おまえの本命チョコ存在しない事件

第1話 明日は季節外れの台風だな


 事件が起こったのは、『2月13日の木曜日』のことだった。


「――う、うまい…………っ⁉」


 4時間目の授業が終わり、給食の時間になった1年5組の教室内。


 脳が痺れるほどの衝撃に、僕――『和戸わと 孝介こうすけ』は思わず唸り声を上げていた。


 さくりとした衣の触感に、口の中で広がるジューシーな鶏肉の味わい。

 噛めば噛むほど肉汁が弾け、高校生男子である僕の食欲を、これでもかというレベルで刺激してくる。


 これほどうまい唐揚げは食ったことがない。なんなんだこの深みとコクは。


「……これは本当に唐揚げなのか……? これが唐揚げだというなら、僕が今まで食べてきた茶色い肉の塊は一体なんだったんだ……? 豆か? 肉じゃなくて豆肉だったのか?」


 中身が何かは知らないが、唐揚げを持つ箸の震えが止まらない。


 給食のおばちゃんが、中にヤバイものでも入れたんじゃないだろうか。


「――いや、うまければそんなことは些細なことだ。給食のおばちゃんに感謝だな」


 僕は思わず目を閉じて、この幸せに全神経を委ねる。


――ここ、僕が通っている『星空高校』は有名な建築家が設計したらしく、見た感じはレンガ造りという、謎にオシャレな外見の高校だ。


 当然のように設備も色々と整っていて、通っている生徒はお金持ちの生徒が多い。


 その人気の理由は、まず第一に生徒のことを優先した校風だろう。普通の高校と違う点は、今食べている給食が最たる例だ。


 他の高校は弁当とか学食なのだろうが、この学校は給食がある。おかげで忙しいママさんたちは大助かりらしい。


 まあ、その校風のせいで、この高校には変な部活が沢山あったりするのだが……それは一旦置いておこうか。一応、校則はキチンとしているところが多いし。


――ずずず………


 給食っていい制度だよなぁ、とか考えながら、僕はまだ暖かい味噌汁をすする。


 2月の冷たい風で冷えた体に、給食のおばちゃんの思いが染みる。


「…………あったけえ」


 ちなみに今日の献立は、野菜がゴロゴロ入った味噌汁に、漂白レベルで白い米。サクサクの唐揚げと、デザートにぶどう2粒。あとは紙パックの牛乳というラインナップだ。


 味噌汁には最高級の白だしが使用され、お米もモチモチの高級米。デザートのぶどうは真珠のような黒い輝きを放っているし、ダメ押しでハッピーな気持ちになれるヤバイ唐揚げときた。


 …………最高だ。


  僕の勉学レベルは平均よりちょっと上くらいなのだが、それでも僕がこの高校に通えているのは、あの頃の先輩の猛烈勉強特訓のおかげだろう。


 ……いや、おかげというか無理やり受験勉強させられたとも言う。


『名探偵の私が入学したのだから、もちろん来るだろう? ん?』


――的な感じでやんわり脅された記憶はあるが、今だけは先輩に感謝したい気持ちでいっぱいだ。


 この高校に通えてよかった。シェイシェイ。


「――くっ。こんな給食が続けば、毎日でも先輩に感謝し続けるのに……!」


 もちろん、この謎に豪華な給食のラインナップには訳がある。


 事の発端は、2月の行事であったクラスマッチだ。僕らのクラスが優勝を果たしたことにより、豪華な優勝商品をもぎ取ったのである。


――優勝賞品、『1日超豪華給食券』。


 学校行事を頑張ったご褒美。それが贈られる日が今日だったというわけだ。 つまりこの唐揚げたちは、僕の血と涙の結晶だと言っても過言ではない。


 今日限りで夢の給食ライフは終わってしまうが、今はささやかな幸せを楽しもう。


 僕は最後の1つになってしまった唐揚げに、ゆっくりと箸をのばす。


 …………ごめんよジャガバター。僕は君のことが1番好きだったけれど、今日から唐揚げに浮気してしまいそうだ。自分では固い男だと思っていたが、どうやら僕は軽い男だったらしい。


 そんなことを思いながら、僕が唐揚げに箸を伸ばした瞬間――


「――もらったぁッ‼」


 突如、隣の席から箸が伸びてきて、僕の唐揚げをかっさらっていった。


 とっさに横を向くと、ニヤニヤと満面の笑みを浮かべるドロボー野郎。


「――ちょっ、また取りやがったな遠田‼」


「ふっ、取られるほうが悪いんだ……」


 そう言って遠田は、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


 このドロボー野郎の名前は、『遠田とおだ 球太きゅうた』。


 健康的に日焼けした肌と、丸刈り頭が特徴の細マッチョだ。


 4月に僕と同じ班になって、最初に話しかけてきたのがこいつだった。筋金入りの野球バカで、簡単に言えばお調子者のムードメーカー。


 朝から晩まで野球に恋する熱血野郎だが、まあ悪い奴ではない。


 そう。こいつは悪い奴ではないのだ。


「――よーしよしよし、遠田。お前はそこまでの悪事に手を染めるほど、悪い奴ではないはずだ。いい子だから、その手に持った僕の唐揚げを返しなさい。ステイ、ステイだぞ遠田」


