第29話 夜明け前のサービスパーク

 夜明け前のサービスパークは、まだ深い闇が辺りを覆っていた。時刻は午前五時を少し回ったころ。

 前日の愛知パシフィックラリー1日目での喧噪を思い返すまでもなく、パドック内には余韻がかすかに漂っている。だが、照明は薄暗く、整備用のランプやヘッドライトが点々と揺れているだけだ。

 雨は深夜のうちに止み、霧もいったん薄れたはずだった。しかし空気はまだ冷え切っていて、吐く息がわずかに白くなる。そんな寒さの中、ラリーカーを囲むメカニックたちが徹夜で作業にあたっていた。


「…ラジエーター周りは、もう一度チェックだ。漏れてないよな?」

「ちょっと待ってください。まだホースの付け根が緩いかもしれない…」


 工業高校ラリー部のテントから、そんな会話が断続的に響いてくる。

 金属製の工具が打ち合わせる乾いた音や、コンプレッサーのモーター音が夜闇に溶け込む。部員たちはそれぞれ小型ライトやヘッドランプを装着し、手早く、そして慎重に部品を扱っていた。


 まだ眩しい太陽の光など望めない時刻。一般的な高校生であれば、ベッドの中で夢の続きを見ていても不思議ではない時間だ。それにもかかわらず、彼らはもう何時間も前から張り詰めた雰囲気の中で活動を続けている。


 理由は単純であり、かつ切実なもの。――昨日、クラッシュを喫したGRヤリスラリー2の修理がまだ完全に終わっていないのだ。


 1日目の愛知パシフィックラリーで起きた出来事は、ラリー部のメンバーにとって想像以上に過酷だった。

 朝からの緊張、山岳ステージ、林道のグラベル区間、そして観客を避けようとした亜実の操作が引き金となり、フロント部分に大きなダメージを受けた。修理はしたものの、完全に元通りには程遠い。


 しかも、夜の霧ステージで奇跡的とまで言えるトップタイムを叩き出したことによって、チームのモチベーションは一気に高まったが、同時に疲労も格段に増している。それでも、“まだ撤退できない”という意地が、部員の目から眠気を追い払っていた。


 メカニックチームの中心にいるのは、ラリー部の3年生部長と、整備担当の2年生や1年生たち。顧問の佐伯先生は、学校内での許可や手続き、さらに昨日のクラッシュ後の事務的な対応に奔走していたため、深夜からはこの若きメカニックたちがメインで修理を進めてきた形になる。


「……とりあえず仮留めは終わった。サスのアッパーマウント、少し曲がってるな」

「曲がってる? それって……走行に影響、出そう?」

「正直、100点とは言えない。だけど今の部品や道具じゃこれ以上は厳しい。今日のステージをなんとか走り切れるかどうか…」


 部長の苦い表情が、LEDランプの光を受けて浮かび上がった。そこには安堵もあれば、切迫感も混じっている。結局、この段階でできることは“応急処置”に限られるのだ。

 それでもラリーでは、こうした短時間の修理でいかにマシンをゴールさせられるかが勝負を分けることもある。だからこそ、彼らは徹夜を惜しまず整備を続けてきた。


 そんなテントに、淡い照明を背中に受けながらちょこんと姿を現したのが、高槻亜実(たかつき あみ)だ。

 彼女は17歳の高校3年生。本来なら免許が取れる年齢にはまだ余裕があるため、公道区間の運転(リエゾン)はコ・ドライバーの水瀬が担当。競技区間(スペシャルステージ)でだけハンドルを握る異色のスタイルだ。


