雪山脱出3

 本番――そう言われるだけのことはあった。

 まず出迎えたのは森というには隙間の多い寒気のする大地。そのうえ雪も柔らかく深い。足首まで埋まり動きづらい。


「――ちっ、出て来ているだと――!」


 いら立ったように目じりに力をいれる絵師イストバン

 表情の変わることが少ないだけに、それだけで周囲に緊張が走った。


「――来るぞ」

「来るって?」

「何――うわっ」


 絵師イストバンの言葉に合わせるように木の枝が風に揺れ動き葉が舞った――ように見えた。それは葉ではなく、落ちることなく羽を広げた大きな蝙蝠。

 騎士ラスロの身体ほどある大きな大蝙蝠ジャイアントバットが数10は枝にぶら下がっていたのだ。

 それらが一斉に羽ばたき襲ってくる。


「なんだよ。気持ちわりぃな」

「ひぃぃっ、たすたすたすけ」

「イライザ様を中心にまとまれ! ラスロを前に、私とタマシュで横を固める」

「はいはいっと――イストバン援護は頼んだ」


 慣れたようにフォーメーションを展開。

 戦闘を開始すると、絵師イストバンの矢が敵を的確に減らす。けれども、そもそも数が多い、多すぎる。しかも飛んでいるとあっては剣では中々に敵を減らせない。

 騎士ラスロも苦手とするタイプなのか既に傷を負ってる。

 貴公子フェレンツは相変わらず「女性陣はわ、私が守りますよ」と何もしていない。隣で短剣を握りしめている従僕アンナのほうが頼もしいくらいだ。


「節約と言ってられないわね――」


 だから魔法の使いどころ――と思っていたが。

 絵師イストバンによって制されるた。


「――まだだ」


 『何故』という言葉は飲み込んだ。

 敵が減っているというのもあった。それに絵師イストバンの顔の焦り、目の色を変えた相手はこの大蝙蝠ジャイアントバットではないと直感したからだ。


 ほどなく戦闘が終わった。

 大蝙蝠ジャイアントバットは段々と勢いを失っていき、剣でも対処しやすくなったのだ。


「大きな体で浮くのは負担だったってことなかな」

「なるほど。器用に飛ぶと思ってましたけど。一生懸命だったんですね」

「なぁこれ食えっかな?」

「南国では食べるらしいが。これだけのサイズだと味も大味になりそうだな。やってみるだけやってみるか?」


 そんなやりとりを一切無視して矢の回収をしていた絵師イストバンは一言。


「――雪だ」


 次に襲ってきたのは天候だった。


「なんだか暗くなってきました――って雪ですよ。雪!」

「何喜んでるんだよフェレンツ。こんな場所で雪だなんて珍しくも」

「うえ、すげぇ降って来たぞ。さっきまでちょっと雲あっただけだったろうが」

「――山の天気は変わりやすい」


 という絵師イストバンの言葉に応えるように風が吹き――やがて吹雪いた。

 横殴りの雪、視界は白く塞がれ、行軍速度も亀のよう。


「――感知を」


 なるほどと得心が行った。

 確かに視界の悪い中で襲われてはひとたまりもないだろう。多少貴公子プリンスたちが怪我をしたとしても魔力を温存したかった。

 それに、この雪と風で大蝙蝠ジャイアントバットは飛べはしないだろうから――他のがいる。

 そしてその予想は当たった。地を這う反応が幾つか範囲内に入って来た。


「敵が――1、2、3。不味いわね。安全な場所は?」

「――あっちに橋がある。それを渡れば振り切れるはずだ」

「ええ、分かったわ。なら――」


