令和に信長がやってきた!

タテワキ

《序章》

一 邂逅

 一五八二年 六月二日 京 本能ほんのう


 本能寺の御殿ごてんでんひらめいた。

 てん統一まであと一歩と迫っていた織田おだ信長のぶながことたいらの朝臣あそん織田おだ上総介かずさのすけ三郎信長さぶろうのぶながは、ここ本能寺で配下のあけ光秀みつひでこと惟任これとう日向守ひゅうがのかみ光秀みつひで謀反むほんによりおうした。

 きょうねん四十九。

 信長の野望は焼け落ちる本能寺とともにれんごうまれ燃え尽きたのであった。


 ——そのはずだった。




 二〇二六年 六月二日 東京都 世田せたがや


『「金砂きんしゃ」の奴らをなんとかしなければなりません。あいつらは日本の危険分子と言って差し支えない! あんな奴らがいるからこの国は——』


 布団にくるまってリモコンを握り、テレビの電源をぷつんと切った大和やまとれた目をこすった。

 大きな欠伸あくびをしたあと、しゃく取虫とりむしのように腰は曲げたまま枕に顔をうずめる。


「ミツ君……なんでよお……っ!」


 じゅめいた言葉をつぶやきながらしばらく布団の中でうごめいたあと、ついに大和は身を起こした。

 ポニーテールを下ろした長い薄桃色の髪にうつろな眼差し。本来ならばりんとした眼をしているのだが、昨日LINEで彼氏に振られたばかりだからしょうがない。涙で濡れた目の周りは赤く腫れているが整った顔立ちをしている。十七歳の女子高生にしては大きなバストにくびれた腰——少々やつれた下着姿の大和の姿が目の前のサッシに映っていた。


「ミツ君……」

「……ミツ君とは?」


 低く優しい声が聞こえた。見れば大柄な色黒の男と小柄で髪を結った少年が大和のベッドの前にたたずんでいる。あまりにも自然な展開。


「え? あたしの彼氏よ……。彼氏……だった人……」

「そうか……貴様の想い人か……それは辛かったな」


 答えてきた低く優しい声の主に、大和はたまらず抱きついた。


「うわぁ~ん! おじさん! あたし振られちゃったよぉ~~……‼ って……おじさん?」

「無礼者‼」


 目を見開いた大和の眼前に日本刀の切っ先が向けられた。突然のことに大和の思考が動転する。


「へ……? ぎゃあああああああぁぁぁあああああっ‼ これ刀⁉ てかあんたら誰よ⁉」


 大和は大きく飛び退しさるあまり壁に頭をぶつけた。


上様うえさまをおじさん呼ばわりするとは! 手討ちにします‼」

「テ、テウチって? わわっ⁉」


 はんかみしも——武士の正装である——を身にまとい、端正な目鼻立ちの少年が日本刀をかざして大和に襲いかかった。

 大和は悲鳴を上げながら左方向へと頭を向け、ゴキブリのようにカサカサと床をって手足を動かす。傷こそ負っていないものの、大和の髪はざっくざっく切り刻まれていた。

 自慢の薄桃色の綺麗な髪の毛はあっという間に短髪になってしまう。

 少しの間逃げ回っていた大和だったが、やがて部屋の隅にごつんと頭を打ちつけてしまった。完全に追い詰められた大和。


「女! 観念しなさい!」

「ひっ、ひえっ……! た、助けて……!」

「助けません!」

「何でもするからぁ……!」


 遠くに取り残されたおじさん・・・・が腕を組んだままゆっくりとこちらに向き直る。素人しろうとに見ても見事な業物わざものを一振り持っていた。

 おじさんは真っ白な夜着よぎを身に付けていたが、肘の辺りが赤く染まっていた。

 あのおじさんは怪我けがをしているらしい。


 ——そして、大和はあのおじさんを・・・・・・・・・・見たことがあった・・・・・・・・

 ——小学生の頃から、肖像画を歴史の教科書で何度も何度も。

 ——おじさんは魔王の如く傲然ごうぜん屹立きつりつしていた。


「信長……? あんた……織田信長⁉」

「なっ⁉ 上様を呼び捨てにするとは……! この無礼者が‼ 打ち首にします!」

「だってあれ織田信長~っ‼」


 切れ長の目に、日本人にしては高い鼻。その下には綺麗な漆黒しっこくはちひげあごにもちょこんと髭が生えており、極めつけは頭のちょんまげと、「THE」が付く織田信長であった。


