第四場:ヒロイック・コンプレックス

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ひどく、見蕩れてしまった。

さんざめく逆光に照らされた、正体不明の、そんなヒロイックな立ち姿に。


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(☆は初登場のキャラクター)


【登場人物紹介】

[☆砂澤いさざわ 日奏かなで]

・高校生にしては小柄な男の子。物腰柔らかな性格で、事勿ことなかれ主義。平和であることがいちばん。


[☆毅沫きしぶき その]

・高校生にしては大柄な男の子。幼い頃見た特撮番組のヒーローに憧れて、〝勧善懲悪ヒロイック〟をモットーに日々を生きている。


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 背が低くて子供っぽい……というよりも、庇護対象に無意識下で選ばれる、要するに舐められやすい容姿をしていることを自覚したのは、多分周りも童顔が目立って、身長が伸びなくなった中学生の頃だと思う。


 だから、昔も、そして今でも大好きな特撮番組のヒーローに憧れるのは当然の帰結なんだ。

 自分の現状に不満足を覚えるから、誰かになりたい欲望にたきぎが焚べられていく。でも、それでさかる火で暖はとれない。虚しい煙たさが目を乾燥させるだけで、全く何も温かくはない。ぱちぱちと弾ける音はするのに。

 やるせない炎を見つめる日々を誤魔化して、ぼくは僕を閉じ込めている。


 そうすれば前に倒れることもないけど、後ろに転がることだってないから。でも──


「あ、あの! ぼく、そんなにお金持ってません……」

「ンなもん見りゃ分かるわ。坊っちゃん私立の制服じゃねぇからな。金じゃねぇよ、俺はそのブカブカの制服にムカついてんだよ!」

「制服に!? そんなの難癖ですよ!」

「その制服、夕ヶ波ゆうがなみだろ。なら少なくとも15歳ってワケだ。15になってそのブカブカがぴったりになるまで背は伸びねぇよな! 分かったらさっさと身の丈に合うように買い直してこいやチビガキ!」

「っ!」


 学校への近道となる路地裏の真ん中。寝坊して逸ったその道。頭ひとつ高いところから浴びせられる怒号に、ぼくはどうすればいいか分からなかった。

 でも、間違いなく難癖だけど、真摯にぼくの成長を見越して制服を買ってくれた家族たちを馬鹿にされているようで、小さな怒りの気泡がぼくの中に生まれている。

 でも、きっと勝てっこない。ぼくの体躯じゃ何をしてもダメだ。力はないし、自慢の逃げ足も大したものとは言えなくて、相手に勝てるかは分からない。

 第一、強く抗議する芯の強さも持ち合わせていないんだ。言われるがままで、いつになったら解放されるかも分からない。少し前の入学式の登下校はすごく平穏だったがゆえに、今の荒事が鮮明になる。


 それ以上にぼくは、眼前に聳えるこの不良が少し羨ましかった。

 上背がある。厳しい顔つき。隆々とした体格。妹の着せ替え人形にされるような柔らかいぼくでは、手の掛けようもない崖の上。


 ああ、でも憧れてはいない。羨ましいけど、憧憬はなにもない。ぼくが憧れているのは、こんなヴィランを真っ直ぐな正義で罰する、五感をくすぐる熱風のような、そんなヒロイックな──


「ぼ、ぼくだって、まだまだ背は伸びます……」

「もう伸びねぇって言ってんだろうが! ガキの癖して物分りが悪いのはいただけねぇなぁ! ……オラ、喝入れてやるよ。壊れてんだから、殴れば物分りのいい坊っちゃんになれるよな?」

