見逃し

ヒノデは順調に育ち、かわいかった顔立ちはだんだん凛々しくなった。


あかつきはどんどん見た目に気を使わなくなり、かわいいけれど少し地味で暗い印象になっていった。


造形はかわいいのだけれど、なんだか暗い。

いや、愛しい我が子だ。どちらも可愛い良い子だ。


私が家になかなか帰れなくなり、茜も普通に仕事に出てしまっている。

稼ぎは増えたが、こども成分が足りない。


見るたびに変わっていく我が子達が、少し怖くなった。


「あんなに小さかったのにさぁ。」

「宵は忙しいからね。僕はちゃんと週に一度はちゃんと時間をとれたままだよ。」

「ずるい~!」

「だから、帰った時にはしっかり抱きしめてやってくれ。大きくなったって子供なんだから。」

「……そうだね。」

茜はかわいい父親だが、時折頼りがいのある包容力を見せる。

「ありがとう、茜。」

「いえいえ。」


ヒノデの学力は平均レベルで運動が得意なままだった。

毎週友達をたくさん連れてきて、茜のごはんを自慢していた。

日曜日に帰ってこられると、そういう光景が見られる。

「あれ?あかつきは?」

「ああ、図書館だよ。ヒノデの友達が来る時はでかけちゃうんだ。」

「学者にでもなりたいのかな。」

「目的は図書館の中庭。いい絵を描くんだ。見る?」

玄関に飾られた水彩画を指差した。


茜の趣味の絵だと思っていたのだが、もしやこれはあかつきが描いたのか。

「すごいだろ。この前見せてくれたから額に入れて飾ってみたんだ。

ヒノデも、友達もみんな褒めてたよ。」

「うん。へぇ……じゃあ目指すは美大かな?」

「悩んでるけど目指したいみたい。高校はとりあえずそっち方向にするって。」

「そっか…!あかつきがいる図書館って区立のあそこ?」

「うん。行っておいで。」


走って向かった。


あかつきが自分の道を見つけて夢中になっているなんて。


成長が嬉しい。




到着すると、ひっそりと画板を抱えているあの子がいた。

図書館の中庭は程よく木々が生えていて、古いベンチが小さな池を囲むように置かれている。


あかつきは真剣な顔で、繊細な風景を描いている。

色遣いがたまらなく暖かく、茜の絵に似ていた。


あかつき。」

息を整えて話しかけた。

目を真ん丸にしたあかつきは、言葉を噛んで慌てて筆を落とした。

「また急に帰ってきたんだね。」

「会いたいからさ。決まったら連絡より先に顔を見たくなっちゃうんだ。」

「うん……。」

あかつきが絵を隠した。

「なんで隠すの?お父さんに聞いたよ?玄関の絵、あかつきが描いたんだって?」

「……。うん、趣味で。」

「将来そっちに行くんでしょ?」

「…………。あの、びんぼう、なっちゃうかも。」

「うれしい。」

あかつきの顔が上がった。

「やりたいことを見つけてくれてうれしい。

ヒノデは早いうちに運動っていう大好きを見つけていたから。あかつきも大好きなものを見つけたことが、それがうれしい。」

「うん……。でも。」

「細かいことは大人の私たちがやる。信じて夢中になりなさい。」

「今の時代に合ってない。無職になっちゃうかも。」

あかつきが涙をにじませた。

「私を見なさい。」

我が子の深い色の瞳がこちらに向いた。

青空を吸い込んで奥に光を溜め込んでいる。

あかつきもヒノデも、大事な大事な子です。

私は、二人がしたいことをめいっぱいできるように働いてる。

もう一度言うよ。

細かいことは私達がやる。信じて。」

「……。」

長く、黙った後に。


少しだけ、頭を縦に振ってくれた。






図書館でまだ続きを描きたそうにしていたので、邪魔しないように家に帰った。




「おばさんおかえりー!」

ヒノデの友達が大勢で迎えてくれた。

「すげー美人じゃん!さすがヒノデのままさん!」

「ありがと、照れるね。でもお父さんの方がかわいいでしょ?」

茜を前に出すと、友達もヒノデも大きく頷いた。

「うれしくないよ!もうおじさんだよ僕!!!」

「おじさん!オレいけますよ!!」

血迷った一人が鼻息を荒くして手を上げた。

「だめー!パパは私のですー!」

舌を出して茜を抱き寄せると、茜が真っ赤になった。

ヒノデは大きく笑って、友達に自慢をした。



みんな帰った後、ヒノデは心配そうに空を見た。


暗くなってきた。

少し遅いな。


家を施錠して、みんなであかつきを迎えに行った。

そのまま拾って外食をすると話した。



暁は、画板をゴミ袋に包んで歩いていた。


慌てて聞きに行くと、池に絵を落としてしまったようだ。

画板は乾かせば使えるが、水彩画はもう駄目だったようで、捨ててしまったという。

