第34話 その名を刻む、彼女の一歩
愛知パシフィックラリー最終日深夜。
大会の全日程を終えたサービスパークの一角には、リザルト(総合成績)を掲示する小さなボードが設置されていた。オフィシャルによる最終集計がようやく完了し、出場者たちが続々とリザルトを確認するために集まり、少し前までの熱狂を思い返すかのように口々に感想を交わしている。
そこには“昨年覇者”FUJITA Suspension Rally Teamの名前が、文句なしの首位に記載されていた。今年もレジェンド・藤田拓郎(ふじた たくろう)の安定感は揺るがず、特に最終日スーパースペシャルでの勝利が決め手となり、他の強豪を一歩リードするかたちで堂々の優勝を勝ち取った格好だ。
続く2位、3位あたりはTeam Infinity SpeedやNagoya Spirit Rally Teamなど、国内トップクラスの常連チームが名を連ねる。
その下位にもベテラン勢や海外参戦チームの名が並ぶが、やや離れた項目に、ひときわ異質な表記が見えた。「工業高校ラリー部(GRヤリスラリー2)」――総合順位でいえば10位台半ば程度。決して上位とは言えないが、そのチーム名に目を止めた者は多い。
「昨夜の霧のステージでトップタイム? それ、ほんとなのか」「あの子たちが、これまで下位を走ってたのに、スーパースペシャルもコンマ数秒差で藤田と競ったって……どういうこと?」
リザルト表に刻まれた数字以上に、“結果に至るまでのドラマ”を知る人々が広がっていた。真夜中の空に、話し声やスマートフォンのシャッター音が飛び交う。大会が終わったばかりだというのに、この熱はまだ収まる気配を見せない。
工業高校ラリー部——それはまさに高校の部活として結成された小さな組織だ。今回の愛知パシフィックラリーに向けて、必死にクラウドファンディングや地元スポンサーの支援を集め、元WRC挑戦者で教育委員会の委員長でもある円城寺 潤の協力を得てGRヤリスラリー2を用意して出場した。
そんな高校生チームがいきなり常勝チームと肩を並べられるはずがない、というのが大方の下馬評。だが、その常識は1日目夜の霧ステージで覆された。
「高校生がトップタイムだと?」「しかもクラッシュした後の修理車で……?」
その衝撃は大会関係者のみならず、SNSやニュースメディアをざわつかせた。さらに2日目のダートやスーパースペシャルでの奮戦が続き、話題は一気にヒートアップ。「偶然」ではないかもしれない——そんな見方が急増したのだ。
結果だけ見れば、総合順位は中位より少し下。だが“1日目の霧ステージでの区間優勝”“最終SSSでレジェンド藤田とコンマ数秒差の壮絶バトル”というインパクトは、順位以上の評価を生み出していた。
大会終了後の夜明け前、メディア関係者がサービスパークや周辺のホテルに集まっていた。テレビ局、スポーツ新聞、ラリーマガジン専門誌、ウェブ系のモータースポーツ記事ライターなど、その種類は実に多岐にわたる。
彼らの共通の“獲物”は、紛れもなく**亜実(あみ)**という高校2年生の少女ドライバーだった。
「……残念ながら、もう深夜なのでチームは引き上げてますね。朝になるまでインタビューは難しいとか」
「いや、このまま帰らない人もいるらしいよ。部活のテントはまだ残ってるし、どこかに選手が泊まってるんじゃないのか?」
そんな声が飛び交う中、ひと足早く取材に成功したメディアもいた。特に国内モータースポーツ専門のウェブメディアや動画配信チャンネルなどは、ラリー部のテント周辺で深夜の簡易インタビューや車両撮影を行っていた。
「さっき高校生たちが撤収してた姿、ちょっとだけ撮れたわ。まだ完全なコメントはもらえなかったけど、『今回は本当に悔しかった』って言ってた女子生徒がいた」
「マジか! これ、かなりバズりそう。霧ステージの神業走行、スーパースペシャルの藤田との激戦……絵になるねえ。若い女性ドライバーって時点で目新しいし」
そんな会話を交わし合うスタッフたちは、早速スマホやカメラで撮った素材を整理し、SNSやニュースサイトに速報を発信し始める。「高校生女ドライバー、レジェンドとコンマ数秒差の激闘!」「奇跡の霧ステージトップタイム」——煽情的な見出しがいくつも生まれていく。
