第16話

赤粘土の煉瓦道。

立ち並ぶ並木道は鮮烈で、並木は青く梢が風に凪がれ、本来ならば爽やかだ。

だがそんな煉瓦道もむせ返る夏の熱気に悲鳴を上げ、その輪郭を陽炎に泳がせている。

そんな猛暑の午前。

百道は夜間巡回の任を終え、時雨邸への帰路を歩いていた。

半ば寝ぼけ眼である。

「恋歌に、会いたい‥‥」

そう呟く横顔は疲労の一色で、無骨な威厳も見当たらなかい。

星禍は黄昏から真夜にかけて活発化する。

故に、星滅隊の任務は夜が主となるのだ。

つまりは徹夜であり、精神は慣れても身体は辛い。

最も、徹夜に効果的な術理も存在する。だがそういった術理は機縁を伴うものだ。例えば身体機能が崩れるとか。

故に百道はいざという時のために控えて温存していたりする。

「やぁ、お帰り」

歩みゆく道の先から声が聞こえた。

丁度時雨邸の門辺りである。

大きな帽子の影が門に背を預けている。

「おはよう、だね?百道さん」

「恋歌ぁ?」

寝不足な百道は間抜けな声を漏らす。

麦わら帽子の下、一目で眠気も吹き飛ぶような鮮烈な朱髪が風に靡いている。

この世随一の清涼剤。

その儚げな在り方に僅かに見惚れていたが、思えば今の彼女は身を隠すべき立場である。

「駄目じゃないか!外に出るなってあれほど‥‥!」

百道は慌てて駆け寄った。

覆い隠すように詰め寄り、小声で囁く。

「あまり大きな声では言えないが、アンタは今、不法滞在人なんだ。アンタは本来なら排斥される立場で、万一にでも見つかるとまずい。そう易々と出歩かれては困る」

彼女を拾ってすぐの頃、百道は誠司の元を訪ねた。

交渉のつもりで赴いた理事長室。しかし、誠司はさも当然のように恋歌の存在を把握してた。星祓隊の情報網の広大さには、驚愕を通り越し、恐怖さえ覚えた。

そこで百道は誠司ととある密約を結んだ。

恋歌という不安定因子がこれまで放置されてきたのは、そのためなのである。

「戸籍はもう直に手に入る。だから今日は諦めて大人しく‥‥っておい、聞いているのか?」

百道の長々とした説教に、恋歌は冷たい半目を向け、「過保護」とむくれてしまった。

「私、そんなに子供じゃないもん。年だって2歳しか変わらないし。約束は破ってません。ちゃんと許可も貰っています。心配ご無用です」

むすっとした恋歌が首からネックレスを取り出した。

石に穴を開けて糸で巻いただけの簡素な装飾品だ。

荒削りの紫の幻石が取り付けられている。

「紫の幻石。これは、幻動機か」

「そう。隠形の術理が刻まれてるんだって。月美ちゃん夜見ちゃんの合作なんだって。これを付けてなら外出も大丈夫みたい」

「なるほど、確かに。それならば術理的には安全だが‥‥」

だが、百道としては悩ましい。

「それで、何の用なんだ?」

「うん。それなんだけど」

「それなんだけど?」

恋歌は瞳を輝かせ、何かを期待するように、

「もし良かったら、商店街とか案内してくれませんか?」

彼女のいじらしい提案に、百道は渋々頷いた。




幻力式動機。

通称幻動機は、少量の幻力で大抵の術理を再現できてしまう優れ物である。

それは今から二百五十年前に一人の天才により開発された。

その天才について、その多くは未だ謎に包まれている。

一説では、禁忌に手を染めた結果、抹消されたという記述もあるほどである。

それほど当時の彼女は探究的であり、非凡であった。

史上に颯爽と現れ、そして忽然と消えた天才。

彼女の名を葉月という。

「火を起こすのも、水をくむのも全て彼女の発明だ。特に、冷蔵保存や冷凍保存の分野においての貢献は計り知れない。おかげで真夏であっても、市場には新鮮な魚が並んでいる。まさに世紀の大発明だ。幻石に術理を刻むなど、どうすれば思いつくのだろうか、常々感心する」

