第20話 ヴィランヒーロー

    ◆


 僕とアリスと、ロッカーを開けてくれた少女は、世界征服部ならぬ、世界制服部の部室に入った。

 その瞬間 アリスは、ガチャッと部室の鍵を閉めた。

 嫌な予感しかしない。


 カッコつけた態度でアリスは、ロッカーを開けてくれた少女をじっと見つめる。


「それで、キミの名前はなんて言うんだい、可愛い子ちゃん」


 まるで男が女を口説くような台詞であった。

 緊張した面持ちで彼女は唇を開く。


「あっ……え、えっと……はい、大統領さん……」


「姫でいいよ。国では そう呼ばれることが多いしね」


「は、はい……姫さまぁ……」


(バイ子で十分だわ)


「……わたしは……『木野 麗子』といいます。一年生です」


 遠慮がちに言うと、麗子ちゃんはペコリとお辞儀した。


「助けてくれてありがとう、麗子。たまたま友とロッカーに入っていたら、扉が開かなくなってね、助かったよ」


(たまたまじゃねーだろっ! 大統領の陰謀だ!)


 大きく聞こえるが、無駄にちっちゃな陰謀であった。


「は、はい……どういたしまして、姫さま……」


 大統領ということで緊張しているのだろう。うつむき、アリスから目をそらしている。


「可愛いね……本当にキミは……」


 アリスが、麗子ちゃんの髪を撫でると、ビクンッと震え――


「ひィっ、そ、そんなぁ……恐れおおいですぅ……。そんなこと全然ないですぅ……」


 真っ赤になりながら、さらにうつむいてしまった。

 そんな麗子ちゃんを、アリスは美しい美貌で微笑みかけていた。


 2人のやりとりにやきもきした僕は、アリスに コソコソと耳打ちする。


「おい、アリス。口説いてないで、なんで彼女をこの部室に連れこんだか説明しろ。まさかこんな部に、こんな いたいけな少女を入れるつもりか?」


「少し落ち着きたまえよ、友。そんな早漏だと女の子にモテないよ?」


「別にいいよ。モテたくねーし」


「ふふふっ、自覚症状がないというのはムカつくね。ハレームのアニメの、鈍感主人公の周りにいる 女の子の気持ちをわかって嬉しいけどね」


(ナニ言ってんだコイツ??)


「まあ、少し見ていたまえよ、キミの友の活躍を……」


 麗子ちゃんに近づき、目をそらしたままの彼女のあごを指で持ち上げて、自分の方を向かせた。


(いつの時代のナルシストだよ……)


「キミ……」


「は、はい」


 アリスの艶のある声に、緊張した顔つきになっている。 

 いちおう相手は大統領なのだ、心中穏やかではないだろう。

 麗子ちゃんの瞳をじっと見つめて、とんでないことを言い放つ。


「キミは、『自殺志願者』かい?」


「なッ!」


 発言と同時に、アリスが大統領だということを忘れ、胸ぐらをつかんで壁に押しつけた。


「おいっ! 何言ってんだ、この大バカヤロウー!」


「なんだい、こんな時に? 犯されるなら……できれば二人っきりの時がいいのだけど……」


 わざとらしく照れた顔を逸らす。


「うるせぇーバカっ! いきなり麗子ちゃんに、なんてことを聞いていやがるゥ!」


「はぁい?」


「いきなり、ほぼ初対面の相手に、自殺志願者とか聞いてんじゃねェーよ!」


「言ったろボクは、屋上にいくような人間は自殺願望が強いと。そしてちょうどあの子はおとなしく、か弱い性格だ。自殺願望までいかなくても、ちょっと自殺したいなー。くらいの悩みを持っているんじゃないかな?」


「そうだとしても、もっとマイルドに迂回して言え!」


「はははっ。この自己中心的で変人で、いき当たりばったりボクが、そんなことできるわけがないだろ? アホなのか、友は?」


「アホは、お前だァ!」(こいつ……最低のクソ猫クズ大統領アマァだ。こんな奴のことを、一時的にでもヒーローだと思っていた僕がバカだった……)


