第2話 king's anger(王の怒り)



 王の執務室。

 火を灯していない暖炉がある部屋にて、国王と第二王子が謁見していた。


「というわけで、父上、国中から英傑を集めて、決闘裁判の準備を整えて頂けますと」


 アーデルベルトが意気揚々と笑顔で状況を語った。

 全ての状況をだ。

 ザクセン国王ことアレクサンダーは英明で世に知られている。

 王国中の騎士からの尊敬を集めており、その騎士からの訴えを聞き受けることにも余念がない。

 ゆえに。

 何があったかは全て知っていた。

 パーティーの開催を任せていた文官に、滞りなく祝宴が終わったかを執務室にて尋ねている。

 結論から言えば、文官は役目をこなした。

 全て、何一つ偏見の混じらぬ、起きた状況をあるがままにアレクサンダーに報告したのである。

 だから、王はこうやって全ての状況を聞く必要さえなく、何があったかを理解していた。 

 アーデルベルトの都合の良い言い分など、何一つ信用していなかった。

 全ての現実が第二王子にとって都合よく歪められている。


「あのドミニクなる卑怯卑劣な、国家や王族への忠誠を弁えぬ輩を必ずや決闘裁判にて殺さねばなりません。ああ、もちろんそれに同調した他の六人の愚かな騎士も同様に」


 そうか、殺すか。

 最初にアレクサンダーが考えたのが「殺す」という行為についてである。

 もちろん、殺すのはドミニクをではない。

 アーデルベルトをである。


「殺すか」


 少し、決意を固めた。

 人を殺める武器について考える。

 腰元には護身用の短剣がある。

 だが、待てよとアレクサンダーは思いとどまる。

 さすがに殺すのは拙かった。

 血を分けた実の息子を殺すことは、王の名を汚してしまう。

 そもそも、そう思い立ったが吉日で殺せるものなら、とうの昔に殺している。

 周囲を見渡す。

 火のついていない暖炉には、火搔き棒が立てかけられていた。

 アレクサンダーは椅子から立ち上がり、暖炉に身を寄せる。


「はい、殺しましょう」


 アーデルベルトは父の同意を得た、とばかりに顔を綻ばせている。

 愚図である。

 人の話や意図を理解する知能を持たぬ猿なのだ。

 アレクサンダーは自分の第二子息について「愚図」という判断を下していた。

 見放したのは何歳の頃であったか。

 王族の義務たる、初陣式を拒んだ14歳の頃であっただろうか。

 ただの恐怖から嫌がっているそれを「王族が戦場に出るなど単に野蛮なだけですよ」と言い訳した覚えがある。

 いや、見限ったのはもっと、それより幼少の頃であった気もする。

 犬猫を湖に沈めて、それが苦しむのを笑って眺めていた時か。

 すぐさま捕まえて、助けた犬猫の代わりに湖に投げ込んでやったが、それで治らなかった。

 第一子息とは比べものにならない出来損ない。

 自分の命を捧げても構わないほどの愛息であり、戦傷により足を失って余命いくばくもない――代われるものなら代わってやりたい。

 そんな第一王子とは比較にもならない愚図である。

 それどころか第三王子や第四王子とも、比較にすることすら愚かしかった。

 アーデルベルトは確かに第二王子である。

 王位継承権は確かに第二位である。

 そして、それだけだった。

 たとえ第一王子が亡くなって継承権が移動したところで、アレクサンダーはこの愚図を王太子にするつもりなど欠片もなかった。

 自らの側近や王国の有力者、生きてさえいれば――自分の盟友と言っても過言ではない辺境伯とよくよく話し合った上で、第三王子か第四王子かを選んで戴冠させるつもりでいた。

 辺境伯令嬢であるイザベラも、そのどちらかに嫁ぐことになったであろう。

 それで何事も丸く収まる予定であった。


「……」


 火搔き棒を握る。

 握りながら、色々な事を考えている。

 やはり殺すか?

 いや、殺しては拙い。

 そういった判断があって、やはり後者を選ばなければならなかった。

 王とはつらい立場である。

 だが、まあ殺さなければいいのだ。

 「生きてさえいれば」問題ない。

 そう考えて、第二子息に近寄る。

 