 魔力の薄い膜を球状にする。

 掌の上に作った小さい球に更に魔力を注いで大きく育てる。やがて私たちを包んで更に向こうまでひろげていく。

 貴公子たちに魔法の才はなく。また魔力自体は目には映らないため。彼らには多分何かが”一瞬触った”程度の認識しかないだろう。

 けれども魔物は違う。

 名の通り大なり小なり魔力を持ち、魔法の素養がある。つまり球の中心には魔力のある”獲物”がいると知らせるようなもの。

 それでもそれをしたのは、這って来る魔物が既にこちらを捉えているから。大蝙蝠ジャイアントバットのせいか、感知範囲がこちらより上なのか。はたまた匂いか。


「こっちよ――急ぎましょう」


 魔力の膜は目に等しい――よって触れた場所は見たかのように分かる。

 ここはでこぼこした起伏のある地形。あまり魔物はおらず、にじりよる個体くらいで後は小型か飛ぶタイプくらい。恐らく脅威にはならない。

 ならば速度で上回るはず――だった。


「あっちにいるわ。いえ、こっちも。不味い――このままじゃ囲まれる」


 続々と感知範囲の外からやってくる気配。

 まるで連携して追い込んでいるかのように動くとそっちの方から現れてくる。

 敵の形は地を這う魔物。歩く姿はのっそとしておりけして早くない。しかし的確にこちらを追い込む様は――狩りのようだった。


「――迎え討つか?」

「いえ、こっちよ」

「まったく、どこまで――おい!」

「どこいった? 埋まったのか?」

「下よ! 飛び降りなさい」


 そこは崖のように切り立った場所。とはいえ、高さは身体3つ分ほど。雪も増えた今怪我をするほどではない。

 だけど、私にも焦りはあった。

 この高さを馬は降りられない。馬が居なければ当然、荷物だ。

 いつ追いつかれるか。こんな吹雪の中、じわじわと迫り来る敵の気配に締め付けるような圧迫感にそんなことも考えることも出きないでいた。


 だから最初の犠牲者が出た。


「下? 馬はどうすん――くそ、しゃあねぇ! 行くぞ!」

「いやぁぁぁっ高いところ怖いっ!」


 毛皮を纏った騎士ラスロが飛び降りるのを契機に続々と降りてくる。


「いつつ――馬はどうするんだ?」

「――仕方ない」

「そうね。悠長にはしていられないわ。こっちに来ている」

「わあったよ。よし、皆居る――たりねぇぞ」

「来るわよ。急ぎましょう」

「んなわけねぇだろ。ええーと、居ねぇのは――」


 敵が来ている。というのに騎士ラスロは数え始める。

 けれども、無視はしづらい。

 仲間を守る意識の強い彼のことだ。これを無視して進めば以前のようにと、思うと足を止めてしまった。


「はいはいはい、なななななななな! 居ますよ。居ます居ますっ。ひぃぃぃぃっ!助けっ助っ助けてっ!!」


 崖の上から声がして、転げて落ちてきたのは貴公子フェレンツ――とそれを追う白い影。


「――遅かったか」


 絵師イストバンの言葉通り追いつかれた。

 貴公子フェレンツの後を追うように白い丸い塊になって崖を転げ落ちてきた――それは敵。

 子供たちが雪を丸めて転がし作るあれのように丸く真っ白。雪上に落ちてきたそれが身を震わせ、雪を払うと姿を現した。

 まず最初は尻尾。ついで後ろと前の足。丸みのある頭から三角に尖った顎が伸び、それらが開くと大きな牙がびっしりと並ぶ。白いと思っていた体表、氷のように透明な鱗を纏う神秘的な輝きをして。尻尾から頭まで広げると騎士よりも大きい魔物。


