第7話 誰かこの猛獣を止めてくれ


「――えーこほん。それでは、聞き込み調査スタートっ!」


 レモン先輩は自分の席に戻るや否や、椿さんの目の前でバンっと机を叩いた。


「犯行時間は『15:43』から『15:45』の、遠田くんがトイレに行っている2分間――その間、椿さんがなにをしていたのか話してもらいます!」


 気分は熟練取り調べ捜査官。超ノリノリである。


「さあっ! さっさと吐いちまいなっ‼ 早く吐いたほうが楽になれるぜぇ~!」 


 ……どう刑事ドラマに影響を受けたらそうなる。


「別に話して困ることはないわよ。その間はずっと本を読んでいたはずだわ」


 危ない人になりかけているレモン先輩とは対象に、椿さんは淡々とした口調で話を続ける。


「私が今読んでいる本、図書室で借りてるのよね。そろそろ貸出期限が近いから、学校で集中して読み切ろうと思っていたのよ」


「へー。ちなみになんの本を読んでいたの?」


「双方向散乱面反射率分布関数大二重変形二重斜方十二面体、モデル解説基礎編」


 これでもかってくらい難しそうなのぶっこんできた椿さん。


 これを選書して学校に置いた図書室の先生、頭おかしいんじゃ……


「…………」


 レモン先輩は、ぱかっと口を開いたまま、ピクリとも動かずに固まってしまった。



「キラレさん? 急に固まってどうしたの?」


 椿さんが呼びかけても、レモン先輩が動く気配はない。


 不審に思った僕は、レモン先輩に近寄って、その肩をトントンと叩く。


「――大丈夫ですか、レモン先輩」


 レモン先輩の反応はない。


 ……多分、これはあれだ。


 僕はため息をつきながら、レモン先輩のサングラスを外す。


「あー、やっぱり」


 案の定、レモン先輩の目は、ぐるぐると渦巻き状に回っていた。


――説明しようっ‼


 今のアホなレモン先輩は、難しいことを考えすぎると、脳みそがオーバーヒートしてしまうのだっ‼


「起きてくださいレモン先輩!」


 僕はレモン先輩の肩を持って、ゆさゆさと揺さぶる。


「――はっ!」


 レモン先輩は目を覚ました途端、震える手で椿さんを指差した。


「もしかして、椿さんは人間じゃない……?」


「急に何を言い出すのキラレさん」


「だって、そんな難しそうなの読めるなんてすごすぎるもん! もはや宇宙人か、ちみもうりょーの類としか思えないよ‼」


「……それは褒めてるの? ディスってるの?」


 呆れたように、その目を半眼にする椿さん。


 レモン先輩は、悔しそうに歯を食いしばった。


「くうっ、私なんか国語の教科書も解読できないのにっ!」 


 それはあんたがふりがな付きの本しか読めないだけだろ。


「――バカなこと言ってないで、早く聞き込みの続きを始めてください」


 僕はレモン先輩の額に軽くチョップを入れる。――斜め45度の角度で入れるのがコツだ。


「いでっ。――あ、そうだったそうだった。すっかり忘れてたよ」


 レモン先輩は片手でおでこをさすりながら、はにかんだ笑みを浮かべた。


「――じゃあ、気を取り直して最後の質問! 椿さんはその時間に、本を読んでたっていう証拠はある?」


「えーと。そう言われると、特に証拠らしい証拠はないわね……」


 椿さんが「うーん」と考え込んでいると、


「――それなら私が見てたよ~」


 後ろで待機していた美翔さんが、救いの手を差し伸べた。


「椿さんは机でずっと本を読んでたし、椅子から立ち上がってもなかったと思う~」


 ……なるほど。


 つまり美翔さんの証言が正しければ、チョコレートが消えた2分間、椿さんはずっと自分の席に座っていたことになる。


――椿さんの席は、『ちょうど教室中心の席』。

――それに比べて遠田の席は、『窓際付近の、前から1番前の席』だ。


 遠田の席から椿さんの席までは、かなり距離がある。椿さんが自分の席から1歩も動くことなく、遠田の机に置いてあるチョコレートを盗むことは不可能だろう。



「――じゃあ椿さんは犯人じゃないってこと?」


 レモン先輩が僕の顔を覗き込んでくる。


「確かに、アリバイが証明されてますね」


 何より証言者がいるわけだし。


「なら次は私の番かな~」


 ここで椿さんと美翔さんがバトンタッチ。美翔さんが椅子に座って、椿さんはその後方に移動する。


「次は美翔さんだね!――さっそく質問! 遠田くんのチョコがなくなったとき、美翔さんは何をしてたか覚えてる?」


 レモン先輩の問いに、美翔さんは視線を左上に動かして考える仕草をした。


「えっと~、私はそのとき薬ちゃんと一緒におしゃべりしてたよ~」


 思い出せたことで満足したのか、笑顔になって話を続ける美翔さん。


「今日は部活がない日でしょ~。いつもより時間がいっぱいあるから、薬ちゃんとおしゃべりしようと思ったの~」


「ほう。――そうなの鈴木さん?」


 すっかり置物化していた鈴木さんが、レモン先輩の声に反応して起動。


 どこかロボットめいた動きで頷く。


「――はい。犯行時刻と思われる時間は、私も彼女も席から立ち上がってはいなかったと思います」


「ふむふむ」


「薬ちゃんは私と一緒にお菓子食べながらお話してたよね~」


 口を挟んだ美翔さんの言葉に、鈴木さんがコクリと頷く。


「そうですね……それで思い出しましたが、いくらグミが好きだからって、3袋は食べすぎだと思います。もう少し自制したらどうですか?」


「美味しいお菓子があると、おしゃべりが弾むから~。それくらいはいいでしょ~」


