第10話 ラーメン屋でアーメンやな
『――私は小学生じゃなあああああああああああああいっっ‼‼』
あれからレモン先輩の怒りをしずめるのに、数分ほど時間がかかってしまった。
お詫びとして、僕はコーヒーを買ってくるように命じられたし、椿さんはナーナーのテレビを見てくるようにと言われたらしい。
『――ワトくんは今度、ブラックコーヒーおごってよね! いいかい。ちょっと高級感のあるやつだよ? そうじゃなきゃ許してあげないっ!』
――と、レモン先輩はぷくっと頬を膨らませて、そっぽを向いて言っていた。
……ブラックコーヒー。
その一言で僕は、完全に理解した。
なるほど、そういうことかと、ストンと腑に落ちた。
きっとこの小学生は、少しだけ大人ぶりたいお年頃なんだろう――と。
……仕方ない。
これ以上レモン先輩の機嫌と、僕のお財布の中身を損なうわけにはいかないからな。
もし今ここで、レモン先輩の機嫌を損ねてしまえば――
『――もう遠田くんのチョコなんて知らないっ! 私はもっとおもしろい謎を探すために、全国を飛び回ることにしたよ! お土産は東京バナーナにするから、みんな楽しみに待っててね! あ、もちろん助手のワトくんは問答無用で道連れだよっ‼』
――なんてことになる可能性が高い。
そもそも僕が、今回の依頼を先輩に受けさせたのは、昔のように生き生きと事件を解決する先輩の姿が見たいからだ。
今のレモン先輩は、謎を解くのは大好きだが、事件に関わるのは嫌になってしまっている。つまり、どこかで自分の推理に自信を無くしている状態だ。
そこで立てた計画。
――先輩を本気にさせる謎を探して、昔のように推理への自信を取り戻してもらう。
せっかく高級コーヒー豆で釣ってまでこの依頼を受けさせたのに、ここでレモン先輩の機嫌を損ねてしまえば、その計画も水の泡だ。
だから仕方ない。
見た目はどう見ても中学生以上には見えないけれど、仮にもレモン先輩は高校生。
例え、精神年齢が小学生だったとしても、ちゃんと先輩呼びで呼んであげるとしよう。
「…………ワトくん今、すっごく失礼なこと考えなかった?」
「ハハハ。なにバカなことを言ってるんですか! ソンナコトアルワケナイヨ!」
……たまに名探偵だった頃の、野生動物並みの勘が戻るのはやめて欲しい。
――3人目の容疑者、『
次に調べるのは、メガネと白衣でマッドサイエンティストな彼女のカバン。
鈴木さんのカバンは、黒い横長のトートバックだった。美翔さんのカバンと形はよく似ているが、カバンの大きさは一回りほど大きい。
……さて。気を取り直して、とっとと持ち物検査を終わらせるとするか。
「ん?」
カバンが大きいのにもかかわらず、机の横にかけてあるカバンは、最初からファスナーが開いていた。中からゴツゴツとした白っぽい何かが突き出ていて、カバンの中に収まりきっていない。
――なんだ? 中に一体何が入っているんだ?
僕はカバンの中を覗き見ようと手を伸ばす。
「えーと、中身は――」
鈴木さんは大人しい性格だし、きっと中には可愛らしい感じの小物が――
――人間の頭蓋骨が入っていた。
ゴツゴツとした白いフォルムに、むき出しで綺麗に揃えられた歯。
不気味なオーラを漂わせながら沈黙する、まごうことなき本物の頭蓋骨。
「…………」
へぇー、頭蓋骨かぁ。なるほどねぇ。
ふーん。そっかぁ……
僕は無言のままカバンに頭蓋骨を押し込んで、無理やりファスナーを閉める。
よし。
「――さてと、今日の晩御飯は何かなぁ」
とりあえず見なかったことにした。
……ふぅ、危ない危ない。
今までの経験上、こういう面倒ごとには関わらないほうがいいのだ。
口を出して墓穴を掘ると、取り返しのつかないことになる。
僕は何も見ていない。僕は何も見ていないんだ。
…………。
「――いや、待て待て待て待て⁉ おかしいだろコレ⁉」
落ち着け。いったん落ち着くんだ。
まずはゆっくりと深呼吸をしよう。
すーはー。すーはー。
「…………ふぅ」
少しは落ち着いたか。
落ち着いて考えてみれば、常識的に考えてこんなことはありえない。
おそらく僕は、何か悪い夢を見ているんだろう。
これは多分アレだ。日々レモン先輩に振り回されている疲れが出ただけだ。
