第10話 肖像画

「マリア殿」


 シャルロさん、リルクエットさんと共に部屋を出ると、扉の脇でバンシークさんが私が出て来るのを待っていた。


「少し私にも時間をもらえないだろうか。貴方と話がしたい」

「いいですよ」


 断る理由がないので二つ返事で答える。


「長話かしら?」

「短くはない」

「それじゃ、お茶しながらお話しない?」

「構わないが、シャルロ殿も参加するのか?」

「いけない?」

「構わない」

「やった! 居館への渡り廊下前の休息所はどう? 見晴らしも良いし、今日も晴れだから気持ちがいいと思うわ」

「そうしよう」

「決まりね」


 私が何も言わない間にシャルロさんとバンシークさんで流れるように会話が進んでお茶をすることになり、どこでお茶をするのかも決まったので移動することになった。


 リルクエットさんとは会議室の前で別れ、真ん中に私、右側にシャルロさん、左側にバンシークさんと横並びで歩く。三人横に並んでいてもまだ二人すれ違えそうなくらい廊下は広い。


 私は壁にかかっている絵画と庭を鑑賞しながら歩いた。幾何学模様の床を進むたびに絵画とアーチ型の大きな窓が交互に現れるのだ。ちなみに二人は水がどうのと仕事の話をしているようで、耳を傾けていても何も分からなさそうだったので早々に聞くのをやめた。


 そうして眺めていた絵画の何枚目かで、足が止まった。


 驚いたのだ。突然見知った姿が飛び込んできて。


 金糸のような長い金髪に火を灯したような目の、容姿の整った男の人。その隣には軽くウェーブのかかった黒に近い茶色の髪と大きな瞳を持つ、可愛らしい女の人が立っている。


 父と母だった。


 私の記憶にない若い頃の父と母だったけれどすぐに分かった。いかにも王子らしい濃紺の衣装に身を包んだ青年の父と、スモーキーピンクのドレスを着た少女のような母。


 母の着ているドレスは昨日私が着ていたものとデザインが同じだ。


 ドクン、と心臓が動いた。身体の中で熱いものが流れている。


「お二人が世界を離れる直前に描いたものだそうよ」


 シャルロさんが優しく教えてくれた。


 世界を離れる直前の絵。


 父と母はとてつもなく幸せな笑顔を浮かべている。すごく素敵な絵だ。とても幸せそう。


「向こうにはエマ様の肖像画もあるわよ」


 シャルロさんが廊下の先を指差している。


 エマ様は私の叔母にあたる人だ。父が生前、私はエマ様に似ていると言っていた。本当に似ているのか確かめたい。


 私は父と母の肖像画から逃げるように踵を返して離れようとした。


ぐきっ


「わ!」


 突然左足がガクッと落ちてバランスを崩してしまった!


 倒れる! と思ったが、よろめいた私をバンシークさんが抱き留めてくれた。


「大丈夫か?」


 頭の上から心地の良い低音が降ってくる。


「だ、大丈夫です」


 二つの理由でどぎまぎしながら答え、左足を上げてどうなっているのか確認してみた。


 脱げかけてつま先に引っかかっている靴のかかとが折れていた。靴のかかとを折るなんて初めての経験だ。母はヒールのある靴を履くとよくかかとを折っていたけれど……そうか。これは【悪魔】の呪いだ。


 絶望しているとシャルロさんが屈んで靴の様子を確認してくれた。


「あらぁ! かかとが折れちゃったのね! 足はひねってない? 痛くない?」


「私の足は無事ですが、すみません。靴をダメにしてしまって。とても綺麗な靴だったのに」


 オーロラの靴はキラキラ光っていて、まるでガラスの靴みたいで素敵だなと思っていたから勿体なくて少しばかり悲しい。それから借りているものを壊してしまって大変申し訳なかった。お金があれば買い取りたいところだが、この靴、たぶん相当高い気がする。


「あの、弁償します。いくらですか」


 聞きたくないが聞くしかない。何万、何十万と言われる覚悟はもう決めた。


「いいのよ。靴の一足や十足、大したことないわ。それにこれくらいならすぐ直せる。それよりマリアちゃんの足に怪我がなくて良かったわ」


 一足の次に二足ではなく十足がくるあたり、本当に大したことではないと思っているのかもしれない。


「代わりの靴を持ってくるわ。それまでどうしてもらおうかしら」


 顎に手を添えて考える素振りを見せるシャルロさん。私はとりあえずバンシークさんに抱き着いたままだったことを思い出し、バランスを取って彼から離れることにした。かかとの折れた靴を脱いでしまえば立つことくらいはできる。しかし、身体を離そうとしたら引き寄せられてしまった。