そんな偉人の発明を我が物顔で熱弁するのは百道だ。

彼らは南都の繁華街に降りていた。今は魚の臭いの溢れた漁港を散策している所である。

「幻石は幻力が結晶化したものだ。砕くと幻力を取り出せる。だが、彼女のおかげで術理を刻む事も可能となったんだ。ほら、あれを見てみろ」

隣を歩く恋歌は言われた通りに視線を右にした。

そこでは紺地のエプロンの猟師が埋め込まれた鉱物に手を翳していた。

「例えばああやって幻石に幻力を流し込めば‥‥」

忽ち冷気が魚を凍り付かせる。まるで急速冷凍だ。

「凄い!」と恋歌が目を輝かせた。

「幻力を冷気に変換したんだ。彼女は、誰でも簡単に術理を使えるようにしたんだよ」

此方の様子に気がついたご亭主が人の良さそうな笑みを浮かべた。

百道は会釈、恋歌は柔和に微笑み返す。

「おかげで便利な時代になった。昔は式術者が氷室役を担っていたのだがな」

「氷室?」

どうやら恋歌は氷室を知らないようだ。

恋歌の生きた時代にはなかったものなのかも知れない。

「時雨邸に大きな食材を保存しておく箱があるだろう。二段に積み重ねられた奴だ。あれの下の方が冷蔵庫で、上が冷凍庫。大昔はそれを氷室と呼んだらしい」

隣を歩く恋歌は、へえ、と感心したように頷いた。

「冷蔵庫に冷凍庫。名前は変わらないんだ。電気がないのに動いてた中が冷たいからびっくりしたよ」

そんな彼女の呟きに百道は首を振る。

「電気は使わないな。寧ろ電気なんて危ないだけだ」

「それもそうだね。じゃあ今の世があるのはその葉月さんのおかげなんだ。記録に残ってないのが、なんだかやるせないけど」

「ああ。しかし彼女の発明は今も残り、今の時代を支えている。彼女ほど後世に幸せを残した人物もそういないだろう」

恋歌は目を細めた。その横顔が少し物憂げに見えたのは気のせいだろうか。

そう言えば、彼女は楽しめているだろうか。

百道は市場巡りは好きだ。だが恋歌は女性だ。

「きっと違うのだろうな」

百道は足を止めた。

「うん?どうしたの?」

「いや、説明ばかりでつまらないだろうと思ってな。場所を変えようか」

「そう?私は全然楽しいけど」

「そうなのか?魚しかないぞ」

「海鳥もいるよ」

「‥‥そういう話ではない」

女性と歩くにふさわしい会話など、女性経験の乏しい百道には分からない。だが、少なくとも今みたいに蘊蓄を垂れることではないだろう。

「反省は大いに結構ですが」

と、恋歌がわざとらしく咳払いをした。

この咳払いと畏まりは彼女の癖だ。

それから顔いっぱいに笑みを溢れさせるまでがセットである。

「本当に気にしないで。百道さんと話すの楽しいし」

どうやら気を遣わせているわけ、ではなさそうだ。

それがお世辞でないことを願うばかりだが。百道もつられて笑う。

「そうか。ならばお言葉に甘えて次は深海魚の話でもしよう。話したいことがいっぱいあるんだ。出来るのならば聞いて欲しい」

それから百道は商店街を見回りながら魚類に関する蘊蓄を垂れ流した。

市場に並べられた多種多様な魚の品種や特徴、捌き方に調理方法など。それから辛口な味の評価(百道調べ)など、つらつらと。

恋歌は水槽に泳がされた色鮮やかな魚たち宝石箱だと喜び、試食の刺身にほっぺたを落とし、魚売りの少年にスカートを捲られそうになって憤慨して、海猫に餌をやるもそっぽ向かれて不貞腐れた。