昨日は、先輩が部室にバカでかい仏像を置こうとするのを必死になって止めたし、先週はジャンケンで負けて、隣町のケーキを買いに走らされたこともあった。
うん、きっと疲れてるんだな。そりゃあこんな幻覚も見る。
「…………」
一応、もう一度だけカバンを開いてみることにした。
流石にうら若き女子高生のカバンの中から、人間の頭蓋骨が丸々出てくるのはおかしい。僕が考えるに、似たような別の何かと見間違えてしまったのだろう。
「えーと、中身は――」
鈴木さんは大人しい性格だし、頭蓋骨なんて物騒な物が入ってるわけな――
――人間の頭蓋骨が入っていた。
僕は晴れやかな表情で、天井を仰ぎ見る。
「――いやぁ、今日も空が青いなぁ。アハハハハハ」
乾いた笑い声を発していると、レモン先輩が心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「空が青いだなんて、急にどうしちゃったのワトくん? ……も、もしかして思春期の男子高校生によくある、謎の超能力に目覚めちゃったパターン⁉」
「いや目覚めてたまるか――って、どっから超能力要素持ってきたんですか⁉ あの発言をどう解釈したらそんなぶっ飛んだ発想に……?」
「――? いやだって、別に上を見ても教室の天井しか見えないじゃん。これはもうワトくんが透視能力に目覚めて、天井を透視して青空を見ていたとしか考えられないでしょ?」
「なぜそんな、真実はいつも1つだよね?――みたいな顔ができるんですか」
「――あれ、違ってた? 私が考えるに、さっきもいきなり女の子のカバンの中を覗こうとしてたし、きっと溢れんばかりの思春期パワーがこの超能力を引き起こしたもんだと……」
「だ か ら そ れ は 先 輩 の 勘 違 い で す ‼」
僕が声を荒げると、レモン先輩は残念そうにうなだれた。
「えー、絶対そうだと思ったのになぁ……。あーあ。ホントに超能力があればおもしろかったのに」
つんつんと、いじけたように指先をくっつけたり離したりするレモン先輩。
だが、なぜか心の導火線に火が付いたのか、突然両手の拳を胸の前に置いて、めらめらと瞳を燃やし始めた。
「――こうしちゃいられない‼ 私もエスパー少女になるため、ワトくんみたいに超能力の練習しなきゃ‼」
そう言ってレモン先輩は、「むむむ……!」と、教室の天井を食い入るようにじっと見つめ始める。そのまま、しばらく天井を注視していたようだが、首が疲れてしまったのか、すぐに顔の位置が正面に戻った。
その瞬間、レモン先輩の視線が机の上のカバンを捉え、ピタリと動きを止める。
「ねえワトくん。私も超能力に目覚めたのか分からないけど、鈴木さんのカバンから人間の頭蓋骨らしきものが見えるんだけど」
「よかったじゃないですか。エスパー少女になる夢が叶いましたよ」
ニッコリとした笑みを浮かべながら、パチパチと拍手を送る僕。
「…………」
「…………」
レモン先輩の視線が、僕と頭蓋骨との間を交互に行き来した。
たっぷりと10秒ほど時間が流れたのち。
「――うあぇぇええええええええええええっ⁉ が、骸骨⁉」
どうやらレモン先輩は、これをヤバい呪物だと認識してしまったらしい。
「え、ええ⁉ なんで普通の持ち物検査に、こんな圧倒的犯罪臭のする物がっ⁉」
やめようそんな事実確認。
僕はそれを今、必死になかったことにしているんだから。
「ハハハ。何を言ってるんですかレモン先輩。ただの女子高生のカバンの中に、そんな物騒な物が入ってるわけないじゃないですか!」
「そ、そうだよね! あれはきっと人間の頭蓋骨によく似たなにかなんだよね!」
「その通りですレモン先輩! きっとあれは人間じゃなくて、サルの頭蓋骨なんですよ!」
「なぁんだ。ただのサルの頭蓋骨かぁ………それなら安心だね!」
僕とレモン先輩は、爽やかな表情を浮かべて笑い合う。
その額に大量の冷や汗が浮かんで見えるのは、多分僕の気のせいだろう。
なんとも言えない空気を漂わせていると、 突然、レモン先輩がポンと手を打った。
「――はっ⁉ 私、この不可解な謎の真実が分かっちゃったかもしれない!」
「おおっ! 本当ですかレモン先輩⁉」
レモン先輩は「ふっふっふ」と不敵な笑い声を浮かべたあと、得意げに語り出す。
「私の華麗なる推理によると、鈴木さんは実家がラーメン屋さんなんだよ‼」
ラーメン屋?
