第20話 安物のナイフ
バレックには
それだけだった。
到達地点の限界が見えると、これまでの我慢が阿保らしくなって、別の道を歩みたくなったのだ。
培った知見を思いのままに利用し、人目を気にしない自由な方法で、限界を突き破れるのではないかと。
せめて中流の生まれだったならばと、憂いた日々は遠い昔。むしろ彼は、貧しい出自への感謝を深めている。
持たざる者でなければ、他人の物を奪うことに、これほど
だが、即効性のある快楽はいとも易しく
真っ当に稼ごうが他人から奪おうが、金は金。同じだけ払えば同じだけの対価が手に入る。
せこせこ地道に働いて、弱者にへこへこ頭を下げて、そんなことをせずとも金は稼げるのだ。
ところが、命乞いをする金持ちも、金で啼かせる女も、暗に金をせびる男も、みな同じ顔に見えてくる。
金さえあれば誰もが得られる代物に、価値を見出せなくなっていった。軍人として過ごした過去を、痛く後悔するようになっていった。
彼の乾いた心にささやかな水を注いだのが、ナタリという女だった。
家族を目の前で惨殺し、変わり映えのない空虚な人形になるかと思えば、意外に根性が据わっている。
残った家族の使い方が、功を奏したとも言えるだろう。絶望のなかに小さな希望を混ぜれば、人はそれに
貴重な戦利品に、彼の許可なく近づいた者がいる。ひとつの部屋でふたりきり。よもや肌に触れてはなかろうか。
「ドブネズミを懇切丁寧に駆除しておけ。俺はナタリを見てくる。終わったらここを捨てる作業を始めろ」
見るからに
バレックにとって、優先すべきは明らかだ。ナタリの姿をいち早く視界に入れる。なにがあったかを問いただす。雑事の処理はその後でいい。
横目に見やれば、この盗賊団でも腕利きの悪童が、愛用の大剣を担いで前に出てきた。
そんな大物を持ちだしては、侵入者を囲めなくなる。天井もそう高くない。首領の顔色を窺ったすえに、要らぬ浅知恵を働かせたようだ。
男は、さすがに丸腰ではなかった。
懐から取り出した粗末なナイフで、大剣を相手に悪あがきとしけこむらしい。
やり手であれば、辛うじて賭けが成立するだろう。誰かが金をドブに捨てなければならないが。
バレックが結末を見放して間もなく、背後では刃と刃が激しくぶつかり、かん高い音を広間に響かせる。
苦笑がこぼれた。あの男はろくな戦い方も知らずに、犯罪者の巣窟に乗り込んできたということか。
ナイフはひしゃげたか、へし折られたか。いずれにしても、ここから先は興醒めの展開が待っている。
人が倒れたようだ。実につまらない幕切れだった。
男の言い訳は本当だったのかと、わずかに謝罪めいた顔を作りながら、いよいよ奥の通路へと踏み入れる。
すると、不思議な光景が目に映った。
通路の中ほど、手下のひとりが壁にもたれて、おそらく眠りこけている。女たちを任せた片割れだ。
団のなかに、これほどの怠け者がいようとは。怒鳴りつけてやろうと歩幅を広くしたところで、バレックの眉間に深々とした歪みが走る。
おかしい。ヤツは、一番奥の部屋から入ってきた。
眠っているのではない。やられたのだ。断末魔をあげる隙さえも与えられずに。
振り返れば、熊並みのガタイをした大男が、大剣と仲良く並んで床に転がっていた。
その先では、いずれも屈強な悪党どもが一様に驚愕の表情を浮かべて、目の前に立つ男の動静を窺っている。
いったいなにが起きた?
