二十三 財力

 突如として軍役ぐんえきを命じられたメイドたちのどよめきが大広間に響き渡る。

 そんなメイドたちを見て、信長のぶながは満足そうに微笑んだ。


「このの役に立てるのだ。ありがたく思え貴様たち!」

「大丈夫かなぁ……。こんなことして逮捕されないかなぁ……?」


 光秀みつひでが心配そうにこぼした。

 まだ納得していない大和やまとはつかつかと信長の元へと歩み寄る。


「あんた考え直してよ……! こんなメイドさんたちであいつらに勝てるわけがないじゃない!」


 信長は再びけんに深いしわを寄せた。


「黙れ。やる前から何を負けるかのようなことを言う! 将の貴様がそんなことでメイドどもの士気が上がるものか‼」

「だからあたしは将なんてやりたくないの‼」

「貴様の心など関係ない! 余がどうやりたいかだ! それに貴様は何でも言うことを聞くと言うたではないか! 好きにやらせてもらうぞ‼」

「いつもいつも他人を巻き込むなーっ‼」


 大和が両手を振り上げて抗議する。


「……ねえ惟任これとう。ここは信長の言う通りにしてみようよ。ひょっとしたら……上手くいくかもしれないよ?」


 レックスが若干言い淀みながら提案した。


「それとも……信長の案以外に何かいい考えがある? 蘭丸らんまるを救える名案がある?」


 つまり、対案はあるか、と言いたいのだろう。

 大和が振り上げていた両手が徐々に勢いを失って下がっていく。

 対案はあるか、はそくな問いだが、この瞬間に限っては必要な問いであった。


「それは……」


 大和がしんみりと眉を下げた。

 かなはまだ泣き叫んでいる。


「蘭丸の命がかかっているんだ。今はやれることをやるべきじゃないかな……」

「…………」


 大和はすっかり肩を落としてうつむいてしまった。


「……分かってたよ……そんなこと……」


 大和は声を喉から絞り出し、両の拳を握りしめる。

 信長はその様子を冷めた表情で眺めていた。


「信長……。あたしたちを助けてよお……!」

「……任せておけ」


 信長は落ち着いて、しかし力強くうなずいた。


「でさ、長谷はせがわはどうする? 名前通り意識が彼方かなたに行っちゃってるけど」


 レックスが赤ん坊のように手足をばたつかせて泣きじゃくる奏多を指差して言った。


「んー、ほっときゃ治るんじゃない?」

「そういうもんかなあ?」


 光秀も心配そうに奏多を眺めて声を漏らす。


是非ぜひに及ばず! 少し待っておれ!」


 信長が立ち上がり、奥の通路へと消えていく。あちらは浴室があるほうだ。しばらくして信長が洗面器を水平にして持ってきた。

 一行もメイドの群れも呆気あっけにとられた。


「信長。それは……?」

「せんめんきぃー!」


 国民的猫型ロボットがひみつどうぐを取り出す時のような声を出した信長に、大和が「そうじゃなくて!」と突っ込んだ。


「その洗面器で何をするのよっていてるの‼」


 信長は無言のまま洗面器を奏多の元へと持っていく。そーっと動いているところを察するに、あの洗面器には水が入っているらしい。そして中の水を奏多の顔にざぶりとかけた。


「ぶわっぷ⁉ ぎゃあああああっ! 冷たい冷たい……! あれ? うちは何してたの……?」

「奏多……。まさかあんた今ので戻ったの……?」


 幼馴染は思っていたよりも単純な体の造りだったようだ。



「さて」


 信長が改めて暖炉の前にあぐらをかき、白い紙を広げた。50インチのテレビくらいの紙だ。マジックを片手に図を描き始める。その様子をメイドたち含む大和たちは覗き込んだ。


