第8話 もはや称賛に値する


「――やっぱり、手掛かりが何も見つからないな……」


 僕は軽くしゃがみ込んで、教室の床をざっと流し見る。


――聞き込み調査(であってたまるか)が終わり、絶賛現場検証中の僕。


 消えた遠田のチョコレートを探して、教室中をぐるぐると歩き回っているが、いまだにこれといった手掛かりも掴めていない。


 ……もうこれで、教室内を回るのは3周目だ。


 こんな真剣に教室を周回したのは、生まれて初めてかもしれない。


――まわる~まわる~よ教室をまわる~♪


 ふぅ。なぜか急に謎の歌詞が頭に降りてきたぜ。


「レモン先輩はなにか手掛かり見つけましたか――って、おい」


 レモン先輩は、教室の隅に吊り下げてあるテレビを見て「おおおっ! これは世紀の大発見かも⁉」とか言いながら、なにやら興奮したように目を輝かせていた。


「何やってんですか、レモン先輩」


「おお、ワトくん! 丁度いいところに来たね。私今、すごいこと発見しちゃったんだ‼」


 レモン先輩は嬉しそうに、自分の顔にスチャっとサングラスを装着する。


「サングラスかけてからテレビを見るとね、首を傾ける角度によっては映像が暗く滲んで見えるんだよ⁉ どう? すごい発見でしょ!」


「……ハイ。スゴイデスネ」


 いやそれ、ただサングラスが偏光レンズなだけだろ。


 ええと確か、液晶画面の偏光フィルターがサングラスの偏光レンズと干渉するから、位置によっては画面が真っ暗に見えることがある――って、やつだな。


 てか、昔この解説を僕に教えてくれたのは、レモン先輩だったはずなんだけど。


 分かってはいたが、記憶喪失になってこういう専門的な知識が抜け落ちてしまっているらしい。


 ……こんな学識のない小学生頭脳で、本当に謎を解決することができるのだろうか。


 僕は一瞬、そんな不安にかられてしまった。


 だがすぐに、思い直すように首を横に振る。


――いや、助手の僕が探偵の可能性を信じなくてどうする。


 レモン先輩はすごい名探偵だったんだ。


 今はこんなへなちょこでも、本気を出せばすぐに謎を解決してくれるはずさ!



 そんな熱い思いを胸に、僕は期待を込めた眼差しをレモン先輩に送る。



「――はっ! よっ! とっ! ほっ!」




 レモン先輩はその場で反復横跳びをしていた。



「…………やっぱ無理かもしれない」


 何をしているんだこいつは。


 レモン先輩は右へ左へと軽快にステップを踏みながら、僕の顔をチラリと流し見る。


「え? ワトくん今何か言った?」


「いやなんも言ってないっス。――というか、なんで反復横跳びしてるんですか」


「――よっ! とっ! 見て分かんないの? やっ! 私の世紀の発見を! ほっ! ワトくんにも見てもらおうと思って! はっ! 実際に実証実験をしているんだよっ! たあっ!」


 レモン先輩はテレビ画面を注視したまま、左右のサイドステップを加速させる。


「こうやってっ! 移動するとっ! 首の! 角度によってはっ! テレビ画面が! 黒くっ! 見えるんだよ! どう? すごい発見でしょっ!」


「…………」


――す、すごいよレモン先輩‼


 サングラスをしているのは先輩だけだから、僕にはテレビの液晶画面の変化が全く分からないよ‼


 すごい! 清々しいレベルのアホだ! 称賛に値するほどのアホだ! 


 僕はあんたの奇行が一切理解できないけど、とりあえずアホだということだけは理解できた!


 もうこの人は高校生じゃなくて、小学生にランクダウンしたほうがいいんじゃないだろうか。もしそうなった場合は、レモン先輩じゃなくてレモン後輩と呼ぶことにしよう。


 いや、もはや助手の僕が代わりに名探偵になったほうがいいのかもしれない。そのほうが事件を早く解決できそうだし。


 うん。近いうちにそうしよう。


 僕が名探偵の座を奪う計画を企てていると、レモン先輩は急に膝に手を付いて動かなくなった。


「ぜぇ、はぁ、はぁ。つ、疲れた……」


「相変わらず体力はゼロですね」

 

 レモン先輩は、瞬発力はあるけど持久力が限りなくゼロに近いタイプだ。


 体力がないのは、箱入りお嬢様で全然運動しないからなんだろうな。


 ……あれ?


 探偵って地道に証拠を集めるのに体力を使うことも多いし、体力面で圧倒すれば名探偵の座を奪えるのでは?