恋歌は本当に喜怒哀楽がコロコロと表情に出る。

彼女の百面相は見ていて楽しい。

恋歌もそうだと嬉しい。


夕焼けが水平線の辺りをうろつき始め、海の水面が赤く染まる夕暮れ。

百道らは──恋歌の強い要望で──学び舎朱の校門の前にいた。

時雨家の夕餉は19時頃に始まる。現在の時刻は17時。あまり長居は出来ない。

五芒星をモチーフとした円環状の校門を潜り、二人並んで煉瓦敷きの坂を登る。

すぐ左手には青々とした芝生のカーペットが広がっている。学び舎・朱雀校が誇る天然芝の運動場である。

ゆるりとカーブを巻く坂を登り切ったところで恋歌が呟いた。

その視線は運動場の奥に見える、赤煉瓦の三棟に注がれていた。

「あれが学び舎の校舎?」

「そうだ。俺たちはあの場所で日々研鑽を積んでいる」

まあ、今は夏休みなのだが。そう冗談を言うと恋歌も微かに笑んだ。

「よかった。まだ残ってた」

──まだ、か。

薄々勘付いてはいたが、今の口ぶりから、恋歌がである事は確定事項とみていいだろう。

百道は何も気がついてない風に続けた。

「健全な子供を育てるのに学びの場は必要不可欠だからな」

「そうだけどね。けど、なんて言えばいいのかな。感慨深いよ。ここで色術を学ぶんだよね」

「そうだ。ここの卒業生が、ゆくゆくは次の時代を担う術師になる」

「噂に聞いていた通り真っ赤な校舎ね。流石の名を冠すだけはあるね」

そこで百道は猛烈な違和感に苛まれた。

何か、重要な事を見落としてしまったような、辻褄が合わないような。

百道の思考が加速する。

この地で祀られる九曜の土地神は朱雀。恋歌の姓は朱雀。

時雨は言っていた。裏切りの土地神がいると。

だが誠司は断言していた。恋歌は人間だと。

いや、事実として恋歌は星霊から現れた。

──まさかっ。

いいや、気のせいだ。まさか恋歌が‥‥

百道は暗雲を晴らすべく首を振る。

「‥‥百道さん、大丈夫?」

声に顔を上げれば小首を傾げる恋歌がいた。

「え?」

「え、じゃなくて。もしかして私の話全然聞いてなかったんじゃ」

「す、すまない。実は考え事をしていた」

「はぁ。まあいいですよ。私は寛容ですから。健気に話していた私を無視して、百道さんの良心が痛まないというならそれでいいです」

と、やや怒り気味である。

百道が機嫌取りとして一つ言う事を聞くと提案すると、恋歌は、餌を強請るひよこのように、顔を覗き込んできた。

「では、校舎を覗いていいですか?」

「別に構わないが、ただの校舎だぞ」

「いいんです。見たいんだ。何気なく過ごしていた景色が、いつまでも続くとは限らないんだからね」

恋歌はコミカルにクルリと身体を回した。

彼女のスカートがフワリと重力に逆立つように舞い、覗く健康的な太もも。

その一瞬が脳裏に焼きつき、百道をその場に縫い止めてしまう。

しかしそんなこともつゆ知らず、恋歌はズンズンと校舎の方へ進んでしまう。

「いかん。こんな破廉恥な気持ちは未熟だ」

百道は唾棄すべき感情に辟易するばかりだ。

己が年頃の男児だったことを再認識させられてしまった。

「だが、いつまでも続くとは限らない、か」

恋歌の何気ない言葉に、百道はただならぬ重さを感じた。

時間を超えたそれを経験した彼女だからこそだろう。

百道にも覚えがある。

日常は些細な事でたやすく崩れる。日常は不可逆的だ。

どれだけ嘆いても帰ってきてくれない。

「ほら百道さん!早くおいでよ!」

恋歌が校舎前で手を振っていた。

夕日を背に、肩越しに影を纏っている。白のワンピースと紅蓮の髪、頭よりも遙かに大きな麦わら帽子の組み合わせが微妙に不格好だ。

なのに胸を締め付ける。

きっとこんな景気は放っておいたら記憶の藻屑に消えてしまうのだろう。

覚えていたい、胸に刻み込んでいたい。

百道は薄い笑みを浮かべて彼女の背を追いかけた。

