第2話


 船員と客が慌ただしく走り回る。船内は騒然としながらも誰もができるだけ落ち着いて行動しようと心がけている。空船襲撃はたまにではあるが発生する。そのため自分もいつかはと思う心構えはある程度しているものだ。しかし、いざ実際になると……現実を受け止めるには時間が足りなかった。

 ドナールを始めとした船員は、客を船首へ誘導しながら“秘匿補聴”で互いにやり取りをする。避難させながら迎え撃つ準備を進めなければならない。しかし、時間の猶予はなく残り十数分で追いつかれる。現状は、厳しいものであった。


 そんな中、船尾に一人の男が現れる。蒼髪をした青年だった。左手には本を持っていて、パラパラと捲れて緑色に光っていた。

 誰も彼には気づかない。

 船尾を見ても、青年を認識することはない。できないように細工をされているからだ。

 シルディッドが立つ場所のみ、何人も意識をこちらに向けさせない陣形魔法……“不見なる議場”が発動されているためである。ふぅ、と息を一つ吐きシルディッドは視線を前へ向ける。空賊船がこちらへ着実に近づいてきていた。


「もうすぐ王都なのに、何かあったら最悪、空船が着港できないよ。……それだけは避けたいかな。あと、ガリオン空賊は邪魔する者を皆殺しにする連中だったはず。容赦はいらないよね、うん。“追いすがる手”」


 癒呪魔法が発動された。空賊船の後方より、縦長の黒い空間が現出する。その中からにゅるりと無数の黒い手が生まれ、圧巻たる速度で空賊船へ襲いかかった。

 黒手は空賊の船員らを含め船の至る所に付着し、頑なに離れようとしない。別れを切り出した恋人に追いすがるように、未練がましく手は船中に纏わりつく。結果、空賊船は徐々に減速していく。ただし、青年は最初からこの魔法で終わらせるつもりはない。向こうの意識を“追いすがる手”に向けさせるための、単なるブラフであった。


「“病魔の軍勢”」


 空賊船の看板より、横幅二メートルほどの黒い池が出現する。その池から、にゅっと骨の手が出てきた。ぺちゃり、ぬちゃりと這い出るようにぞろぞろと半透明な異形が湧き出て……腹を空かせた獣の如く、ガリオン空賊員に向かって突進した。

 こちらも癒呪魔法であり、その名は“病魔の軍勢”。魔法自体に、相手へ物理的ダメージを与える力はない。ただ、病魔に触れた瞬間、高熱・頭痛・嘔吐とランダムで何かしらの病気を強制的にかけられる。命の危険にまで陥ることはないが、病気にかかれば集中力・体力ともに激減するのは必至であり、まともに動くことはできなくなる。

 しかも一体につき一つの病気なので、複数の病魔から触られれば、複数の病気に見舞われる。軍勢は船内をくまなく疾走し、特に空賊の船長を念入りに触ってから、役目を終え満足そうに昇天していった。青年はそれを見ながら手を振って感謝の意を示す。


「あとは仕上げかな。“氷界門”」


 青年の眼前にて、特大の氷の門が出現し、そのままこちらへ向かってきた空賊船を迎えた。太く鈍い音が青空に響く。空賊船は“追いすがる手”により減速されており木っ端微塵になることはなく、しかし衝撃はある程度あり、看板あたりはひしゃげ空賊船としての機能を停止する。

 そのままグラリと傾き落下した。本来なら下は山か陸地であるが、現在彼らがいる場所の下は大陸最大の湖であるユカケン湖が広がっている。このままいけば、船は湖に直撃することになるだろう。その衝撃で空賊船はもちろん、船員らも無惨な結果に終わる。


「“柔の水殿”」


 青年に人を殺す気は毛頭ない。そのため、彼は最後に自然魔法で落下する空賊船を柔らかい水でふわりと優しく包み込み、様々な意味で彼らを無力化した。あとは今頃全速力でこちらに向かっている他の空船団に任せればいい。数分程度のやり取りながら、彼の役目は終わったのだ。