切り結ぶ音がひとつ。あのナイフで大剣を受けとめられるはずがない。いかなる
さらには、つい先ほどまでなかったはずの、居心地の悪いテナエの振動が広間の全体を覆っている。――その中心にいるのは、あの男。
男が次の行動に出ようとしている。
体勢が変わった。男が握る得物は、ただのナイフではない。大きさも、形も、まるで別物だ。
見誤ったのか? 男が隠し持っていたのは、なんの変哲もない安物のナイフだったはずだ。
それに、巧妙に偽装された魔動器であったとしても、姿かたちが変わることなどあり得ない。
今一度、バレックは不可解な得物を睨みつけた。
そして気づいたのだ。ナイフは変形などしていない。取り囲まれただけであると。
小型のナイフを中心に、何色とも言い難いミナカが密集している。金属と見紛うほどに硬く、片刃の剣を模しながら、妖しい輝きを放っている。
「――
* * * * *
ナイフには、意外な活用法があった。
剣の形状を作るのに、腕よりもナイフの刀身を延長すると考えたほうがイメージしやすい。
相手の得物を受けるにしても、普通の剣を扱うのとまったく同じ姿勢が取れる。
ミナカを固めてつくる即席の剣は、盗賊の反応を見るに、あまり一般的ではないようだ。
大剣にナイフではあんまりだと、『摩訶不思議剣』との二重構造で受けとめれば、なにやら酷く驚いたようで、いかつい顔面がガラ空きだった。
幸先のいい滑り出し。一番ヤバそうな男を無力化できた。こいつと比べれば、他の団員は小柄に見える。
目の前には七人。うち正面の番人は三人。ミナカ玉は不意打ちにしか使えないから、あとはこの剣だけを頼りに突っきるしかない。
摩訶不思議剣は強度が低いし燃費も悪い。間接的な攻撃にも不向きだ。まさしく普通の剣の劣化版。これでやり合うのは無謀すぎる。
押せ押せな雰囲気が続いているうちに、体当たりでもかましてやろう。多少の打撲や切り傷は覚悟で、どうにかここさえ突破できれば――
すー、勘弁してくれ……。
背後から、刺すように鋭い『揺らぎ』が迫ってくる。大した武器は持っていなかったはずでは?
慌てて振り返れば、首領の男が間合いを詰める最後の一歩を踏みだしていた。
勢いそのままに叩きつけるのは、素手ではない。暗器でもない。腕にまとわりついて、大まかに剣の形を象った、ミナカの強固な凝集体。
猛然と襲いかかる一閃を、ミナカの刀身で受けとめる。
重たい。そして、体が軽くなった。
どうしようもなく両足が宙に浮いて、気がつけば、遠くの床に飛ばされていた。
天地がまるで分からなくなって、それでも壁が迫るのを感じたから、なりふり構わず全身を捩りに捩る。
……止まった。危ない。床はこっちで、天井はそっち。
「おい! 俺の魔動器をよこせ!!」
「へ、へい!」
最悪だ。首領の男、バレックが出てきてしまったうえに、その得物は悪名高い『魔動器』の一種。
……恐い。絶対に当たりたくない。しなければいい想像をなぜしてしまったのか。
バレックは、投げ渡された戦棍を短く持ち直した。
天井が低いから? 思う存分に振り回せないのは助かるけれど、どちらにせよ、むこうの得物のほうがリーチは長い。そのうえ丈夫。
重さよりも、速さを重視した細身の造りに見える。だからと言って、当たれば終わりだ。絶対に避けなければ。
「お、お頭ぁ。俺たちはどうしたら――」
「黙って見てろ! てめぇらが敵う相手じゃねぇ。えぐい完成度の空剣に、暗殺の心得まであんのか? ……くそっ、なめやがって」
……『空剣』って言うんだ。
さりげなく褒められた気がするけど、立派な鈍器を片手に持たれたんじゃ全然うれしくない。
こっちは致し方なく頼っているのに、高度な煽りを披露されてしまった。腹立つなぁ。
