお鉢が回ってくる。


「……そういうお前の目には、彼の『縁』は、どう見える?」


「んっ、これは……ちょっと、ややこしい? 悪縁になりかけの紫っぽく見える『糸』はあるけれど、色の判別がつきにくいかしら。青とか、赤の細い糸がいくつかあって、それが妙に混じったり交わったりして……こんがらがっている。多分、一個一個は悪縁だとかではないんだろうけれど、変に絡まり合ってしまって、それが悪縁じみたものになっているというか。本当は、切らずにほどいていけるのが一番なんだけれど、ここまで絡まっていると、そっち専門の『白蛇』とかでも無理なレベルね。これは『糸』の元をひとつずつ辿っていって、絡まりの起点になっている『糸』を切らないとならない」


 従兄に答えながら、あたしはタナシに絡み付いたいくつもの『糸』にため息をつく。彼に結ばれた『糸』はどれも細く、一個ずつを見れば本当に些細なものごとだ。同じ教室にいながら、あたしが彼の『縁』を感知できなかったのも、おそらくはそれが理由だろう。


 あたしは、意識を集中すればかなり細かな『糸』まで見ることができたけれど、常に全開だと精神的に参ってしまうので普段は制限をかけている。具体的には、一定以下の細い『糸』は見えても意識しないようにしていたし、太い『糸』も危険を示す黒系統以外はあまり見ないようにしていた。だから、彼のような「いくつもの細い『糸』が絡まり合う」ようなものは、しばしば見落としてしまう。


 この手の案件の経験はあるし、そのいずれも解決してきたものだけれど、とりわけ面倒なのは間違いない。


「解決はできるけれど、時間がかかるわ。多分、一週間か二週間ぐらいは必要。もちろん、どうしても急ぎだっていうのなら、すぐに断ち切ることもできるけれど……断つべきでない『糸』まで巻き込んでしまいかねないから、おすすめしない」


「……なるほど。……では、依頼人へは、そう伝えておく」


 あたしがざっくりとした所感を述べると、従兄は了解したと頷き、腰を上げる。


 ふすま越しにあたしが『糸』を見て、依頼人への応対を従兄だけがするのは、普段も割とそうなのだけれど。


 今回は相手があたしの同級生だからか、いつもよりも念が入っている気がした。


「じゃあ、あたしは早速、『糸』のいくつかを辿ってみる」


「……無理はするなよ、リナ。……何か不都合があれば、他の『業者』に頼んでもいいんだからな」


 やっぱり、気をつかわれているらしい。


 今のあたしは、全然、そんなことはないのだけれど――


「ふふん、あたしを誰だと思ってるのよ、従兄さん。あたしは『赤い糸切りのリナ』よ?」


 この、心配しいな従兄を安心させたくて。


 あたしは意識して不敵な笑みを浮かべてやりながら、そう言うのだった。



 少なくともあたしにとって、同級生のタナシというのは、本当に印象が薄い男子だった。


 顔を見たり名前を聞いたりして、ようやく「そういえばそんな奴もいたかな?」と思い出せるかといった程度。


 そうした薄い関心と、かすかな記憶を頼りに強いて印象を上げるとすれば「困ったような顔でいつも笑ってる男子」といったところか。


 あたしは『仕事』柄、他人の動向にはそれなりに気をつかっているつもりなのだけれど、そんなあたしですらそれだ。


「多分、それってあたしだけじゃぁなさそうなのよね。タナシのこの『糸』の細さは……人と人とのかかわりあいが薄いことを、端的に表しているのだもの」


 幸薄そうな同級生男子から伸びた『糸』のいくつかを辿りながら、あたしはひとりごちる。


 今、あたしが追っているのは、タナシから伸びる中でも比較的太めな複数の『糸』だ。あたしの見る『糸』は人と人との『縁』そのものだから、それをたどっていけば『縁』を構成するもう一方の人物へと必ず突き当たるわけなのだけれど。問題は、あくまでも「タナシから伸びる中でも比較的太い」だけであり、一般的な人と人との間の『糸』としてはそこまで太くない。


 ちなみに一番太そうな糸は、あのとき隣にいた母親だという女性とつながっているものだったし、その次に太い糸は諸々の情報を突き合わせると彼の父親が勤めている東京霞が関方面を向いていたので、これらふたつについては除外している。そもそも、このふたつの『糸』については『悪縁』を構成する撚糸とは無関係そうだったので、追う必要もない――これはタナシに限ったものではないけれど、家族親族と太い『糸』で結ばれているのは当然のことだし、それらがもしも『悪縁』に関係しているようなのであれば、それはそれで『縁切り』は割と簡単に済む話なのだ。


 ともあれ、今はそうして明らかに違う『糸』を除外して、他の有力そうな『糸』を辿る。そうして辿ってみれば――案の定というか、あたしは、あたしの通う東高校へとたどり着いていた。小中高生を相手に『縁切り』にとりかかれば、さもありなん。彼ら彼女らの『縁』の八割方が、学校という閉鎖空間にあるわけなのだから。


