星の棘

文月八千代

*

 

 見ないふりをしたほうがいいことって、そこらじゅうにある気がする。


 たとえばケーキを3つ食べてしまった次の日の体重や、散財したあとの預金残高、それから休日に昼寝をしたあとの時間とか……。たいてい、見たあとに「見なきゃよかった」と思うことばかり。


 だからたったいま目にした「それ」も、見ないふりをすればよかったのに。つい、手を伸ばしてしまった。



 久しぶりにまじまじと見たクローゼットは、魔境だった。

 片付けものというのは苦手で、とりあえず手当たり次第突っ込んで、部屋をスッキリさせた気分になってしまう。だからクローゼットのなかは夏物と冬物の服がごちゃまぜで、ほかにもいろんなものが乱雑に放り込んであった。

 その片隅に、高さ15cmくらいのクリスマスツリーがある。ビニール製だけれどわりと精巧にできていて、インテリアとしては十分なシロモノだ。


 せっかくいまはクリスマスシーズンなんだから、飾っておけばいいものを……。


「できるわけ、ないじゃない」


 ほのかに埃っぽい「それ」を見ながら、ボソリと呟く。



 クリスマスツリーを買ったのは、ずっと昔のことだ。いち、に、さん、と指を折り曲げていくと、両手を使っても足りないくらい。

 あのころはなにをしていた? と思い返してもほとんど覚えていないし、記憶を無理に呼び覚まそうとも思わない。


 でも、どうしてだろう。一緒にクリスマスツリーを買った人との思い出だけは、勝手に浮かび上がってきてしまう。



***



「ねえ、これ。ちっちゃくて可愛くない?」


 真っ赤な文字で「SALE」と書かれた札がやたら目につく棚から、クリスマスツリーを手に取って。口元までグルグル巻きにしたマフラーの奥で、私は言った。


「こういうの好きだよな」


 返ってきたのは少し呆れた声だけれど、横目でチラリと見た顔は笑っていて……なんだか嬉しくて、私も笑った。



「うん、だって可愛いんだもん」


「返事になってねー……俺はもっとこう、デカかくてギラギラしてるのが好きだけどな。なんてったって、『カッコいい』し」


 対抗するように強調してくる。「ああ、こういうところが好きなんだよな」なんて考えてしまって、マフラーの奥でニヤニヤしてしまう。


「でも、クリスマスって終わってるじゃん? それでも飾るん?」


 そうなのだ。ものがセールになるには理由がある。不良品だったり、カラーが不人気だったり、商品そのものがイマイチだったり。

 このクリスマスツリーも例外ではなく、「オーナメントなし」という注意事項が書かれた紙が添えられていた。おまけに今はクリスマスを過ぎた年の瀬で……要するに、売れ残り。



 私はさっきまでニヤけていた口元から力を抜いて、「うーん」と唸った。それから少し考えて、口を開く。


「あ、じゃあさ。次のクリスマス。オーナメント買って、一緒に飾り付けしようよ。それからパーティーなんかもやっちゃってさ!」


「よし、俺様がギラギラにしてやろう。ツリーもパーティーも、下半し……」


「下ネタ! でも……ふふっ、約束ね」


 胸元にパシンとツッコミを入れてから、笑ってみた。数センチ上にある、優しい光を放つ瞳を見つめながら。

 帰り道は雪が降っていたけれど、繋いだ手と約束のおかげで寒さなんて感じなかった。



 結局、約束は果たされなかった。一緒にツリーを飾ったり、パーティーをするクリスマスはやってこなかった。

 べつにケンカしたとか、浮気があったとかじゃない。ただ季節が移り変わるごとに、あの人の心から私の存在が離れていっていた。そういうことは、なんとなく実感できていた。


 たとえば、一緒にいて無表情になることが増えたり。メールの文末には決まって「(´;ω;`)」がつけられていたり。気づけば私もちょっと上にある、優しい目を見つめることがなくなって……頃合い、だったんだと思う。


 秋も深まったころ。落ち葉がはらりと落ちるように自然に、私たちの関係は終わりを迎えた。



*****



 蘇ってきた思い出はひどく懐かしくて、心臓じゃない胸のどこかを締め付けた。


「でも、さ。『もしかしたら』って思ってたんだよ」


 あの人はただ疲れていただけ。また少し時間が経ったら、いままでみたいに……なんて期待していた。

 といっても心の底からではなく、「雪が降るかもしれません」という天気予報に淡い期待をする程度のものだ。

 


「結局、無駄だったけど」


 私はツリーをそっと手に取った。


「いい加減、捨てたほうがいいよね……これ」


 自分に言い聞かせるように口にしたあと、ゴミ箱のほうに足を進める。そしてペダルを踏みながら、躊躇った。

 このまま捨てられてしまうクリスマスツリーが、なんだか可哀想に見えてきて。


 

 

 結局、クリスマスツリーは窓辺に置いた。それから近所の雑貨屋でいくつか買ってきたオーナメントを、枝にぶら下げていく。無機質だったツリーが、一気に華やぐ。

 ふと「あの人と一緒に飾り付けていたなら……」なんて考えたけれど、首をブルブル振ってかき消した。

 

「あとは、これで……あれ?」


 てっぺんに乗せようとした星が、コロリと落ちる。それから何度も同じように落下して、最終的には床をバウンドしながら転がって、どこかへ消えた。

 


――ああ、見なければよかったな


 クローゼットにしまってあったクリスマスツリーと、勝手に思い出されたあの人との思い出。それから、無意味に飾り付けた、目のまえの……。


 どうしようもない気持ちが込み上げてきて、クリスマスツリーをなぎ倒した。あの日、あの人にツッコミを入れたのと同じ手の形で。



 大きな音を立てて倒れたクリスマスツリーは。ゴロゴロと鈍い音を立てて転がっていき、やがて止まった。

 横たわったクリスマスツリーのちょうどてっぺんの場所には、転がり落ちていった星があった。午後の日差しを、五条に反射させて。

 

 いまの私には、その輝きが妙に痛くて……。

 救いを求めて窓の外に視線を向けると無数の雪が空を舞っていて、滲んだ私の目に刺さった。




***************

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

星の棘 文月八千代 @yumeiro_candy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