「アーデルベルト」

「はい」


 名を呼ぶ。

 気味悪い薄ら笑顔の子息だった。

 火搔き棒で思い切り、そんな第二子息の横顔を打擲した。

 アーデルベルトは悲鳴を上げて、打擲された顔を抑えながら、地面を転がった。

 その様子に騎士としての気概など一つとして見られない。

 貴種ですらなかった。

 何故自分が殴られるかを、全く理解していないのだ。


「な、何を!」


 傷が付き、流血する頬を押さえて蹲ったままの子息。

 それを虫けらのような目で見つめながら、火搔き棒を投げ捨てるかどうか悩む。

 とりあえず握っていよう。

 何、もう二・三度殴りつけたところで死にはしないだろう。


「質問をする」

「父上、お答えください。何故私をお殴りに――」

「質問に答えなければ、もう一度殴る」


 火搔き棒を上段に構えた。

 アレクサンダーは老年の王ではあるが、若い頃は戦場を駆け巡り、自身が前線に立つほど腕に覚えがある。

 やろうと思えば火搔き棒によるアーデルベルトの撲殺くらい、容易に可能であった。

 何なら素手でも構わなかった。


「ひっ!」

「黙って質問に答えろ。お前にはそれしか許されておらん」


 説明のみをするように告げる。

 その声色は冷たかった。 


「まず、何故貴様が戦勝式のパーティーに参加している?」


 あのパーティーに主催はいない。

 王族がいては、傭兵や黒騎士さえ混じる比較的地位の低い騎士たちも気が抜けないだろうと言う配慮をしたのである。

 厳密には「生きてさえいれば」辺境伯が全てを取り仕切ってくれたであろうが。

 あの盟友はもういない。

 辺境伯はもういない。

 もちろん、アーデルベルトにパーティーを主催する能力などないことはわかっている。

 アレクサンダーが手配した文官が準備していた祝宴に、強引に主催を名乗って参加したのであろう。

 それはわかっている。

 問題は、何故よりにもよって戦勝式の祝賀会に、この愚図が主催として勝手に乗り込んだのかが理解できなかった。


「我が『元』婚約者にして辺境伯令嬢のイザベラが出席すると聞きました」

「それで?」

「それで――パーティーという公然の場にて、彼女の非道を明らかにしようと考えたのです。アカデミーにおける彼女のローゼマリー嬢に対する嫌がらせを」

「そうか」


 辺境伯令嬢のイザベラが出席したのは、亡くなった辺境伯の名代である。

 辺境伯の子息は領地を離れられず、娘であるイザベラが代わりに出席をした。

 父とともに戦ってくれた騎士たちに、一言御礼を申し上げたいとの意図であったと聞いている。

 それを。

 そんなイザベラを、よりにもよって。

 辺境伯の戦友たる騎士達の面前で、彼女を誹謗中傷し、笑い物にしようと目論んだのか。

 我が盟友の辺境伯の娘を嘲笑しようとしたのか。

 あまりにもあまりである。

 アレクサンダーには、脳の血管の一つがプツリと切れる音が確かに聞こえた。


「いくらなんでも、お前がそこまで愚かだとは思わなかったよ」


 アレクサンダーは火搔き棒で息子を打擲した。

 狙ったのは腕である。

 頭を狙って頭蓋を砕きたいところだが、殺すのは拙かった。

 殺せない理由があるのだ。 

 悲鳴を上げて、またアーデルベルトが床を転がる。


「ち、父上! まさか勝手に婚約破棄をしたことを怒ってらっしゃるのですか!?」


 愚図である。

 未だに殴られる意味を理解していなかった。

 だが、ここでアレクサンダーは考えた。


「婚約破棄は認める」


 むしろ、そうして欲しかったし、そうするつもりであった。

 そもそもが、第二王子アーデルベルトと辺境伯令嬢イザベラが婚約を結んだのは、双方が生まれる前の話である。

 王様と辺境伯の友誼を、周囲に示すために行われた婚姻であった。

 当然だが、アーデルベルトが初陣式を拒むほどの愚図であると発覚する、生まれる前からの話なのである。

 本来ならば、もっと以前に破棄すべきだったと考えるほどであったが、仮にも第二王子である。

 王族であるのだから、教会にも婚約届を済ませている。

 王と辺境伯の合意のみならず、司祭や教会も携わる神聖な契約である以上、そう簡単に破棄をするわけにはいかなかった。

 具体的には、将来的にアーデルベルトの王位継承権を取り上げて廃嫡するまでは。

 そうしてしまえばアレクサンダーが辺境伯に謝罪する形で、イザベラを清い身体のまま自由の身にすることはできたし、そうする予定であった。

 その後は第三王子でも第四王子でも、好きな方に嫁いでくれればそれでよい。

 詫びを考えれば、イザベラに好いた男がいるのであれば、王の立場で手助けしても良いぐらいであった。

