第36話
黒豆せんべいが入った菓子鉢を机の上に置く。勇は椅子に深く腰掛けて下を向いていた。
「あの、勇さん…どうしました?」
「柚ちゃんと昴がデヱト…羨ましい…」
帝國ホテルから帰ってきて翌日。昨日から勇はこんな感じに独り言をブツブツ呟いている。
「デートじゃないですってば!!」
「ほ…本当に?でも、楽しそうだったし…」
「本当です!!それに、この時代の映画は正直楽しみです」
「えいが?で、でも…俺、昴みたいに外国の話できないし、本もあんまり読まないから俺と話しても楽しくないだろうし…それに、立派じゃない」
どうやら勇は、柚が井上のことが好きだと思っているようだ。
「〜〜〜〜っ!!私は勇さんが好きですよ!!」
もどかしくて、誤解を解きたくて、つい大声で叫んでしまった。
勇はバッと顔を上げ、目を大きく見開かせる。
「この時代に気付いたらいて、全く関係ないのに助けてくれて、色んなことも教えてくれた…」
「………………」
長い沈黙が続く。全てを言い切ったのか、柚は呼吸を整えていた。
柚は今、自分が言ったことを思い出して、茹でタコみたいに顔が赤くなる。
「う…うわぁぁぁあぁ!」
急に恥ずかしくなって、屋敷を飛び出した。
「ゆ、柚ちゃーん!!」
そんな叫び声が後ろから発せられるが、柚の耳には聞こえなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
とりあえず落ち着きを取り戻そうとして、呼吸を整えて止まる。
恥ずかしさから身を隠すようにその場にうずくまる。
その時、どこからかベベンベベンと弦を奏でる音が柚の耳に届いた。音のする方へ足を向かわせると、一人の青年が木の下に座りながら楽器を弾いていた。
黒髪に真紅色のマフラー。柚はその人を知っていた。確か名前は…
「―――宮藤…千トさん?」
彼の方へ静かに近付くと、楽器を奏でていた手がピタリと止まった。ゆっくりとこちらを振り返る。
こんにちはと、当たり障りのない挨拶をするより早く、翡翠色の目でじろりと睨まれる。
「あんた、誰?」
当たり前だ。柚が一方的に知っているだけなのだから。
「望月柚です」
「望月…あぁ、討伐課の…。早く帰りなよ、この辺は道が複雑で迷いやすいから」
宮藤は言葉をそこで区切って、楽器の方へ目を向ける。これ以上、柚と話す気はないのだろう。
「あの、その楽器は何ですか?」
「って、人の話聞いてるのかよっ!」
身を乗り出して、宮藤が弾いていた楽器に興味を示す。生ゴミに混じった不燃ゴミを見付けた時の鬱陶しそうな眼差しを柚に向ける宮藤。これ以上近付いたら引っ掻かれかねない、剣呑な気配をピリピリと肌が感じていた。
「…
諦めたようにため息をつきながら言った。
「月琴…?」
「清から伝わった楽器。何、興味あるの?」
柚は小さく頷いた。
正直言って、興味はある。だが、弾いたこともなければ弾き方も分からない。
「座りなよ。座った方が弾きやすい」
「え、でも、弾き方分からない…」
「そんなの知ってるよ。楽器名を知らないのに弾き方を知ってるとは思えないし。少しだけなら教えられるから」
なんと、ほぼ初対面の柚に月琴の弾き方を教えてくれると言うのだ。優しい…。
高等課ってみんな怖い人だと思っていた柚は、少し緊張の糸が解けた。
「あ、ありがとうございます!!」
(優しい…優しすぎる!!)
初めは怖い人かと思ったけれど、本当は優しい人なんだろうと柚は思った。
それから小一時間程、月琴の弾き方を教えてもらった。
宮藤の教え方は丁寧なので、初心者の柚にも理解しやすく、月琴の音色もよく馴染んだ。
「明日も来る?仕事がない日はここにいるから」
「明日?」
柚は明日予定があるかどうか考えた。午前中は特に何もなかった。
「午前は特に用事ないし…え、来ても良いんですか?」
「僕が良いって言っているんだから、来て良いに決まってるだろ…」
ほっとしたような、少し嬉しそうな声だった。
(良かった…嫌われなくて本当に良かった)
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