「ひっ」


 握られた拳が、ぼくの頭に飛来する。竦んでしまって、声が出ない。弱々しいからの音だけが、喉を通って情けない。


 散々思ったじゃないか。ヒーローになんてなれないんだって。ずっと庇護対象なんだ。弱々しい悲鳴すらも絞れない、小さくてか弱い草食動物。

 ヒーローになれないことを反芻する日々を続けていることに、不満足は覚えないようにしていたのに。


 でも、少し、変わりたいと思ってしまったから。

 今この場に、ヒーローたりうる存在は、そう。〝ぼく〟という、逃げ回るだけの庇護対象を正義の力で護る、〝僕〟というヒーローしかいない、から。


 だから、逃げたくなかった。

 立ち向かってみたかったんだ。


「う、うわぁぁぁぁぁ!」

『はっ! ンな細っこい腕で立ち向かうたぁバカな奴だな! オラッ、喰らえ──』

『──はっはっは! そこく不良よ、見識が浅いな! よわい15でも身長は、伸びる!』


 学校への近道、閑とした路地裏に、ひとつの快活が降ってきた。


『……テメェ、どういうつもりだコラ。対等なタイマンを邪魔する気か?』

『対等だって? 俺の目には対等には見えなかったが?』

『だってよチビガキ。お子様って言われてるようなもんだぜ? やっぱ俺の目は間違って──』

『はっ、何を言っているんだ怪人よ! この少年の内に目覚めた勇気と、貴様の見識の浅さ、下劣さ。どこをどうとっても対等には見えないぞ! 正義のはもちろん少年にある! 助太刀無用かと思ったが、そろそろ学校の遅刻が迫っているからな! 少年、共にこの怪人を撃退しようじゃないか!』

「……っ!」


 降り立ったそのヒロイックに、息を忘れた。息を飲んだその瞬間に、身体の内が煌々と熱さを覚えた。

 およそ赤を基調としたヒーロースーツがよく似合う、からっとした、果てしなく格好のいい青年。

 背は不良よりも少し高くて、晴れ間が割く影と逆光に顔が見えない。ぴんと伸びた背筋。臆さない芯の強さ。どれだけ熱しても曲がらないような、真っ直ぐな正義の心持ち。


 ヒーローだ。どうしようもなく、そう思った。


「…………」

『少年、惚けている場合ではないぞ! 共に怪人を打ち倒そう!』

『テメェ、さっきからその怪人ってのやめろ、俺はだな──』

『路地裏に人を連れ込んで言い詰める人間のどこに正義がある? 人目のある場所ならともかく、ここでは後ろめたさの表れではないか! それに、この少年の目を、はらの底を見てみろ。感じないか? 正義に与して悪をちゅうする、メラメラと燃えうる確かな火種が!』

『はっ、見えねぇな! ……チビガキはもういい。お前だお前。自称正義がみっともなく負けるような様は見せられねぇよ……なぁ!』


 大振りの拳が、彼の鼻頭目掛けて飛んでいく。彼はするりとかわした。次は鳩尾みぞおちに。それも容易く受け止めて、受け流すように投げ飛ばした。

 けれど、不良がコンクリートに強かに叩きつけられることはなかった。極めて優しく、けれども勢いも殺さずに投げ飛ばしたようだった。


『痛……くはねぇな。……テメェ、加減したな?』

『ああ! 少年には見たところ怪我もなく、それに、貴様の悪事の全てを見ていなかった以上、怪我を負わせて生活の自由を奪うことはしないさ! これに懲りたら──』

『オラッ!』

『っと、危ない! ……さて少年、小さくも大きなヒーローよ! 正義の範疇はんちゅうで報復をしたい気持ちは山々だろうが、生憎か幸いか俺たちには時間がない! 逃げ足に自信はあるか?』

