第18話
某日。
百道は血相を変え、時雨邸の屋敷内を駆けずり回っていた。
部屋にも、倉庫にも、台所にも、何処を探しても恋歌が見当たらないのだ。
「どこだ恋歌‥‥!どこにいる!」
母屋に道場に時雨の部屋。既に敷地はくまなく探した所でふと足を止める。
そこは恋歌の部屋──ではなく。あの二人の部屋だ。
普段決して近づく事はなく、時雨に散々近づくなと言いつけられている花園。
しかしその扉の奥から話し声が聞こえる。
微細で、誰の声かまでは判然とせぬ声だが。
「まさか‥‥」
胃が痛んだ。後でこっぴどい説教を受けるのは目に見えている。
しかし、もし恋歌に何かあったのならば自分を許せない。
百道は決心し戸を叩いた。
「百道だ。恋歌は居るか!?」
内部で不穏な静まりを感じる。
この冷ややかな空気は耐えがたいものがあるが、しかしここで引き下がっては男が廃る。いや、別にそう言う話でもないが、後悔は絶えないだろう。
百道は戸を執念に叩き続けた。
ややあって不機嫌全開に戸が開かれ、夜見が顔を見せる。
「何?鬱陶しいんだけど」
彼女は扉を半開きに抑え、首から上だけを覗かせた。
どうやらそう易々と内を見せる気は無いらしい。
「すまない。非常識だと言うことは十分理解している。ただ」
「言い訳は良い、さっさと用件言って」
「恋歌が部屋にいない。居場所を知らないか?」
「恋歌がどうしたのよ?」
呼び捨てになっている、という感想は一旦捨て置き、百道は続けた。
「いいから、時間がないんだ」
百道は甚だ焦っていた。
冷静でない自覚はある。しかし街で耳にした魔女狩りの噂。
魔女はまず間違いなく恋歌のことだろう。
夜見は怪訝そうに眉を潜める。
「どういうこと?恋歌なら──」
会話を引き裂くように部屋から「私なら大丈夫です!」と声が聞こえた。
やや上擦っているが恋歌の声だ。
「良かった」と胸をなで下ろす。
夜見がやれやれと肩を竦めた。
「これで満足?」
「いや、恋歌を借りたい」
夜見が眉根を釣り上げた。
「私ら絶賛女子会中なんですけど?」
女子会、どうにも身構えてしまう響きである。
「そうか。それはすまない。だが今は──」
そう言いかけて、百道の口が止る。
思えば、あれだけ閉鎖的だった恋歌が今では年頃の娘相応に振る舞っている。
それだけで感慨深いではないか。
百道の使命は彼女の日常を守ることであって、日常を取り上げることではない。
もし魔女狩りが行われるのならば、百道は恋歌を堅守するだけである。
「いや。なんでもない。忘れてくれ。それと夜見、恋歌を頼む。俺は万が一に備える。何かったら通信してくれ」
百道は踵を返した。
しかし夜見が「待ちなさい」と引き留めた。
それから扉を閉じ外へ。
「聞かれちゃ不味いんでしょ。で、本命は?」
その察しの良さに百道は苦笑する。
「辱い」
※
百道は事の経緯を話した。
不自然な太陽教徒の集まりを見た事。街で聞いた魔女狩りならぬ、恋歌狩りの噂。
街で見た景色がどれも不穏に思えてならなかったのだ。
「太陽教が恋歌を嗅ぎつけた、可能性がある‥‥このままでは恋歌が危ない」
「確かなのね?」
神妙な面持ち夜見に、百道が頷く。
「ああ。最悪の場合、ここに太陽教徒らが集まってくる恐れもある。そうなれば俺が恋歌を連れ出し逃すつもりだ」
夜見は瞑目黙考。
ややあって毒を吐くように呟いた。
「アンタにせよあの馬鹿にせよ面倒を呼び寄せる疫病神でもついてるのかしら」
「すまない。だが俺は、お前達に迷惑をかけるつもりは──」
夜見の口から出たのは「馬鹿にしてんの?」と被せるような強い口調だった。
「そんな話を聞いて、はいはいそうですか、とはならないでしょうが」
「だが」
「いいから。ここは私らが受けてあげる。アンタはそうね」
夜見は隊服の胸ポケットから四つ折りを取り出し、「はい、これよろしく」と手渡した。百道は顔を顰める。
「これは?」
「開けてみなさい」
用紙は南都で最も有名な呉服屋の領収書であった。
「取りあえずこの前買った商品、速攻で取ってきて」
「はぁ?なんで寄りにも寄ってこんな非常時に」
「非常時だからよ」と夜見は頭を振った。
「それはアンタと恋歌に必要な物だから、今いるの」
百道は首を振る。
「だが、今は一刻を争う」