「図書館の人が袋を貸してくれたんです。」

「うん。」

私が相槌を打つと、あかつきは静かに涙をあふれさせた。

「ご、ごめん。ごめん。家に。帰っていい?画板を干したい。」

「いいよ、先に帰って。お母さんがご飯買ってくるね。」

「俺も母さんと行くよ。画板はお父さん、頼む。」

ヒノデと私が買い物に、茜はあかつきを連れて家に帰った。


とてもきれいな絵だったのに、残念だ。

描いた本人はもっと残念だろう。


「あっちゃんのああいうとこは嫌いだな。」

茜たちが家に戻ったのを見届けると、ヒノデがとんでもないことを言い出した。

「なんてこと言うの。」

「母さんは知らないもんな。すぐああなるんだ。

俺の友達もみんな仲良くしようとしてんのにすぐドモって逃げるしさ。なんでだろ。」

家を離れているから細かいことは知らないけれど、あかつきは思っている以上に内向的なようだ。

「家族の性格を否定しちゃだめだよ。」

「否定ってかさ。せめてもうちょい何とかならないかな。

せっかく母さん帰ってきてみんなでご飯行こうとしてたのに。」

正直なのはいいことだが、いつかこれを本人にぶつけて泣かせてしまいそうだ。

「ヒノデ、好きなご飯選んでいいよ。

外でも家でも、私は大好きな家族とご飯が食べたい。」

「……わかったよ。

帰っても泣いてたら濡れタオルでガシガシ顔ふいてやる!」


ヒノデの希望で、牛丼屋に入った。

あかつきはサラダが好きだというので、それも買った。

「メガ盛り!いい?」

「いいよー。食うねぇ。」

「やったー!」

ヒノデはすっかり上機嫌になった。

「お?弘宮の弟?」

近所の男の子だ。

赤月さんちの子だったな。だいぶ大きくなってる。

あかつきと同い年とは思えないくらいガッシリしている。

「ちーっす!壮太さん!」

「お前アイツと全然違うな。え?ってことは隣、お母さん?」

「久しぶり。」

「うわー!全然老けませんね…めっちゃ好みっす!」

「ありがと。」

男の子は元気に手を振って店を出て行った。

ヒノデに似ているな。



牛丼をどっさり買って帰った。

あかつきはもう落ち着いているようだ。

愛想笑いのような冷たい笑いをして、頭を下げた。


ほんのり寂しい気持ちになると、ヒノデがむっとした顔でお茶を淹れ始めた。


ぎこちない食卓。


傷ついたのはあかつきなのに、ヒノデはむっとしたまま牛丼をかきこんで私と茜にだけ笑いかけた。


あかつきは申し訳なさそうにご飯を頬張り、また愛想笑いをして寝室に消えた。

「明日の準備するね。」

「おやすみー。」

ヒノデが冷たく挨拶をした。


きっと、一時的なものだ。と思いたい。


茜を見た。


こんな事は何度かある。

そう言うように私と目を合わせて、テーブルを片付けた。

「お風呂沸いてるよ。」

「うん。ありがとう。」


いつから、あかつきは家で愛想笑いをするようになったのだろう。


茜はテーブルをふいたあとに、乾かしている画板を調べていた。

いつもは愛おしいその後姿が、ほんのり遠く感じる。


そっと、顔を覗くと、険しい顔だった。

大事な絵を失う気持ちは茜の方がわかるのだろう。

「宵。」

「着替えこれだっけ、早くお風呂入らないとヒノデも遅くなっちゃうよね。」


怖くて、聞けなかった。

逃げるように、お風呂に入った。


良くないと思ったけれど、ヒノデのあの冷たい態度、茜が他人に見えるような姿。


家族が壊れてしまうのかと感じて怖かった。


大好きな、大好きな家族。失いたくない。


私はヒノデに近い。

だからもし、心の準備も無く茜から話を聞いてあかつきにマイナスな気持ちが沸いてしまったら。

それが怖い。


私は、あの子の味方でいたい。

落ち着いてから茜の話を聞こう。



お風呂から上がってヒノデと話している間に、茜が居なくなっていた。

「あれ?」

「ああ、たぶん買いに行ったんじゃない?画板。」

「もう夜なのに?」

「うん。おとーさんあっちゃんに甘いから。」

ヒノデがまたむくれた。


干してある画板を手に取った。

ほんのり生臭い。

池のにおいだろうか。


落ちた衝撃のせいか、表面に凹みもあった。

ヒノデはそれを見て、ため息をついた。

「だからだよ。本当そういうところ嫌い。」

あかつきに聞こえるかもしれないのに。

ひやりとした。


ヒノデはあかつきのこと、嫌いになってしまったの?


聞けなかった。


宵が帰ってくる前に、逃げるように布団にもぐった。



見えない。



見たくない。失いたくない。

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