『……はい! あります!』

『よし! ……逃げるが勝ちという言葉もある。ここは潔く逃げて撒いてしまおう!』

『はい!』

「……逃がさねぇぞ! 待てや腰抜け共!」


 長い脚で路地裏を先導する彼。ぼくだってサイクルを早めて、必死で彼に着いていく。

 息が上がった頃にはもう校門に辿り着いていて、後ろから追ってきていたはずの不良は、1ドットも存在しなかった。


♢♢♢


 今日は始業式だった。入学式以来初めての登校日で、入学式では知り得なかったクラス発表に基づいてオリエンテーションを受ける日。

 ぼくの名前がしたためられていたのは1年6組。校庭の桜がよく見える窓際の日向で、独りだと、きっと眠ってしまうだろうと思っていた……ものの。


「まさか同じクラスだとはな! よろしくな、正義の少年!」

「正義はやめてください……だって、ぼくは誰だってまだ護れていないんですから……」

「そうか? 少年は少年自身を護れていたじゃないか! 誰しもが内に抱える正義をしっかりと証明できていたぞ!」


 廊下側の窓枠に寄りかかるようにしてぼくと会話をしているのは、先程助け舟を出してくれたヒーロー。

 顔を合わせることで初めて昭然しょうぜんとした顔立ちも、思った通りのヒロイックさだった。


「自己紹介は道すがらしたが……改めて! 俺は毅沫きしぶきそのだ! 気軽に園って呼んでくれよな、砂澤いさざわ少年!」

「分かりました。あ、ぼくのことも呼び捨てで大丈夫ですよ。気軽に日奏かなでって呼んでください」

「おう! あ、同い年だしまどろっこしいから、敬語はやめてくれると嬉しい! よろしくな日奏!」

「……うん、分かった。よろしくね、園!」


 ぼくとは数段違う朗らかさとデシベルを抱えた園の目線は、きらきらと刺さるようにぼくの瞳孔にやってくる。

 眩しいのはきっと、窓際だからだけじゃない。太陽が傍にあるみたいで、ぼくだって熱く光ってしまいそうだった。


 ……いや、もう熱を持っている。確かに熱い。さかっている。少しだけ踏み出せたあの瞬間に生まれた強い火種に、薪を焚べることしか思いつかなかったぼくに、ブローパイプで酸素を送ってくれた園のおかげで。

 ぼくの隣で、立ち上がるところを見届けてくれた、園のおかげで。


「……? どうした日奏、上の空だぞ? っ、まさか、俺が来る前にあの不良に殴られたのか!?」

「いや、どこも痛むわけじゃなくて……」

「そうか! なら良し……ではないな。悩み事があるのか? できる限り力になるぞ!」

「悩み事というか……物思いかも」

「……悪い、違いがよく分からん!」

「ふふ、そうかも。あんまり違いはないかもね」


 園からたくさん学ぼう。背は多分もう伸びないし、声にだって威厳はないかもしれないけど、

 〝ぼく〟に応えたように、〝僕〟の正義が、誰かの正義に寄り添える日が来ることを願って。


「そうだ日奏。この後体育館でクラブ紹介があるだろう? よかったら一緒に行かないか?」

「うん、行きたい行きたい。園はヒーロー部かな?」

「あるのか!?」

「……ふふ。あったら嬉しいね!」


 窓から春風がそよいだ。始まりの春に押された背には、きっと桜の花びらが彩られている。園の背にあしらわれた花びらのそのかたちが、ぼくの背にあるものと似たかたちをしていたらいいな。


♢♢♢


「ちなみに園。アレって咄嗟の、場を言いくるめるためのおべんちゃら?」

「うん? どれだのことだ?」

「〝齢15でも身長は伸びる〟ってやつ」

「違うぞ! 俺の父親がそうだったんだ。生憎人伝の論説だが、事実そういうことがあった以上、日奏にだって可能性は秘められてるってことだ!」

「……伸びるかなあ」

「ああ、きっと伸びるさ! ……だがひとつ。あの時の日奏の勇気は、身長に起因するものじゃない。勇気ってのは曖昧で、見える背丈を持たないものだからな! 大事なのは、それがどれだけ熱いかだ!」

「うん、分かった。……そうだなあ。園が上手く空気を送り込んでくれたから、薪の焚べ甲斐があるよ」

「たきぎ?」

「こっちの話……って、あ! 園、頭屈めて! そこ天井低──」

「痛ってぇ!」

「……園って身長、何センチあるの?」

「去年測った時は182センチだったな!」

「……流石に羨ましいなあ」


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