 だから、婚約破棄は良い。

 大いに拍手して認めようではないか。


「では、これは身勝手な行動に対する罰ですか?」


 アーデルベルトは未だに意図を理解しておらず、打擲された腕を押さえている。

 この愚図が。

 身勝手な行動に対するものではない。

 そもそもお前に行動する権利などないのだから。

 そう口にしようとして、止めた。

 教育が悪いのだ。

 この愚図の教育をしたのは父である自分ではない。

 正妻である公爵家からやってきた妻と、戦場も知らずに育った貴族の令息令嬢が蔓延る王立学園(アカデミー)だ。

 初陣を恐怖により拒んで王族の義務を果たさなかった時から、もうこの愚図は見放していた。

 アーデルベルトの阿呆じみた困惑には答えずに、話題を変える。

 質問は続いている。


「……男爵家令嬢のローゼマリーとやらと仲が良いらしいな」

「はい! 将来の王妃にふさわしいと思います」


 お前は王にはならない。

 王になれるわけがない。

 なれば、国が亡ぶ。

 王国の領主騎士が一挙団結して、王都に攻め込むだろう。

 公平に人を裁くことも出来そうにない貴様を、誰が王だと認めると言うのか。

 そう口にしようとして、止めた。

 口にしても理解できないのが愚図なのだ。 


「……」


 『王様の耳はロバの耳』。

 そんな名前の神話をアレクサンダーは思い出している。

 竪琴の神と笛の神がどちらの音が素晴らしいかで争っていて。

 その審査をした神たちは竪琴の音が素晴らしかったと言ったが、王だけは「自分の耳には笛の音がよく響いた」と発言してしまったがゆえに、その耳を「もっとちゃんと聞こえるようにしてやろう」とロバの耳に変えられてしまったという神話である。

 『ロバの耳』。

 その逸話を元ネタに名付けられた『諜報機関』とも呼ぶべきものがザクセン王国にはあった。

 もちろん、アカデミーにも耳を伸ばしている。


「あのように素晴らしい女性に嫌がらせや暗殺など、許せるはずがありません! 正義は私にあります!!」


 だから、今回の事件を機に、アレクサンダーは『ロバの耳』を用いて全てを調べている。

 結論から言えば、愚図は所詮愚図であるので真実が見抜けないだけである。

 辺境伯令嬢であるイザベラが、ローゼマリー嬢に嫌がらせをしているというのは虚偽であった。

 ローゼマリー嬢が真っ赤な嘘をついているのである。

 顔だけは良い女が、その色気と身体を使ってアーデルベルトをたらし込んだ。

 事実はそれだけにすぎない。

 若い阿呆なのだから、自分に股を開く淫売ならば誰でも良いのだろう。

 貞淑なイザベラとは大違いの女を、この愚図は好むのだ。

 問題は。


「……」


 そんな真っ赤な嘘に、眼前の愚図は気づいていないが。

 公爵家や伯爵家のスペアたる第二、第三令息を集めた側近が「全て気づいている」にも関わらず、イザベラの擁護や、嘘について忠言するどころか、虚偽を肯定するが如く嘘の証拠や証言を作り上げたことだ。

 もちろん、それにも理由はあるが。

 そんなものが辺境伯の戦友の眼前で通じると思っていたらしい。

 阿呆どもが。

 全員、まとめて殺してやりたかった。


「ドミニクか」


 そんなどうしようもない阿呆どもと比較して、ひときわ爽快な男がいる。

 イザベラを庇う為に、堂々と反抗した騎士ドミニク。

 その男の名を口にする。

 聞き覚えはある。

 よくよく思い出せば、戦功査定において謁見の場で幾度か勲章をくれてやった記憶もある。

 平民から成り上がった一代騎士であるがゆえに妻子もまだおらんと聞くが、大層勿体ない気がする。

 ドミニク卿の戦功を考えれば、一代騎士とはいえ、その嫡男にだけは世襲で騎士位を譲る許可を与えても良いのだ。

 この全ての状況が片付けば、嫁の一人ぐらい用意してやる必要があるな。

 そもそも騎士の配偶者の用意も、王が務めであるのだし。

 これは手落ちであった。

 全ては決闘裁判が終わってからの話になるだろうが。

 そう考える。

 それを考えれば、少し愉快な気分になった。


「父上、婚約破棄を認めてくださると言うならば、是非ともローゼマリーを王妃に」


 三度目の打擲を加える。

 殴れば黙るからだ。

 ドミニクに紹介する貴族の次女三女を考えている中で、穢らわしい女が王妃になるというおぞましい妄想を口にする愚図など、殴ってしかるべきである。

 別に黙っていても殴りたいところだが、この愚図は大して鍛えてもおらんので、百の打擲(ザクセン王国における刑罰)を加える前に息絶える気がする。

 嗚呼、殺したい。

 だが、殺せない。

 