さらに翌朝、地元テレビ局の朝の情報番組がいち早く今回の大会を特集した。
「続いては、昨日まで開催されていました愛知パシフィックラリーの話題です。なんと、高校生チームが大健闘し、最終SSSでは昨年優勝の藤田選手をあと一歩まで追い詰めたそうなんです!」
アナウンサーが興奮気味に原稿を読むと、VTRにはヤリスラリー2を操る亜実の走行シーンが映し出される。霧のナイトステージやスーパースペシャルの一部映像が編集され、「女子高生が攻める姿」というセンセーショナルな画として流れていく。
キャスターや解説者が「高校生でしかも女子とは驚きですね」「クラッシュ後の修理車でトップタイムなんて、どうやったのか……」と感嘆する。ラリーファンでなくとも注目する要素が多いせいか、SNSでも急速に拡散が進んだ。
特に女子の視聴者から「カッコいい!」「こんな女子高生がいるんだ……」といった反応が寄せられ、「モータースポーツ=男性の世界」というイメージが少しずつ崩れつつある空気が漂う。
一方、スポーツ新聞は翌日の朝刊で“高校生ラリードライバー”を大きく取り上げた。芸能や野球サッカーのニュースが並ぶ中、見開きの一部にラリーの特集を組むというのは珍しい。この新聞社にラリー好きな記者がいるらしく、企画が通ったのだという。
見出しはこうだ。「藤田も認めた新星! 高校生女子が霧と夜を制し、世代交代の狼煙か」
さすがに“世代交代”というには時期尚早すぎるが、読者の目を引くには十分だった。記事には亜実の顔写真や、コ・ドライバー水瀬とのツーショットが掲載され、彼女らがドロまみれのヤリスを囲む姿が写されている。
ウェブメディアでも「奇跡の霧トップタイムの真相」や「スーパースペシャルで見せたレジェンド追撃劇」などの解説記事が次々とアップされ、アクセス数が急増。ラリーに詳しくない人も「高校生がプロと戦えるんだ」「ラリーって車をドリフトさせる競技なの?」と、新鮮な驚きを口にする。
実はこの大会には、欧州や北米からのセミワークスチームが数台参戦しており、その関係者が亜実たちの戦いぶりに興味を示していた。
「高校生で、まだ免許も無いドライバーがSSだけを運転してる? それでこのタイム? クレイジーだね」
「将来もし海外のジュニアラリーに出るなら、うちのチームに声をかけてほしいと伝えてくれ」
通訳を介しながらそんな言葉を部員に残して帰国していく外国人スタッフもいたらしい。ヨーロッパの競技シーンにおいても「18歳前後で凄い才能を発揮する若者」は珍しくないが、“高校生ラリー部”という形式が彼らには刺激的に映ったようだ。
一方、当の亜実はというと、大会終わりの夜、部の仲間と反省会を終えて帰宅し、ようやく自分の部屋でホッと一息つく頃合いだった。
実家の両親や周囲の知人から「テレビ見たよ!」「ネットニュースに載ってるぞ!」と連絡がひっきりなしに入り、まともに睡眠を取る暇もない。 さらに、部活のSNSアカウントが一晩でフォロワー数を急増させ、部長が「どうしよう、返信しきれない!」と悲鳴を上げる騒ぎにもなっていた。
亜実自身はベッドに転がってスマホを開き、ニュースやSNSをチェックする。確かに自分たちの名前が乱れ飛んでいるし、スーパースペシャルの動画クリップには何万再生もの数字がついていた。
「なんか……すごいことになってるんだな……」
つい数日前までは、ただの“高校生ドライバー志望”に過ぎなかった自分。そこがまるで別世界だ。得体の知れない恥ずかしさと嬉しさとが混ざり合い、胸が落ち着かない。
しかし、肝心の「藤田さんを超える」という野心はまだ遠く、ラリーを続けるにはお金や体制の問題もある。クラッシュしたマシンの修理費用は円城寺が援助してくれたが、次があるなら同じことを何度も頼れないかもしれない。
(でも……ここで終わりたくない。絶対にもっと強くなって、いつか“本当に勝った”と言える瞬間を作りたいんだ)
スマホを胸元に抱え込むようにしながら、亜実はそう心に決める。人々の注目を集めているとわかっても、彼女のモチベーションは「ただ好きで走り続けたい」「もっと速くなりたい」に尽きるのだろう。
