第5話 噂の根拠は……確実にあるな


「――なんというか……噂よりずっと破天荒な人ね」


 そんな呟きが聞こえて、僕と遠田は視線をゆっくりと左に動かした。


 声がしたのは教室中心の席からだ。


 僕たちの視線の先には、長い黒髪の女子生徒がいた。片手で本を開いたまま、難しい顔でレモン先輩がいる方向を見つめている。



――クラスメイトの、『椿つばき すみれ』さんだ。


 二重ふたえで切れ長の目元に、芯の強さを感じさせる藍色の目。

 長い黒髪はさらりとしてツヤがあり、すらりとした手足はスタイルの良さを際立たせていた。


 単にかわいいというより、日本人形のような美しさがある彼女は、まさに清楚系美少女ってやつなのだろう。


 そんな彼女は、あまり笑うことのないクールな性格をしている。どこか人を寄せ付けないオーラを放っているので、入学当初のクラスでの異名は<氷姫>とか囁かれていた。


 だが、その素っ気ない態度の中には、困ったときにサッと手を差し伸べてくれるやさしさを兼ねそろえているのだ。


 僕や遠田も、彼女と修学旅行のとき同じ班だったので、そのやさしさが分かる。

僕はお土産選びを手伝ってもらったし、遠田も落とし物をしたときに、一緒に探して貰ったそうだ。


 ……クールで優しいって神かな?


 言わなくても分かると思うが、当然椿さんはモテる。美翔さんがかわいい系だとすれば、椿さんはかっこいい系。この2人がクラスの二大巨頭といったところだろうか。椿さんは美翔さんと違って、恋愛対象というよりは、女神のように崇められているんだけどね。


 そんな彼女を一言で表すなら、『みんなをまとめる頼れるリーダー』と言ったところだろう。勝手なイメージだが、生徒会長とか風紀委員とかやっていそうな感じがする。


 まあ、そう思って前に所属を聞いたことがあったが――確か、『』とか言っていたはずだ。


 くっ、風紀委員か生徒会長だったらイメージが完璧だったのに。清楚系黒髪ロングが生徒会長だという僕のイメージは間違っていたのか? くそう、くそう……!

 

 …………てか、なんでうちの高校って飼育委員あるんだ? 普通小学校までだろ。



 僕が謎の冷静思考に陥っている間に、遠田は彼女の机に向かって歩き出していた。


「――なあ椿さん。噂ってキラレさんの噂か?」


 椿さんは開いていた本に栞を挟んで、近づいて来た遠田のほうに顔を向ける。


「ええそうよ。キラレさんって、金髪で目も綺麗な水色でしょ? 目立つ見た目だし、結構話題に上がるのよ」


 そういえば、レモン先輩のことを知ってる生徒って意外と多い気がするな。

 

 確かに名探偵だった頃はテレビに出ていたこともあるし、意外と有名人なのかもしれない。


 ……まあ、年がら年中探偵帽子かぶってる変人だからかもしれないが。


「へ~。それで、どんな噂があるんだ?」


 遠田の疑問に、椿さんは少し考え込んでから答えた。


「……えっと確か、授業中に教室から抜け出してリアル脱出ゲームしてるとか。国語の時間の音読で『助手じょしゅ』を『助手たすけて』って読み間違えたとか――そんな噂よ」


「ええ……⁉」


「……何やってんだレモン先輩」


 愕然がくぜんとする遠田の横で、僕は額に手を当てて天を仰ぐ。


――しかもよりによって助手かよっ!


 仮にも名探偵だったんだから、助手くらい読めてくれよ……!


 レモン先輩の助手はなんてかわいそうな人なんだ………


 …………あ、僕が助手だったわ。


「おのれ迷探偵めぇ……」


 僕が血の涙を流していると、それに気付いた椿さんが心配そうに話しかけてきた。


「どうしたの和戸くん。目からトマトジュースが流れてるわよ」


「……ああいや、同じ推理部の人間として、レモン先輩のひどさを改めて思い知っただけだ。気にしないでくれ」


「そういえばあなた、キラレさんと同じ推理部に所属していたのね。勝手な想像で、運動系の部活に所属してると勘違いしていたわ」


「まあ、成り行きで所属したという感じだけどな。――無理やり所属させられたとも言う」


「ああ。あなた巻き込まれ体質っぽい気もするし、納得だわ」


 ポンと手を打つ椿さんの傍で、僕は瞳の奥をドス黒くよどませる。

 

「面倒ごとに巻き込まれるのは、毎回レモン先輩のせいだけどな」


「……なにか苦労してそうな雰囲気ね」


――苦労?


 椿さんの一言で、封印したはずのおぞましい記憶が、僕の脳内を瞬く間に侵食していく。


「――ああそうだよ昔から苦労してるよ僕はレモン先輩に何度危険な目に合わされたか分かるか?分からないだろう?推理の仮説が正しいか実証実験するとかでマイナス50度の密室にぶち込まれたこともあるし武装した強盗犯十数人相手に素手で戦えとかむちゃぶり言われたこともあるしマリンタワー爆破7秒前に爆弾を抱えて海に飛び込んだこともあるんだぞコンチクショウめ」


「……急にどうしたの和戸くん」


 椿さんは恐る恐る机から身を乗り出して、僕の顔の前でひらひらと手を振った。


「――ハッ! あ、ああ。ごめん」


「大丈夫? さっきまで意識がないように見えたけど」


 僕は片手で頭をかきながら、へらへらとした笑顔で答える。


「大丈夫、大丈夫。灼熱地獄が生ぬるく感じるほどの数々の修羅場が頭にフラッシュバックしてきただけだから」


「それ、ほんとに大丈夫なの⁉」


 椿さんがちょっと引き気味で見てきたので、僕は遠い目をしながら明後日の方向を向いた。



 ……思えば昔から、レモン先輩のムチャぶりにはかなり振り回されたものだ。


『そこに火の輪があるだろう? よし、くぐれワトくん』


――てな感じのことを、真顔で言うようなヤベー人だった。


 まあ要するに、事件を解決するためならどんな危険なことでもためらわないのである。

 

 これだけでも十分ヤバイと思うが、これはレモン先輩が記憶喪失になる前の、クールで頭脳明晰な頃の話ということを忘れてはならない。


 今のアホな先輩なら……


『そこに火の輪があるよね? よし、食べるんだワトくんっ‼ どーなつみたいな形だし、多分いけるっ‼』


――とか、そんな意味わからんことを平気で口走りそうである。


 うん! 想像上のレモン先輩のムチャぶり具合が、昔より遥かに悪化してるねっ!