それにしても、首領がひとりで? 囲まれるよりはよっぽど……、いや、むしろ都合が悪い。
出口を固められた。番人に徹せられては、どさくさ紛れに突破を試みても無駄骨になる。
手下たちの得物は、まさか全部が魔動器? 襲ってくる気配はないけど、警戒は外せない。あぁ、『揺らぎ』に気を遣いすぎて、頭が沸騰しそうだ。
――来る。
鈍器の先端にミナカが集まっている。
勢いをつけやすい得物だから、相当な速さで打ち込まれるに違いない。
考えすぎるな。頭のなかをクリアにしろ。できることだけを、ただただやればいい。
「死ねえ!!」
戦棍が振りあげられた。
頭部の形状に即した、実体のある殴撃。顔面が潰れるイメージを
踏みだした先には、大上段に構えられた戦棍。
体が勝手に動いてくれた。進行方向とは逆向きに、
惰性ですこし距離を取れば、俺がいただろう場所には金属の塊がめり込んで、周囲に亀裂が走っていた。
――これはヤバい。でも、今が好機だ。
低い姿勢のままに一歩で距離を詰めて、足元を狙う。
機動力さえ奪えば優位をとれる。そう思ったのに、横振りの一閃は空振りに終わった。
手応えの無さと同時に、側頭部に迫りくる殺意を感じる。
上体を目一杯に逸らした。背骨が
体勢を立て直しながら、左手で顔をまさぐる。……大丈夫。どこも欠けてはいない。
バレックも後方に飛び
間髪あけずに攻めてくるかと思えば、
「てめぇどこのもんだ? 丸腰同然で油断させるなんざ堅気が思いつくことじゃねえ。軍人ってなりでもねぇだろう? 分かるんだよ、そういうのは」
「……喧嘩を売る気はなくてですね」
「話す気がねぇのはよく分かった」
壁を背負わないように、逃げる、逃げる、逃げる。
出口はどんどん遠ざかっていくけれど、一度の手合わせで思い知らされた。間合いを詰めれば有利のはずが、いざ近づけば俺のほうが追い詰められかねない。
戦闘経験の厚みが違う。頭蓋骨を砕かれてしまっては、なにもかもが終わりだ。
イベルタからは、剣を扱うための初歩中の初歩しか教わってない。ほぼすべてが我流のまま。
つまり、最低限の身の守り方を覚えただけだ。『戦い方』なんぞは知らん。カリキュラムのなかでも、だいぶ後ろのほうだったのかな……。
「ちまちまと、時間稼ぎかぁ?!」
しめた。大きな動きは大きな隙をつくる。そのぐらい、ド素人だって――
ん? 角度が、おかしくないか?
けたたましい音が鳴った。続けざまに三つ。ガラスで作られた爆弾のような。
低い天井に所狭しとぶら提げられたランタンが、幾つかまとめて打ち砕かれた。
音が痛い。それでも、耳が麻痺するぶんには相手も同じ。問題は、顔面に飛びかかる無数の破片だ。
反射的に目を守ろうとする本能に、抗えなかった。
自ら視界を閉ざした瞬間、空剣を握るほう、体の右側をめがけて大回りで接近する『揺らぎ』を感じる。
起伏に富んだ金属の塊が、横っ腹に突き刺さる。その企てを受け入れてはならない。だけれど、どうしたらいい?
――だめだ。これは躱せない。
ならば、もう、立ち向かうしかない。
全身全霊の『壁』で。
鳴り響いた。
重く、渇いた音が、ひとつだけ。
この広間にいた者であれば、誰もが想像しただろう。
肉が破れる湿った音に、骨が砕ける軽い音が混じりあう、
俺自身がそう思った。でも、そうはならなかった。
戦棍と力比べをしているのは、空剣ではない。もともと、空剣で受ける選択肢は潰されていた。
殺意に満ちた突起と無防備なわき腹の間に挟まるのは、ミナカの『壁』だ。
半透明のそれは砕けなかった。濃い紫色の輝きを帯びながら、金属の塊を確かに捉えて、放さなかった。
「なんだよ、これは……」
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