「……」


 本当に殺せないのか、と考える。

 いいや、そうではない。

 今回の事態を利用すればよいのだ。

 アレクサンダーは英明でザクセン王国の国王である。

 その気付きは早かった。


「いいぞ」


 全て認めてやろう。

 もちろん、何一つ眼前の愚図の思い通りにはならないだろうが。

 麦粒一つぐらいの可能性はある、細い生き筋ぐらいは与えてやろうではないか。

 火搔き棒を横に放り捨てた。


「婚約破棄は即座に認めよう。そのローゼマリーとの婚約も認めてやろう」


 ローゼマリーとやらも眼前の愚図と同罪である。

 罪は婚約者同士、仲良く背負ってもらうべきであった。


「では」


 何がどうあったところで貴様から王位継承権を剥奪するべきであった。

 まあ、それは今口にしない。

 この愚図を自分が殺せない理由を考えている。

 王が実の血を分けた息子を殺すという汚名を背負えないでいる。

 ずっと考えて考えて――


「しかし、決闘裁判のために英傑を国中から集めることは許さん。私は力を貸さぬ」


 別な誰かに殺させれば良いのだと考えた。

 素晴らしい結論である。

 ドミニクに、コイツを殺してもらえればいいのだ。

 決闘裁判という、公然の神聖なる場にて誰もが認める正当な結末を与えさせればよい。


「ザクセン王国国王、アレクサンダーの名において命じることにしよう。私の力を以て決闘裁判に挑むことは許さぬ」


 集まった七人の騎士に、第二王子の側近ごと連中を皆殺しにしてもらえばよいのだ。

 当然、褒美は与える。

 世襲の騎士位、少しばかりの領地、直臣騎士の立場でも良い。

 国家運営に邪魔な連中を全て殺せることを考えれば、必要経費である。

 宰相や財務方も諸手を挙げて賛成しよう。

 アーデルベルトに与えている第二王子歳費とは名ばかりの、享楽にふける小遣いの方がよほど無駄であった。


「な、何故でしょうか! 王族に歯向かう連中ですぞ!」


 理解できないように愚図が叫ぶ。

 王族に歯向かっているのはドミニクではない。

 むしろ、愚図と正妻と、その実家たる公爵家の一部であった。

 王国の歳費を用いて王立学園(アカデミー)なる、初陣も済ませぬ貴族どもを集めて学園ごっこをしている連中。

 それがアレクサンダーには、どうしても許せなかった。

 いつかアカデミーごと始末しようと思っていた。

 痛みで未だに立ち上がらぬ愚図に顔を近づけ、国王は告げる。


「これはお前が売られた喧嘩で、王族に歯向かったわけではない! 自分の力でせいぜい抗え!!」

「私の力だけで連中を処分しろと?」

「そう言っている。二度喋らねば理解できぬのか?」


 オウムか何かか?

 そう揶揄しようとして、止める。

 どうせ言葉は通じぬ。

 会話が通じぬ鳥に話しても仕方あるまい。

 それではこちらが間抜けだ。


「アカデミー時代からの側近がいるだろう? そちらでも頼れ。自分の力で成し遂げろ」

「父上!」

「我がアレクサンダーの名を借りて助力を求めるな。今回の決闘裁判の件は、王国中に布告しておく。ああ、場所だけは私が用意してやろう」

 

 不正など万が一にも起きないようにな。

 決闘裁判、神の審判とあらば教会にも話を通さねばならぬから、万が一も無いと思うが。

 それでも念には念を入れておかねばならぬ。


「アルミンとの面会の時間だ。立ち去れ」

「父上、あんな戦傷を負いて「足無し」の、もはや余命いくばくもない兄の話より私を!」


 アレクサンダーは再び火搔き棒を拾い上げそうになって、止めた。

 次こそは必ずや頭蓋を砕き、叩き殺してしまうからだ。

 余命いくばくもないからこそ、話さねばならぬのだ。

 あの愛息が心配する我がザクセン王国の現状を、そして後日の憂いがなくなったこともな!


「失せろ」


 アレクサンダーは、もはや執務室に転がる愚図に何の価値も見出していなかった。

 出て行かなければ、自分から立ち去ろう。

 そうして、第一王子の寝室を訪ねるのだ。


「ああ、アルミン。我が息子よ」


 戦場の混乱で、敵の罠にはまった間抜けな父を助けるために、戦傷を負いて余命いくばくもない。

 足という人間にとっての第二の心臓を失った、可哀想なアルミンの寝室を。

 もう休んでも大丈夫だと言うことを告げるために。

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