 アリスに激しく落胆していると、後ろから声がかけられる。


「は、はい……そうです……そのとおりです……。わたしは、『自殺志願者』です」


「えっ!」


 振り返ると、気まずそうに佇んでいた。


「い、いま……なんて……?」


「……わたしは……自殺志願者だと思います」


 消え入りそうな声でつぶやいた。

 得意げにアリスは胸を張り。


「ほうらね、ボクの言ったとおりだったろ?」


「イバんな!」


 アリスがコソコソと耳打ちしてきた。


「友よ。前回のボクの自殺の件では、キミにまかせたからね。今度はボクが彼女を救うよ」


「お、おまえがか?」


「まあ見ていたまえよ、キミのヒーローの活躍を……」


「だ、誰が誰のヒーローだって! この自作自演クソ猫アマァが!」


 ボクだよ、ボクという感じでドヤ顔をしている。


「くっ……まあいい……見ててやるよ。安心はしないがな」


 パチリとウインクして、麗子ちゃんに近づいていった。

 後ろ姿を見守りながら、ゴクリとつばを飲み込んだ。


(最悪、あいつの友として、大統領をブッ飛ばしてでも止めないと……)


 だが、麗子ちゃんのように、どうみても引っ込み思案な子には、さきほどのように直球で尋ねたほうが いいのかもしれない。結果論にすぎないが、回りくどくたずねても、彼女が自ら自殺志願者だと告白することはなかっただろう。


 恐らくアリスは、生まれながらにしてヒーローの資質を持っている――気がする。


 だからあいつに託してみよう。けれど有事の際は、国際問題上等で麗子ちゃんを助けよう。

 あいつを、友を、大統領をぶっ飛ばしてでも。


 アリスは部室にある椅子を真ん中に移動させた。


「さあ座って、麗子。このボクに悩みを打ち明けてみなよ。こう見えてもボクは大統領だからね。キミの力になれると思うよ」


「は、はい……」


 遠慮がちに椅子に座り、重い口を開く。


「こ、こんな悩み、姫さまに言うコトじゃないのかもしれませんけど……。わたしいま、死にたいくらい……その、悩んでいます」


「その悩みとは?」


「ち、痴漢です」


「痴漢とな?」


 アリスは目を丸くした。

 たしかに驚くわな。ある程度予想していた理由とは、かなりかけ離れていたし。


「わ、わたしは……ここに来る途中のバスで……ま、毎日……毎日のように痴漢されているんですぅ……ううぅぅっ……」


 告白すると麗子ちゃんは泣き崩れ、床に涙をポタポタと落とした。

 麗子ちゃんの肩に、アリスは優しく手を置いた。


「そうかい……それは辛かっただろう? されたことはないが、ボクも同じ女だ。気持ちはわかるつもりだよ……」


 そしてアリスは、泣いている麗子ちゃんを正面から優しく抱きしめた。

 目を見開く彼女の頭を何度も撫でて落ち着かせる。

 ふくよかなアリスの胸の中で泣きやみ、うっとりとしている。


(わかる。あいつの抱かれ心地いいからな。あいつの前じゃ自殺しても言わねぇーけどな)


 抱かれながら麗子ちゃんは言葉を絞りだした。


「こ、こんなこと恥ずかしくてぇ、お母さんにも、お父さんにも 言えません……ううっ」


「じゃあ、なんでボクに話したんだい?」


「それは姫さまが……すごくカッコよくて、ヒーローみたいだったから……」


 やっぱり、あいつのヒーローとしての素質は段違いだ。かなりダークっぽいけど。


「ありがとう麗子、キミの悩みを打ち明けてくれて。ボクがキミのヒーローになってあげる」


「ほ、本当ですか?」


「ホントホント、大統領ウソつかない」


(ウソつけ!)


