第6話 ほらよっ、カツ丼だっ‼
「……推理って、何から始めればいいんだっけ?」
「…………え?」
元名探偵、衝撃の一言。
思わず派手に転びそうになった僕は、足に力を入れてなんとか踏みとどまる。
……ふう。普段のトンデモ発言に慣れていなければ即死だった。
僕はホッと一息をつく――が、その間のクラスメイト達の反応は、散々なものだった。
「え~‼」
美翔さんはバナナの皮を踏んだようにすっ転び、
「…………」
鈴木さんは無表情のままパタリと床に倒れ、
「ズコー‼」
遠田は野球部なのでお手本のようなスライディングを決めた。
……なんだこのギャグ空間。
「――あれ? どしたのみんな?」
レモン先輩は、突然倒れたズッコケ一同を呆然と眺める。
しばらく辺りをキョロキョロと見渡したあと、
「――あ、なるほどね!」
なにかを閃いたかのように、ポンと手を打った。
そして――
「こけたっ」
――と、叫びながら、顔面から倒れ込むようにアクロバティックな転倒を見せた。
完全に自滅である。
「…………」
僕は南極よりも冷たい視線を、床で猫のように伸びているレモン先輩に送る。
「どーかしたの、ワトくん?」
「こっちが聞きたい。なぜ自分からこけた」
「え? みんな急にすっ転びだしたから、これは私も倒れたふりをしたほうがいいやつなんじゃないの? あれでしょ? 形式ってやつでしょ? 鉄板ネタ的な」
「そんな鉄板はとっとと不燃ごみに出してしまえ」
「そんなぁ⁉」
「鉄板の捨て方は地域によって異なりますが、不燃ゴミなら丈夫なポリ袋に入れて捨てるといいですよ。鉄板の大きさによって分別も変わるので注意しましょうね」
「……なんで私は具体的な鉄板の処理方法を聞かされているの?」
「素材によっては資源ごみとして回収される場合もありますが、鉄板の1辺の長さが30センチを超えたら一般的には粗大ゴミ。その場合は近くのコンビニや郵便局でゴミ処理券を購入するのを忘れずに。そのとき、払い戻しや返金ができないので、現金の取り扱いには十分な配慮を心掛けてくださいね」
「いや詳しすぎない⁉ もはや業者の方レベルだよ⁉」
「ハハハ。ただの主婦の知恵ですよ」
「………………今一瞬、私の推理力が主婦の知恵に負ける未来が見えたよ」
僕とレモン先輩が、謎の小コントに明け暮れていると――
「はあ。一体何をやっているのかしら」
僕の後ろのほうから、椿さんの呆れたような声が届いた。
――おお! もっと言ってやれ椿さん!
なぜかずっこけを披露した、ボケ倒しレモン先輩に制裁を!
そんな期待を込めて、僕は後ろに振り返る。
「――この程度でこけるなんて、私は一体何をやっているのかしらね」
振り向いて見ると、椿さんがボロボロな感じで床から立ち上がるところだった。
しかもラスボスと戦っていた勇者が最後の力を振り絞るような、謎に歴戦の風格を感じさせる立ち上がり方である。
「いやあんたもずっこけとんかい」
「……そこは気にしなくていいのよ」
椿さんはコホンと咳払いして、まだ床に寝転がっているレモン先輩を
「それにしてもキラレさん。あなた推理の始め方も知らないのに、本当に謎を解決できるのかしら?」
「失礼な! ちゃんと推理できるよっ‼」
そう言って勢い良く起き上がったレモン先輩は、立ち上がった勢いのまま僕に顔を近づけると、小声で質問を投げかけてきた。
「――それで、何から始めればいいんだっけ……」
「おい」
僕はやれやれと肩をすくめる。
「まずは事件が起きた時に、なにをしていたか聞くんですよ。――俗に言う聞き込み調査です」
「おお、そうだったそうだった! ありがとワトくん!」
レモン先輩は納得したように頷いたかと思えば、
「――! 私、いいこと思いついちゃった!」
突然、子供のように目をキラキラと輝かせた。
そのまま黒板側のドアを開けて、意気揚々と教室から走り去ってしまう。
……もう嫌な予感しかしない。
◇―◇―◇―◇―◇―◇
「……あの、これは一体何をしているのかしら?」
椿さんは怪訝そうな顔で、向かいの席に座っている人物に質問を投げかける。
「――え?」
質問の意味が分からなかったのか、レモン先輩はこてっと首を傾げた。
――クラスメイトずっこけ事件から、約3分後。
2つの学習机を向かい合わせにして、対面に座るレモン先輩と椿さん。
レモン先輩は少し前のめりになった姿勢で、椅子からゆったりと足を伸ばして座っていた。僕と遠田は、その後ろに仲良く横並びで立っているという配置だ。
レモン先輩の後ろ姿をボーっと眺めていると、ふんわりとしたライトイエローの金髪と、大きな探偵帽子が目立つ。
……へぇ、探偵帽子って後ろ側にもツバがあるんだ。知らなかった。
そんなことを思いながら、視線をレモン先輩の後頭部から少し動かして、正面にいる椿さんのほうに向ける。
椿さんは膝の上に手を乗せて、ピシッと姿勢よく椅子に座っていた。その背後に美翔さんと鈴木さんが、まるで従者のように控えている。
……なんかこう見ると、椿さんが女王様に見えてくるな。さすが、入学当初のあだ名が<氷姫>だっただけのことはある。
僕が思わず片膝をついて平伏しそうになっていると、質問の意味を悶々と考え込んでいたレモン先輩が、ようやく口を開いた。
「――うーん。何をしてるのかって聞かれても、ただ聞き込み調査してるとしか答えようがないんだけど……?」
必死に考えたが答えが出なかったのだろう。
頭上にクエスチョンマークを浮かべながら、僕に同調を求めてくる。