「部長、おはようございます。…って、ずっと起きてたんですよね。すみません、わたしちょっと寝ちゃってて…」


 亜実は寝ぼけまなこをこすりながら言った。

 深夜には彼女も修理を手伝おうとしていたが、メカニック用の専門知識をそれほど持たないため、「少しでも仮眠を取れ」と部長や佐伯に追い払われる形になった。


「おはよう、亜実。まあ、走るのはおまえだ。ラリーカーとドライバー、どっちも万全じゃないと話にならないからな。今のうちに少しでも休んでおいて正解だったよ」


 そう答えた部長の声にも、徹夜続きの疲労感がにじんでいる。亜実が申し訳なさそうに視線を落とすと、部長は小さくかぶりを振った。


「実際、まだ完全に直ったわけじゃない。それでも、出走はできる程度にはなったよ。足回りとかラジエーター周りとか、いろいろと歪みや不安はあるけど…」


「…そうなんですか。でも、本当にありがとうございます。ここまでしてもらって…わたし、ちゃんと走らなきゃ、ですね」


 亜実は自分の両手をぎゅっと握りしめる。昨日はクラッシュのショックが大きく、自分が車を壊してしまったという責任に押しつぶされそうだった。しかし夜の霧ステージでトップタイムを出した直後、部員や顧問、そしてスポンサーでもある円城寺から「よくやった」と言われた瞬間、彼女の中でまた別の感情が芽生えた。――“結果を残したい”という思いと、“期待に応えたい”というプレッシャー。

 その挟間で揺れているのは事実だが、少なくとも目の前のメカニックたちが徹夜でマシンを仕上げてくれた。この事実だけでもう、弱音は吐けなかった。


「あと数時間で2日目が始まる。まだステージは多いからな。絶対に無理はするなよ、亜実」


 部長の言葉に、亜実は力強くうなずいた。


 部長の言葉が落ち着いた頃、今度は顧問の佐伯がテントの脇から現れた。佐伯はもともと国内B級ライセンスでラリーを走っていた経験がある教師だが、今は指導に専念している。昨夜はクラッシュ後のオフィシャル手続きや特例措置などをあれこれ調整し、チームが競技続行できるよう奔走していた。


「みんな、そこに集まってくれ。今から今日のステージについて、最終確認だ」


 そう声をかけると、佐伯はテントの奥に立てかけてあるホワイトボードを手に取り、簡易テーブルの上に置いた。ペンで地図を示しながら、2日目のスケジュールを説明し始める。


「今日の午前中は基本的に高速ターマック区間が中心だ。昨日のような雨は上がっているが、路面はまだ濡れている。油断するな。特に亜実は…」


 そこで佐伯は亜実に視線を送る。


「昨日の霧ステージで上手く走れたからといって、同じ感覚でスピードを出しすぎると危険だ。むしろ霧より視界がクリアなぶん、スピードが上がって気づいた時には曲がりきれない、なんてこともあり得る」


 亜実は少し表情を強張らせた。確かに昨夜は視界ゼロに近い状態で、水瀬のナビを頼りに突っ走った。それを“奇跡”と呼ぶのは当人たちも自覚している。今日は同じようには行かないかもしれない。


「わかりました。気をつけます」


「うん。で、午後にはダートや農道のステージが含まれる。車体ダメージが足回りに及んでいる以上、ジャンプやギャップがある場所ではタイヤバーストや足の破損に要注意だ」


 佐伯の説明は続く。ホワイトボードには、2日目のステージ順や各SSの距離、そして注意ポイントがマーカーで書き込まれていく。集まったメカニックや部員たちは真剣な表情でメモを取ったり、うなずいたりしている。


すると、テントの外からもう一人、ひときわ目立つオーラを放つ男がやって来た。

円城寺 潤。落ち着いた雰囲気を持ちながら、どこか鋭い眼差しを湛えている。

彼は工業高校ラリー部の最大スポンサーであり、教育委員会の委員長。かつてはWRCに挑み挫折した過去を持つが、その夢を託すように亜実たちをサポートしている。


「おはよう、まだ暗いうちから大変だな…」


円城寺はそう言いながら、ホワイトボードを見つめた。佐伯の説明が一段落しているところを見計らって、口を開く。


「昨夜の霧ステージでトップを取ったのは確かに立派だ。でも、その成功体験に足をすくわれることだけは避けろよ。無茶してまた車を壊されたら、さすがにもう直す時間はない」


亜実はそれを聞いて、目線を下に落とした。円城寺の言葉は厳しいが、そこに愛情がないわけではない。むしろ彼女を誰よりも信じているからこそ、リスクを取ってほしくない――そんな複雑な思いを抱えているのだ。


「昨日と同じようなコンディションじゃないし、さっきも佐伯先生が言ったように高速区間が多い。スピードを出せば出すほど車体の歪みや負荷が大きくなる。せっかく徹夜で修理してもらったんだ、2日目を完走しなければ意味がない」