「だったら急ぐ事ね」と夜見はぴしゃり。
有無を言わさぬその視線に、百道は唾を呑み込む。
「いいから速攻でとってきて。こっちの用も後一時間くらいで終わらせるから」
用を、終わらせる?とは一体どう言う意味なのだろうか。
聞こうにも、夜見は此方の様子など意も留めず、部屋の中へと引っ込んでしまった。
「仕方が無い‥‥」
少なくとも恋歌のそばには月美と夜見がいるのだ。
身の安全は確約されていると言っても過言ではないだろう。
領収書を手に、百道は超絶ダッシュで南都の繁華街に降りるのだった。
※
呉服屋──アザミの働いている──で、やたら重い荷物を受け取った百道は、目の前の光景に立ち尽くしていた。
背に背負う風呂敷は完食からして恐らく衣類と木の何かだ。しかし異様に重たい。
そして、何故だか道ゆく先が人でごった返している。
皆、世話しない様子で働いており、店や家屋の前には錫杖やら武具やらが整列されている。
そして時折聞こえてくる魔女狩りという言葉。
耳障りの悪い用語が、百道の背筋を凍りつかせた。
これ程の人数が武装しているのなら恋歌を守り切る自信はない。
自分に、夜見と月美が混ざったとしても、競り負ける恐れがある。
嫌な想像が膨らむ。
百道は荷物を抱え直し、全力疾走で時雨邸に戻った。
滑るように件の部屋の戸を叩く。
「夜見!言われた通り取ってきたぞ!」
瞬時、室内がざわついた。
部屋の中からわちゃわちゃと、焦った黄色い声が廊下に反響する。
それも束の間、急速に静まるのだ。
先ほどの喧騒はどこヘやら。
まるで刺客が踏み込み、殲滅を完了したかのような特殊な静謐が漂う。
「まさかっ」
百道は反射的に女性の園に乗り込んだ。
「どうしたっ!何があった!?」
だが内部の様子を伺うよりも前に、腹部に衝撃が炸裂。
強烈な一撃を受けた百道は吹き飛び、壁に叩きつけられる。
それが足蹴だと気づいた頃には扉はすっかり閉ざされていた。
それほどの一蹴。
見上げれば夜見がいて、絶対零度の眼で見下していた。
「覗くより他にすることがあるでしょうが」
「よ、夜見か‥‥無事でよかっ‥‥ぐぅ‥‥流石の、手並みだ」
「馬鹿じゃないの?死になさい」
残念なことに、百道は武人なのだ。
鮮やかな技を見れば痛みよりも感服が勝つ人種なのである。
夜見は「これは回収」と転がった風呂敷を拾い部屋の中へ渡し扉を閉めた。
廊下の壁に座る百道に険しい視線を投げる。
「それで、どう、なの?街は」
百道は立ち上がり、声を抑えつつ頷く。
「間違いない。やはり魔女狩りは行われる」
夜見が「魔女狩り?」と目を瞠った。
事態の重さを悟ったのだろう。
「アンタ、それってもしかして‥‥」と相好を崩し、額を抑える。
「ああ、街はすでに街は武装した人間のお祭り騒ぎだ。目算だが、人数は千を越えるだろう」
「ちょっと待って」
「おそらく魔女狩りの魔女とは恋歌のことだ。このままでは恋歌がっ」
「──魔女狩り?」
語気を荒げる百道を遮ったのは、ひょこりと現れた月美だ。
扉の隙間から顔を覗かせる姿は、餌に釣られた白兎のようである。
夜見が聞き返す。
「月美、どうかした?サイズ合わなかった?」
「ううん、そうじゃなく。二人の話が聞こえちゃって。大祓祭の話してたよね。それと恋歌ちゃんがどうかしたのかなって」
「大祓祭?」百道は聞き馴染みのない用語に首をかしげる。
「なんだそれは。その祭と魔女狩りに一体何の関係がある?」
すると月美は目をぱちくりとし、
「えっと、魔女狩りって、大祓祭のことだよね?」
「違う、お祭りなど知らない」
「え、お祭りの話じゃないの?」
それを聞いた夜見が盛大な溜息を吐く。
「やっぱり。どうせそんなことだと思った」
「あ、これってやっぱり勘違い?百道君って行事ごとに疎そうだから、もしかしたらなって思ったけど‥‥」
困ったように笑みを溢す月美に、「何故知らない」と呆れた様子の夜見だ。
百道は急変する二人に着いて行けず、
「なっ、なんだお前たち。急に態度はないだろう!?」
「黙りなさい、人騒がせ。たく、これだから馬鹿は」
夜見は処置なしと肩を竦めた。
※
二人から事の詳細を受け、百道は己の無知を大いに反省した。
どうやら今宵、一二年に一度の大きな祭り──大祓祭が行われるらしい。