「くくく……はっはっはっはっはっはっ‼」


 THE・織田信長とおぼしきおじさんは、自分を指差し泣きわめく少女を見て豪快に高笑い。


「……まさかが呼び捨てられるとは。……そう。余こそたいらの朝臣あそん織田おだ上総介かずさのすけ三郎信長さぶろうのぶながである……!」

「た、たいらのあそ……何て?」

「貴様……余を知っておったのではないのか」


 切れ長の目に確かな怒気が宿ったのを察知した大和は千手観音せんじゅかんのんと見まがうほどに手をバッタバタと動かした。


「ひぇえっ! 違う! 違います‼ 知ってるけど知らないんです……‼ あ、あの……肘の手当てしましょか?」

「……まことか?」



「いやすまぬ。かたじけない。本能寺で惟任これとう日向守ひゅうがのかみ光秀みつひでの奴が突然謀反を起こし攻めてきおってな。その時確かに腹を切ったのだが、どうも手応えがなく……。気付いたらここにいたというわけだ」

「へぇ~。大変だったのね」


 信長の肘に包帯をぐるぐると巻きながら、大和は相槌あいづちを打つ。信長の右斜め後ろに立膝たてひざをしていた少年がいたたまれないといった表情で静かに口を開いた。


「私も上様と同じく……。本能寺が焼ける中で敵に組み伏せられ、確かに絶命したと思っていましたら、いつの間にか……ここに」


 しばらく重い沈黙が流れた。

 信長の手当てをし終わった大和が重苦しい空気を振り払うようにすっくと立ち上がる。

 少年のほうを向いた。


「あたし惟任これとう大和! 高校二年生だよ。あんたの名前——」

「「惟任だと⁉」」


 信長と少年が殺気立って刀を抜きかけて——


「違う違う! 惟任ナントカ光秀さんの手の者じゃないよぉ!」

「本当か……?」


 ぱちん、と白銀の刀身がさやの中へと戻った。何と物騒な二人組なのか。

 二人の衣服にはところどころ黒いすすが付着していた。それだけで本能寺から来たというのは本当のようだ。

 立膝をしていた少年があぐらをかき、うやうやしくれいをした。


「私は森乱もりらん成利なりとしと申します。要らぬ嫌疑をかけてしまい申し訳ございませんでした」

「森……ラン……? 森蘭丸らんまるのこと?」


 乱はこうべれたまま微動だにしない。


「……あー、まあね。でもいいよ。あんたらも色々あったみたいだし!」


 大和はふと自分の姿を眺めやった。

 下着姿。

 大和は一気に赤面して金切り声を上げる。男二人はそれを不思議そうに見つめ、


「それが大和殿の正装ではないのですか?」

「こんな正装があるかぁっ‼」


 ばちぃんと派手な音がして乱は平手打ちを食らった。




「——タイムリープなんじゃない?」


 高校の制服を着た大和が信長にたずねた。


「たいむ……? もう一度申せ」


 今度は信長が分からない番だった。


「タイムリープ」

「……何だそれは?」


 血走った眼を向けてくる信長から顔をそむけつつ、大和はあごに人差し指をあてがう。そのまま天井を見上げ、


「だからタイムリープよ。……っつっても分かんないか。とにかく今は令和八年の六月二日」

「分かるように話せぇい!」


 信長の怒号が響き渡る。


「今は一刻のゆうもないのだ! 毛利を討ち果たしてんを取るために‼」

「天下なら秀吉さんが取っちゃったよ」

「何ぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいっっ⁉」


 鬼の形相の信長に大和が「ひっ!」と短く悲鳴を上げる。


「あんのはげねずみめぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええっ‼」


 信長がえた。


「余が引き立ててやれば図に乗りおってぇぇぇぇぇえええええええええええっ‼」


 大和の目が覚めてからこの部屋はうるさすぎる。

 はつてんかんばかりの信長を大和は必死でなだめようとしていた。


「上様! 分かります! 私も無念です! あのサルめ!」


 火に油を注ごうとする乱の脇腹を大和は肘で小突こづいた。乱のほおには赤い手形がついている。

 暴れまわる信長をよそに大和が乱にそっと耳打ち。


「蘭丸。あんたいつも信長の斜め後ろにいるの? 何で?」

「んん~……私の定位置だからでしょうか? えへっ!」

「『えへっ!』てあんたね……」

「乱んんんんんんんんん————っ‼」


 バチコーン! という漫画みたいな音がして大和は我に返る。信長の張り手が乱のもう一方の頰にクリーンヒットしていた。今度の赤い手形はやけにでかい。


「余の前でこそこそ話とはいい度胸だ‼」


 そのまま乱をあしにする信長を、大和は必死に落ち着かせようと羽交はがめにするが——


「気安く余に触れるなこのじょが!」


 怪力のあまり簡単に振りほどかれてしまう。


「げ、下女って! あたしはこう見えても惟任財閥の跡取りなんだけど! てかこいつ怒りが全然収まらない!」


 足蹴にを繰り返され、乱はすでにボロボロだ。


「……今は二〇二六年! えーっと安土桃山時代は何百年前になるんだっけ? えーっとえーっと……とにもかくにもあんたら四百五十年くらい前から時渡りしてきたの! これで分かった⁉」