円城寺の声は低く、静かながらも迫力を持っていた。

亜実は小さく一度息を吐き、「わかりました。でも……やっぱり、結果は残したいんです。昨日みたいに、私たちにしかできない走りをして、少しでも上を目指したい」


「それは止めない。お前たちが本気で走りたいなら、俺は応援する。だけど最後に車が壊れてリタイア、なんてオチはごめんだぞ」


円城寺は薄く笑いながら言った。その笑みの奥には、自分がWRCで諦めた夢や悔しさも見え隠れする。だからこそ、亜実たちには“完走”という最低限の責任を果たしてほしいと願うのだ。


そんな一連の話を聞いていた水瀬 恵理香が、先ほどからノートを片手に静かに頷いていた。

40代中盤の彼女は、かつて“天才コ・ドライバー”と呼ばれた実力者。恋人兼ドライバーを事故で亡くし、その後ラリー界を離れていたが、亜実たちとの出会いを機に再びナビとして復帰。

昨日の霧ステージでトップタイムを出せたのも、水瀬の正確なナビゲーションが大きな要因だったといえる。


「大丈夫ですよ、円城寺さん。私もできる限りのナビをします。ただ、車体バランスが崩れるようなら、すぐにペースを落とすように亜実に指示します。無理はしません」


水瀬の声は穏やかで、控えめながらも芯の強さがにじみ出ていた。

コ・ドライバーとして、ドライバーの命を預かる立場。事故で恋人を失った過去を抱える彼女にとっては、無茶をして事故を繰り返すなど論外のはずだ。だが、昨日のステージでは驚くほど鋭いコールで亜実を攻めさせた。そこには、亜実が持つ潜在能力への確信と、“もう二度と守れなかった後悔”を繰り返さないための決意がある。


「でも……もし彼女が踏みたいと思ったら、なるべく踏ませてやりたいのも本音です。世界に行くためには、ここで上位に食い込む必要もあるでしょうし」


水瀬が少し笑みを浮かべると、円城寺は苦い顔をして肩をすくめた。


「まあ、そうなるんだろうな……。佐伯先生、彼らを頼みますよ。俺がいても、どうにもこうにも止められないから」


佐伯はわずかに笑い返し、「お任せあれ」と言わんばかりにうなずく。そこに部長も部員たちも加わり、さながら一つの結束が形成されるような空気が流れる。


そんな工業高校ラリー部のテントを横目に、周囲のチームもそれぞれ朝の準備を整えていた。


Team Infinity Speed――セミワークス級のRally2マシンを抱える強豪だが、1日目の霧ステージで思うようなタイムが出せず、悔しがっているらしい。

ドライバーは20代後半の日本人男性でクールな性格だが、今日はいつにも増してピリピリしている。コ・ドライバーが「落ち着いて」と声をかけても、なかなか冷静には戻れないほど闘志を燃やしているようだ。


Nagoya Spirit Rally Team――地元愛知の私設チーム。改造ランエボを駆り、堅実で安定した走りが武器。

ベテランドライバーは今朝も淡々と「焦らずに行こう」とスタッフに指示を出し、全体に落ち着いた雰囲気を醸し出している。1日目夜の霧ステージで、高校生の亜実たちがトップタイムを叩き出したことにも驚きはしているが、自分のスタイルは崩さない。


Rising Star Racing――若手エースがウリの勢いあるチーム。20代前半の天才肌ドライバーと同世代のコ・ドライバーを組ませ、“次世代のスター”を売り出している。

しかし、その若手ドライバーは「高校生なんかに負けられるか」と、やたらと対抗心を燃やし、空回り気味。チームのメカニックやコ・ドライバーがなだめても聞く耳を持たず、よけいに状況を悪化させているように見える。


