第十話

「といっても、見当すら付かないな。端から見ていくか」


「それでいいんじゃないかな」


 軽く言葉を交わし、ゼストとシャルロットは辺りを見渡しながら散策を続けた。働きに出ているのか、見慣れない人間を警戒しているのか昼間にも関わらず人通りはない。


(店もない場所なら、見知らぬ人間は警戒のもとだものね)


 グルース村でも知らない人間には近付かないように教わっていたことをシャルロットは思い出していた。


「下手をしたら人を呼ばれそうだ」


「その時はトワイライトさんの名前を出そう」


「まあ責任を取れそうなのはあの人くらいなもんだな」


 誰の目があるかも定かではないためシャルロットは口調を戻すことなく会話を続けた。この用心を仮部屋の本棚にも適用できれば良かったが、シャルロットにとって物語は日常の一部だったので気にも留めていなかった。


「本、減らした方がいいか? 怪しまれただろ」


 平民が持つには異常な量の蔵書だ。前の住民の持ち物と誤魔化したがまじまじ見られれば近年刊行されたものも発見されるだろう。

 シャルロット達は秘密が多い。面白がって隠した性別、決して見つかってはいけない隠し部屋。その他にも様々なことを二人だけの秘密にしてきていた。


「今から減らしても、きっとそのことを指摘される。庶民ぶってるけれど実はお坊っちゃん……くらいは明かそう」


「それもそうだな……。だったらゼストがお目付け役か?」


「村にいた頃と変わらないな」


「おい。僕だってまとめ役だったろ」


「君個人に関してだよ。十になった頃からおじさんに任されてた」


「あの人は……」


 一人娘を溺愛している父親ではあるが婿候補にそのような頼み事をしていたとは思わず、シャルロットは頭を抱えた。曇り空でもないのに頭痛すらしてきそうだった。


「それで丁度良かったと思うよ。君はサラにしか興味がなかったけど、君を見てる人間は多かった」


 高嶺の花だった、とでも語るようなゼストの言い種にシャルロットは呆れを込めて返した。


「その中にはいなかったくせに」


 ゼストがシャルロットに執着するようになったのは、ある事件が切欠だった。その偶然がなければドガに越してくることもなく村で暮らし、今ごろには籍を入れていたはずだ。


「手厳しいな」


 堪えた調子もなくゼストが笑う。その様子が業腹で、近い内に復讐をしてやることをシャルロットは誓った。


「お前も大概人でなしだよ…………前回の血痕がこの辺りか」


 エヴァンから共有された情報をもとに訪れた地点で二人は足を止めた。石畳の色が濃いせいか血の赤さは伺えず曖昧な染みになって残っていた。


「これ、そのままじゃないか?」


「誰のものとも知れぬ血なんて、積極的に掃除するやつもいないだろ」


 失踪事件に関して調査を行っているのはエヴァンとレディオルのみだ。エヴァンは公務の合間を縫いながら、レディオルは生計を立てつつの捜査である。


「血を媒介にする病気もこの国には無い。不潔だが数日もすれば雨が降って消えるんだ。態々触るもんか」


「そんなものか……?」


 あまり納得のいっていない様子のゼストをそのままにシャルロットは腰のポーチから端切れを取り出し石畳の間をなぞる。布の繊維の間にきらめく粒子が絡め取られた。


「……やっぱあったな」


 再びポーチを探り、取り出したシャーレの縁に布を擦り付ける。粒子が中に落ちたことを確認し封をした。


「溝に入って引っかかってたのか」


「朝霧程度じゃ流れていかなかったろうしな」


 天候自体は晴れが多く空気も乾燥気味ではあるが、水路が張り巡らされているせいでドガは霧が多い。名物である朝市も日の出の直後は見通しが悪くランプを灯しながら行われている。


「僕たちが探せるのはこのくらいだ。戻ろう」


「最後に聞き込みくらいしていった方が良いと思うよ」


 裏を取るべく、二人は人の気配がある建物の扉を叩いた。








「見つけたのはこれだ」


 柳腰にくくりつけられたポーチを探り、シャーレが取り出される。石畳の隙間から採取された透明な粒が光を反射していた。


「ガラスですか?」


「似てるけれど多分違う」


 頭上に掲げられ太陽に透かされた証拠品をエヴァンはまじまじと観察した。


「近くにガラス窓は無かったし、そもそもこれより大きな破片が全く無かった」


 ガラスは割れた瞬間四方八方に散るため欠片全てを回収することは難しい。その上高価な品でもあるので割れたとなればある程度人の噂にも上る。


「隣の区画の工事のゴミが落ちたのかと確かめてみたけど、そういった人の行き来も無いそうです」


 古くから存在する下町のため道の幅が細く、作業員や資材が行き交うには不便もある。人通りの少ない場所であるため一見すれば気兼ねなく使える場所に思えるが、住民が多く建物も道にせり出しているのでトラブルの種が多いのだ。