 しかもどうやら、アホになってしまったことで、ムチャぶりに自制が効かなくなっているらしい。


 今の先輩は意図的に事件を避けているように思えるが、なにかの手違いで事件に関わるようなことがあったら、今度こそ僕の命は持たないだろう。

 

「……やっぱり結構マズい状況かも知れない」


 遠い目してる場合じゃなかった。


 これは早急に対処して、名探偵だった頃の冷静沈着なレモン先輩に戻ってもらわなければ困る。


 ……まあ、例え性格が元に戻ったとしても、常識を逸しているところは今と変わらないんだけど。


 眉間にしわを寄せる僕の横で、遠田が両手を頭の後ろに回しながら言った。

 

「……確かにキラレさんって、ホントに破天荒な人だよなー。あの口数の少ない鈴木さんでさえ、キラレさんにかかればもう仲良しなんだぜ」


「やっぱりそうよね…………あら?」


 遠田の言葉に引っ掛かりを覚えたのか、椿さんは小さく首を傾げる。


「でもキラレさんって確か、<犯罪殺しクライムキラー>とか言われた凄い探偵さんなのよね? 昔、新聞にキラレさんが載ってるのを見たことがあるけれど、記事の内容からして冷徹に犯人を追い詰めてていくイメージが強かったわ」


「おう。クールでかっこいい感じだよな」

 

「でも、今のキラレさんからは、そんなことイメージできないんだけど……」


「う~ん。確かにのほほんとしてるよなぁ」


 遠田と椿さんは、一緒になって首を捻る。


 ……あぁ。レモン先輩が記憶喪失になっていることは、世間一般の人は知らないからなぁ。


「……それになんというか……今のキラレさんは……その……」


 椿さんが言いよどむので、僕は彼女が思っているであろうことを代弁した。


「――ああ。っぽいと言いたいんだろう? 分かる分かる。レモン先輩の冷静沈着なイメージがぶち壊されて驚いただろうが、まあそれも仕方のないことなんだ。――なんせ、今のレモン先輩の頭脳はそこらの小学生並みだし……」


 僕が流暢にペラペラ喋っていると、


「――ねぇ」


 不意に、背後から声をかけられた。


「おわっ‼」


 僕は肩を「ビクッ!」と震わせて、恐る恐る後ろに振り返る。


「――どこの誰がバカなのかなぁ……! ワトくぅん……!」


 振り向くと、レモン先輩が腕を組んで仁王立ちを決めていた。


 その顔には笑顔が浮かんでいるが、なぜか魔王のような迫力がある。


 おぉう。こえええい。


「いつのまにレモン先ぱ、えと、これはですね。その、……あははははは」


 挙動不審で冷や汗をダラダラ流す僕。


 しばらくアタフタしていると、見かねた椿さんが助け舟を出してくれた。


「キラレさん。和戸くんはバカじゃなくて、バカローリエトと言っていたわ。つづりはbaccalaureateで、意味は学士号。――学士号っていうのは、大学を卒業した人が得られる称号のことよ。和戸くんは、それくらいキラレさんが天才だと言いたかったんじゃないかしら」


 そんな付け焼きの説明で納得するわけ……


「ありゃ、そうだったの? そっか! ならいいやー!」


 ……バカで助かった。


 そして素晴らしい言い訳をありがとう椿さん。


「ところでキミは? 1人だけ、まだ名前を聞いてなかったね」


 レモン先輩はどす黒いオーラをしゅるしゅると収めたあと、ライトブルーの瞳でじーっと椿さんを見つめる。


「ああ、挨拶がまだだったわね。私は『椿つばき すみれ』よ。よろしく、キラレさん」


 椿さんが片手を差し出すと、レモン先輩は小さく目を見開いた。レモン先輩の顔が、みるみるうちに満開の桜のような笑顔に変わり、そのまま両手でブンブンと椿さんの手を振り回す。


「――よろしくねっ‼ 椿さん!」


 レモン先輩と椿さんは、それからしばらく他愛のない話を続けることになる。


 ……やはり、レモン先輩のコミュ力はバケモノ並みだ。




 ◇―◇―◇―◇―◇―◇




 レモン先輩は5分ほど談笑を続けたあと、教室中央の学習机にみんなを集めた。


「――よーし。これで全員揃ったね!」


 レモン先輩、遠田、美翔さん、鈴木さん、椿さん、そして僕。

 

 レモン先輩を中心に、その周りを取り囲んでいるという構図だ。


「容疑者のこと全員知れたし、いきなり推理始めちゃうぞー!」


 レモン先輩はぐるりとその顔ぶれを見渡してから、元気いっぱいで右手を振り上げる。


「じゃあまずは――」


 そして、そのポーズを保ったまま僕のほうに振り返り――衝撃の一言を放った。




「……推理って、何から始めればいいんだっけ?」




「…………え?」



――先 が 思 い や ら れ る ‼



                          <第6話に続く>

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