2-4. 幕間

第50話 二つの柱


 ルベリタ王国。

 その君主は勇者の直系であり、イヴァロイ帝政下の弾圧を生き延びた最も高貴な血脈である。


 シフェン公国。

 信仰の中心であったバラガ王国の片割れ。大陸一の学術機関を擁する賢人の国。


 オルシェナ公国。

 旧バラガ王国の王都ファナマを領内に持つ。ひよく沃な土壌に恵まれた『ディマーンの穀倉』。


 ユフト連邦。

 四つの州から構成される共和制の商業国家。交易、芸術、鉱業、美食。多様な個性を内包する。


 クロヴェル王国。

 勇者ルヴナの時代に建国された武人の国。シフェンと共に、防衛線の一翼を担う。


 五つの大国が、勇者トビアスの名の下に、魔族支配地域への侵攻を高らかに宣言した。

 やがて大陸を横断する街道は、ひづめと車輪、軍靴の響きに満たされる。


 例年に比して暖かな冬は、遠征を待ちわびた人々の熱気にるものだろうか。


 穀物の俵は大移動を始め、鉄を打つ音は絶え間を知らず、人の手から人の手へと、金銀銅貨が渡ってゆく。


 成功の確信に微笑む者。

 納期に迫られ苛立つ者。

 過分な借入を悔いる者。

 刹那せつなの活況をたのしむ者。


 人々の心は、すでに踊り狂っていた。


 先の遠征から八年、持てる者と持たざる者のあいだに深まる軋轢あつれきは、熱狂の渦によって、しばし覆い隠される。

 共通の敵、魔族への恐怖と憎悪を糧に、既存の秩序は、正当性を新たにするだろう。



 一方の彼らは、自らを『魔族』とは呼ばない。



 寿命、体格、身体能力、そして魔力に秀でる『上位種族』は、幾度となく、この大陸の支配者として君臨した。

 優れた存在が上に立つ。彼らが信じてやまぬ自然の理は、歴史の挑戦を受けている。


 もはや『凡族』の優勢は揺るがない。


 忌々しき勇者ルヴナが決定づけた戦局は、彼らを西方の奥地へと追いやった。

 いかに個体では勝ろうとも、種族として、文明として、敗北を喫したのが現実である。



 ――勇者さえいなければ。



 彼らが目指した権力構造の固定化は、転換点を迎える度に、決まって勇者に阻まれてきた。


 凡族には救世主が現れる。しかし、『魔族』には救世主が現れない。

 この大陸に生きる人々が、種族を問わず、絶対の真理とみなす法則である。数千年の歴史が示した裏づけをもって。



 その法則を覆した男がいるなどと、誰が想像しうるだろうか。



「なにか、イイコトでもあったのかしら」


 エリグは顔を上げた。


 つい先ほどまで、この広間には七人の同胞が集っていた。

 十二本の柱が囲む円卓には、少しばかり間隔を開けて、七つの席が並んでいる。


 会議が終わってもなお、そのひとつに留まりつづけたエリグは、、考え事に耽っていた。


「……アガエル、相変わらず趣味が悪い。俺の顔がそんなに面白いか?」

「どちらかと言えば、ね。戦争を前に、うずうずしちゃう可愛げなんてないでしょう?」


 柱にもたれかけながら、うっすらと笑みを浮かべる妙齢の女。

 彼女もまた、種族の軍事的な意思決定を司る『星殿せいでん七柱しっちゅう』がひとりである。


 暗い紫と白が入り混じる複雑な髪色と、宝冠のように曲がりくねった大きな角。


「お互い気楽なものだ。防衛側にまわったばかりか、前衛の担当ですらない」

「私は残念よ。せっかくなら、勇者をこの目で見たかったのに」

「くくく。たしかに、言われてみれば損かもな」


 勇者の参戦。それは、彼らにとっても象徴的な意義がある。

 一方で、遠征の実質的な目標に、特段の変更はないだろう。凡族が目指すは殲滅せんめつあらず、『ほど良い勝利』であるはずだ。


「あなたはどう思うの? サイアスの作戦を」

「さぁ。勇者に恥をかかせたいが、準備期間は足りなかった」

「ふふ。いまからでも相談に乗ってあげれば?」

「向こうから願い下げだ。怠け者の献策など、俺だって受け入れんよ」


 会話には応じるものの、エリグは視線を合わせようとしない。

 気を遣ったのか、単に飽きたのか、アガエルはふらっと去っていった。


 その背中を横目でじっと見送りながら、エリグは再び考えはじめる。

 あの男が、遠征に参加するはずはない。腹心からの報告では、クリーガ家の庇護に置かれるのが筋だろう。


 であれば、行き先は三つに絞られる。



「……来い。ザハリテに」


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