そして、目立った存在感を放つのは、昨年の優勝チームFUJITA Suspension Rally Team。

同じGRヤリスラリー2を駆りながら、完璧な状態でマシンを仕上げ、慣れた手つきでサポートクルーが作業を進めている。

その中心に立つのが、藤田 拓郎。かつてグループAのST185セリカGT-FOURを駆り、モンテカルロラリーで日本人初優勝を成し遂げたという伝説のドライバーだ。


「昨日の最終SSのトップタイム……本当に、高校生が出したのか?」

「ああ、間違いありません。マシンはGRヤリスラリー2のはずです」

「ふむ……面白いじゃないか。俺ももう若いつもりじゃないけど、負けるわけにはいかないな」


藤田は冷たい空気の中で軽く伸びをしながら、ふと工業高校ラリー部のテントに視線を向けた。その眼差しは好奇心と余裕、そしてレースへの静かな情熱が入り混じっている。


工業高校ラリー部のテントで一通りミーティングを終えた円城寺は、ふと藤田の姿を認めて挨拶に行くことを決めた。

かつて、円城寺が全日本ラリー選手権に出場していた頃、藤田に直接声をかけたことがある。自分とは違い、世界へ羽ばたき、しかもモンテカルロで優勝までした男。円城寺にとっては、生涯の憧れともいうべき存在だ。


「藤田さん…おはようございます。憶えておいででしょうか、円城寺と申します。全日本ラリーの頃、少しだけお話しさせてもらったことが…」


円城寺は控えめに頭を下げる。藤田は一瞬キョトンとするが、すぐに「ああ」と思い出したように微笑んだ。


「円城寺くん、だっけ? 確か当時は若手のドライバーだったかな? いや、懐かしいなあ…」


「若手…と言ってももうあの頃の面影はありませんけどね。今は教育委員会の委員長として、ここの愛知工業高校ラリー部を支援してるんです」


円城寺の言葉に、藤田は意外そうに頷いた。


「なるほど。あのヤリスラリー2は君たちのチームのものか。昨日、霧のステージでトップを取ったそうじゃないか。どんな若者が乗っているか気になってたところだよ」


「まだ17歳の女子高生ドライバーなんです。コ・ドライバーは、かつて天才ナビと呼ばれた水瀬恵理香。事故でラリー界を去っていたのを、うちが何とか…」


円城寺はチームの概要を手短に話す。藤田は興味深そうに聞いている。


「へえ、そうだったのか。昨日の走りは映像で少しだけ見たが、確かに凄いね。霧の中を恐れ知らずで走っていくように見えた」


「ええ。でも、まだ車も彼女たちも荒削りなんです。昨日クラッシュもして、徹夜で修理したばかり。あまり無茶はしてほしくないのが本音なんですが…」


円城寺が苦笑すると、藤田はどこか懐かしそうに遠くを見つめた。


「若い頃はみんなそうさ。俺だって世界に挑むと決めた時は、無茶が多かった。車が壊れるたびにメカニックに怒鳴られながら、それでもアクセルを踏んでいた。……でも、その無茶の中からしか見えない景色もあるのがラリーだろう?」


「それは……確かに。けど、僕は夢を叶えられずに終わったクチですからね。彼女たちにはできれば安全に、でも世界を狙える走りをしてほしいと願っています」


円城寺の言葉に、藤田は肩をすくめて笑った。


「安全に世界を目指すなんて、一見矛盾した話だけど、まあ君の気持ちはわかるよ。大丈夫さ。世界の舞台を目指す連中は皆、そういう葛藤を経て大きくなる。もし機会があれば、直接声をかけてみるさ。競技が終わったらな」


そう言い残して、藤田はクルーが待つ場所へと向き直る。円城寺は深く頭を下げ、静かに別れを告げた。


「やっぱり、この人は別格だな……」


円城寺は遠ざかる藤田の背中を見つめながら呟いた。かつて自分が憧れた走りを、若い高校生ドライバーと同じヤリスラリー2で再び見せてくれるかもしれない――そんな期待と、自分ができなかった夢を誰かが継いでくれるかもしれないという複雑な想いが混ざり合っていた。


一方、工業高校ラリー部のテントに戻った円城寺は、すぐに亜実や水瀬、佐伯顧問、メカニックたちを集め、簡単に藤田とのやりとりを報告した。


「やっぱり興味を持ってるみたいだ。昨日のトップタイムに驚いていたよ。もしチャンスがあれば話してくれるかも…」


「えっ… あの藤田拓郎さんが……?」


驚く亜実に、円城寺は小さく笑い返す。


「そうだ。お前にはまだピンとこないかもしれないが、俺にとっては伝説のような存在だ。セリカGT-FOURでモンテカルロラリーの総合優勝を果たした日本人なんて、後にも先にも藤田さんだけだろう。もっとも、今は時代が違うがな…」


