第6話 私は男に飼われている


 私は男に飼われている。


 そんなことを口にすれば気持ち悪い、人権侵害、犯罪行為、女性蔑視だとか言われるのだろうけど、実際そう言って差し支えない状況だとしたら・・・・・・どうする?


 私にとって『にぃに』って何だろう。

 まず恋人じゃない。かと言って友達以上の距離感に感じる。

 家族・・・・・・うん。それがしっくりくるかな。


「家族・・・・・・」


 私にとって、北條家こそが家族だ。

 ママ? あんな女なんか早く死んで欲しい。その方が落ち着く。


 私の中に残るママとの思い出は、理不尽な暴力と躾という名の虐待。

 あと寝ている私の横で、毎回違う男と猿のように求め合っている姿。

 酒カスで、パチカスで、ビッチなクズ。


 もう全く会っていないけど喉に引っかかる小骨のように、ヤツの存在が鬱陶しい。ヤツもそう思っているはず。


「はぁ・・・・・・」


 電車を降りる。大遅刻だ。

 こんな厄介でしかない女が、さらに遅刻だなんて教室で何を言われているか。

 サボりたい。でもサボりすぎてもう単位が危うい。


 高い学費を北條家に出して貰っている以上、留年や中退は流石に不義理だ。

 北條家にまで嫌われたくない。

 にぃにには我が儘言えるけど、その親にまでは自我を通せない。

 もう二度と誰にも捨てられないように、良い子でいなくちゃ。

 

 取りあえず現実逃避で、面白い動画見つけて、にぃににも送りつけてやろう。


 「ふふ」


 自然と笑みがこぼれる。可笑しいんじゃない。

 嘲笑しているんだ。

 こんな取り柄も無いクズみたいな女に。


 なんでにぃには優しくしてくれるんだろう。

 それはにぃにが優しいからに他ならないけど。

 普通ならとっくに見捨てられていてもおかしくない。聖人にも程があるでしょ。


 私は私が嫌いだ。


 本当に殺したいくらい嫌いだ。


 人に寄生してしか生きられず、しかも何も生み出さない、蚕以下の動物。


 でもにぃにが甘やかすからつけ上がって、死ぬのを躊躇って、その泥沼にズブズブと浸かっているのだ。


 本当はテレビやネットで虐待だとか、家出少女だとか、パパ活女子だとか、トー横の話とか・・・・・・

 そんなのを眺めては「あぁ私はコイツらよりマシか」と優越感に浸るどうしようもない女なんだ。


 彼女らとの違いは『にぃに』という、地蔵菩薩にも等しい人間と奇跡の出会いをしただけなのに。


 これが無ければとっくに私は闇落ちして、狂って、自暴自棄になって死んでいたかも知れない。つーかヤツのせいで『あの日』に死んでいたかもね。たぶん、そうだわ。


「寒っ・・・・・・」


 風が冷たい。

 にぃにに早くギュッてして欲しい。

 その温もりが私を安心させる。

 私という存在を確かめさせてくれる。

 

 私は空虚だ。

 無だ。

 自分で自分の存在意義を見いだせず、他人に求められて初めて朝倉陽菜を形成できる。

 右も左も、前も後ろも、上も下も全てが定まらない。

 もう何も分からない。全部誰かが決めて欲しい。


 私は自分自身の人生に責任を負いたくないのだ。


 だからいつもにぃにを求める。リードを引っ張って貰う。それが一番楽で居心地が良い。

 まるでペットみたいじゃないか。


 だから私は飼われている。そう表現する。

 

 でも何時までそうしてくれるんだろう。

 あの女とは今、どうなってるんだろう。


 もし、にぃにがあの女と恋人関係になったら、私は何処に行けば良いのだろう?

 行く所なんて無いんだけど、それわかってる?

 ねぇ今更、捨てないよね?

 一人にしないよね?

 私をこんな寄生虫人間にした責任取ってくれるよね?

 最後まで飼ってくれるよね?