「ふぅ」


 疲れた……、とシルディッドは大きく息を吐いた。魔法戦など、これまでの彼ならば無縁のものだ。今も緊張のせいか、心臓の音が強く鳴っている。慣れないことはするものじゃないとやや反省しながら、シルディッド・アシュランは踵を返した。



 ※ ※ ※



 数時間後、空船は予定より少し遅れるも、無事に王都へ到着した。あのまま空賊船に乗り込まれていれば、甚大な被害になっていたのは明白である。そのため、皆が笑顔で船から降りる。何事もなく生きている今を、心より嬉しく思った。ドナールが一人ひとりに笑顔で別れの挨拶をしていると、見知った青年がそこにやって来て。


「おぉ、青年じゃないか。探したんだぞ」

「すみません、急ぎ避難していたもので」

「いやいや、無事ならいいのさ。ガリオン空賊船も全員捕まったそうだし、終わり良ければ全て良しだ。たまたま上位の魔法師がうちの船にいたのだろう。助かった」

「そうですね」


 魔法が息づくアズール王国では、国民は皆が魔法師だ。そのため、中には高位の魔法師もいる。空船の中にそんな人がいても何らおかしくない。だからといって、空賊船を撃破した本人を探そう……なんてこともアズール人はしない。人前で出るのを嫌がる人もいれば、事情がある人もいるだろう。名乗り出なければ、詮索しないのが筋というものだ。アズールにはそういう風潮が昔からある。良く言えば優しく、悪く言えば適当なのだ。

 人の数だけ魔法がある。

 アズールの格言である。

 魔法が生活の一部である彼らにとって、魔法は無数に存在する代物だ。ならば、それを扱う人の生き方もまた無数にあっていい。自由であっていい。そんな願いが、人々の意識に宿っている。


「最後に青年、ちょっといいか」

「なんですか?」

「王都に来た以上、何かしらの目的があると思ってよ。普通は聞かないのが筋なんだが、ちょっと興味がわいちまってな。あ、嫌なら言わなくていいぞ」

「大丈夫ですよ。興味を持ってもらえたことが、少し嬉しいですし」


 やや照れくさそうにしながら、青年は空船から広がる王都を見た。地平線まで広がっている都がそこにある。あちこちで魔法の花が咲き、人が行き交い生活している。青年の魔力が高ぶり、キラリと蒼髪が光る。顔を下に向けてから小さな声で、しかしハッキリと彼は言った。


「とある職業に就こうと思いまして」


 シルディッド・アシュランが顔を前に向けた。視線の先はドナールではなく、王都へ向けられている。ドナールはその姿を見て、思わず笑みがこぼれた。

 あぁ、これだから空船の船員はやめられねぇ、と。ドナールは世界中を空船で飛び回り、何度も王都の港で仕事をしているが、やはりこの瞬間だけはいつ見ても好きだった。


 夢を掴むために訪れた人間の表情は、皆が自然と笑っている。緊張もあるだろう。不安もあるだろう。しかし燃える魂の輝きは決して消えず、隠すこともできない。心の底から湧き上がるそれを、臆することなく全面に出す。その姿こそ、生きている証なのだ。

 だからドナールは合いの手を入れる。自分は何もできないが、応援することはできる。頑張れと声に出して言うのではなく、心の中で相手の背中を押せるのなら、これほど嬉しいことはない。ゆえに優しい口調でそっとドナールは……、青年へ一言つないだ。


「その職業ってのは、何だ?」

 

 一人の青年が王都へ来た。

 夢を叶えるため、魔法の息づく世界でそこへ来た。

 彼の夢はとある図書館と密接に関係する。──それは、世界最大にして最高たる最超の図書館。クローデリア大陸を治めるアズール王都の中心部にあり、常識を遥かに超えた書物が眠っている。構造、職員数、組織、概要、その他……。全体の九割九分が世間に知らされていない。


 だからこそ彼は挑む。

 挑むべき理由があるのだから。

 果たすべき願いがそこにあるのだ。一言では言い表せられない情念をその身に宿し、確固たる信念のもと青年は王都へ降り立つ。夢を叶え、実現するために。波乱万丈にして前途多難、苦難必至たるその、夢の名は──



「アズール図書館の司書」



 これは若き青年の物語。

 夢を解き明かす、物語。

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