「――だよね、ワトくん?」
レモン先輩は椅子に座ったまま振り返って、僕のほうに真っ直ぐ顔を向けた。
「…………」
レモン先輩の顔には、ヤクザっぽい黒のサングラスが装着されていた。
「……あの、僕もレモン先輩がなにをしてるか、全く理解できないんですが……」
「ええ⁉ ワトくんそれ本気? そんなんじゃ私の助手を名乗れないよ⁉」
「いや、だってこれって――」
僕は学習机の上を指差す。
指を差した先にあるのは、大きな電球がはめ込んである銀色のライトスタンドと、『カツ丼‼』という文字がでかでかと殴り書きにされたメモ用紙。
「――これって、聞き込み調査じゃなくて取り調べじゃないですか。なんか勘違いしてませんか、レモン先輩」
「え?」
サングラス越しに、目をパチクリさせるレモン先輩。
僕の顔と机の上を交互に見返し、
「いやいやいや――」
そんなことナイナイ、とでも言うように小さく手を振った。
「勘違いしてるのはワトくんのほうじゃない? だって私、なんかのドラマで見たことあるもん! 犯人に罪を自白させるときは、『サングラス』『ライトスタンド』『カツ丼』の、三種の神器を警察の人は使うんだよ!」
レモン先輩はそう言うや否や、サングラスの端を片手で押し上げて、おでこの位置まで持ってくる。
その状態のまま、バチッとウィンクを決めた。
「私を騙そうとしたって、この
……その慧眼、不良品じゃねーか。
あと、微妙にウィンクできてなかったし。
「――みんなも、これは聞き込み調査だって思うでしょ?」
レモン先輩は体の向きを正面に戻し、サングラスをかけ直してから、無差別に笑顔を振りまいた。
「「「「…………」」」」
その瞬間、僕の天才的頭脳が、全員が考えているであろうことを一言一句もらさずに叩き出した。
――こ ん な の 聞 き 込 み 調 査 じ ゃ ね ぇ っ !!
そんな僕たちの気持ちを代弁するように、椿さんはじとーっとした目つきをレモン先輩に送る。
「……えっと、色々とツッコミどころはあるけれど、これは刑事ドラマとかで見る取り調べの真似事――という認識でいいのよね?」
「だ~か~ら。これはただの聞き込み調査なんだって」
「…………まあ、そういうことにしといてあげるわ。――それで、そのサングラスはどこから取り出したの?」
椿さんは、レモン先輩の顔に収まっているサングラスを指差した。
「ふっふっふ。これはなんと、遠田くんに貸して貰ったんだ! 遠田くんは野球するとき、砂埃が目に入らないようにサングラスを付けるからね。 紫外線もカットしてくれる優れものなんだよ!」
まるで自分自身を誇るかのように、えっへんと腰に手を当てるレモン先輩。
……なぜ先輩が威張る。
「……うん。そのサングラスでキラレさんが、取り調べ捜査官のモノマネをしていることだけは十分に伝わったわ。――じゃあ、このライトスタンドは?」
椿さんは、藍色の目をライトスタンドのほうに向ける。
「ああこれ? これは職員室に置いてあったのを勝手にぶん取ってきたよ」
おい迷探偵。お前はいつ探偵から怪盗にジョブチェンジした。
「――いやぁ。丁度いいヤツが職員室にあることを思い出した私は天才かも! 自分で自分を褒めてあげたいくらいだよ!」
……うん。先輩がさっき教室から出て行ったのは、これを取りに行くためだったことを、今完全に理解した。
「……今すぐ返して来なさい」
「ええ⁉ 何言ってるの椿さん? 銀ピカのライトスタンドって、聞き込みでよく使われてるイメージがあるでしょ。ここで使ってあげなきゃ、ライトスタンドが浮かばれないと思わないの?」
「職員室の先生方が浮かばれないと思うわ」
「それにほら! 椿さんは、ライトスタンドに特殊な能力があるのを知ってる? これを使えば、犯人はみるみるうちに自白しちゃうんだってさ。そんな能力があるなんて、びっくりしちゃうよね!」
「あなたが人の話を聞かないことに驚いているわ」
椿さんは軽くため息をついて、
「――それで、1番謎なのはこれなんだけど……」
学習机をコツコツと指でつつき、卓上のメモ用紙に視線を動かした。
メモ用紙には、『カツ丼‼』というダイナミックな文字が、ネームペンで殴り書きにされてある。しかもなぜか、その文字は滲んでいるようだった。
まじでなんなんだよこれ……
「これはカツ丼…………で、合ってるかしら?」
「合ってるよ? それがどうかしたの?」
「いや、ライトスタンドはまだ分かるけれど、カツ丼のクオリティーが低すぎないかしら」
「細かいことは気にしないの! だって学校にカツ丼なんてないじゃん!」
「確かにそうね」
「あと、クオリティーが低いってのはちょっと心外! これでもできる限り、素材の品質にはこだわったんだよ?」
「……本当に?」
「ホントのホント! 製作者の私が保証します!」
パタパタと腕を上下に動かして、正当性を主張するレモン先輩。
「それに安心して! 今は用意できないけど、質問に正直に答えたら本物のカツ丼おごってあげるから――」
レモン先輩は背後にいる僕に、ノールックでクイッと親指の先を向ける。
「ワトくんが」
「なぜ僕がっ⁉」
不平の声を上げる僕を見て、キョトンとするレモン先輩。
「――? だって、全ての責任うんぬんはワトくんが取るって言ったじゃん」
「それは先輩が勝手に言っただけです‼ 大金持ちのお嬢様なんだから、それくらい自腹で払ってくださいよ‼」
僕の懐事情をなめるなよ!
