十六 夢幻

 信長のぶながらんを除くその場の誰もが驚いていた。


「ちょっと待って! これヤバくない⁉」


 大和やまとに鳥肌が立つ。


「すごい……すごいや……!」


 そう言った光秀みつひで本人が一番びっくりしているかもしれない。


蘭丸らんまる! あんたこれどういうことよ!」


 問われた乱は平然と微笑んだ。


「どういうことって言われましても。部屋に入ってきた時、なんとなくひらめいたんです。以前ファッション雑誌に載っていた髪型が似合いそうだなーって」

「これアップバングだよー。キマリすぎ!」


 レックスが心からの賞賛の言葉を送る。覆面レスラーメイカーのかなに至っては発する言葉を失っていた。


「……ええい! 面白くない! 貴様……光秀! せっかく男前になったのだ。もう女々しいことは言うなよ……! 絶対にだ‼」


 カッと開かれた信長の鷹のような眼に、


「うわあああああああ! 大和、怖いーっ!」


 がばちょと抱きついてきた光秀に、大和は先が思いやられるのだった。




「へー。ほり君は今までの人生でレギュラー取ったことないんだ」

「うん……。だいぶ気にしてる……」


 夜もだいぶけてきたが、まだまだ大和たちのおしゃべりは収まりそうにない。各々おのおの大和の部屋のベッドの周りで談議に花を咲かせていた。


「小学生の頃は野球部で補欠。中学生の頃はサッカー部で補欠。で……その……」

「高校になってバスケ部で補欠、と」

「せっかくにごしたんだからわざわざ言わないで」


 レックスは人目をはばからずにヘコんだ。


「まあまあ! 万年補欠でも生きてりゃいいことあるって!」


 明るく言い放った大和の言葉が更に傷をえぐったようだ。「ぐ」と小さくうめいてベッドで足を抱えたままレックスはうつむき、動かなくなった。


「ははは! まあ暗い奴は放っておこうではないか! そうだな……光秀! 貴様何か芸をしろ!」


 このひげはとんでもないむちゃぶりを言い出すものだ。藤山ふじやま光秀は芸の対極にいる存在である。光秀は背中を丸めて自分の脚の上に置いたノートパソコンの画面に向かう。


「あの……さ、信長。ミツ君にそれは。ちょおっと敷居が高いんじゃあないでしょおか?」

上様うえさま……芸なら私が何かしてご覧にいれましょう!」


 すかさず二隻の助け船が沖合の光秀へと出された。


「ふん、たわけどもめ。またそうやって甘やかしおってからに! 芸の一つもできんようでは戦乱の世など渡れたものではないわ!」


 二隻の助け船は信長の前にあえなく轟沈ごうちんした。そもそも戦乱の世はもう終わっているのだが。


「ほれ! 何か面白いことをやってみろ!」


 プロの芸人も逃げ出す物言いをし、ベッドから立ち上がった信長の体が固まった。


「……どしたのよ信長」

「光秀……。貴様それは何だ?」


 神妙な顔つきになった信長につられて、その視線の先の光秀に全員の注意が注がれた。


「これ? これはね、ハッキング! 今は近くの会社のパソコンの情報をのぞいてるんだよ」


 ノートパソコンをいじりながら光秀は楽しそうに笑う。


「あちゃー、この会社ちょっと脱税しちゃってるよ……」


 光秀は淡々とキーボードの上で指を踊らせていた。

 にわかに変わり始めた場の雰囲気。それに伴い信長の顔色も変わり始める。みるみるうちにしょくが満ちてきた。

 光秀の首に、がしっ! と腕を回した信長は、


「他に何かできることは……?」

「え? えと……他には実際に操縦したことはないんだけど、理論上は戦闘機の操縦ができるかな……本当にちょっとだけど。戦闘機とかが好きなんだ」


 信長は面白い物を見つけた子供のような顔をした。


「何だ貴様! そんな取り柄があったのか! てっきり何の取り柄もない大たわけかと思ったわい!」


 光秀はよほど嬉しいのか、複雑そうな顔をしていた。

 他の面々めんめんも驚きを隠さない。


「光秀! あなたに取り柄があったなんて! これは明日の朝刊一面記事ものだー!」

「上様! これはすごいです! 光秀殿に取り柄がありました!」

「い、いやみんな。その辺にしておいてあげようよ……」


 大和はしばらく震えたあと、パアっと花が咲いたような満面の笑顔を浮かべた。喜びとも感動ともつかない声を絞り出す。


「ミツ君、あんた……! 優しい、カッコいい以外の取り柄ができてあたしは嬉しいよ! どうしようもないダメダメ人間だと思ってた!」


 歓喜にく一同に背を向けて。

 光秀はいつまでもノートパソコンの画面だけを眺めていた。

 実はその目尻に光る物があったのは後世までのかたぐさである。




 信長は別室で、他はそれぞれ同室で。

 みんなすっかり寝静まった薄暗い部屋の中で、エアコンの稼働音と光秀がキーボードを打つ音だけが鳴っていた。


「……あんた。何でそんな技術持ってるのにお金に換えないの?」


 光秀の隣でノートパソコンの画面を眺める大和がささやく。


「……だって。気乗りしないんだもん」


 タン、とキーボードを打ち終え、光秀は額をぬぐった。アップバングになってから本当にまとう雰囲気が変わった。凛々りりしい、それこそ大和が惚れ直すような大人の男の顔つきになっている。

 床の上にあぐらをかいたまま伸びをする光秀に、大和は鼻だけで笑った。


「相変わらず優しいのね」

「うーん、当たり前のことさ。人が嫌がることはしない主義だから。前に国防総省のコンピューターにも侵入したけど、迷惑かけるの嫌だったから侵入しただけで終わった。そのまま出てきたよ」

「はぁ……アホねえ。そんなことできるんなら少しくらい悪用してもいいのに。てか、あたしならそうしそうで怖い」


 大和は口を覆ってニタっと笑う。


「僕も大和ならそうしそうで怖いよ……」


 夜の闇の中、ノートパソコンの画面だけがほのかに光る。大和は自らの髪を指でいた。今静かに寝息をたてている乱に髪を切られたとき、終わったと思った。

 でも。


「ねえ? あたしたち二人とも……仲良くイメチェンしたね」

「え? あ、あぁ。うん……」


 エアコンの稼働音が静かな部屋の中に人工的な響きを醸し出し——


「最初あたしはミツ君の優しさにかれたけど、ミツ君は……あたしの何が嫌だったのかな……?」

「……うん」

「あはっ。何それ。答えになってないし」


 光秀を小突こづく。


「ミツ君。カッコいい。カッコいいよ」

「大和も……素敵だよ……」


 誰の目があるわけでもない。

 二人はそっと唇を重ねた。

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