「けど、大統領の権力は使わないよ。キミ自身で解決するんだ。この世は、どんなに綺麗ごとを言っても弱肉強食だ。強者になる必要はないが、強者に立ち向かう勇気がなければ、キミはずっとこのまま何も変わらない。だからボクが、キミが勇気を持てるように鍛えてあげる」


「ありがとうございます、姫さまぁ……」


 抱きかかえた麗子ちゃんを離して、アリスは満面の笑顔を輝かせる。


「うん。じゃあ特訓しよう、いいね?」


「はい!」


 さきほどの絶望した表情から一変して、明るく希望に満ちた顔になった。


 素直に僕は――『アリスかっこいいな』と思ってしまった。不覚にも、クソッ。


 あんなこと僕には言えないし、思いつかない。

 美しい美貌と、自信の満ちあふれた態度は、僕には絶対まねできないヒーローとしての風格がある。

 悔しいが、ヒーローとしての素質は断然あいつが上だろう。性格はかなり難ありだが。


 麗子ちゃんから離れてアリスは部室のカーテンをすべて閉め、中がまったく見えない状態にした。


(ん? アリスの奴、いったい何をするつもりなんだ?)


 不安と抱く僕の目の前で、アリスが指示をする。


「じゃあ麗子、壁に手をついて『お尻』を突きだしてごらん」


「え? は、はい?」


 疑問を感じているようだが、指示に従って壁に向かっていく。


(おいおい、何するつもりなんだ? 嫌な予感しかしねーぞ。麗子ちゃんだけじゃなく、僕にも降りかかりそうな予感がするのは気のせいか?)


「な、なりました……」


 壁に手をつき、お尻を突き出した。

 緊張感が伝わってくるが、アリスを信頼しきっているよう様子だ。


 お尻を突き出した麗子ちゃんにアリスは後ろから近づき、背中からガバっと抱きついた。


「ひっ、姫さま……な、何を……?」


 戸惑う麗子ちゃんのスカートに指を伸ばし――


「きゃあっ!」


 スカートの上からお尻をまさぐった。


「えっ? えっ? えっ? ひっ、姫さまぁ……? い、いったい……何を……?」


 混乱して顔を真っ赤にしている麗子ちゃんを無視して、さらに大胆にスカートの上からお尻をまさぐっていく。

 呆然としていた僕は、意識を取り戻してつめ寄った。


「なっ、何していやがるゥ―――ッ!」


「ん? 痴漢行為だが」


 悪びれることなく真顔で言った。

 マジか、こいつ。


「見りゃわかる! まさか、痴漢行為に慣らそうと思ってやっているのか?」


「慣らそうではない。克服するためだよ、友」


 アリスは妖しく微笑み、麗子ちゃんのスカートの中のパンツに触れた。

 

「や、やめてください、姫様ぁっ! ひぐっ……ううぅ……」


 とうとう泣きぐずり始めてしまった。

 見ていられなくなり、アリスを止めようとしたが、足が動かない。

 きっと理性ではなく、心がアリスを信じてみようと訴えかけているのかもしれない。


 アリスは耳元で息を吹きかけるように囁いた。


「ここでも逃げるのかい?」


 ビクンと麗子ちゃんは震えた。


「ここで、キミに対してまったく悪意のない、女であるボクにでさえ、キミは好きかってされているのだよ。それでいいのかい? ここで抵抗できないようでは、本番でも抵抗できるわけがないよ」


(おまえはバイだし! 絶対に悪意もってるだろ!)