「俺は犬じゃないんだが」


「いいか、絶対に食べるんじゃないぞ。その唐揚げは僕の血と涙が詰まった大切な唐揚げと言っても過言ではないんだ。絶対食うなよ、絶対だぞ絶対」


「分かった」


 遠田は真剣な表情で頷くと――


――そのまま口の中に唐揚げを放り込んだ。


「うわああああああああああああああああ‼⁉⁉ おま、お前えええええッッ⁉」


「いやほれ、ぜっはいフリだとおもふはろ」


 遠田は幸せそうな表情で唐揚げを頬張ると、じっくりと味わってからゴクリと飲み込む。


「あぁ~、やっぱこの唐揚げうめぇなぁ……」


 こいつは悪い奴ではない。大罪人だ。


「くそっ。僕の唐揚げをなんのためらいもなく食いやがって……!」


 僕は目に血の涙を堪えながら、呪い殺すほど恨みのこもった目で遠田を見た。


――最後の1個だったのに。 ……遠田、ゼッタイユルスマジ。


 怒りにワナワナと拳を震わせていると、


「――わりぃわりぃ。お詫びと言っちゃなんだが、俺のデザートやるよ」


 遠田が太い眉を八の字にしながら、僕のお皿にぶどうを2粒よそってきた。


 僕の体感時間が3秒ほど止まる。


「――う、うそだろッッ⁉ あの遠田が⁉」


 普通なら有り得ない遠田の行動に、僕はギョッと目を見開く。


 いつも僕の給食を奪うだけの遠田が、僕に食べ物を分けた…………だと?


「なるほど。ついにノストラダムスの大予言が当たる日が来たか」


 明日は季節外れの巨大台風が来るかもしれない。家に帰ったら防災バックの確認作業をしておくか。


「お前、俺のことなんだと思ってるんだよ……」


 遠田がじとーっとした半眼を僕に向けてくる。


 ……君のことをどう思っているかって?


 ハッ、ハッ、ハッ。そんなの決まってるじゃないか!


「――もちろん、親愛なる友人だと思っているよっ!」


 僕は今、とても爽やかな笑顔をしていることだろう。


 安心してくれ。


 僕は君のことを給食ドロボー野郎だなんて、全然思ったことはないんだ。


「その笑顔の裏に何かありそうで怖いけどな……」


 ほう。やけに鋭いではないか。


 僕の唐揚げを奪った罰として、そのうちお前を亡き者にしようと思っていたことに気付いたか。


 やるな。僕は勘のいい野球部員は嫌いなんだ。


「――それはさておき……」


 空気を横に置く動作で茶番を強制終了して、僕は遠田に疑問をぶつける。


「ホントになんで僕にデザートを分けてくれたんだ? 何かいいことでもあったのか?」


 訝しんで聞く僕に、遠田は悠々とした顔で答える。


「いや。実は俺、単純になんだよな」


「…………」


 呆れて声も出ない。


「……つまり、ぶどうは食べれないから僕にくれたわけか」


 これこそが遠田クオリティー。


 よかった。まだ台風襲来といった天変地異は起きなさそうだ。


「どうやら、ぶどうは配膳係の奴が間違えて置いちまったらしい。普通アレルギーの人には、学校側が別のデザートを用意してくれるんだけどな。――ほら」


 遠田が自分の机の上を指差したので、僕はその先に視線を送る。


 味噌汁やご飯が入っていた銀色の食器は空になっていたが、デザートを入れる小皿には、みずみずしい色のオレンジが入っていた。


「――な? 俺だけデザートがオレンジになってるだろ?」


「…………新手の嫌がらせか?」


「――⁉ いや和戸、お前話聞いてたか⁉ 俺がぶどうアレルギーだから、学校側がオレンジ用意してくれたっつってんだろ⁉」


「冗談だって」


 一瞬、2つもデザートがあるなんて正気か?――と思ったのは秘密だ。


 僕がホッと一息ついていると、遠田が嬉しそうに口を開いた。


「そういやお前さっき、俺にいいことあったかって聞いたよな? それで思い出したんだが…………実は今日、スゲーいいことがあったんだよ!」


「ふ~ん。どんないいことがあったんだ?」


 僕は自分の机から牛乳パックを手に取り、ストローを口につける。


「フッ、フッ、フッ。これなんだが……」


 遠田は学生カバンの中をゴソゴソと探り、その中から銀色の包みを取り出した。


 そしてその包みを、まるで伝説の剣を掲げるように、自慢げに真上へ持ち上げる。


「じゃ~ん。なんと、女子からチョコレートを貰ったんだぜっ‼」


「……ンッ⁉」


 今年1番の衝撃。


 思わず噴き出しかけた牛乳をなんとか飲み込み、僕は若干咳き込みながら反論した。


「――えッ? お前が女子からチョコを貰った? いやいやいやいや、ソンナコトアルワケナイ。天地がひっくり返ってもアリエナイヨ」


 超高速でブンブンと首を横に振っていると、


「よく見て見ろよ‼」


 遠田がずいっと、僕の眼前に袋を突き出してきた。


 テカテカと、CDの裏面のように光を反射する銀色の包み。それをラッピングするのは、蝶々結びにされた可愛らしいピンク色のリボン。そこには水色の付箋が貼ってあり、『遠田くんへ』とボールペンの綺麗な文字で書いてあった。