「……というと?」
「ふっ、この大ヒントで気付かないとは、ワトくんもまだまだだね。ラーメン屋で骨を使う料理と言えば……?」
ラーメン屋、骨、料理。
「――! なるほど! 鈴木さんの実家の名物料理は、
「そのとーりだよワトくん! よーするにラーメンの出汁を取るときに使った骨を、鈴木さんが間違えて学校に持って来てしまった――というのが、この不可解な謎の真相ってこと!」
「おおっ! なんて華麗な名推理なんだっ!」
なぁるほど。
まさかそんなトリックがあったなんて、流石は元名探偵だ。
「…………」
「…………」
互いにぎこちない笑みを浮かべたまま、黙りこくる僕ら。
「――いや必死に現実から目を背けようとしてるけど、絶対ワトくんもおかしいって認めてるよねコレ⁉」
急に血相を変えたレモン先輩が、僕の両肩をガシッと掴んできた。
「仕方ないじゃないですか⁉ てか、ラーメン屋とかなんなんですか⁉ もうちょっとマシな推理ありますよね⁉」
僕は肩に置かれた手を即座に振り払う。
「そっちこそ猿骨ラーメンとか、謎のおもしろ料理作り出してるじゃん‼ ちょっと味が気になるじゃんか‼」
「いや、味の話は今絶対関係ないですよね⁉ ――というかそもそも、これがサルの頭蓋骨って言ったところでツッコんでくださいよ⁉ どう見ても人間の頭蓋骨ですよねこれ‼」
「だって私も認めたくなかったんだもん‼ 私がこういう事件にはもう関わりたくないって、ワトくんも知ってるでしょ⁉」
「僕も関わりたくないですよ‼」
がやがやと言い争いをしていると、黒板付近にいた鈴木さんが、不思議そうな顔で首を傾げた。
「どうかしましたか? お2人とも?」
羽織った白衣を揺らしながら、ゆったりとした足取りで近づいてくる鈴木さん。
一見すると穏やかな雰囲気に見えるが、彼女が
その証拠に、彼女の顔にが浮かぶ穏やかな笑みとは対照的に、その背後ではドス黒いオーラが蜃気楼のように立ち上っているように見える。
……あ。アカン奴や、コレ。
鈴木さんが一歩近づいてくるにつれ、段々と強まる黒いオーラ。その圧倒的な恐怖に、僕とレモン先輩は思わず足を震わせる。
「あわわわ。どどど、どうしようワトくんっ‼ これなんか鈴木さんに圧倒的なラスボス感が漂ってるよ⁉ ワトくん戦闘要員でしょ⁉ なんとかしてっ‼」
「いやいやいや‼ 僕はオバケとかそういう類が苦手なの知ってるでしょう⁉ なぜか背後に闇のオーラ的なの感じますし、僕1人じゃ絶対無理ですよ‼」
腕でバツ印を作って無理だと主張すると、
「くっ……。し、仕方ない! ここはいったん協力するよっ‼」
レモン先輩は覚悟を決めたのか、キリッとした表情をした。
「分かりました! 協力ですね!」
僕らは互いの目を見て、しっかりと頷き合う。
ここは僕とレモン先輩の、長年の信頼関係の見せどころだ。
助手と名探偵の圧倒的なコンビネーションで、このピンチを華麗に切り抜けて見せる…………!
「――今だっ‼ ワトくんシールド展開ッ‼」
「いや僕を盾にするなっ⁉」
僕の背中に手を回して、身動きが取れないよう羽交い締めにするレモン先輩。
「がんばれっ‼ ワトくんならきっとできるっ‼」
「いやこれ僕が犠牲になるだけでは⁉」
「大丈夫! さっき鉄板の捨て方は完璧にマスターしたから‼」
「僕は使い捨て鉄板シールドじゃねぇぇえええええッ‼」
こうしている間にも、鈴木さんはゆっくりと近づいて来ている。
その距離、あと5メートル。
背中に隠れたレモン先輩の手を振りほどこうとするが、僕の
――ば、バカな……! この小さな体のどこからそんな力が……?
火事場の馬鹿力に
目と鼻の先にドス黒いオーラを感じて、恐る恐る目を見開くと――
「うわああああああああああああああああああっ‼‼」
鈴木さんの手のひらが、ゆっくりと僕の顔のほうに近づいてくるところだった。
――じゃあな、読者のみんな。いままでご愛読ありがとう。
僕はこれまで、レモン先輩に何度も強制的に事件に巻き込まさせられてきた。
それでもなんとか生き延びてきたから、悪運はかなり強い方だと感じていたが、それもどうやらここまでみたいだ。
みんなは僕みたいにならないように、女の子のカバンを覗く時は、ちゃんと遺書を書いてから覗くようにするんだぞ…………!
そこで僕の意識は、ゆっくりと、ゆっくりと遠のいていった。
<完……?>
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