第2話 天使と悪魔の二世代目?

「せ、成功した!?」

「!?」


 突然聞こえてきた大声にビクッと身体が震えた。


 声がした方を見てみると、丸眼鏡をかけた若葉色の目に灰色の髪の男の人が口をぽかんと開けていた。三十前後の年齢に見えるが、見たことのない人、見たことのない服装だ。司祭のような、いや、漫画やアニメなどでよく見かける魔法を使う登場人物が着ているような布面積の多い服。おまけに首から魔法陣のネックレスをかけている。コスプレか何かだろうか。


 というより、ここは何処で貴方は誰で、どうして私はこんなところにいるのか。


「あの」

「成功したぁぁぁ!!!」

「わぁ!?」


 男の人は嬉しそうに笑って近づいてきた。


「やった! やりました! 本物だ! やったぁ!!」


 断りもなく私の両肩から腕にかけてをぽんぽん叩いてくる。私は困惑した。


「あ、あの」

「こうしちゃいられません!! みんなに報告しないと! 誰か! 誰かぁぁぁぁ!!」


 私の声は聞こえなかったらしく、男の人は一方的に叫んで走り出した。随分元気な男の人だ。


 男の人が大きな扉を開けて出て行くのを見送ってから立ち上がろうと視線を下げた。私が座っている床にはいわゆる魔法陣が書かれていた。どうやら私は魔法陣の真ん中にいるようだ。


 立ってあたりを見回してみる。けれどやっぱりこの神殿のような真っ白な空間には見覚えがない。自分でやって来た記憶もない。直前の記憶はゲームを起動した記憶だ。私はいつの間にこんなところに来てしまったのだろうか。誰かに連れてこられたのか? だとしたら誘拐だ。


 そう思うとぞっとした。


 誘拐なんてそんな。私を攫ったってお金を払う人なんていないし、誰かへのけん制や脅しにもならないのに。


 もし誘拐ならあの男の人は犯人のうちの一人なのだろうか。恐ろしそうな人には見えなかったが、人は見かけによらないとも言う。だとしたら、誰もいない今のうちにここを抜け出した方が良いのではないか。


 取り返しがつかなくなる前に今すぐ行動しよう。


 私は真っ直ぐ扉に向かって進み、大きな扉の目の前まで来ると取っ手に手を伸ばした。


ガチャ、ギィィ……


「!」


 すると向こうから扉を開けられた。咄嗟にぶつからないよう後退したけれど、足がもつれてしまった。


「わっ!」


どしん


 尻餅をついた。まさかこんなにも典型的な尻餅をつくことになろうとは。お尻が痛い。


「あらら?」


 ハッとして視線を上げると、開いた扉の隙間から美女がこちらを覗き込んでいた。癖の強い銀金の長髪は、毛先にかけて桃色のグラデーションがかかっていて綺麗だ。おまけに目も澄んだ空色で透き通るビー玉のようだった。


「あらぁ! 痛かったでしょう!? ごめんなさいね!」


 扉を開けて美女が入って来た。


 お、大きい。


 美女は身長が高かった。十センチくらいはあるのではないかというヒールのせいだけではない。たぶんロングブーツのヒールを合わせると二メートル近いと思うので、彼女自身百九十くらいあるのではないかと思われる。しかも大きいのは身長だけではなかった。胸も大きいのだ。胸元の大きく開いた服だから、入れ墨らしき模様の入った胸が零れ出てしまいそう。同性ながら目のやり場に困る。その割にお腹周りは細い。絵や写真でしか見たことのないメリハリのある身体を服が強調している。