 どうすればつなぎ止められるんだろう。

 どうすれば離れないで居てくれるんだろう。


 また私が酷い目に遭えば、心配してくれるかな。

 それともいっそ男女の関係に切り替えて、更に深く深く繋がるべきか。

 でもあのにぃにとセックスするの? 出来ないことは・・・・・・無いと思うけど、何か怖い。

 今更、そんなこと切り出せるわけも無い。正直、そんな光景は想像も出来ないし、気持ち悪い。

 それは最後の砦で有り、最終手段だ。

 そのボーダーを越えたらもう、私達は普通の家族じゃ居られない。


 深い関係は、壊れたときにエグいくらい深い傷がつく。


「あっ」


 雪だ。積もらないだろうけど、鬱陶しい。


「ねぇ・・・・・・」

 

 寄生虫は宿主が居ないと生きていけないんだよ。

 だったら死ぬけど良い? 

 当てつけに二人の前で死んでやるけど良い?

 私はそのくらい平気でやるよ? クズだから。

 そんなの嫌でしょ?

 だったら私をもう捨てないで。

 嫌いにならないで。

 ずっと側に居て。

 お願い。もう一人はヤダ。

 ヤダヤダヤダヤダヤダ・・・・・・。

 

「――っ!」

 

 あーヤバい。鬱ってきた。これは良くない。また勝手に落ちて泣くパターンだこれ。何か気を紛らわせること考えないと。何か無いかな。何か何か何か何か――。


 

「ねぇ朝倉」


 昼休みの雑多な教室。

 いつものようにイヤホンで世界を遮断しながら弁当を広げようとして、今日はないことを思い出す。

 購買に行くのも億劫だし、食欲無いしで今日はもういいや。なんて考えていると声を掛けられた。


「――っ!」


 腫れ物扱いされている私が、クラスメイトに話しかけられるなんて何日ぶりだろう。

 言葉を発せず、オドオドしながら相手方を向く。かなり挙動不審だ。


「朝倉。ちょっと良い?」


 その子は赤いストレートでロングの、真ん中分けした髪型。アクセサリーもジャラジャラで、元気はつらつとしている。

 運動神経も良い私の対極のような少女。


 名前は柏原愛かいばらあい。忌々しくもあのビッチの妹・・・・・・だったのか。

 クラスの最上位カーストに属するおっかないギャルだ。こいつもビッチだ。たぶん。


「――っ! ――っ!」


 どうして私なんかに話しかけるの? 私、何かした? 

 気に障るようなことしたのかな。もしかして虐められる?

 恐怖で目も見られず、ぎこちなく「ど、どうしました?」と返す。


「いや、進路希望調査表を出せって先生が。たく、自分で伝えろし」

「ご、ごめん・・・・・・なさい。今日中に出します・・・・・・」

「ん」

 

 柏原さんは短く返事をすると、目の前にある席へと座った。

 え? どうして? アンタの席、そこじゃなくない? 

 理解不能すぎてヤバい。


 そんな私を嘲るように、四角いパックに入ったバナナミルクをストローで美味しそうに啜る。バナナ大好きとかゴリラかよ。

 

 そして偉そうに椅子へもたれ掛かりながら、ジッと目を見つめてくる。

 マツゲ長っ! カラコン怖っ! その眼力に吸い込まれそうだ。

 ぷるんとした可愛らしいリップからストローを離すと、再び絡んでくる。


「まぁ進路希望のことなんてついでもついで。ねぇ朝倉さぁ。聞いてもいい?」


 こんなギャルが私なんかに何の用だろう。ごめんだけどお金はそんなに持ってないよ?