何故かその後鬼ごっこに進展したのだが。


さて、学び舎の話をしよう。

学び舎は年中無休だ。出入りは自由で、授業のある時だけ講師が教室に来る。

基本的に自由な校風なのである。

恋歌は「大学みたい」と評していた。

百道は、茜色に染まった一室で深い溜息を吐いた。

彼女はもっとおしとやかだと思っていたのだが。

「なんで逃げたんだよ」

咎めるような百道の視線に、パイプ椅子の上の恋歌はプイとそっぽ向く。

紅蓮の髪を弄りながら不貞腐れたように口を窄め、

「だって百道さんが追いかけてきたから」

「来いと言ったのはアンタだろう」

「走れとは言ってないし」

「だからと言って、転んで怪我をする奴がいるか」

百道は、保健室を借りて、転んだ恋歌の治療をしていた。

ほっとけば直ると豪語する恋歌を引き釣り、膝にガーゼを巻いた所である。

「ほら次は手だ。見せてみろ」

「うぅ、大丈夫だよ。これくらい放っておけばすぐに治るから。本当だよ?」

「また馬鹿なことを言って。化膿したらどうするんだよ」

「馬鹿ってひどい。黒髪の人にボコボコにされてた癖に」

「はいはい。保健室が開放されていてよかったな」

幸い怪我は軽傷だった。

しかし不安だ。恋歌の指は細すぎる。こんなの、うっかりした時に折れてしまうのではなかろうか。妹の指でももう少し太かったはずだ。

しかしそれとこれとは関係ない。

百道は遠慮無くアルコールを垂らした。

「あ、いつぅっ‥‥」と呻く恋歌。

「消毒するぞ」

「そ、それは垂らす前に言うんだよ!」

恋歌が口をパクパクさせて訴えてくる。

「この程度で良かった。これに懲りたら気を付ける事だ」

まったく、と百道は救急箱の蓋を閉め、恋歌は手を自分の元に戻した。

「なんだか手慣れてるよね。百道さん」

「そうか?まあ、昔はよく妹のわんぱくに振り回されたからな」

「妹さん?へぇ、知らなかった。もしよければ、今度お会いしたいな」

窓から差し込む茜色の光の中に、彼女の淡麗な顔が何かを期待したようにこちらを見ていた。

その顔が、金髪の少女と重なる。

血や汗が少々と消毒液が綯い交ぜになった保健室の香りが鼻腔を燻り、かつての凄惨な光景が脳裏を掠めた。

「いたんだ。妹は数年前に他界している」

何故そんな事を口に出したのか、自分でも分からなかった。

「‥‥ごめんなさい。私ったら」

恋歌は絶句し、視線は床に落ちた。

彼女の表情は窺えないが、青空のような美しい瞳に灰のような曇がかかる、そんな陰鬱な気配を感じた。

曇らせたのは百道だ。

「いや、こちらの失言だ。すまない、可能ならば忘れてくれ」

不意に、肩口が叩かれた。結構な力だ。

顔を上げれば、むすっとした表情の恋歌が睨んでいる。

困惑気味の百道に、

「こら、黙りこくらないのっ!!」

と、怒鳴りつけた。

「一度口に出したんなら最後まで話してよ。一人で背負い込むのはダメだよ。話せばちょっとは楽になるかもよ?」

「ただの不幸話で、何も面白くもないぞ?」

すると「どんな不幸があったのかは存じませんが」と恋歌が慇懃に咳払い。

それから自らの胸を強く叩いてみせた。

「どん!と任せて。私、こう見えても聞き上手だから。実績もあるよ」

「実績?」

「百道さんのオチの無い話を永遠と聞かされても文句ひとつ言わない実績。太鼓判でしょ?」

百道は泡を食らったが、次には微笑を浮かべた。

「‥‥そうか。それは頼もしいな」

それから百道は遠い日の記憶を掘り起こした。

「俺は、四方を海で隔たれた離島の出身だ。そこは人口50人の小村で、言い方は悪いがド田舎で、田畑ばかりで娯楽もない不便な場所だ。しがない猟師の父と星祓隊士の母との間に生まれ、2才上の姉と2才下の妹、二人の姉妹に挟まれて平穏に暮らしていた。そこは南都ここと違って星禍が頻初するような土地だ。だからいずれ大賢者になって家族を守るって大見得を切っては笑われていた」