猿玉さるたまはここからタクシーでじゅっぷんのアジトに潜んでいる」


 信長がマジックで雑に「アジト」と書いてそれを四角で囲んだ。この短期間でカタカナ語を読めるようになっただけでなく、書けるようになった信長はやはり大したものだ。


「我らはここ。大和の屋敷だ」


 信長が白い丸印で現在地を示した。

 奏多はタオルで髪を拭きながら聞いている。


「夜の闇を突き、進軍を開始する。全軍でアジトの入り口を包囲し、まずは大和隊に突入してもらう。向こうはこちらがりもせず再び少数で来ると思っているだろう」


 軍議が進む。その間レックスと光秀は信長のスマホを借りて、SNSで集められるだけの人員と武器を集めていた。レックスが相手とコンタクトを取る係、光秀が協力が取れた相手をノートパソコンにリスト化して打ち込む係だ。方々ほうぼうを頼る。

 大和もスマホを使って何かしているようだった。


「——兵はそれぞれ余の本隊が三十、大和隊が二十、奏多隊が十、レックス隊が十、光秀が五、残る二十五人は外で包囲を作って余の本体とともに待機とする。そして更に兵はたいに分けるとするぞ。……何か質問はあるか」

「あ、あの……」


 大人しく髪を拭いていた奏多が恐縮しながら手を挙げた。


「……あのさ、もしも、もしもだよ? 死んじゃったらどうするの? 誰が責任取ってくれるの?」


 死。

 その言葉に、ざわっとメイドたちがおののいたのが分かった。これだけの大規模ないくさである。犠牲者が出ない可能性はどこにもなかった。

 全軍の視線が信長に集中する。

 しかし信長は「ふははっ」と一笑に付した。口元に緩く弧を作って目をつぶる。


「なかなか滑稽こっけいなことを訊くものだな。この軍を率いるのは余だ。故に誰も死なん」


 奏多は顔の前で手を否定の形に振った。


「い、いやいや! もしもだよ、もしも!」

「もしも死なん」


 信長はきっぱりと否定した。

 その信長の態度にメイドたちの顔から、ふっと恐怖の色が消えたのだった。

 その時インターフォンが鳴る。メイドの一人が応対していたが、間もなく巨大な玄関ドアが開き、食べ物を持った配達員たちが入ってきた。初め配達員たちは物々しい数のメイドたちにぎょっとしていたが、食べ物を屋敷の中に運び入れるなりすごすごと退散していった。


「はいはーい、みんなーっ! 出陣前の腹ごしらえだよっ!」


 大和が叫んで手を叩く。

 メイドたちが長机を出していた。


「大和? これは……?」


 と奏多が目を丸くして尋ねる。


「今から決戦ってことで、あたしがおごったげる! スマホで頼んじゃった!」

「えーっ⁉ こんなに⁉」


 レックスも驚く。長机の上に並べられているのは、ピザ、スパゲティ、パン、寿司、おにぎりなど、色とりどりの料理。メイドたちが歓喜に沸いた。


「大和! 気が利くではないか! 貴様たち! 食べすぎるなよ!」


 信長が漆黒のはちひげを触り、相好そうごうを崩した。

 山のような量の料理にレックスがぜんとしながら、


「惟任さ。これ全部でいくらしたんだよ」

「んー、百万円ちょっとかな。まあいいじゃん、こんなのあたしのポケットマネーで一発!」


 レックスが視線を逸らしながら、頰を搔く。


「……惟任。ひと月にいくらお小遣いもらってんの?」

「んー。三百万とちょっとしかもらってないよ?」

「大和……。あなたそれ毎月宝くじに当たってるような金額じゃん……」


 奏多がかなり羨ましそうにジトっと睨みつけながら、大和の肩にポンと手を置いた。奏多の指は大和の肩に深く食い込む。


「…………っ!」


 そんな大和に光秀が暗い顔を向けた。


「あれ? どうしたのミツ君?」


 振り返った大和が光秀の異変に気が付いた。

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