「な、なんですか?」

「なんてーか。その・・・・・・朝倉ってヤバいことしてない?」

 

 ヤバいこと? ヤバいことって何だろ。やっぱり知らない間に何かしたのかな。

 それとも柏原妹が聞いてくるってことは、にぃに関係かな。


「や、ヤバいこと・・・・・・ですか?」

「そー。ヤバいこと」

「に・・・・・・ほ、北條春日のことでしょうか」

「誰それ? 彼氏?」


 どうやら違うっぽい。

 ならばと逡巡する。駄目だ。

 家と学校くらいしか行動範囲のない、寡黙な引きこもりには思いつかない。


「た、単位がヤバすぎて、あと一つでも落としたら留年になる・・・・・・ことでしょうか?」

「そいつはシャバいな。もっと本気で頑張れよ!」


 不真面目そうなギャルに驚愕の表情で言われてしまった。これも違うらしい。


「違うくて。もっとこう・・・・・・危ないこと」

「え、えぇ? な、何でしょうか・・・・・・」

 

 縮こまって問う私を横目に、柏原さんはパック飲料を机において頬杖をつく。顔の距離が近い。心臓が痛い。恐い。


「アタシさ、パパが国分町ブンチョーで料理人やってるのね」

「は、はぁ・・・・・・」

「そこでいろんな話を客とするんだけど、この前、聞かれたらしいのよ」

「何を――」

「朝倉陽菜を知らないかって――」

 

 は?

 なぜ?

 なんで私なんかの名前が?


「パパの所はカウンタースタイルの小さな店なんだけど、その日は同伴連れたホステスが来たらしいのね。そこで会話が盛り上がったときに、娘が高二だって言ったら聞かれたそうなの」


 朝倉陽菜という名前に心当たりがありますか――と。

 何で。どうして? 気味が悪い。キモいじゃなくて気持ち悪い。


「ブンチョーで回っているらしいよ。アンタの名前。朝倉陽菜をガチで探している人が居るみたい。ねぇブンチョーで何かしたの? ヤバいことしてない? 例えば・・・・・・闇バイトとかウリとか」

「し、知らないよ! 国分町なんておっかない所、近づいたことすらないよ! ・・・・・・です」


 驚きのあまり、声が上ずってしまった。


「そ。まぁアンタのキャラ的にそうか」


 決めつけんなよ。その通りだけどさ。


「それでパパに昨日、朝倉陽菜って知ってるか? って聞かれたから、答えたのよ。あぁそんな名前の陰キャがクラスに居たなって」


 本人を目の前に、堂々と貶すんじゃないよ。


「そしたら、その人に連絡先を教えて良いかって聞かれたから、あー明日、本人に聞いてみるわって流れなわけ」

「そ、そんな・・・・・・いくら何でも知らない人にそれは・・・・・・・」


 同姓同名の他人かも知れないし。

 そうであってくれ。


「まぁ、そうだろね。でも一応、相手の名前は聞いたみたい。えっと確か――」


 柏原愛は顎に指を添えて考える。


「る・・・・・る・・・・・・留美るみ! そうだ確か留美だ!」


 瞬間、心臓が跳ね上がる。

 留美。

 源氏名でなければその名は――


「マ・・・・・・ママ?」

「ママ?」


 動揺のあまり無言で頷く。

 十年会っていない、あの女が今更何故。

 でも私を探している留美なんて、それ以外思いつかない。


「なんでアンタのママが、アンタをブンチョーで探してんのよ」

「い、いろいろあって・・・・・・。今、一緒に住んでなくて・・・・・・」

「訳ありなのね。で、どうする?」

「え?」

「連絡先。教えて良いの?」


 ヤダよ。絶対にヤダ!

 もう永遠に関わりたくない。なんで近寄ってくんの?

 断るに決まってんじゃん!


「――っ!」


 嫌な汗が噴き出し、手足が震える。

 顔面蒼白で目がくらむ。


「あー・・・・・・その反応で察したわ。オーケイ。断っとく」


 柏原愛が気安く、私の肩をポンポンと叩く。

 良かった。これでいいんだ。

 私の人生をこれ以上、狂わせないで欲しい。

 安堵のため息を吐きかけた時、腹の底から沸き上がってきたのは空気ではなく ――恐怖。


 瞬間、時が止る。


 これで本当に良いのだろうか。


 少なくともこの柏原父には私の存在が知られてしまったわけで、変なことをママに吹き込まないだろうか。

 その上で、あの女に私が断ったとバレたら――


「うっ!」


 思わず口元を押さえる。

 吐きそうになるのを必死に堪える。

 幼い頃に散々浴びた拳がフラッシュバックして、目がチカチカする。

 息が荒い。昔蹴られた腹が痛い。ヤバい。

 学校で過呼吸出すのは不味い。更に奇怪な目で見られるようになってしまう。

 そんなの絶対に嫌だ!