「ここでキミは、何かしらのアクションを起こさなければならない。このまま勇気を出さず痴漢をされて、毎日死ぬことばかり考えたままでいいのかい? 自殺志願者のままでもいいのかい?」


 囁くたびにビクンビクンと震えている。


「ううぅっ……い、嫌です……ひゃうっ!」


 とうとうアリスの指は、麗子ちゃんのスカートの中のパンツの中まで侵入したようだ。

 直視できず、真っ赤になりながら二人に背中を向けた。


(こ、ここは、アリスにまかせるしかない……。あいつの行為の正当性は、この際置いておくとして。麗子ちゃんが自殺志願者から脱却するためには、荒行事が必要なのもわかる。だから見守ろう………背中を向けてだけど……)


「ひ、姫さまぁ……もう嫌です、いやですよぉ……。触られるのはスカートの上からだけで、パンツの中までは触られてはいませんよぉ……」


 泣きぐずる麗子ちゃんの耳元で、アリスは息を荒げる。


「はあ、はあ、はあ……麗子、そんな事でどうするんだい? いずれ調子に乗った痴漢はここまでやってくるよ? そして耳元でこう囁くんだ……『お嬢ちゃん可愛いねぇーグへへっ、食べたくなっちゃったよ、グヘヘっ』てね……はあ、はあ……」


(おまえの台詞だろッ!)


「ううっ……わ、わかりましたぁ……姫様ぁ。もっと痴漢してくださいぃ……ううっ、お願いしますぅ……」


 涙をぐっと堪えて言葉を絞り出した。


 その瞬間アリスは、麗子ちゃんから身体を離して、大きく息を切らせ始める。


「はあ、はあ、はあ……す、少し、休憩にしようか……ふぅー。ボクも、ちょっと疲れたよ……」


「は、はい……」


 心ここにあらずという感じでボーっとしている。真っ赤な顔で乱れた制服を整え、ぺこりとお辞儀する


「ありがとうございます、姫さま。わたしも辛いですけど、姫さまのほうがもっと辛いですよね? 訓練とはいえ、こんな痴漢行為をするなんて……」


「はあ、はあ、はあ……そんなことないさ、麗子」


(そうだよ、麗子ちゃん。そいつバイだからね、気をつけて)


麗子ちゃんは一歩 前に踏み出し、真剣な眼差しで思いを伝える。


「あ、あの……またすぐに訓練をお願いできますか? わたし克服したいんです、自分の心の弱さを……」


 にっこりと微笑み。


「ああ、当然だよ、麗子。『もう逃がさない』」


(ホントウニダイジョウブカ?)


 麗子ちゃんの表情からは強い意志が感じとれた。

 彼女も僕同様、自殺志願者から脱却したいと、心の奥底では願っていたのだろう。けど、無理だと諦めていた、でも、あらわれてくれた。目の前に『ヒーロー』が。


 だから、ここで脱却しないと いけないってわかっているんだ。チャンスはここしかないってわかっているんだ。


 アリスというヒーローに出会って、勇気を貰ったこの瞬間に――。


 その気持ち痛いほどによくわかる。

 僕も同じだから。


「でもその前に、少しおトイレに行ってもいいですか?」


「ああ……かまわないよ。行っておいで」


 部室を出てトイレに向かうと、アリスは汗をぬぐい ぐったりと椅子に座りこんだ。


「どうしたアリス、顔が赤いぞ? さすがのおまえでも、やっぱり痴漢はしたくなかったのか?」


 瞳をキラキラと輝かせまくり。


「痴漢ん、めちゃめちゃ楽しいぃー!」


 ギャグ漫画のようにスっ転んだ。

 饒舌にアリスは語る。


「最初は痴漢する者など、最低のゲス野郎だと思っていたが、いざ始めてみると、これがメチャメチャ楽しいぃ! ボクには痴漢をする者の気持ちがわかってしまうのだよ! たしかに捕まるリスクを恐れずやるはずだよ。こんなに楽しいのだからね」


 僕がヒーローとして憧れる者は、ただの変態だった。最低だ。

 アリスは赤くなった頬を押さえてうっとりとしていた。


「ああ……ボクの権力をフル活用して、あの子をメチャメチャにしたいぃ」


(怖いよぉ……コイツ……)


