第30話 誕生

琴音の二学期の終わりの頃に、母親の由香が、元気な男の子の赤ちゃんを産んだ。

産院へ、耕造の運転する車で、琴音と久留美も駆け付けた。雨がしっとり降る金曜日の夕方の事だった。


耕造の運転する車の中で、

「赤ちゃんって、どういうのだろう?」

久留美は、楽しそうに声をあげる。琴音は、

「久留美も、元は、赤ちゃんだったわ。お姉ちゃんは、覚えているよ。」

琴音は、長女の覚悟ができていた。

耕造は、心ドキドキしながらも、慎重に車を運転している。


午前中に生まれたそうである。由香は、家族の事を思い、その日の早朝に陣痛が来ても、家族に連絡もせず、自分で、タクシーを呼び出し、そのまま産院へ行って、赤ちゃんを産んだのだった。丁度、耕造の会社の仕事が終わり、琴音と久留美が学校から帰ってきた時、産院から、家の電話が鳴ったのである。


家族の三人が、産院の由香の部屋に行くと、由香の隣にサルのようなしわくちゃの顔をした小さな赤ちゃんが、白衣に包まれて、すやすやと眠っていた。耕造は、由香へ寄り、琴音と久留美は、珍しそうに赤ちゃんを覗き込む。

「母さん、ホント、よくやった!」

耕造は、半ばうれし泣きだ。久留美が、顔を上げて、耕造に訊ねる。

「お父さん、この子の名前は、どうするの?」

ベットに横たわっている由香が言う。

「もう決めてあるのよね。」

琴音と久留美は、声をそろえて言う。

「えっ、なんていう名前なの?」

耕造は、バックから、何やら筆で文字の書いてある半紙を取り出す。

そして、琴音と久留美に、ジャーンと紙を広げた。

そこには、毛筆で力強く、

「悠斗」

そう書かれていた。琴音と久留美は、目を丸くして、

「沢松悠斗!」

と、声をそろえて言った。耕造は、言う。

「そうさ、逞しく、優しい響きだろう。そんな子に育って欲しいんだ。」

由香は、微笑んでいる。琴音は、目を細めて、

「悠人君、こんにちは!今日から、沢松家の家族でちゅ。」

と、人差し指で、悠斗のほっぺをつつく。

「わたしの弟だ!」

久留美も、悠斗のほっぺをつついた。

「ほら、二人共、その辺にしておきなさい。」

由香が、優しく言う。

「新しいメンバーも含めて、どうだ、家族写真を撮ろう。」

耕造が、バッグから、スマートフォンを取り出す。

由香は、ベットから半身を起こし、琴音と久留美は、それぞれ、ポーズを決めたところに、耕造は、シャッターをタップする。フラッシュが光る。

「どうだ、もう一枚。」

耕造は、嬉しそうだ。


窓の外では、日がとっぷりと暮れて、雨はやんでいた。十一月の終わりの季節の沢松家の一場面が、ここにあった。とても柔らかく、とてもやさしい光が、沢松家の家族を包んでいた。

微かな、未来への不安と覚悟に彩られて、しばらくは、この子を中心に、沢松家は、動いていくだろう。




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