 信長の足蹴にがようやく止まった。


「……と……時渡り……だと……⁉」

「げ、げふっ…………!」

「蘭丸あんた死にかけてるんじゃないの?」


 覗き込む大和に、乱はものすごく苦しそうな笑顔を返してきた。


「時渡り……! そんな馬鹿な! ではてんはどうなる!」

「もう取れないよ」

「……信じられん……!」

「ちなみに戦乱のない世は家康いえやすさんがつくったかな」

「なっ……⁉」


 今にも灰になって飛んでいきそうな信長の肩を、大和は「あんた大丈夫?」と揺すった。


「げふっ、恐れながら上様……どうやら私たちが時渡りしてきたのは、間違いがないようです。この部屋の中にある物も、初めて見る不思議な物ばかりですから……」


 テレビやエアコン、シャンデリアからデスクトップパソコンまで。……信長と乱は初見だった。


「うぬぬ……言われてみれば。この豚の鼻のような物も初めて見るぞ」

「あのね。そりゃコンセントの穴でしょ」

「大和殿。この黒い板はなんですか?」

「あぁそれあたしのスマホね。あんまり勝手に触らないでよ」

「ほう……てんが取れなくなったのは残念だが、未来もなかなか面白そうではないか」


 乱はごそごそとタンスをあさり、


「わあ~! 宝の山です!」


 そこには大和の下着のプールが広がっていた。

 乱の顔に三個目の赤いてのひらスタンプが押される。


「あたしの下着見て宝の山ってどういうことやねん! あんたは下着泥棒か!」

「ふん、まったく我が腹心ふくしんながら呆れるわ。して、このでこぼこした板は何だ」

「それはテレビのリモコンよ。ちょっと! いじらないで——」


 プチっと音がしてテレビの電源が入った。


「むむっ! 何か映りおったぞ! これはどういう仕組みだ大和!」


 大和は頰を搔いて苦笑い。


「仕組み……はあたしも知らないんだけどね……。要はこうして離れた所にいる相手から映像や音声の情報が届くっていう機械かな」


 テレビではワイドショーをやっていた。昨日起きた事件の特集をしている。


「んん~? 文字がカクカクしていて読みづらいぞ。何故なにゆえもう少し崩すように書けんのだ。この時代の文字は全部このようにガチガチなのか?」


 信長と乱は画面右上に表示された文字群を眺めて不満顔。


「あたしにはあんたらの時代の文字のほうがよっぽど読みづらいけどねぇ。……そうよ! この時代の文字はたいていそんな感じ!」

「き……んしゃ……? 上様! 『金砂』と書いてあるようです!」

「何ぃ⁉ うむ……確かに。『金砂』と書かれているな! 宝か何かか大和⁉」


 画面右上には『金砂許すまじ! 過激派テロリストが日本を襲う‼』と、あおり文句そのものな文字たちが躍っていた。


「信長。蘭丸。『金砂』っていうのはテロリスト集団なんだけど。えっと、テロリストは昔の言葉で……えっと……ぞく? みたいな……。とにかく凶悪な賊徒!」

「賊徒? 貴様『金砂』が賊徒と申すのか?」

「そうよ。『金砂』っていうのは組織名でやってることはテロリ……凶悪な賊徒なの」


 信長はけんに深いしわを刻みながら拳を震わせた。


「おのれ『金砂』め! この余を期待させるだけさせおってからに! 許せん‼」


 大和は信長をジト目で刺しながら、この人分かりやすいなーと思った。乱はそんな信長を懸命におだてている。


「まぁ『金砂』は事件を起こした時に黄金の狼煙のろしを上げるらしいから一目瞭然だけど……。あ! もうこんな時間!」