 リアル独裁者。バイ国奴の変態大統領。ヤバさMAXのきぐるみ女。もうコイツと関わりたくねェー。だが関わってしまうのだろう。それがわかってしまうのが嫌だ。


「おいおい、何言ってんだよ! あの子を救うんじゃなかったのかよ!」


 子供っぽく口を尖らせた。


「だってぇー仕方ないじゃないかー。ボクには男と女、両方の心があるんだからー」


「知るか、ボケっ! 不貞腐れたいのはこっちだ! まったく、おまえは見た目は美少女だが、中身はオスの狼だな!」


「ああ……ボクも、ここまでオスとしての本能が強いとは思わなかったよ。ボクの男の本能が叫ぶんだ。この手で痴漢をしろと、轟き叫んでいるんだ! 痴漢フィンガ――ッ!」


 大統領をガツンと殴った。


「逮捕されろ!」


「逮捕されてもいい……! ボクは痴漢したい……!」


 真剣な顔にドン引きした。


「お、おまえなぁ……大統領が痴漢なんかで捕まってどうすんだよ? どんだけ情けない大統領だよ、おまえ……」


「大統領って最高だよねっ。痴漢しても捕まらないんだから」


 ダメだ、こいつ。早くなんとかしないと。デス○ートがほしい。


「もし今度 痴漢でハァハァしたら、おまえとは『絶交』だからな!」


「ひ、ひどいぃ!」


 僕の言葉に涙目になった。


「おまえのほうが酷いよ、色々と……!」


 僕の期待を裏切りやがって。


「…………」


 沈黙してアリスは、諦めたように吐息を吐いた。


「はぁ~わかったよぉ……。やめるよ……痴漢。友に絶交されるくらいなら、死んだ方がマシだからね」


(こ、こいつ……そこまで僕のことを……)


 意外な僕の重要性に不覚にも照れてしまった。


「誓うよ。ボクはもう痴漢で女の子にハァハァしないことを……。そのうえでボクは、彼女を自殺志願者から救うことを誓うよ。だから友も、ある条件を一つ飲んでくれないかな? 普通ではできないことをするんだ、一つくらいはいいだろ?」


「まあ、普通はできるんだがな。まあいい、言ってみろ」


 大統領に上から目線。ちょっぴり優越感。


「友にも、一度させてくれないか?」


「はぁ? 何をだよ?」


「『痴漢』」


「 はァァァ――――ッ! 」


 度肝を抜かれ、膝から崩れ落ちそうになった。


「ふ、ふざけんなァッ! なんで男の僕が痴漢されなくちゃならないッ!」


「男にも……いや、友にもしてみたいんだ、頼む! それができたら、ボクはもう死ぬまで一生 痴漢でハアハアしないことを誓うよ、だから頼むっ!」


 ど、土下座ァ! そこまで?

 

「い、嫌だ! 断る!」


「そこをナントカ!」


 アリスは立ち上がり、僕の両手を握りしめ、すがるような瞳を投げかけた。


 そんなアホなやりとりをしていると、ガラッと部室のドアが開き、麗子ちゃんがトイレから戻ってきた。

 僕たちに近づいてきて、決意を込めた表情で宣言する。


「あの、わたしがんばりますっ! 絶対に痴漢を克服してみせますっ! もう、絶対に死にたいなんて思いませんから!」


「……っ」


 その言葉を聞いて、心から彼女を救ってあげたいと願う。

 アリスに コソコソと耳打ちする。


「わ、わかった……いいぞ、アリス……。一度だけ、一度だけ僕に痴漢させてやる。だからおまえは、絶対に彼女を救え。いいな、絶対にだぞ」


「本当かい、友! ボク、友に痴漢するため頑張る!」


 今日一番の生き生きした顔を見た気がする。


(こいつ……どんだけ僕に痴漢したいんだ?)