 仲良さげに言葉を交わす、美翔さんと鈴木さん。


「なるほどなるほど。――ん? お菓子を食べながら?」


 その言葉に引っ掛かりを覚えたのか、レモン先輩は考え込むようにあごの下に手を置いた。


 そのままブツブツと、「お菓子……甘い物……チョコレート?」とか呟いている。


「…………」


 思案していたレモン先輩が突然、カッ‼ と力強く目を見開いたかと思えば、




「よしっ‼ てめえがはんに――」




「なに言ってんだおまえぇええっ‼」

「――むぐっ⁉」


 迷探偵がヤベーことを口走りかけたので、僕はギリギリでその口を塞いだ。


「なにふるのわほくん⁉」


「それはこっちのセリフだっ‼ 証拠もなしに犯人を決めつけないでください‼」


 口元を押さえつけていた僕の腕から、レモン先輩が顔を出す。


「――ぷはっ! お菓子を食べてたってことは、美翔さんが犯人なんじゃないの⁉」


「彼女が食べていたお菓子は、チョコじゃなくてグミです‼ しっかりしてくださいよ‼」


 腕の中で暴れるレモン先輩を、僕は必死に押さえつける。


 その状態のまま、僕は後ろでポカンとしている遠田に命令を下した。


「――遠田飼育員、お前に重要任務を与える。この手に負えない猛獣せんぱいを大人しくさせてくれ」


 遠田が神妙な顔で頷く。


「分かった。このまま放っておくと、人食いライオンを野放しにしているようなもんだしな。――これ以上犠牲者が出ないように、首輪とリードみたいなもんで繋げられたらいいんだが……」


「――誰が人食いライオンだあっ‼――んぐっ」


 おっと、猛獣がなにか言っているな。しっかり口を抑えつけておかないと。


「――あ、そういや椿さんって飼育委員だったよな? 犬用のリードとか持ってねえか?」


 遠田の問いかけに、椿さんはふるふると首を振る。

 

「残念ながら持ってないわ」


――ちっ。

 

 確かにこの学校の飼育委員は、2種類しか動物を飼育していない。


 グラウンドにある飼育小屋に、ウサギ。

 屋上にある小さな飼育用プールに、ミドリガメ。


 犬は飼育していないから、学校にリードが無いのは当たり前だ。


 ……命拾いしたな、レモン先輩よ。


 謎にイソップ童話な動物共に愚痴りながら、僕はレモン先輩を解放してやった。



「――もうっ‼」 


 解放するなり、レモン先輩はプンプンと怒りだした。


「ワトくんも遠田くんもひどいよ! 私を猛獣扱いだなんて!」


 小動物のように頬を膨らませて、怒りを表現するレモン先輩。


 だが遠田は、そんなこと関係ねぇ!――とばかりに、レモン先輩にビシっと指を突き付ける。


「いや、あんたも十分酷いからなっ⁉ さっき俺にカツ丼(笑)を投げつけたこと、忘れたとは言わせねえぞ⁉」


「うっ」


 レモン先輩は、そっと遠田から目を逸らす。


「ま、まあ。これでおあいこということで許してあげます」


「なぜ上から目線……」


 どこか釈然としない顔をする遠田の横で、僕はレモン先輩に深く頭を下げた。


「レモン先輩すいません。先輩が猛獣だというのは間違えでした」


「分かったならよし! ちゃんと謝ったので許すっ!」


 レモン先輩はそう言って、快く僕のことを許してくれた。



――猛獣だと間違えてしまって本当に申し訳ない限りだ。

 

 そりゃあ先輩も怒るに決まっている。


 …………レモン先輩は『猛獣』ではなく、『珍獣』の間違いなのに。


 こんな大変な間違いを犯してしまった僕を許してくれるなんて、先輩はなんて慈悲深い方なんだろう。


 なるほど。これが美しい友情の形ということか。



 僕がひそかに感動を覚えていると、レモン先輩は何かに疑問を持ったのか、頭を捻った。


「――あれ? でもこれじゃ、誰が犯人なのか分からないね。美翔さんと鈴木さんはずっと一緒にいたみたいだし、みんなちゃんとしたアリバイがあるもん」


 ……ふむ。


 美翔さんと鈴木さんの証言が正しければ、チョコレートがなくなった2分間、彼女らはずっと対談をしていたことになる。


――美翔さんの席は、『窓際の1番後ろの席』。

――そして鈴木さんの席は、『美翔さんの席の、1個前の席』だ。


 遠田の席に近いことは近いが、2人は自分の席から動いていないのを互いに証明している。


 2人が共犯者でない限り、犯行は難しいだろう。


 これで美翔さんと鈴木さん、両方のアリバイが証明されたことになる。


 ということは……


「まとめれば、今のところは女子全員のアリバイが証明されているってことですね」


 僕がそう言うと、レモン先輩は珍しく難しい顔をする。


「うー。それなら教室にチョコレートが落ちてないか、1回調べたほうがいいのかな……」


 おおっ!


「聞き込み調査の次は現場検証をするって、ちゃんと覚えていたんですね!」


 僕がそう言った瞬間、レモン先輩はピシッと石像のように動きを止めた。


 固まった顔がゆっくりと僕のほうに向き、ギシギシとぎこちない笑顔に変わる。


「…………………………まあね! も、もちろん覚えていたよっ」


 なんだ今の間は。


「さあ次は現場検証だ! 張り切っていこう‼」


 だらだらと冷や汗を流しながら、右腕を真上に振り上げるレモン先輩。



 ……先は長そうである。



                          <第8話に続く>

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