 かなが待ってるーっ、と言いながら大和は学生がくせいかばんつかみ、慌てて部屋から飛び出していった。……信長と乱を置き去りにしたまま。




「それで……上様」

「何だ乱よ」

「私……上様と共に未来の道を歩けるなんて夢のようです♪」


 乱は嬉々として信長に屈託のない笑顔を向けた。二人は住宅街の道路の真ん中をトコトコと仲良く歩いていた。そんな乱の手の中には大和の弁当袋がある。


「まったく。大和の間抜けめ。昼飯を忘れて行くとは!」

「まあまあ上様。お屋敷の方々から『ガッコウ』の場所は聞きましたし!」


 信長の服装は大和の屋敷にあったボーダーのポロシャツにジーパン。足元はスニーカーだ。いっぽうの乱は赤いTシャツに白のパンツ、靴はレザーシューズを履いている。

 しかし二人とも頭のちょんまげと結った髪はそれぞれそのままだった。ついでに武士の魂である刀も。つまり堂々と銃刀法違反である。


「この『クツ』という履物はしっかりと地面を歩けるが……どうも慣れん」

「私もです。未来の履物は色々としっくりきませんよね」


 信長たちはおのぼりさんのようにきょろきょろと辺りを見渡していた。


「しかし……この真っ黒な道はどうにかならんのか。歩きやすくてすなぼこりが起きんのはいいが味気ないことこの上ない!」

「上様のおっしゃるとおりでございますね!」


 これはアスファルトを初めて見たタイムリーパーたちの感想である。


「それに向こうまで等間隔で並んでいるこの石柱は何のためにある? 邪魔でしょうがないわ!」

「上様の仰るとおりでございますね!」


 これは電信柱を初めて見たタイムリーパーたちの感想である。


「しかもおびただしい数の黒い糸が石柱の先っぽ付近から伸び、石柱同士を繋いでいるぞ!」

「上様の仰るとおりでございま……あへへっ!」

「乱……! 貴様さっきから! それしか言えんのか?」


 壊れたように同じセリフを繰り返す乱の頰を信長は可能な限り引っ張った。


「いふぁいいふぁい! もうひわふぇほわいわへん(申し訳ございません)!」


 信長が手を離すと乱の頰はばちんと音がして元に戻った。


「貴様の頰はどうなっている!」

「まあまあ! ごあいきょうでございます!」


 再び歩き出した二人へ軽自動車が向かってきた。結構なスピードを出している。


「見ろ乱! 何かが向かってきたぞ!」


 軽自動車が信長たちのすぐ目の前を乱暴に通りすぎて行った。


「危ないではないか————っ‼」

「うーん、未来っておっかないですねぇ」

他人ひとごとのように言うなぁっ!」


 信長は乱を蹴っ飛ばした。ミサイルのように吹っ飛んだ乱が弁当箱を抱えたまま、


「あーれー‼」


 がさがさと音を立てて乱は近くの民家の庭に生えていた木々に頭から突っ込んでいった。


「むっ! あのの化け物は何だ! 面妖めんような!」


 これは初めて交差点の信号機を見たタイムリーパーの(以下略)。



 ★ ★ ★



「はぁ~……」


 授業中、大和はスライムのように机の上にけていた。


「にゃははー。どしたのー? 大和ー?」


 前の席の長谷はせがわかなが大和の机に椅子ごと寄りかかってきた。

 自らのロブの髪を手でもてあそびながら大和のショートカットに触れた奏多は、心底心配といった感じに大和の机に肘を置いた。今は授業中だが、男子たちの好意を含んだ視線が彼女たち二人にチラチラと浴びせられている。奏多はその視線に応えるかのようににこやかに微笑んでみせた。休み時間なら大歓声が起こっているところである。