「あれは――?」

「なんだかトロそうじゃねぇか? こんなんから逃げ回ってたのか?」

「――舐めるな。こいつはアイスリザード――ここの支配者だ」


 絵師イストバンによるとこの魔物は暖かい季節は洞穴の奥底で眠るという。寒くなると洞穴の外に出て活動をする。特に気温が低くなれば活発に動く、名の通りの冷気の魔物。


――不味い。と思った。

 よりによって冷気の魔物。実に相性が悪い。


 同じ冷気が得意と行っても人間と魔物では決定的に違うものがある。

 それは耐久性だ。

 仮に魔力では私が上だとしても、仮に私の方が強い冷気の魔法で攻撃したとしても地を舐めるのは私だけ。

 人は幾ら得意な属性の魔法でも多少は強い程度の耐性しか持ちえない。

 私ですらそうだ。この寒さの中コートなしでも平気で活動できる私でも冷気の魔法となれば無事ではすまない。

 なのに魔物はまったく違う、異次元の耐久性を持つ。

 私が即死しかねな冷気の魔法を受けたとしても無傷。”冷気に強い”という耐性を持つならばほぼ無傷で済む。


「へぇ氷の魔物でも口は赤いんですねぇ」

「口――ああ――ああぁ?! 手前ぇそれは、その口のは!」


 口周りは紅を塗ったように赤い。

 大きく、まるで笑ったように開いた口。奥の牙に引っかかったそれを見せる。

 いや見せつけているのだろうか。

 その折れて曲がった革。濃く茶色い色のなめした革の――ブーツ。


 それは今、ここに居ない料理人タマシュの物だった。


「おいフェレンツ! タマシュはどうしたぁ?!」

「いや、あの、私の――後に――いつまでも下りない私を先にって――!!」

「手前ぇこの野郎! ――タマシュを食ったのか! 食いやがったのかぁぁっ!」


 吠えた騎士ラスロが飛び掛かる。剣を抜き放ち、大上段に構えながらの一撃。

 渾身の力を込めた剣は――空ぶった。


 振り被った騎士の脇腹を絵師イストバンが蹴って、身体を横にずらしたのだ。


「ってぇなにすん――」

「――頭を下げろ」


 そう吠えた騎士ラスロの脇、先刻まで居た場所に煌めきが走る。


「ブレス!? ドラゴンかってんだよっ!」


 アイスリザードの鼻から放たれた凍気の吐息。

 どこか得意げな顔をした顔『お前らは食われる側だ』と言わんばかりの表情に拳に力が入る。

 それは騎士ラスロも一緒だったようだ。


「糞がぁっ! 舐めやがってっ!」

「――全員でやるぞ」

楽師マールク、私のことはいい――行きなさい! 早くしないと他のも来る」

「はっ!」


 騎士ラスロとともにアイスリザードに掛かる。

 硬そうな身体に初めから切断は期待していないようだ。大きく振り被り叩きつけるようにして剣をぶつけた。


「っぇっってぇ!」


 叩き響く音も良くない。鈍く反響する音はまるで金属のよう。剣の方が先に駄目になりかねない。

 ブレスも連発出来るようで、そもそも叩きに行けることもなくなってきている。

 当然弓矢でも簡単に貫くとは行かないだろうことは明白。


 休むが如く答えの出ない考えをしているから更に犠牲者が出る。


「うわぁぁぁぁぁっ」

「フェレンツ!」

「新手? 馬鹿なまだ遠い――」


 まだ姿も見えていない。けれども貴公子フェレンツの周りには細氷ダイヤモンドダストのような煌めきがあった。先刻見たアイスリザードのブレスのそれが。


「寒い寒い寒い寒――いや熱い暑い暑い熱ーーーいっ!」

「フェレンツ様。待ってください。服を脱いでどこへ――」


 貴公子フェレンツは制止も効かず。寒いと熱いを繰り返しながら服を脱いで吹雪の向こうへと消えていった。


「待ってください!」

「アンナ。もう無理だ」

「でも――」

「無理だ」

「――でも」

「もう無理なんだ。助けようとしても死にに行くだけだ。優先順位を間違えちゃ駄目だよ。生きることを考えよう。イライザ――あれに君の魔法は効くかい?」

「恐らく――ほとんど効果はないわ。氷をぶつけるとかなら普通の打撃として効果はありそうなものだけれど」

「そうか――なら」


 『やり直す』という言葉が浮かぶ――けれどもすぐ消えた。

 何故なら上手くいくあてがない。

アイスリザードの数が多い。

 この場所の広さに対して、数が多すぎる。回避して橋に行くのは仮にやり直しても無理と言える。

 しかも、もう他に選択肢がない。

 街道も森林も湖沼も無理だった。

 雪山だって真っ直ぐ行く道は鳥のせいで行けず。

 もうここしかないのだ。

 何か突破口を見つけなければ――

 何か材料を見つけ出せなければ――

 だからどれだけの犠牲を払おうとも一言しか出せなかった。


「逃げましょう」


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