「大丈夫? 立てるかしら?」


 美女が屈んで手を差し出してくれた。む、胸の谷間がすごいことになっている。


「お気遣いありがとうございます。自分で立てます」


 どぎまぎしながら断って自分で立とうとしたけれど、美女の両腕が伸びてきて身体の脇を掴まれ、抱きかかえられてしまった。


「えっなん!?」


 驚いて思わず声を上げる。


「やだぁ、ちっちゃくてとっても可愛い!」

「小さくないです」


 私は日本人の平均よりも少し高いくらいのほぼ標準体型だ。確かに美女よりは小さいけれど。


「そう? 嘘みたいに軽いのに」

「貴女が力持ちなだけだと思います」

「あら! 確かにそうかもしれないわね!」


 美女は目を細めた。


 空色の目を縁取る金色のまつ毛がとても長い。唇はぷっくりつやつやで、高い鼻梁にほんのり桃色の頬。同じ人間とは思えないくらい、綺麗な人だ。


「貴方、お名前は何て言うのかしら。私はシャルロっていうの」

「私は……」


 咄嗟に名乗ろうとした口を何とかすぼめた。もしシャルロさんが私を誘拐した人の仲間だったら、情報を与えることになってしまうのではないかと不安になったのだ。


「そんなに警戒しないで。私は貴方の敵ではないわ。突然こんなところに連れてこられて不安なんでしょう? ごめんなさいね。ちゃんと事情を話すし、悪いようにはしないから、もう少し付き合ってくれないかしら」


 真摯に訴える姿は悪い人には見えなかった。警戒をしないわけにはいかないし、四の五の言わずにアパートへ戻してほしいとも思う。でも連れてこられた理由が分からないのはもやもやするし、この無害そうな人が言うのなら私がここにいる理由を聞くまでくらい大人しくしていても良いかなという気分になった。


「分かりました。……私はマリアです」


 ついでに名乗るとシャルロさんは「そう、マリアちゃん。良い名前ね」と優しく笑った。本当に綺麗な人だ。笑顔一つとっても国宝級だから、同性なのにドキッとする。


「あの、シャルロさん。降ろしてもらえませんか?」


 このまま間近でこの笑顔を浴びていたら昇天してしまうかもしれない。そもそもこうして抱き上げられているのはおかしくないか。


「いやよぉ! もう少し可愛がらせてちょうだい! 私、見ての通り身体が大きいでしょう? だからよく怖がられちゃって可愛がれないのよ~!」

「私はペットじゃありませんよ」

「もちろん! それは分かっているけれど、マリアちゃんって何だかとっても可愛がってあげたくなるのよぉ!」


 頬と頬がくっつくくらいぎゅっと抱きしめられた。


 そんなこと初めて言われた。私への感想と言えば、お父さんによく似ているね、だ。髪の色は母だが癖のないところは父で、目の色を引き継いでいるし全体的に母よりは父に似ていると思う。父はよく妹に似ていると言っていた。そういうわけで世辞の一つとして綺麗だとか褒められたことはあるが、可愛がってあげたくなると形容されたことはない。


「こんなに可愛い子が来るなんて思っていなかったわ。まさか成功するとはねぇ。さすがリルクエット様だわ」


 リルクエットというのは先程の男の人の名前だろうか。なんか、どこかで聞いたような気がする名前だ。


 そういえば先程の男の人、たぶんリルクエットさんも成功したと言っていたけれど、何なのだろう。


「成功、とはどういうことですか?」

「そうねぇ。マリアちゃんがどうやってここに来たのかくらいは今話してあげた方がいいわよね。驚いちゃうかもしれないけど」


 シャルロさんはそう前置きをして話してくれた。


「マリアちゃんはね、リルクエット様の魔法によって異世界からこの世界に召喚されたのよ」

「は? 魔法? 異世界? 召喚?」


 何を言っているのだろうかこの人は。思わず聞き返してしまったではないか。


 そんな馬鹿なことがあるはずがない。魔法なんて、異世界なんて、召喚なんて、そんなものが現実にあるわけがない。


「もしかして煙に巻こうとしていますか?」


 非現実的なことを言って犯罪を隠そうとでもしているのか?