「あなたこんなに髪短くなっちゃったらうちのライバルいなくなっちゃうじゃない! 何があったの? しっかりしろ我が親友よ! 傷は浅いぞ!」


 奏多は純粋に親友の今後が心配そうだ。大和は顔を上げる。


「だーかーらー! ちょっと家で散髪失敗しただけだって言ってるじゃん! 何回も言わせんな!」


 タイムリープしてきた織田信長の配下に切られたなんて言えない。


「ぷっ! 鏡見ながら自分で髪切ろうとしたんだっけ?」

「あのね! あぁ、もう! あんたみたいに胸も尻も口も軽く生まれなくてよかった! あーよかった!」

「なーんですってーッ⁉」

「コラそこ! 授業中は静かにしろ!」


 黒板の前で「歴史総合」の授業をしていた中年オヤジの教師が怒声を投げてきた。大和と奏多は一瞬ちぢこまって小さく「すみません」と返した。

 二人はこそこそと会話を続ける。


「それとさぁ……。昨日ミツ君に振られちゃって——」

「え——————っ⁉ 大和を振るとは! あの地味男子許すまじ‼」


 がたんと立ち上がった奏多を中年教師の殺気に満ちた視線が突き刺した。

 奏多はごまかし笑いを浮かべて後頭部を搔きつつ着席する。

 大和と奏多は教室の端っこのほうでびくびくとこちらを盗み見るぼさぼさ頭の少年——藤山光秀ふじやまみつひでをじろりとにらみつけた。

 光秀はこそこそと勉強していた。奏多が敵意をにじませてつぶやく。


「あの野郎……あとで校舎裏に呼び出してボッコボコにしてやろうかな……‼」


 奏多がそう言い終わるや否や教室の扉がガラリと開いた。


「感謝しろ大和ーっ! 昼飯を持ってきてやったぞー!」


 突然大声を発して現れたちょんまげおじさんに教室内の空気がてついた。続いてその後ろから現れたのは髪を結った美少年。一転して女子たちから歓声が上がった。


「ちょっと待ちなさい! 何だお前たちは!」


 信長はそんに鼻を鳴らす。


「貴様こそ余の前で……無礼であろう!」

「待ってよ! 信長に蘭丸! 何であんたたちがここにいんのよ⁉」


 思わず大和が立ち上がって叫ぶと、教室のざわめきが疑問符を含んだものに変わる。

 大和は天を仰いだ。


「あの男の子かっこいいねー! ところで大和さぁ、『信長』とか『蘭丸』って誰のこと?」


 奏多が大和を振り返れば、親友は天を仰いだまま固まっていた。


「あれ大和? どうしたの?」

「やっちゃった……やっちゃったよー……」


 大和は現実逃避するかのように腕で囲いを作り、机に突っ伏した。

 教室内では生徒たちが口々に「さっき信長っつったぞ」「蘭丸……?」などとささやき合っている。

 奏多はテキトーに開いたままの教科書の最初のほうのページを確認した。そこにあったのは——まさに今、目の前にいるちょんまげおじさんの肖像画だった。


「お……織田信長だ——っ‼ そしてひょっとしてあなたは森蘭丸?」


 奏多は信長たちを指差して叫んだ。突然の歴史上の人物の登場に、教室の中の生徒たちは熱狂の渦に呑まれた。信長はそれを意に介さずに、


「大和。昼飯を置いておくぞ」


 と大和の机の上に弁当袋を置いていく。

 大和は腕の囲いに突っ伏したまま動かない。


「おーい、大和。昼飯を——」

「聞こえてるっての!」


 大和は顔を伏せたままシューズで床を踏み鳴らした。すると腰を抜かしていた中年教師が立ち上がり、信長に近づいてきた。乱はとっさに腰に差している刀の柄に手をかけ、身構える。