「でも、今は放課後……午後六時なのよね。ということは、今も学校に残って部活動している誰か、かしら?」


 九月後半ともなれば、日が短くなりつつあるのを実感し始めるあたりだ。


 あたしがたどり着いた頃には、部活動を終えて帰宅しているのだろう生徒がチラホラと見え、活動を終える気配がないのは熱心な部ぐらい。


 こんな中で調査をしていると、少し目立ってしまうかもしれないと、あたしが危惧していると――


「あれ、リナちゃん?」


 と、声をかけられ振り返ると、そこには同じクラスの女子生徒がいた。


 名前は確か――


「トベさん?」


「あははー、何で疑問形? ってか、リナちゃん、どしたのー? たしか……帰宅部、だったよね? 忘れ物とか?」


 トベは、クラスの女子の中でも特に背が高くて目立つ、ポニーテイル女子だ。


 部活帰りなのか、何やら長いトランクケースを手に提げていて――


「……ライフル?」


「違うよっ! ボーン……トロンボーンだってば! ……もー、リナちゃんってば、あいかわらず発想が明後日の方向過ぎだってー」


 あたしは、半ば本気で「ライフルを持ち運ぶときのケースだ!」と思ってしまったのだけれど。


 そういえば一般的に、それはトロンボーン――細長い金管楽器を運ぶためのケースということだったか。


 うちの『業界』の中には、そのものズバリな銃器を得物にする人もいるので、そっちに意識を引っ張られ過ぎていたらしい。


「ということは、トベさんって、吹奏楽部だったかしら?」


「んー、まあー、一応……ね? ……っていっても、ちょっと、色々あるんだけれど」


 などという彼女からは、幾本か黄色い『糸』がちらりと伸びているようだった。


 変に言い淀んでいることも合わせて考えると、何かしらの、微妙な『奇縁』があるらしい。


「なるほど、色々、ねぇ……」


 そういう彼女には他にも緑色や赤色、桃色やバラ色など、大小様々な『糸』が結われている。


 まさに色とりどりで、色々だ。


 気の良い子だし、人付き合いも色々とあって、忙しいのだろう。


「って、私のことはいいんだよー。だから、リナちゃん、どしたの?」


「あー、うん。忘れ物、忘れ物。いやー、家庭科の宿題やろうとしたら、机に入れ忘れてさー」


 とりあえずはあらかじめ用意しておいた言い訳を口にしながら、あたしは辿ってきた『糸』を見失わないように気を付ける。


 これはタナシに限らないけれど、特に小中高生から伸びる『糸』というのは普通、最低でもクラスメイトの数だけある。


 だから、当然ながら目の前のポニテ少女とタナシにも、太い細いはあれどもなにがしかの『糸』はあるはずで――


「……そういえば、話変わるけど。最近、同じクラスのタナシって、休みがちじゃない? たしか、彼って……」


「あー、うん。そだねー、タナシくんも吹奏楽部だよー」


 正直、あたしの記憶はややあいまいだったのだけれど――見えた『糸』の感じから鎌をかけてみると、案の定。トベの微妙そうな表情が、少し引っかかったけれど、やはりタナシという男子生徒は吹奏楽部員だった。タナシといえば「困り顔で笑っている」印象があったし、やはり運動部というより文化系寄りの人間だったか――いや、これは少し、あたしの偏見が混じっているのだけれど。


 ただ、同じクラスで、かつ同じ部活であるはずにしては、タナシとトベとの間の『糸』は実に細く脆そうだ。あたしは七歳の頃から『仕事』についていたせいで、中学の時も事実上の帰宅部だったので実感があるわけじゃないけれど、普通は同じクラスで同じ部活ならばもっと関係が深くなるものだ。例外もあるけれど、少なくとも、今まであたしが見てきた多くの小中高生の大半がそういうものだった。


「もしかして、トベさん、タナシと仲悪かったり……」


 と口を開きかけるも、言っている途中で「違う、そうじゃない」と思ったので「……いえ、そういうわけでもなさそうね」と、すぐに自分で否定する。


 もしも仲が悪いのなら『糸』はむしろ太くなり、それを示す色に染まるはずだ。


 この『糸』の細さは、『無関心』とまでは言わないけれど『かかわりが薄い』ことを示しているだけだろう。


「吹奏楽部って……もしかして、仲が悪いというほどではないにしても、あんまり上手くやれていないとか?」


 ただ、これも言いながら「少し違うかも」と、すぐに思い直す。


 少なくともトベを見る限り、彼女に結ばれている『糸』はそこそこ多いわけで、吹奏楽部自体に問題があるとは少し考えにくい。


 とはいえ、吐いた言葉は戻せないし、何度も言葉を訂正するのもあたしの主義じゃない。


「うぅーん……。えっとね、リナちゃん。うちらも、口にしたいことじゃないから、あんまり言わないようにしているんだけど……ちょっと、部内がトラブっててね。うちも、今言われるまで全然、考えてもいなかったんだけど……そっか、もしかしたらタナシくんが最近休みがちなのって、それもあるのかな?」