 落ちつけ。

 落ちつけ!


「朝倉っ!」

「うっ!」


 柏原愛の一喝で、我に返る。

 痛すぎる心臓の鼓動を押さえながら、浅い呼吸を繰り返す。


「ヤバくねアンタ。保健室行くべ」


 そうやって私の手を引き、立たせようとする。


「い、いや・・・・・・ごめんなさい・・・・・・・だ、大丈夫です・・・・・・」

「いや大丈ばない。連れてくから」


 私の脇に肩を通して無理矢理立たせると、保健室に向け進み出す。

 ほぼ初絡みなのに男らしくて強引な人だ。私も覚束ない足で必死に歩く。 

 その道すがら、ギャルが似合わない優しい声で励ましてくれる。


「アンタの連絡先は誰にも言わないから。心配すんな」


 何度も何度もグルグル考える。

 いや、駄目だ。


 怖い。


 恐怖が勝って、拒否できない。

 あの女からの報復が恐ろしくて仕方が無い。


 私が拒絶したと知ったら、あの女からどんな酷いことをされるのか想像もつかない。


「か、柏原さん!」


 震える声で伝える。

 最悪な選択肢を。

 BADエンド直行ルートを。


「そ、その人に伝えて下さい。連絡先・・・・・・」

「はぁ?」 


 柏原愛は不服そうに睨付けた。


「何でよ。アンタ、そんなになってるじゃん。教えんほうが良いでしょ絶対!」

「ち、違うんです。教えて・・・・・・欲しいんです。お願い・・・・・・します」

「だから何でよ!」

「そ、そうでないと困るんです・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」


 柏原愛は理解不能といった表情で、顔を覗き込む。


「なに? なんか脅迫でもされてる?」


 ほぼ正解だけど。


「ち、違います」

「やっぱ教えない方が良いでしょ?」

「そ、それは駄目・・・・・・。お願いします。お願いします!」

 

 気持ちとは真逆の言葉が出てきて止らない。

 恐怖というのは、感情の頂点にあるのだと悟った。

 柏原愛は大きくため息をつき、スマホを開く。


「・・・・・・クラスのグループから拾っていい?」

「は、はい・・・・・・」

「後から恨まないでよ」

「も、勿論です。ありがとうございます・・・・・・」


 地獄の門が開くことに安堵している私。調教されすぎていてヤバい。

 この先、私はどうなってしまうのか。

 震える手を強く握りながら、保健室へと向かった。 

 

◆◆◆


 金曜日。

 いよいよ来週からは東京研修だ。三日も家を留守にするなんて心配だよう。


「陽菜。朝だぞ起きろ」

「・・・・・・うん」


 いつもと違い寝起きが良い。いや、さては寝ていない?

 ゆっくりと起き上がった少女は、元気なく息を吐いた。


「どうした陽菜」


 様子がおかしかったのは昨日から。

 駅へ迎えに行くと、この子は体調悪そうに死んだ目をしていた。


「何かあったの?」

 