 かつての僕と同じ、自殺志願者の麗子ちゃんに言った。


「麗子ちゃん。いままで見ているだけで、特訓にも参加しなかった僕に言われても 困惑するだけかもしれないけど 聞いてくれ。 麗子ちゃんがされていることは全面的に相手が悪いよ。 僕が見たらブッ飛ばしてやりたいくらいに。 でも、酷いことを言うようだけど、やっぱり黙ってされている麗子ちゃんも悪くないってわけじゃないんだぜ。 だから麗子ちゃんには強くなってもらいたい。 そんなクズ野郎のせいで死にたいなんて思わないくらい強く。 僕にできるコトならなんでもするよ、なんでも言ってくれ。 もし、この訓練が嫌ならいますぐ言ってくれ。 僕がそいつをブッ飛ばしにいくから!」


 彼女の瞳に涙がじんわりと滲んだ。


「う、嬉しいです……先輩ぃ。こんないくじなしのわたしにも、初めて……いえ、2人も同時に想ってくれる人が現れるなんて、すっごく嬉しいですぅ」


 無垢な笑顔で涙をゴシゴシとぬぐう。


「麗子ちゃんが万が一にも死んだら……いや、死にたいと考えているだけで……僕も、アリスも悲しい……。だから僕たちにできる事ならなんでもするよ。なんでも言ってくれ」


 僕たちに向かって深く頭を下げた。


「ありがとうございます、先輩、姫さま! 2人のおかげでわたし超勇気がでました! ありがとうございます!」


 そして尊敬に近い眼差しで見つめてきた。

 ここまで頼りにされたのは生まれて初めてかもしれない。

 昔の僕ならあんな言葉 絶対に言わなかっただろうから。

 だがアリスに出会い、救われ、僕は変わった。


 自分が変わったことを強く自覚したせいか、なんとなくヒーロー気分に酔っていた。

 そんな僕に、麗子ちゃんは真剣な眼差しで。


「あ、あの……先輩……」


「ん?」


「わたしに、『痴漢』をしてくださいっ!」


「へっ?」


「お願いします、先輩! スカートの上から、お尻をまさぐってください!」


「 はああああああああッ? 」


とんでもない頼みごとに膝から崩れ落ちた。


「たしかに、姫さまにされるのも特訓になりますけど、相手は男の人です。だから姫さまの特訓が一段落ついたら、先輩にもわたしに痴漢してほしいんです、お願いします! わたし変わりたいんです、弱い自分から!」


 彼女はマジで真剣に、こんなことを僕に頼み込んでいるのだろう。

 僕に迷惑がかかることもわかっているはず。それがわかっていて あえて頼み込んでいるのだ。

 変わりたいから。

 どんなことをされても生まれ変わりたいから。

 その気持ち、僕には痛いほどによくわかる。


(だが……どうすればいい? 痴漢なんて……)

 

 真剣さはわかる。けど、女の子に痴漢するなんて死んでも嫌だ。


 やるか、やらないか、悩んでいると――アリスが耳元で――


「この子を救いたいんだろ、友は? なんでもするって言ったよね、友は?」


「ぐっ……」


 にやついた顔をビンタしたい。


(こ、こいつぅ……僕が痴漢する姿を楽しむつもりだな……!)


 怒りに震えたが、観念してガックリとうなづいた。


「わ、わかった……やるよ……痴漢……」


「本当ですか!」


 彼女の喜ぶ姿がせめてもの救いである。

 うなだれる僕の耳元でアリスは――


「ハマるなよ、友」


「ハマるか、バカ!」


 こうして今日、僕の人生で一番恥ずかしい思いをした。


 痴漢しているはずなのに、むしろ僕のほうが恥ずかしい思いをした。


(死にてぇ……)


 あの日 以来、初めて思った。


 そして次の日の朝、麗子ちゃんは、僕とアリスとの特訓のおかげか、痴漢の相手に立ち向かい、それを解決したらしい。よかった。


 その後、僕も人生で初の痴漢を受けたが、それはまた別の話しである。

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