――いや、まだだ。こいつがチョコを貰うなんてこと、あるわけないのだ。


 僕は自分の正しさを証明するために、まじまじと袋を見つめる。


 包みには水玉模様の部分があり、透明で中を覗けるようになっていた。


 そこから覗いてみると――大きめのチョコがゴロゴロと入っているだと⁉


「……嘘や」


 なぜか大阪弁で言う僕。


 ……まじでチョコレートだった。


 やっぱり、明日は大荒れの台風になりそうだ。窓にガムテープ貼っておこう。


「ほらな、チョコレートだっただろ?」


 遠田がドヤ顔をかます。


 なんだろう。なんか凄い負けた気がする。


 僕が遠田に、初めて敗北感を覚えた瞬間だった。


「お前にはやらねーぞぉ! 家に帰ってからじっくり食べるんだぜ!」

 

 遠田が僕の手からひょいっと袋を奪う。


「……誰に貰ったんだよそれ?」


「それが、よく分かってないんだよな……」


「どういうことだ?」

 

 僕が聞くと、遠田は嬉しそうに教えてくれた。



 なんでも遠田が言うことには――


1、まず、野球部の朝練が終わって教室に行くと、机の上にチョコが置いてあった。


2、そのとき教室にいたのは、同じクラスの女子生徒3人だけ。


3、つまり、その女子の内の誰かが机にチョコを置いたのは確定なのだが、


『名前も言わずにチョコだけ置くなんて、よほどの恥ずかしがり屋なんだな!』

 

 そう思って、遠田は誰がチョコを置いたのかはに――そのままチョコを学生カバンに放り込んだ。


――以上。



 ……聞けよ。聞けば全てが解決してただろ。



 まあ、チョコを置いた人物が本当に恥ずかしがり屋なら、そのときに名乗り出なかった可能性が高い。許してやるか。


 

 要は簡単にまとめると、差出人不明の怪しいチョコレートってことだ。

 

――ん?


 ここで僕は疑問を覚える。


「というか今日は13だよな。――バレンタインより1日早い」


「……確かにそうだな? おっちょこちょいで日付を間違えたんじゃねーのか?」


 遠田は特に気にしていないようだ。


「……遠田お前、これはおかしいって思わないのか?」


「いや、女子の純粋な恋心がおかしいわけないだろ?」


 違う。そうじゃない。


「僕がおかしいと思うのは恋心じゃなく……」


 そこで遠田が、横から片手を差し出して僕の言葉を遮る。


「あっ……さては和戸くん。俺がチョコ貰ったのが羨ましいんでちゅね~♪」


 ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべていた。


 ウゼェ……


「あぁ~、お前も野球部に入ればモテるのにな~? チョコ貰えるかもしれないのにな~? 野球部に入っちゃえよ和戸ぉ~‼」


 遠田がうりうりと、僕を左肘で突く。


「……だから僕は、野球部に入るつもりはないと言ってるだろう?」


 そう言って、僕は大きくため息をついた。


 遠田はことあるごとに、僕を野球部に誘ってくる。確かにちょっと運動神経がいい自覚はあるが、なぜこんなにもしつこく僕を誘ってくるのだろうか。


 それに僕は、部活……? と言っていいかは分からないが、ちゃんと部活動にも所属している。


 よって弊社へいしゃは、押し売りセールスはお断りしているのだ。


 ……ご了承しろ。(命令形)


「やっぱ無理かぁ」


 僕が野球部に入る気がないのを感じ取ったのか、遠田は小さく肩を落とした。


「まあそう言うとは思ってたけどな。――じゃっ、俺はもう行くぜ! 気が向いたらいつでも野球部に来いよ!」


 そう言うや否や、遠田は豪快にオレンジにかぶり付いた。そのまま「ごちそーさん!」と両手を合わせて、爆速で食器を片づけてから、教室後ろのドアから出ていってしまう。


「……大変だなぁ、野球部って」


 ポツリと残された僕は、遠田が走り去ったほうを見ながら呟いた。


 野球部には昼練というものがあるらしい。遠田は昼休憩中に素振りの練習をしているそうだ。……毎日ご苦労なことで。


「それにしても……」

 

 僕は遠田に貰ったぶどうを、口の中にポイっと放り込んでから考える。


――差出人不明のチョコレート。

――それもなぜかバレンタイン前日に。


 僕は小さく「ん~~」と唸る。

 

 ……ダメだ。僕にはさっぱりこの謎が理解できない。


 ただ時間が過ぎるまま、口の中にジューシーなぶどうの甘みが広がっていく。


 僕はこのとき、確かに何かが起きそうな予感を感じていた。



「……この謎なら、先輩は本気になってくれるか……?」


 



                          <第2話に続く>

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