 と聞いても


「・・・・・・別に」


 としか返さない。

 そしてやたらと気にしているスマホ。

 明らかにおかしい。

 やはり昨日、柏原さんとの一件が、気分を損ねたのだろうか。


「困ったことがあるなら、何でも相談しろよ。話すだけで楽になることもあるだろうしさ」

「・・・・・・大丈夫だよ。うるさいなぁ」


 大丈夫には見えないから言っているんだが。

 まぁここまで頑なに隠すなら仕方無い。様子を見よう。

 扉を開ければ再び雪がぱらついている。

 流石の陽菜もダウンを羽織り、マフラーを巻いて、分厚いストッキングを穿いている。


「積もるかな」

「・・・・・・・・・・・・」


 目を合わせようとせず、何か言いたそうなのに何も言ってくれない。


 どうしろと。


 少女漫画に出てきそうなイケメンなら、気持ちを察してあげられるのだろうか。

 格好良く壁にドーンとして、顎もクイッとして、強引に引き出せるのだろうか。

 いやいや、口べたで奥手な陰キャ男には難しい。


「学校休むか?」


 陽菜は一瞬、縋るような目で僕を見たけど、すぐに伏せてフルフルと首を振った。

 もうわからん。好きにさせよう。


 助けてあげたいのに。力になりたいのに。

 言ってくれなきゃわかんねーもん。

 


「おはよう」

 

学校に到着。席に着くと矢上が満面の笑みをしていた。


「よう春日。元気してっかー?」


 ウゼぇ。僕は陽菜が心配で疲れているのに。


「なんだよ。そんなに楽しそうにどうした?」

「聞きたいか? 聞きたいよな。そうかそうか」


 いや、全然。


「俺さ。ついに彼女出来たんだよ!」

「そうか。おめでとう」

「もっと驚けよ!」

「うわぁあああ! 吃驚した! 天変地異だ! 地球はお終いだぁあああ! ・・・・・・これでいいか?」

「わざとらしいんだよ! ノリ悪いーな!」


 矢上は不服そうに舌打ちをする。悪いな。今は陽菜のことで頭がいっぱいで興味が無いんだ。

 まぁでも一応友達だし、付き合いとして聞いてやるか。


「相手は?」

「凪ちゃんの友達。由里ちゃん! 覚えてるか?」


 あぁ。あの酒癖の悪い子か。


「あの後、二次会で意気投合してさ。付き合うことになったんだよ! 最高だぜ」


 矢上は嬉しそうにスマホの壁紙を見せつけてきた。二人並んでデコられてる写真だった。

 少しだけ羨ましい。


「オマエは凪ちゃんとどうだったんだよ。ホテル行ったんだろ?」

「行っただけだよ。何もしてない。置いて帰った」

「・・・・・・鬼畜か?」

「色々あるんだよ。こっちも!」


 主に陽菜とか陽菜とか陽菜とか。あとマーライオン。


「んで、その由里ちゃんとはうまく行きそうなの?」

「今のところな。昨日も一緒に飲んで、そのまま・・・・・・おーっと、童貞には刺激が強いかな? メンゴ、メンゴ」

 

 ウゼぇ。第二回目。

 興味の無い惚気を延々と語られ、ウンザリな僕は視線をスマホに戻そうとした。

 その時だった。


「あ、そう言えばさ」


 矢上がポンと手を叩く。


「昨日も国分町で飲んだんだけど、少し気になることがあってな」

「気になること?」


 矢上は急に真剣な目をして、話す。


「そこは大衆居酒屋みたいな所でさ。客同士テーブルが近くて、隣の席の会話とか聞こえる訳よ」

 