「凄い人なんだなあ… でも同じGRヤリスラリー2に乗ってるってことは、今日もかなり速いんですよね?」


亜実は尊敬と恐れの入り混じった声を出す。水瀬は軽く微笑みながら、「藤田さんのキャリアを考えたら、そりゃもう相当速いでしょうね」と付け加えた。


「まあ、勝てるとは思わないが、うまくいけば近くでその走りを見られるかもな。だが、まずはお前たちが完走するのが先決だ」


円城寺が言うと、亜実は真面目な顔でうなずき、「はい」と短く返事をする。


それから佐伯が時計を確認しながら声を張り上げた。


「そろそろ2日目の受付が始まるぞ。ここからスタート地点まではリエゾンで移動だ。亜実は座席に乗るだけだが、水瀬さん、運転は任せたぞ」


「ええ、もちろん。安全運転で向かいましょう。車の状態が思わしくなかったら、途中で引き返すくらいの気持ちでいきます」


「わかった」


そうして、メカニックたちが最後の増し締めと点検を終え、いよいよGRヤリスラリー2がエンジンをかけられた。

小柄な車体から噴き出す排気音が、まだ薄暗いサービスパークにこだまする。亜実が助手席へ、そして水瀬が運転席へ乗り込み、ラリー部の部員や佐伯、円城寺らが見送る中、ゆっくりとテントの外へ動き出す。


サービスパークから出る道は、まだ照明が少なく、朝日は全く顔を出していない。ただ、夜が明ける前のわずかなブルーグレーの光が空を染め始めているのがわかる程度だ。


亜実は助手席でシートベルトを確かめつつ、窓ガラス越しに振り返る。そこには自分の部員仲間や円城寺の姿が見えた。手を振っている者もいれば、静かに見守る者もいる。

昨夜の徹夜作業でクマを作った部員たちや、それでも笑顔を見せて「がんばれ」と口パクで伝える部長の姿を見て、亜実は胸がいっぱいになった。


「…よーし、わたし、がんばるから」


心の中で小さく決意を固める。水瀬は運転席でギアを入れ、リエゾン走行用のセッティングで車を丁寧に加速させていく。


「足回り、まだ微妙に振れるわね。でも一般道の速度なら問題なさそう」


「はい…大丈夫そうでよかった」


2人の会話は短いが、そこにはドライバーとコ・ドライバーの信頼関係が垣間見える。夜が明け切る前の淡い空気に包まれながら、GRヤリスラリー2は静かにサービスパークを後にした。


ライバルチームたちも次々とエンジンをかけている。Team Infinity Speedのドライバーはヘルメットを被り、忌々しそうに昨日のタイム表を見返しているようだった。

Nagoya Spirit Rally Teamのベテランドライバーは、落ち着いた笑みを浮かべながら「よし、行くぞ」とスタッフを促す。Rising Star Racingの若手エースは妙に苛立ちを隠せず、コ・ドライバーに怒鳴り散らす姿すら見える。

そしてFUJITA Suspension Rally Teamの藤田は、最後にサポートクルーと何やら言葉を交わし、「よし、行こうか」と自身のGRヤリスラリー2に乗り込む。


明るくなりきらないサービスパークから、一台、また一台とラリーカーたちが出発する様子は、まるで夜空に散らばる星々が順々に地上へ降り立っていくかのよう。

ここから2日目の厳しい戦いが始まる。高速ターマック、農道ダート、そして最終的にはスーパースペシャルステージが用意されているという。前日にも増してハードな一日が待ち受けているはずだ。


亜実と水瀬、そして愛知工業高校ラリー部の物語は、まさに今、闇を抜け出し始める朝日とともに新たな局面へと向かっていく。

1日目の奇跡がほんの序章なのか、それとも偶然の輝きだったのか。

彼女たちがこれから直面するのは、トップタイムによる高まった期待と、自らが抱える車体ダメージ、そして世界を舞台に走ってきたレジェンド・藤田拓郎をはじめとする強豪ライバルたちの存在――。


果たして、2日目を無事に走り切ることができるのか。それとも、またしてもアクシデントが襲うのか。

夜明け前のサービスパークは、そんな物語の続きを見守るかのように、淡々と人々の動きを受け止めていた。

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