「私が抱えて連れていこう」


「いえ、そんッ!?」


 急に視界が回ったかと思うと次の瞬間には目線が高くなっていた。


 肩甲骨の下と膝裏にバンシークさんの逞しい腕が添えられていて、身体が密着している。これはつまり、いわゆるお姫様抱っこというやつだ。「そんなわけにはいかない」と言う前に先手を打たれてお姫様抱っこされてしまったのである。


「降ろ……」

「ずっとここにいるわけにはいかないもの。どこかに移動しないといけないわ」

「はだ……」

「裸足で歩くなんて言語道断よ」

「でも……」

「『でも』と『だって』は禁止」


 口を噤んだ。いずれも二音しか言わないうちに封じ込まれてしまった。反論の余地もないとはこのことか。


 私が黙っているとシャルロさんは満足そうに笑った。


「じゃ、先に行っててちょうだい。私は新しい靴とお茶の用意をしてくるわ」

「了解した」


 シャルロさんが去ってしまった。バンシークさんは私を抱えたままシャルロさんとは反対方向に歩いていく。


 特に会話はない。シャルロさんやリルクエットさんは移動中もお喋りしてくれたので、バンシークさんは無口なのかもしれなかった。よく知らない人と無言の時間を過ごすのはなかなか居心地が悪い。何か話題はないかと探してみるものの、見つかりそうになかった。


 そんなことを考えていると、バンシークさんが足を止めた。まだ歩き始めて数十歩くらいだから景色は変わっていない。どうして止まったのだろうとバンシークさんの顔を見上げた。


 紅い瞳が私を見た。


「第十二代国王エマ・エンジェル様の肖像画だ。隣は王配殿下のオルクス様だ」


 はっとして壁にかけられている絵画に視線を移した。


 椅子に座った女の人。その脇には額に黒い【紋章】のある黒髪で深い青の目の男の人が立っている。


 女の人は聖母のような優しい表情でこちらを見つめていた。編んでまとめた銀金の頭に冠をかぶり、頬はほんのり桃色で、唇は左右対称で形が良く、鼻梁も高くて目は火が灯ったような橙色。この人が父の妹、エマ様。私の叔母さんにあたる人で、父がずっと私と似ていると言っていた人だ。


 初めて姿を見た。何だか高揚感がある。


 父がしきりに妹に似ていると言うものだから、たまに鏡で自分を見て叔母を想像していたのだが、この肖像画の叔母は鏡で見る自分なんかよりずっと綺麗で品があって堂々としていて麗しかった。


「マリア殿はエマ様に似ているな」


「いいえ」


 すぐに否定した。だって、似ても似つかない。私はこんなにも素敵な人間ではない。


「似ているところは目くらいではないでしょうか」


 視線を感じて目を動かすと紅い瞳とかち合った。


 私が二、三度瞬きしても、バンシークさんはじっと私を見たまま視線を逸らさなかった。


「やはり私は似ていると思うが、本人の目と他人の目では違うのだろうな」


 それは確かにそうだ。自分が見ている世界と他人が見ている世界が違うことは当たり前だ。私がいくら似ていないと思っても、他人から見たら似ているのならば、それはそれとして受け取らなければならない。しかし、不思議だ。


「父もリルクエットさんも、バンシークさん、貴方も、私とエマ様が似ているといいますが、どこが似ているのですか?」


 バンシークさんはすぐ答えてくれた。


「造形が似ている。それから雰囲気、と言えば良いのだろうか。会議室でマリア殿が宣言したとき、私はこの絵画を思い出した。背筋を伸ばして堂々と宣言した貴方の姿は、絵の中で女王たる威厳を醸すエマ様そのものと言っても過言ではないように見えたのだ」


「こんな小娘と王様が同じなんて、過言ではないですか? 誰か他の人が聞いたら王様と小娘を一緒にするなと怒るのではないでしょうか」


 例えばツェペシュさんとか。


「そうかもしれない。それでも私はあのとき確かにそう思ったのだ」


 真っ直ぐな瞳に言われて、私は口を噤んだ。


 いくらでも『でも』を繰り返せるけれどやめた。こんなにも真っ直ぐな瞳を否定して無下にするのも良くないと思ったからだ。納得はいかないが、そういう意見もあるのだと受け取っておくことにする。


「次へ行こう」


 バンシークさんは再び歩き出し、また数十歩行ったところにあった絵画の前で止まってくれた。


 促される前に絵画を見る。


 男の人と女の人、それから中学生くらいの男の子が描かれていた。


 男の人は父に空目するくらい似ていた。癖のない銀金の髪に橙色の目で、当たり前のように容姿が整っている。男の子も髪と目の色を受け継いでいる。きっと父やこの男の人の子どもの頃はこんな感じだったのだろうという予想ができる。王家はそっくりな人間が生まれてくる決まりでもあるのだろうか。女の人のふわふわした可愛い銀色の巻き髪も銀の瞳も受け継いでいない。