 初デートで大衆酒場かよ。まぁどうでもいいけど。


「あぁ、それで?」

「そこで高校生くらいのアルバイトに、強面のおじさんが話しかけててさ。人を探してるだのなんだのって」

「それがどうしたんだよ」


 矢上は更に神妙な面持ちで続けた。 


「いやな、酔っていたし周りも五月蠅いからよく聞こえなかったんだけどな。どうも『朝倉陽菜』って言ってた気がしたんだよな」

「はぁ? んなわけねーだろ。陽菜とそんなおっさんに何の接点があるんだよ」

「だといいけどな。なんか仲間を使うだの、探偵を雇うだの物騒だったからな」

「なんだそりゃ。勘違いだろ。陽菜だったら何か困れば、すぐ聞いてくるはずだし」


 そもそもそんな強面おじさんと、接点が出来ることが想像つかない。


「だよな。聞き間違いかな」


 あの子に限ってそんなわけ無いと思うが、もしや元気がないのと何か関係が? 帰ったら聞いてみるか。


「おはよう」


 柏原さんが御来校。

 さっそく矢上が恋人報告を嬉々として行っている。

 僕はちょっと柏原さんに気まずい思いがあったので、こうして場を繋いでくれるのはありがたい。


「そ、そうなんだ。お幸せに」


 それに対して柏原さんは、少し歯切れの悪い返答をしていた。


「いやぁ! 俺もう幸せで溜まんねぇわ! あぁオマエ! ちょっと聞いてくれよ!」


 そうして矢上は他の友達にも自慢し始める。

 まぁ友人が楽しそうにしているのを見るのは、悪いもんでもない。


「矢上君、大丈夫かな」


 しかし柏原さんは何か気になることがある様子。


「どうかしたの?」

「由里の彼氏、矢上君で四人目なんだ」


 四人目? 二十歳の相場がわからないが、柏原さんも僕で三人目って言っていたし、そんなものなのでは?


「四人目の何が問題なの?」

「ううん。これまでの交際人数の話じゃなくて」


 そして柏原さんは伏し目がちに


「現在進行形で付き合っている男の数が四人目なの・・・・・・」


 ガッデーム!

 

◆◆◆


 雪の降る朝だった。

 仙台の町で、積もることは少ない。

 ただホロホロと舞い落ちるそれは、心をどんどん沈めていく。

 この僅か数ミリグラムの結晶が、重い。


「・・・・・・・・・・・・」


 滅多に鳴らないスマホを見つめる。

 昨日、ママからの連絡は来なかった。

 だけど時間の問題だろう。私の判断は間違いだってわかっているのに、止められなかった。


 きっと知ったらにぃには怒る。怒らなくても悩ませる。

 絶対に会っちゃいけないって諭すだろう。


 でも会わないと報復が怖い。詰められるのは嫌だ。

 無理矢理会おうとすれば、にぃにが全力で止めてくる。それはそれは面倒な話になる。

 本当は縋り付いて、泣きついて、相談したかったのに。遂に言葉は出なかった。


「はぁ・・・・・・」


 白い息が空気に溶けていく。

 校門まで数メートル。

 濡れたアスファルトを踏みしめて歩く。

 ふと顔を上げると、傍らに立つ黒くて派手なコートが見えた。

 

 心臓が跳ねる。

 

 ファー付きのフードを深く被り、サングラスとマスクをしている。

 だから顔はわからない。

 でも予感が凄い。

 引き返そうか。だけど高校生の流れに逆らって進むのは怪しい。

 それに今更、逃げたところで――。

 

 スクールバックを強く強く握りしめ、出来るだけ視線を向けないように進む。

 間違いであってくれ。

 人違いであってくれ。

 相手との距離が目と鼻の先まで近づいたとき、やはり声を掛けられた。


「陽菜?」


 どうして。


 会わなくなって十年も経つのに。

 どうしてわかるんだろう。

 それが親子の絆ってヤツだろうか。

 忌々しい。。


「――っ!」

「やっぱり陽菜だ」


 女はマスクとサングラスを外す。ど派手な口紅と、目元の厚化粧が気色悪い。

 あぁ忘れもしない。

 忘れたくても、頭からこびりついて剥がれない。

 そんな顔だった。


「久しぶり。ママよ」

「――っあ」


 言葉が出ない。

 第一声が思いつかない。

 悪寒が酷い。手足が震える。目眩がする。

 泣きそう。


「ふふ。吃驚した?」


 うん。死にたくなるほどに。


「驚かそうと思って待ってたの。これ、陽菜が好きだったドーナツ。今も好きかな?」


 どうして。

 どうしてそんなに笑えるの?


「えっと・・・・・・その・・・・・・」

「あれ、ゴメンなさい。人違いかしら?」

「いえ・・・・・・確かに、あ、朝倉陽菜・・・・・・です」

「やっぱり。雰囲気ですぐにわかったぞ。幼い頃からそのまま」


 怖い。この笑顔が怖い。

 お酒飲んでないよね? 