「それに加えて、僕たちが調べてる事件を思えば採取せざるを得なかった」


「若干猟奇的ではあるんですけどね」


「……考えたくはないけれど、君たちはその粉を何と仮定してる?」


 粒子の正体を半ば確信しているレディオルにシャルロットは表情ひとつ変えずに答えた。


「晶石」


 ガラスの割れ方とは明らかに違う透明な粒子を見た瞬間、シャルロットは確信していた。これが恐らく行方不明者の晶石であると。


「落としたくらいじゃガラスはこんな粒子にはならない。そもそもここまで砕かれては透度を保てない」


 光り方としてはむしろダイヤモンドに近いが粒が丸く、劈開面に割れるはずの形質を表していない。


「晶石はそもそも割れるのか?」


「やろうと思えば金槌で砕けるし研磨だってできる。馬鹿をやらないよう教わった」


「人によっては、職人に頼んで欠片を削いでお守りにするらしいよ」


 遺体の残らないこの世界において晶石は唯一残る故人の痕跡だ。骨や髪の毛を人造の輝石にするように、納骨を延ばすように手元に置いておきたいと考える人間は少なからず存在する。


「見た目には水晶に近いし、これ見よがしに着ける人間が少ないだけで需要はあるんだ」


 本店にも晶石が持ち込まれることが時折あった。ガラスのアクセサリーを取り扱っているため、加工が可能と思うものは少なくない。下手に手を出すわけにもいかないのでその度に正規の晶石加工職人を紹介することがルールとして取り決められていた。


「けれど、そういった職人は教会の側に住んでることが多いし、加工で発生した破片も正規の基準で処理することになってる」


「詳しいですね」


「ガラス屋ですので」


 一見した限りではカッティングしたガラスに見えてしまうので教わっていなければ間違える者もいる。悪意が無くとも無認可の晶石の加工には教会が絡んでくる。

 シャーレを改めてレディオルに見せる。


「仮に教会に持ち込んだとして、この量で個人を特定できるか?」


「難しいだろうね」


 シャルロットが採集できたのは石畳の目地に詰まったわずかな粒子のみ。これでは基本的な情報も読み取ることができない。


「硬貨一枚分は必要だと兄に教わったことがある」


「じゃあ無理だな」


 もう一度あの路地に戻っても、その量の粒を集めることはできない。


「一先ず預けていいか? うちに持って帰るとゼストが細工物に使いそうだ」


「ああ。丁度、樹脂細工に入れる光り物を探してたよ」


「お前……」


 迷うことなく死体の一部ともいえる晶石を趣味の工芸の材料と見なす友人にフロワが顔を顰めた。その様子に笑みを返し、ゼストは答える。


「曰くの無いものなんてこの世には存在しないんだ。気にするだけ疲れると思わないか?」


「頭の螺子が飛んでることはせめて隠せ」


「言っても無駄だ。大分前に飛んで以来、締め直して無い」


 ある出来事をきっかけに、彼自身が心に決めたものには情の強さを発揮するが、線引きの外に漏れたものに対して扱いが平等になってしまっている。責任の一端を担うシャルロットとしては苦言を重ねられないのが正直なところだ。


「……まあ、昔の博愛馬鹿よりはマシなんじゃないか」


 望まれるままに心優しい少年をしていたゼストも、精神の均衡を崩した現在のゼストもシャルロットの幼馴染であることは変わりがない。

 ただ、今の彼を苦しませ、あり方を変えているのがシャルロット自身であることは彼女に純粋な喜びを齎していた。


「では自分が預かります。自宅の金庫に保管しましょう」


「それがいいと思うな」


 トワイライト家の金庫ともなれば開けられる者は限られている。本家の血族、若しくは彼らに信を置かれた家令くらいだろう。


「俺たちはこのくらいだね。周辺の人間も当日は雨戸も閉じて大人しくしてたらしいし」


 ゼストとシャルロットが調査した区画は本来であれば日が暮れた後も人々が椅子や木箱を並べ住民たちで酒盛りをする習慣があったが、失踪事件のせいで取り止めになっていることが聴取で耳に入っていた。


「正直、この六人でごちゃごちゃかき回すよりさっさと然るべき連中が調査した方がいいだろ」


 早々に解決することを祈り、シャルロットは嘆息と共に言葉を吐き出した。

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