「第十三代国王ラファエ・エンジェル様、妃殿下クロエラ様、皇太子殿下ハウロ様だ。妃殿下クロエラ様、皇太子殿下ハウロ様はこの絵を飾ってすぐに事故で亡くなられた」


 ラファエ様はさぞかし悲しんだであろう。


 それにしても、私のいとこにあたる人か。会ってみたいな。八十歳なのでこの肖像画と同じ姿ではないだろう。八十歳の彼はどんな見た目をしているのだろうか。ラファエ様はどんな人なのだろうか。興味が湧いてくる。


「ラファエ様に拝謁することはできないのですか?」


「倒れられてから制限をかけていて誰でも拝謁できるわけではない。十傑のうち六人以上の許可が必要だ」


「そうなのですね」


 六人、か。私はまだ全員を知らないけれど、六人なら会議室に集まった人数でぴったりだ。あの全員の許可をもらうのは無理そうだ。特にツェペシュさんは絶対に許可してくれないだろう。


 もう一度絵を見る。


 この絵画に描かれた妃殿下と皇太子殿下は事故で亡くなられている。ラファエ様は突然愛する人を二人も亡くしてしまい、心を病んで倒れてしまったのかもしれないと思うと胸がひりついた。その気持ちは私にも分かる。


 しばらくバンシークさんも私も無言で肖像画を見つめていた。どれだけそうしていたのかは分からないが、短くはなかったと思う。その短くも長くもない時間に終止符を打ったのは、そろそろ移動しよう、という彼の申し出だった。


 頷くとバンシークさんは廊下を進んでいった。移動中はどちらとも何も言わなかったが、二人きりになった初めのころよりは遥かに過ごしやすくなっていた。


 一際目を惹く真白な柱に囲まれた白い扉の前を通り過ぎ、突き当たりを左に曲がって少し歩くと大きな石造りの扉が目に入った。重そうな扉だったが、バンシークさんは私を抱き直して自由になった片手でいとも簡単に開けた。見た目よりも軽いのかと思ったが、扉が開く音が低かったのでそうではなさそうだった。


 扉を通り抜けたところは屋上だった。広く開放的な空間だ。心地良い風が吹き抜け、明るい日差しが全体を照らしている。


「この先は居館だ。十傑の私室や客間がある。現在いるのは別棟で、主に政務を行う場所だ」


 広い空間の向こうに大きな建物があるのが見える。それが居館なのだろう。居館とこちらの別棟は一本の通路で繋がれていて、鎧を着て槍を持った兵士らしき男の人が一人立っていた。


「シャルロ殿が来るまでまだ時間があるだろう。座って待とう」

「はい」


 これでようやく不当なお姫様抱っこから解放される。


 バンシークさんは常時備えてあると思われるテーブルセットに近付いた。机は三、四人程度なら難なく膝を突き合わせることができそうだが、椅子が二脚しかなかった。これでは誰かが座れない。どこからか椅子を持ってこなければならないようだ。


「ふむ」


 バンシークさんも同じことを思っているのか、テーブルセットを前にしてほんの少しの間動かないでいた。


 ややあって、バンシークさんは座った。


 私を膝に乗せて。


「……おかしくないですか?」


 思わずツッコんでしまった。何故私はバンシークさんの膝の上に座っているのか。


「椅子が二脚しかない。私たちで二脚使ってしまったらシャルロ殿が座れなくなってしまう」


「それはそうですけど、どこかから一脚持ってこれば良いのではないでしょうか」


「その通りだが、その場合、一人で動き回れないマリア殿をここに残して私が椅子を探しに行くことになる。貴方を一人にするわけにはいかない。見知らぬ土地で一人になるのは心細いだろう」


「えぇと、私なんかにお気遣いしていただいて申し訳ないです。ただ、椅子を探しに行くのはシャルロさんが来てからにして、今はそれぞれ別の椅子に座るという選択肢もあると思うのですが」


「ふむ。尤もだ」


 とは言うものの、バンシークさんは全く動く気配がない。私の意見は不採用になってしまったのかと、見つめてみる。


「私の膝に座るのは嫌か?」


 小首を傾げるバンシークさん。表情が変わらないので首が傾いているだけなのだが、どことなく可愛らしく見える。


「嫌ではないですけど」


 嫌ではないのだが、疑問ではあるのだ。


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