 素面シラフの時はまだ優しいときもあるし、機嫌が良いときはこうしてドーナツを買ってくれる事もあったし、手加減してくれるから安心する。


「ど、どうして・・・・・・」

「久しぶりに会いたくなって。ねぇこれから出かけない? サボってさ」

「そ、それは・・・・・・」

「駄目かな?」


 そして捕まれる肩。ゾクゾクと背中を指でなぞられるような気持ち悪さがこみ上げてくる。


「が、学校・・・・・・行かないと」

「一日くらい大丈夫よ。ママなんて高校すら出てないんだから」


 逃がさまいとする強い意志を感じる。

 駄目だ。逆らえない。

 助けてにぃに。助けて!

 このままじゃ――。

 

「うっす朝倉。誰その人?」

「え?」

 

 いきなり別方向から呼ばれる。

 恐る恐る振り向けば、そこに居たのは柏原愛。

 相変わらず派手な格好だ。ピンクのパーカーにブレザーをアウターにしている。寒くないのそれ?


「か、柏原さん」


 助けて。目で訴える。


「あら、お友達?」

「え・・・・・・そ、それは・・・・・・」

「ういっす!」


 柏原愛は親指と小指を立てて、ウインクしながら振る。

 いつの間に友達に? 陽キャの距離感、わかんねぇ。


「朝倉。もう予鈴鳴んぞ。早く行くべ」

「で、でも・・・・・・」


 チラリとママの表情を伺う。

 外面の、優しそうな笑みを浮かべていた。


「き、今日は・・・・・・その・・・・・・こ、これから」


 柏原愛は口ごもる私の腕を掴み、強引に引く。


「はぁ? 今日、うちら二人で係だろー? 一人だけ逃げようなんて許さん!」

 

 係ってなに? そんなの初耳だけど。

 なるほど。そうか。この子は私を助けようと出任せを?

 天才過ぎてビビる。


「あら、そうなの。残念」


 ママは一歩引き、スマホを取り出す。


「だったらさ。連絡先を交換しようよ陽菜。次はゆっくり会おう」

「え・・・・・・? は、はい・・・・・・」

「ふふ、嬉しい」


 そう言って私のQRコードを奪う。


「ありがとう。また都合がついたら連絡してもいい?」

「んと・・・・・・だ、大丈夫・・・・・・です」


 嘘。全然大丈ばない。


「わかった。楽しみにしてるね」


 そう言ってママは路地に消えていった。

 とんでもない通り魔の登場に、まだ心臓が苦しい。

 でも立ち止まっていたって仕方無い。私達も学校へと歩を進める。


「アレ何? 例のママ?」


 少し距離が空いてから、柏原愛が問うてくる。


「そ、そうです・・・・・・」

「地味なオマエと違って派手なババアだなー」


 仮にも人の母親をババアなんて呼称するんじゃないよ。


「そ、その・・・・・・あ、ありがとう・・・・・・ございます」

「うぃ」


 そして先程みたく親指と小指を立てて振る。JKの流行か? マイブームか?


「か、柏原さんが? わ、私のことをママに教えてくれたの?」

「いや。教えてねぇよ」

「え?」


 てっきり、柏原愛が漏らしたもんだと。


「あんな真っ青な顔されて、誰が教えんだよ」

「あっ・・・・・・」


 見かけによらず優しい。陰キャに優しいギャルは実在したんだなぁ。


「言ったじゃん。国分町で回ってるって。どっかかしら漏れたんだろ」

「な、なんか。怖い・・・・・・」


 そんな私の頭を、気安くポンポン叩く。1


「ぶっちゃけママのこと、嫌いっしょ。勝手に割って入ったけど」

「い、いえ・・・・・・助かりました」


 本当に。


「そ。んじゃ結果良かったってことで」


 柏原愛は私が持っていたドーナツの箱を取り上げると、躊躇無く開けて一個奪う。


「これはお礼として受け取っとくわ」


 そう不敵な笑みを浮かべながら残りが入った箱を私に返すと、スタスタ歩いて行ってしまった。


 陰キャに優しいギャルは実在しなかった。

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