あんたに高級コーヒー豆を買ったせいで、今月の全財産は380円しかないんだぞ!
どうだっ! 思い知ったか吉日っ‼
「えー」
レモン先輩は「ケチだなぁワトくん」と口を尖らせて、今度は遠田のほうに顔を向けた。
「じゃあ遠田くんでもいっか……」
「なんで俺が払うことになってんだよ⁉」
「え? ワトくんがお金を払えなかったら、代わりに借金を肩代わりしてくれるって言ったじゃん」
「言ってねーよっ⁉」
「あれだけ連帯保証人にはならないほうがいいって言ったのに……」
めそめそと泣き真似をするレモン先輩。
「誰が連帯保証人だよ⁉ どちらかといえば、俺もカツ丼食べたい側なんだが?」
「え、遠田くんもカツ丼欲しかったの?」
「おう。欲しい欲しい」
その瞬間、サングラス越しにも分かるほどに、レモン先輩は怪しく目を光らせた。
「そんなに欲しいならくれてやるっ‼」
「え? キラレさん?」
レモン先輩は勢い良く椅子から立ちあがり、机の上にあるカツ丼メモをバシッと掴んだ。そして――
「ほらよっ、カツ丼だっ‼」
遠田の顔面に向かって豪快に投げつけた。
「――ぎゃああああああああっ⁉」
べちょ。
見事、メモ用紙は遠田の顔面にクリーンヒット‼
「――いきなり何すんだよっ⁉」
喚き散らす遠田の顔面には、 なぜか落下することなくメモ用紙が張り付いている。
「――うわああああああああ⁉ なんだよこの紙⁉ 全体的に湿ってるんだが⁉」
困惑する遠田に向けて、上品な笑みを浮かべるレモン先輩。
「カツ丼のホカホカ具合を再現するために、さっき温水で濡らしておきました(笑)」
「――いや、なんでそこだけクオリティー追及してんだよッ⁉ 再現するとこおかしいだろ⁉」
ぎゃんぎゃん怒鳴る遠田とは対照に、レモン先輩は「うふふ」とお嬢様のように口に手を当てていた。
……悪魔だ。
椿さんが、感心するように目を閉じる。
「……なるほど。温水で濡らしてたから『カツ丼‼』の文字が滲んで見えたのね」
「そのとーりだよ椿さん! どう? クオリティーにはこだわったって言ったでしょ?」
「くっ、確かになかなかのこだわり具合ね。これは一本取られたわ」
椿さんは両こぶしを机に置いて、悔しそうにうつむいた。
「椿さんも何言ってんだ⁉」
激しくツッコミを入れる遠田。
椿さんはそのツッコミを軽く受け流し、レモン先輩に提案を持ち掛ける。
「キラレさん。あなたのこだわりは理解できたし、そろそろ聞き込みを始めた方がいいんじゃないかしら」
「確かにそうだね! 茶番はこれくらいにしよっか!」
レモン先輩はそう言って、自分の席に戻ろうとした。
「――え、何⁉ 茶番ってなんだよ茶番って⁉」
顔からメモ用紙を剝がそうとしていた遠田が、思わずその手を止める。
「へへ」
激しく困惑する遠田に、レモン先輩は穏やかな笑顔をプレゼントした。
「――なんか言えよっ⁉」
「…………」
レモン先輩は無言を貫いて、そのまま自分の席に着席する。
荒ぶる遠田は完全無視の作戦だ。シンプルにひどい。
「――えーこほん。それでは、聞き込み調査スタートっ!」
レモン先輩は自分の席に戻るや否や、椿さんの目の前でバンっと机を叩いた。
<第7話に続く>
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