 ふっ、ふっ、ふっ。

 

 そうすればこの小説のタイトルを、先輩の名前じゃなくて僕の名前に変えることが……


――って、こんなこと考えてる場合じゃなかった。


 呼吸を整えているレモン先輩に、僕は穏やかな笑顔で語りかける。


「レモンせんぱあい」


「え、ワトくん? な、なんかその笑顔怖いよ……?」


「いやあ。僕はチョコレートの手掛かりを必死になって探しているのに、先輩は吞気にテレビを見て遊んでいるんだなぁ――と、思いまして」


「んぐっ⁉ い、いや、私は別に遊んでるわけじゃなくて、ただ新しい謎を――」


「早く現場検証しましょうねぇ」


「そ、それが実はこう見えても推理のアイデアを考えていたというかなんというかその、アレがアレな感じで」


 頭の中でぶちっとなにかが切れる音がした。


「――四の五の言うならこのサングラスは没収ッ‼」


 僕はレモン先輩の顔から、素早くサングラスを奪い取る。


「ああっ⁉ 私のサングラスが~‼」


 いやこれ、遠田に貸して貰ってたよな。勝手に自分の物にしてるし。



 よほど悲しかったのか、レモン先輩は床に手をついて『ズーン』と意気消沈していた。


 僕はそれを見なかったことにする。


 ……もう遊ばないように、サングラスは僕が預かっておくとしよう。



「――みんなは、何か手掛かり見つけたか?」


 僕がそう呼びかけると、黒板側のドア近くにいた鈴木さんが、掲示板下のごみ箱の中を見ながら呟いた。


「いえ、何も見つからないですね……」


 教卓の落とし物入れを見ていた美翔さんも、手でバツ印を作る。

 

「こっちも収穫なし~。チョコレートらしきものはなかったよ~」


 掃除用具入れの中を探していた遠田は、両手に持った箒を嘆くように突き上げた。


「掃除ロッカーにもない! 俺のチョコ、一体どこ行っちまったんだよぉ!」


 後ろの教室ロッカー(外付扉なし)を見ていた椿さんが、淡々とした声で報告する。


「私もざっと見たけど、特にそれらしいものは見つからなかったわ」


 そこまで言って、椿さんは呆れたように目を細めた。


「……というか、私たちって容疑者候補のはずよね? 容疑者に手掛かり探しを手伝わせるなんて、キラレさんって大物だわ」


 レモン先輩は頬を緩ませながら、恥ずかしそうに頭の後ろを手でかく。


「えへへ。照れるなぁ……」


 いや、褒めてないから。



 その時、何かを考え込んでいた鈴木さんが、唐突に口を開いた。


「そういえば、遠田くんが貰ったチョコレートは、一体どのような物だったんですか?」


「ん? 貰ったのは普通のチョコレートだぞ?」


 不思議そうにする遠田に、鈴木さんは白衣の裾を揺らしながら歩み寄る。


「いえ、市販で売っているような物か、手作りの物なのかで話は違ってきます。何か少しでも目印になるようなものがあればいいと思ったのですが」


 丸縁メガネを指でクイッと押し上げる鈴木さん。


「それに、そもそも私たちは、あなたが貰ったチョコレートがどのような容器に入っていたのか教えられていません」


「確かに知らないわね」


「私も知らな~い」


 椿さんと美翔さんも、興味深そうな目で遠田を見つめる。


「そういやお前らには説明してなかったな。チョコレートは手作りの物だったぞ」


「何か目印になるようなものはありましたか?」


「うーんと、水玉模様の袋にチョコがラッピングされてて、水色の付箋が貼ってあったはず――あ。そういや、その包みにはピンクのかわいいリボンがついてたな」


「なるほど。では、今からはそのリボンを目印に探して行きましょうか」


 冷静に判断を下す鈴木さんを見て、僕は小さく感動を覚える。


 おお。なんて筋の通った思考判断なんだ!――と。


 少し怪しい動きを見せただけで、『よしっ! てめえが犯人だっ‼』とか言いかける、どこかの反復横跳び野郎とは大違いだ。


 もう代わりに推理を全部やってもらいたい。



 僕が鈴木さんに尊敬の眼差しを送っていると、椿さんが「……妙ね」と、あごに手を当てた。


「チョコレートは銀色の袋に入っていたんでしょう? 目立つ色なのに、こんなに探し回っても見つからないのはおかしいんじゃないかしら」


「確かになあ」


 椿さんの疑問に、遠田が納得したように頷く。


 …………なるほど。少し兆しが見えたかもしれない。


 なら次にやるべきことは――



「――ああっ‼」


 そんなことを考えていると、突然レモン先輩が大声を出した。


「きゅ、急にどうしたの~⁉」

「なんかあったのか⁉」

 