翌日、ラリー部の顧問・佐伯と円城寺が中心となって、学校関係者やスポンサーとの“ミニ報告会”が開かれた。そこに新聞社やテレビ局の数名が押しかけ、亜実たちに追加の質問を浴びせる。
「今後、もっと大きな大会にも出るんですか?」「WRCなど世界ラリーへの挑戦は視野に入れてるんですか?」
それらを受け、顧問の佐伯は困ったように笑い、「まだ正式には何も……あくまで部活動であり、亜実も高校在学中ですので」とひとまずやんわり返す。
しかし円城寺は柔らかな口調で、「でも、今回のパフォーマンスを見て、海外チームからも声をかけてもらっています。本人が本気で世界を目指すなら、可能性はあると思いますよ」とさりげなく未来への期待をほのめかした。
亜実は何を言えばいいのか一瞬迷ったが、最終的には「世界はまだ想像できないです。でも、もっと速く走れるように練習したい気持ちは本当に強いです。今回みたいに、たくさんの人に応援してもらえるなら、いつか世界に挑戦したい……かも」と正直に打ち明けた。
それが翌日のスポーツ欄やラリーマガジンのウェブサイトに「高校生ドライバー“世界も視野”」という形で取り上げられ、さらに火をつける結果となる。
こうして、愛知パシフィックラリーは幕を下ろした。
優勝はFUJITA Suspension Rally Team、藤田拓郎の貫禄ある走りであったことに疑いはないが、メディアやファンの視線は“負けた”はずの高校生チームにも注がれていた。
総合リザルトという数字の上では決して目立つ順位ではないが、霧のステージ優勝、スーパースペシャルでの名勝負といったエピソードが濃いインパクトを残し、「愛知工業高校ラリー部」や「高槻亜実」「水瀬恵理香」の名が、一気に広まる形となったのだ。
新聞や雑誌、ネットニュースには、「17歳の女子高生ドライバー」「伝説ナビ復活」「工業高校ラリー部の若き野心」など、彼女たちを象徴するフレーズが並ぶ。ごく一部の過激な見出しでは、「次の日本人WRCドライバー候補!?」などと書かれており、本人たちも思わず失笑してしまうほどだ。
しかし、そうしたやや大げさな記事も含め、今まで一般には知られていなかった“ラリーの楽しさ”や“若手の可能性”を伝える材料になっている。
藤田も、円城寺も、そして部員たちや顧問も、それを素直に喜んでいた。ラリーは決してマイナー競技ではないが、日本国内の注目度はまだまだだった。それを変えるきっかけを、この愛知工業高校ラリー部が作ったかもしれないと、誰もが感じている。
エンディングを飾る太陽がゆっくりと昇るころ、亜実は部室で片づけを終え、ふと空を見上げた。
(負けたけど、こんなに注目されるなんて、なんだか変な気分。でも、次こそは勝ちたい。藤田さんにも、自分にも。いつか、世界……本当に行けたら、どんな景色が待ってるんだろう?)
胸には、意外とくすぶるものがない。むしろ澄んだ決意が芽生えている。練習も、勉強も、部活も、そしてラリーも、全部こなすのは大変かもしれない。でもそれはまだ17歳の青春の一部。
遠くには、ラリーカーのエンジン音が聞こえるような気さえする。叩きつけるような泥や砂煙も、霧を切り裂くライトの光も、すべてが“未来”を象徴するかのように思えるのだ。
——そう、ラリーが終わっても、物語はまだ続いていく。
1日目の大クラッシュ、霧の中の奇跡的トップタイム、2日目ダートの奮戦、そしてスーパースペシャルでの惜敗——彼女たちの走りは、結果以上の衝撃を周囲に与えた。それはきっと、世界への扉を開くための鍵になる。
次に亜実たちがどんな走りを見せるかは、まだ誰にも分からない。しかし、今回の結果が“彼女がラリー界に刻んだ名”として語り継がれるのは間違いないだろう。
冬枯れの風が朝の校舎を撫でる中、亜実は静かに笑みを浮かべ、部室の鍵を閉めた。その先には、ボンネットの向こうに果てしなく続く道がある。ラリーカーのアクセルを踏み込みたくて仕方がない衝動を抱えながら、彼女はもう一度、次のラリーを心待ちにするのだった。
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