「違うわよぉ! 信じられないかもしれないけれど、本当のことよ! ここはマリアちゃんがいた世界とは違うの。リルクエット様がマリアちゃんをこの世界に召喚したのよ」


 シャルロさんは繰り返したけれど、信じられなかった。


「そんなの信じられるわけないじゃないですか。そもそも何で私なんかを召喚したんですか」


 何万歩も何百万歩も譲ってここが異世界だとしても、私を呼び出す理由はないはずだ。こんな平凡な高校生を呼んで何になるというのか。私は何のとりえもない、ただの高校生なのに。


「それはね、貴方が王家の血を引く人間だからよ」

「王家!?」

「そうよ。貴方はこの世界の唯一の王家、エンジェル家の末裔なの」


 エンジェルって、確か父の名前だ! 普段父は母の名字を名乗っていたが、元の名前はミハイル・エンジェルだったはずだ。


 え、まさか本当に私……。いや、信じない。これは単なる偶然だ。


「素人相手のドッキリですよね? 私、信じませんよ」


 強い口調で言い切った。自分がドッキリの対象になるとも思えなかったが、まだそちらの方が信じられる。


「そうねぇ。どうしたら信じてくれるかしら」


 シャルロさんは顔の輪郭に手を添えて考える素振りをした。


「たぶん貴方のお父上はミハイル・エンジェル様で、お母上はアン・シノノメ様だと思うのだけれど……」


「な、ど、どうして父と母の名前を知っているのですか!?」


 父と母の名前が出てきて驚いた。当てずっぽうでもエンジェルの名のつく父の名前は出てくるだろうが、知っていなければ東雲 杏という母の名は出てこないはずだ。


 ぽかんと口を開けていると、シャルロさんは「やっぱり」と笑った。


「異世界に行った王族はミハイル様しかいらっしゃらないもの。それにアン様も有名なのよ。アン・シノノメはかつて異世界からやってきて数多の男たちの心を奪い、最終的に王太子様だったミハイル様を自分の世界にお持ち帰りした伝説の【悪魔(アスモデウス)】だもの」


「アスモデウス?」

「そうよ。人を誘惑するの。確か貴方たちの世界ではアクマと言うんだったかしら」

「悪魔!?」


 ちょっと待って理解が追い付かない。父が王太子で母は悪魔? いや、ちょっと、えぇ? かつて母は異世界トリップしてたくさんの男の人の心を奪った? あの母が? あのドジで、妙に頑固で、包容力は抜群だけど顔は十人並の母が!?


「おかしいですよ! そんなの有り得ない! 同姓同名の別人じゃありませんか!?」


「う~ん。貴方のお母上って、黒に近い茶色の髪と目をしているんじゃない? それから性格は、確か、おっちょこちょいで正義感が強い。誰も彼も包み込む広い心を持っている。それからお父上は金色の長髪に橙色の目。他人にも自分にも厳しくて、アン様には冷たくあたるのだけど、実は愛情の裏返し。器用で頭も切れるからできないことなんてない。そういう人じゃないかしら?」


「あ……」


 当たっている。だいぶ美化されている気がしなくもないが、まさしくそれは母と父のことだった。


 まさか、本当にここは異世界? 私はあの男の人の魔法によってここへ呼び出されたの? 王家の末裔だから? 父は王子様で、母は男の人を何人も誘惑した悪魔で、父を自分の世界に連れ帰ってきたの?


 ちょ、ちょっと待って。とりあえず父が王家の人間というのは確かにと納得できるが、その他は納得できない。


「証拠は!? 証拠はあるんですか!?」


「出せと言われればどれも出すことは可能よ。ただリルクエット様がいないと見せられないものもあるから、彼が戻って来るまで待っててくれるかしら?」


 出せちゃうんだ。


 愕然とした。証拠が出せるということはもう確定したも同然だ。


 自分はずっと平平凡凡な一般人だと思っていたのに違うらしい。

 ここは異世界で私は魔法によって召喚された、この世界の王家の末裔なのだ。


 めまいがしてきた。


 父と母は大恋愛だったらしい。それも世界を越えるくらいの。そして私はその父と母の子、つまり第二世代ということになるのだ。

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