 急な大声に驚く美翔さんと遠田。

 僕たちは急いでレモン先輩の元に集まる。


「み、みんなっ! 私ちょっと気づいちゃったんだけど……!」


「な、なんですか一体!」


 もしかして、なにか手掛かりを見つけたのか⁉


「ワトくん。これって教室の中で起きた謎だよね?」


「はい」


「それで、私たちが来たとき教室の中の物は、犯行から全く動かされていなかったんだよね?」


「そうですね。遠田が女子3人に、物を動かさないよう言いつけていたはずです」


「――てことは、もしかしてこれって『密室とりっく』ってやつなのでは⁉」


「「「「…………」」」」


 いや、犯行があったと推定される時間、教室の中に美翔さんたちいたから。


 そもそも最初から、換気のために教室の窓空いてたし……



 僕は教室の窓の方向を見る。2月のまだ肌寒い風が、カーテンを揺らして教室の中に入って来ていた。


「――あの~、キラレさん。これってどの辺りが密室なの~?」


 美翔さんが、不思議そうに窓の方向を指差す。


「えっと……教室の範囲内で犯行があったところ?」


 ……この人は密室の定義から覚え直した方がいいんじゃないだろうか。


「なんと言うか、聞いて損した気分ね」


「全くです」


 椿さんと鈴木さんは、やれやれと肩をすくめた。


「ええ⁉ 噓だよ、ダウトだよ! 私の華麗なる推論が聞いて損なわけないよ‼」


「はぁ。――バカなこと言ってないで、早く次のことをやりますよ」


 本日何度目かのため息を付き、僕は美翔さんの机のほうに向かって歩き出す。


――先ほど鈴木さんや椿さんが言った通り、チョコレートの袋は銀ピカで、リボンが付いていたりとかなり目立つ外装だ。


 これだけ手分けして探しても見つからないとなれば、教室のどこかに巧妙に隠してあるか、教室の外にあるという可能性が高い。


 教室の中にあるものでまだ探していないものは、学生カバンの中だけだ。


 ヒントもなしに教室の外を探すのは時間がかかり過ぎるし、先にカバンを調べておいたほうが効率がいいだろう。


――なら、次にやるべきことは持ち物検査だ。



「よし。まずは美翔さんのカバンから見させてもらうか」


 僕がそう言うと、レモン先輩は大きく目を見開いた。


「えー⁉ いきなり女の子のカバンの中を覗こうとするなんて、ワトくんってかなりだいたんだね⁉」


「いや、僕はただ手掛かりを探すために――」


「そっかー。実はワトくんも思春期の男の子だったかー」


「手 掛 か り を 探 す た め に や っ て る ん で す ‼」


――ぶっ飛ばしていいかなこいつ。


 僕は殴りかかろうとする自分の右腕を、強靭な理性でなんとか押さえつける。


 ……待て、少し冷静になるんだ僕。クールダウン。くーるだうん。


 すー、はー。すー、はー。


 ……ふぅ、危ない危ない。もう少しで僕の鉄拳が火を噴くところだったぜ。


 

 僕がホッと一息ついていると、遠田がニヤニヤと笑いながら近づいてきた。そのまま遠田は口元に手を当てて、甲高い裏声でレモン先輩の声真似をする。


「ええー⁉ 女の子のカバンの中を覗こうだなんて、和戸くんってだいたーん‼」


――ズドゴッッ‼


 瞬間、僕の右肘が遠田の鳩尾みぞおちを正確に打ち抜いた。


「ごふッ⁉ な、なんで俺だけ……」


「よかったな遠田。お前の決死の特攻のおかげで、僕の怒りは完全に収まったぞ」


 腹を押さえて床に倒れている遠田に、僕は穏やかな笑顔を贈る。


「いままでありがとな。お前はいい奴だったよ」


「……な、なんかいい感じに締めようとしてるけど、俺まだ死んでないぞ……」


 見ると、遠田はまだ瀕死状態でピクピクと動いていた。


「おお! なんてしぶとい生き物なんだ……!」


――ゴズッッ‼


 僕の2度目の打撃が、遠田の鳩尾を今度こそ打ち抜く。


「いままでありがとな。お前はいい奴だったよ」


 僕の唐揚げを奪ったこと以外は。


「…………」


 僕は動かなくなった遠田を教室の隅に転がして、さっそく持ち物検査に取り掛かることにした。


――さて、何か証拠が見つかればいいんだが……


「よ、容赦ないねワトくん……」

「こ、こわ~」

「あれ確実に骨イッてませんか?」

「あの徹底ぶりを見るに、普段から強い恨みを抱いていたと推測するわ」



 ……女性陣がドン引きする声が聞こえたが、多分僕の気のせいだろう。うん。




                          <第9話に続く>

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