 が、外れだと思っていたはずのあたしの説に、ポニテの同級生はそんな言葉を返してきたのである。


 トベは今までも「吹奏楽部なのか?」というあたしの問いに難しい顔をしていたし、なるほど、部内でなにがしかのトラブルがあるのか。


 となると、トベにとっては多少憂えるていどでしかないものの、タナシにとっては『悪縁』となり得る何かがそこにあるのかもしれない。


 もちろん、もっと色々と調べてみないことには、確証はないのだけれども。

「ちなみにだけど、そのトラブルって何なのか、教えてもらえたりは……」


「あははー、そんな、かしこまられるほどのことじゃないよ。単純に、センパイたちと顧問の先生とが、ぶつかっちゃっただけ。……ほら、音楽のミナモト先生って、今年からの新任教師でしょ? 去年まで学生をしてた先生が、いきなり何十人も生徒がいる吹奏楽部の顧問することになったら……先生の方も部員の方も色々問題が出るわけでね?」


 などと軽くいうあたり、彼女はそこまで深刻にとらえていないのかもしれない。


 それに、今のざっとした話を聞く限りだと主体は「センパイたちと顧問の先生」であり、一年生であるトベなどからしては他人事なのだろう。


 彼女らへも少なからぬ実害があるのだろうけれど、それ以上に「困った人たちだよねー」という思いが先に立っているというところか。


 ただ、そうなると、それがタナシに結われた『悪縁』の根本とは思えないのだけれども――そもそもタナシのそれは、元より明瞭確固たる『悪縁』ではないのだから、そのぐらいの理由の方が適当なのかもしれない。


「そのトラブルとかで、人間関係が全体的にギクシャクしている……とか?」


「うぅーん、どーなんだろー? 部員同士でのギクシャクとかは、あんまり聞かない気もするけど……。でも、うちらのクラスのオータニちゃんとかは『バカらしくてやってられない』って、トラブルになってからは早々に吹奏楽部辞めちゃったし……うん、そういうのもあるのかな? うちは、あんまりそういうのは気にしないけど……そっか、タナシくんとかは何にも言っていないようだったけど、そういう感じなのかも」


 このポニテ女子は色々な『糸』が結われて社交的そうな印象の割に、存外、ドライな性格をしているらしい。


 いや、むしろ一般的に社交的だと認識されている人間の大多数は渇いた感性をしているもので――感傷とは縁遠い場合が多いか。


 良くも悪くも他人の感情を受け流し、影響され過ぎないことで、広く多くの人との『縁』を結べるというものだ。


 それこそ『糸』が見えるあたしみたいに、他人の心情や関係性に敏すぎると、多くの人との関係性を持つことに慎重となってしまう。


「そーいえば、タナシくんがそうだったんだとしたら……マカベくんとかは、どー思ってるんだろ?」


「マカベ……?」


 ただ、そんなときに彼女があげた名前の意味を、あたしはすぐには理解することができなかった。


 それは、あたしやトベらと同じクラスの男子生徒の名前だったからだ。


 あたしの記憶にある限り、教室内でタナシととマカベが絡んでいる場面は、あまり記憶にないのだけれど――


「ほら、マカベくんも……吹奏楽部だし?」


「……えっ? あいつ、吹奏楽部なの? 全然、そういうふうには見えないんだけど……」


 あくまでもあたしの抱いている印象だけれども、マカベという男子生徒は吹奏楽なんてしそうな顔に見えない。


 ひとことでは表しにくいのだけれども、マカベというのは、少々目立つ生徒だ。


 あたしの目から見ても、なかなか妙な黄色の『糸』が複数伸びているようだったし、傍目に見る人間性も独特だ。


 ただ、個人的な印象をいわせてもらえれば、吹奏楽部というよりも科学部とかコンピュータ部とか曲芸部とか――とにかく奇人変人のたまり場とかの方が似合っている気がする。


「ちなみに吹奏楽部の男子は、タナシくんとマカベくんのふたりだけだから。そーゆーのは、うちよりもマカベくんにでも聞いた方がいいかもだよ?」


 どころか、トベはとんでもないことを重ねて言う。


 同じクラスで、同じ部活で、なおかつ部内で同性なのがそのふたりだけとなると――これは相当な『縁』があるはずだ。


 だというのに、あたしが見る限りだと、それにふさわしいだけの『糸』がなかったような気がする。


 いや、全体的に薄い『糸』しかないタナシのことだから、あたしが見落としてしまっているだけなのかもしれないけれども。


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