「何だ貴様——」

「信長さん! サインください!」


 中年教師は「歴史総合」の教科書を差し出して頭を下げた。


「何だと……?」


 教室内にどっと笑いが起きた。

 教室を包む笑い声にようやく顔を上げた大和は、


「先生……抜け目ないなぁ……」


 と呆れた様子で中年教師に視線を送る。


「……信長。サインしてやれば?」


 大和が信長に伝えると、信長は決まりが悪そうに切れ長の目で大和を見据えた。


「〝さいん〟とは?」

「あそっか。この人、外来語分からないんだった」


 信長はスマホのカメラのフラッシュを浴びまくり、乱はクラスの女子から握手を求められまくっていた。

 騒ぎは大きくなるばかり。あまりの生徒たちの騒ぎっぷりに隣のクラスからも何ごとかと生徒たちが教室の廊下側に群がってきた。カオスである。

 廊下が真っ黒に染まる中、ひときわ目立つ金髪の生徒がこちらを見ていた。この群衆の中から文字通り頭一つ抜け出ている。眼鏡をかけていた。


「あれほり君だよね?」


 人に酔いそうになりながら奏多が大和にく。


「あ、本当じゃん。堀レックスじゃん」


 レックスはその碧眼へきがんで食い入るように信長と乱を見つめていた。

 大和が生徒たちの間をぬってレックスに歩み寄る。


「レックス! どうしたの? バスケ部でついにレギュラーになったとか?」

「悪かったな! どうせ俺は万年補欠だよ!」


 うるさすぎる中でもはっきりと聞こえる声量だった。大和はごめんごめんと頭を軽く下げて謝罪する。


「そんなことじゃなくて、信長と蘭丸にお願いがあって」

「お願い? まさかあんたまでサイン欲しいの?」

「違う、そんなことでもない。昔のこと……安土桃山時代のことを詳しく教えて欲しいんだ」



 ★ ★ ★



 学校が終わり、大和たちは結局最後まで学校にいた信長たちを先頭に雑踏の中を家路についていた。


「あ~あ、お弁当ぐっちゃぐちゃだったじゃないの! どんな持ってきかたをしたらああなるのかなあ⁉」

「いや我らは特に何もしておらん。最初からあの有様だったのだろう」

「んなわけあるか‼」


 言葉でどつき合いながら歩く。


「あなたたち賑やかでいいよね。見てて飽きないなー」


 奏多が珍しいものでも見るような目で大和たちを眺めた。


「奏多! あんたあたしたちを動物みたいに!」

「まあまあ惟任。うーん……学校の屋上で教えてもらった通り、信長と蘭丸の時代はすごく殺伐としていたんだねぇ。小学校から習ってきた通りに。俺さ、歴史が好きなんだ!」


 メモ帳を開いていたレックスの言葉を受けた乱が少し俯きぎみに視線を下げた。


「ええ……そうです。いくさに次ぐ戦で世の中はへいしていました。上様はそんな戦乱の世をしずめようとされていたのですが……」


 信長は黙って歩き続ける。背中でそれ以上話すなと言っているような雰囲気さえただよっていた。


「……暗い話になってしまいました。この時代は……その……平和になったのでしょうか?」


 言いながら振り返った乱に大和たちは言葉を濁した。


「え……うん、ま~ね~……あたしたちの時代は平和だよ~」

「『金砂』の奴らがいなければね~……」

「長谷川~。フラグ立てないでよ~。悪寒がする~」


 示し合わせたように苦しい言い訳をこぼす三人に、重い雰囲気を振り撒いていた信長が足を止めた。


「何だ。民の顔はとうに平和がきているように穏やかだが? 『金砂』はそんなに凶悪な賊徒どもなのか」


 奏多が口を開く。


「凶悪なんてもんじゃないよ信長さん。あいつら国会議員を襲撃したりしてるんだよ! もしあいつらが逮捕されたら、うち喜びのあまり街中まちなかで脱いじゃいそうなんだから!」

「奏多あんまりそういうことは言わないほうがいいよ。レックスが興奮しちゃうから」


 大和はレックスのほうをちらりと流し見。レックスは「へ?」と言うなり、赤くなってメモ帳をぱさりと落とした。


「あらほり君! うちの妄想してくれてたんだ~!」

「違う違う! 断じてそんなんじゃないからッ‼」


 腕をばたばたと振って否定するレックスに、すれ違う通行人からもクスクスと笑い声が漏れていた。


「あはは、何かすごく楽しい! あとは……ミツ君さえ……ミツ君さえいればな……」


 今日もクラスで一緒だったが、ミツ君こと光秀は目も合わせてくれなかった。


「大和どんな振られかたをしたの?」

「え? いきなりLINEで『もう別れてほしい』って言われてブロックされて……」

「何それサイテー!」

「その男のどこがよかったのだ?」


 信長の問いに大和は腕組みをして少し考えてから、


「うーん、優しいとことか……ビビりなとこも可愛いくて……あとは正直なとことか? でも振る時まで正直にならなくても……」


 言って大和は大きな溜息ためいきいた。


「大和殿……お気の毒に」


 そう乱が言い終わるかどうかのところで、道路を挟んだ所に建っているビルから大きな爆発音がした。大和たちは思わずそろって身をかがめ、耳を塞ぐ。信長だけは雨あられと飛び散る窓ガラスの破片を抜刀して打ち払い、大和たちを守った。

 見れば、通りの向かいにある新聞社のビルの三階付近から黒煙が上がっていた。

 同時に——夕闇の空にビルの裏手から黄金の狼煙が立ち昇る。


「こ、これは……!」


 大和は息をんだ。


「き……『金砂』……⁉」

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