大祓祭とは、千年前実際にあった魔女狩りを起源とする祭だ。
千年前、星に蔓延した呪いを祓うため、土地神に魔女の少女を生贄に差し出した。と言う伝承である。
その伝承から魔女狩りという呼称が発祥したらしい。
行事ごとに疎すぎる百道であった。
「それから千年、人々は性懲りも無く土地神を崇め続けているのよ。玄関先に飾る葦と桃の弓矢は退魔の象徴で、目玉の花火は邪を祓うって話だそうよ」
かつての人々は夜に咲く大輪に、土地の浄化と、向一二年の豊作を祈祷した。
そこには、古い物を新しい物へ──鞍替えの意味があるそうだ。
「つまり、魔女狩りの魔女は恋歌ではなくて生贄の巫女で、全て俺の勘違いということか。ん?では、先ほど頼まれた荷物は一体‥‥」
と、先ほど部屋に回収された風呂敷の正体に言及しかかった百道だが、それ以上深く切り込むことはできなかった。
「祭り用の浴衣に、新しい弓と矢、その他諸々だね。百道君、お使いありがとう。感謝してます‥‥だけど、ね。」
と、月美。その台詞は内容と裏腹に、口調は不自然なほど抑揚がない。
月美の置く不穏な間に、百道の喉がヒクリと引き攣った。
「女の子の部屋を無理やりこじ開けて覗こうとするのは、流石によくないかも」
「す、すまない。その通りだ」
「うん、そうだね。それで、私たち女の子には準備があってね、今部屋の前に百道君がいちゃうと普通に困るんだ」
月美の口調は穏やかなのだが、空色の双眸は尋常でないほど無機質で、
「移動をお願い、できますか?」
「す、すぐに退散する!」
百道は逃げるようにその場を離れた。
※
逃げ帰った縁側で瞑想に励む百道に、声が投げられた。
「百道さん。お待たせ」
鳥の歌声のような声。
振り返り、百道は言葉を失った。
恋歌だ。ただの恋歌じゃない。
なんと浴衣姿である。
百道の周囲で火花が散る。瞑想で高まった幻力が弾けたのだ。
「えっ、大丈夫!?」
「あぁ。なんともない」
赤地の、金魚柄の浴衣。
彼女の朱髪に負けぬ鮮烈な朱の生地を、腰に巻かれた深い紺帯が引き締め、まるで一筋の炎が揺らいでいるようである。
覗く白磁の頸は儚さを、細くくびれた腰は女性らしさを醸し、百道は動悸が止まらない。
恋歌が視線を泳がせた。その後れ毛を掻く仕草にさえ傾国の魅力がある。
「あ、あの、百道さん!そんなに見ないで。恥ずかしい」
「あっ、う、うん。す、すまない‥‥」
「う、ううん、大丈夫‥‥」
恋歌は顔を赤らめつつ、きゅっ、と浴衣の袖を握り、それから何かを期待するように顔を上げた。
恋歌の蒼穹の瞳が訴えた。
「‥‥どう、ですか?」
その意味が分からぬほど、百道も鈍感ではない。
愚問でもあった。
恋歌の浴衣姿は呼吸が止るかと思う程だ。
濡れ瞳は妖しく、紅の乗った唇は艶かしい。
百道の中で強い昂りが脈打ち始める。
それは理性とは真逆の、唾棄すべき感情。
故郷でも、時雨邸でも女性の和装は見慣れていたはずなのだが、どうにも修行が足りないらしい。
百道は俯き、
「‥‥似合っている」
長考の末百道から漏れた言葉に、恋歌は時が止ったように呆気に取られた。
それから
「嘘、それだけ?あれだけの間を置いておいてそれだけなの?」
「う、許してくれ」
「この浴衣、一生懸命選んだのに」
「そ、そうだったのか。だがその格好はどうした?」
恋歌の瞳が、鳩が豆鉄砲を食ったように丸められた。
「恥を忍んだ女子に、それを言わせるつもりですか?」
「えっ、何をだ?」
そして今度はわかりやすく肩を落とす。
「はぁ、本当に朴念仁」
ジトっとこちらを睨む不貞腐れた視線からは、呆れと落胆の意が痛いほど伝わってきたが、その理由が見当もつかないため謝るしかできない。
恋歌がぷいと頭を振った。
「もういいです。百道さんに期待した私が馬鹿でした。仕方ないので私がリードしてあげます」
呆れ口調とは裏腹に、彼女は歯にかんだ。
湛えられた笑みは夜に咲く花火のようである。
「今日、南都で祭りがあるんだ。だから百道さん、一緒に行こうよ。出店や御神輿に盆踊り、きっと楽しよ!」
三秒後、百道の顔はリンゴのようだった。
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