1-7 祝福の祈り


 

 生前の妻の縁で、何回かプロテスタントの教会へ通う機会があった。私自身は大方の日本人と同じように無宗教だったのだが、話好きの妻は晩年になって親しくしていたご近所の婦人(井戸端会議の友)を亡くすと、新たな話し相手を得るためにプロテスタントの教会へ熱心に通うようになっていた。

 行きたければ勝手に1人で行けばいいと思うのだが、夫を牧師や新しい友人に紹介したいとかで、私も何度か妻に連れ出されて礼拝に参加させられた。せっかくの日曜日に釣りに行こうとするのを中断させられてだ。

 非常にいい迷惑だった。すぐに抜け出して釣りに行ってしまいたかった。そういう後ろ向きな気持ちだったのでどうしたって欠伸が出る。牧師の話などはいつも上の空で、あの場へは歌の合唱だけを聞きに行くようなものだった。

 小さな教会には、人当たりの良い人間が集まっているようで、何かと気を遣われて声をかけられたりもしたが、(頂いた過分な心遣いは申し訳ないが)なにぶん私は妻の付き合いだけで参加していたような者だったので、その妻を亡くしてからは繋がりが切れ、みなそれっきりの関係になった。


 そもそも純日本人である私は、神などそこら道端に転がっているものだと考えており、実際に日本人は、そこらの石ころを信仰の対象にして容易に祭ることをしている人種だ。日本人的な感性においては神などと言うものは、近所付き合い程度で関われば丁度いいのだと思う。そして私の信心のあり方もそのような適当なものだった。

 だけれども私の隣から失われた妻の新たな所在地が、そこ・・にあると言うのなら話は変わってくる。


 妻は本当に話すことが大好きな女だった。いつもニコニコしながら誰にでも話しかけて仲良くなっていた。その妻が消えてしまうと、家は果てしなく広くなり寂しいものとなった。妻が健在の時は、お喋りが過ぎて、時に辟易するような事もあったが(よく釣りに逃げ出していた)、いなくなってしまうと私は妻恋しさのあまり、孤独が堪えられなくなり、自然と手を合わせ始めた。今は天にいるだろう妻と会う為に、私は初めて神に祈る事にしたのだった。

 そうして便りを送るつもりで毎日「どうかアイツの事を今日も宜しくお願いします」と人知れず、話しかけるように祈っていたら、いつの間にか祈る事が習慣になっていた。

 宗教など知らない。礼式も教義もない。知識も権威もない。祈る場所など適当で。仕草も適当で。釣りの合間などに、いつも思い出したかのようにそうしていただけだ。それでも毎日のように妻の為に祈っていたら、私には信仰が出来上がってしまっていた。言わば妻の為に築かれた出来損ないの信仰だったのだが、––––––––


 ––––––––その神に。 

 ––––––––天国で今も妻の話相手になってくれているだろう、その幸いなる神に。 


 私は願い。

 残してゆく娘夫婦のために祝福を祈ろうと言うのだ。



          ⚪︎



 この世界での私は、役割を終えた人間だ。

 もうすでに持っていた力のすべては、家族の為に与え尽くしてしまっている。

 だから口惜しくとも、お前たちの為にこれ以上のことは何もしてやれない。手助けしたくとも、どうする事もできない。 

 起きあがろうしても体のどこにも力は入らず、指の一本でさえも何一つ動かせないのだから。



「母ちゃん、ジジイ。元気ねーな」



 それでもまだ願う事はできる。

 何もできなくとも、せめて願い、託すことはできる。

 この世界に残してゆくお前たちが、


 –––仲良く暮らして

 –––それでいて健康で

 –––いつまでも幸せであるように


 その凡庸な願いを、私自身がもう手助けすることは叶わなくとも、慈しみ深いという神に乞い。願いを託すのだ。



「おい、ジジイ。どうした?」



 私は、お前たちに出し惜しみなくすべてを与えた。

 もう出涸らしも出ない。すっかり枯れ果ててしまったよ。

 本当にもう何もないんだ。

 そうして最後の最後にできることは祈ることだけになった。



「ジジイ、死ぬんか?」



 だから私は祈るよ。

 お前たちの為に。

 この祈りがお前たちを守るように。

 

 父として家族にすべてを捧げ

 愛するお前たちに

 最後に祝福を残そう。




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