なんとかしたかったんだ、なんて百道は笑う。

妹の世話を焼き、姉に世話を焼かれ、母と修行に勤しみ、猟師の父の漁業の手伝いをした。退屈げに管を巻いて床につくうだつの上がらぬ日々。

かつての日々は百道の十七年の生涯において、最も満ちた時期だった。

「俺には贅沢にもそんな日々が永遠のように思えて、代わり映えしない景色に嫌気がさしていたんだ。馬鹿な話だ‥‥その日常はもう何処にもないというのに」

百道は滔々と話した。

話すたびに心を影が蝕んだ。

恋歌はそんな百道の話を熱心に聞いてくれていた。

「嵐の日だった。俺は所用で島を出ていた。あの日のことは今でも鮮明に覚えている」

生暖かい強風が吹き荒れ、雷が轟いていた。

それは島の方からだった。

帰らねばと懸命に訴える百道に、漁師は首を振った。

──嵐が来る、と。

「その時だった。結界の割れる音が港中に鳴り響き、唐突に夜がきた。」

恋歌が生唾を飲む音が聞こえた。

見れば自分事のように青ざめた恋歌がいる。

無性に話を中断したくなった。これ以上、彼女の心中に危害を加えたくなかった。

だが、恋歌が首を振った。

「私は大丈夫。話して」

百道は頷く。

「俺は咄嗟に船を拝借して、島に帰った。そして船を桟橋に繋いだ所で唖然とした。燃えていたんだ。集落の門が、家々が燃えていた。村だった場所は火の海だった。俺は最初火事だと思った。だが違ったんだ」

「何が、あったの?」

「星獣がいたんだ」

「え?」

予想外の答えだったのだろう。恋歌は驚愕の表情だった。

「なんで‥‥だって星獣って、結界の外にいるって言う黒い怪物の事だよね。なら結界中には入れないはずじゃ。結界に触れたら身体が溶けちゃうって」

「確かにはそうだ。初王が張り巡らせた極結界、天ノ御柱結界により侵入はできない。だが、それだけだ。星禍は幻力の澱みから発生する。人類に、内部で発生する星禍を止める術はない。祓うしかないんだ」

「そんな‥‥だったら、その結界をもっと沢山用意すれば」

「無理なんだ。天ノ御柱結界は初王にしか成せない」

それが事実だ。

初王が天ノ御柱結界を生み出して千年。

それだけの歳月を経ても人類は初王に追いつけていない。

「無論、島内には幾重もの結解が敷かれていた。代替にはなるが脆い結界ではない。並の星獣では傷一つ着かない強力な結界だ。万全の対策を施していた」

「だったらなんで」

百道は奥歯を咬む。

「あの日は、運が悪かったとしか言えない。星禍は瞬く間に肥大化し星座を宿した。星霊に至ったんだ。奴は結界を砕くと、セイサイを起こした」

「せいさい‥‥」

彼女は反芻した。

「セイサイとは、星霊の瘴気が周囲に伝播した結果、幻力場が乱れ、玉突きに星禍が起きる現象を指す。星獣による百鬼夜行とでも思えばいい。俺の島はセイサイに見舞われた」

セイサイの本質は一個の大きな星禍星霊による星禍の誘発である。

「俺の島を蹂躙した星霊はオリオン座」

オリオン座の伝説は歴史書にも度々登場する。

過去には大賢者を含む大隊を壊滅させた記録も残っている程である。

「オリオン座は幾度も再臨を繰り返す、人類の歴史上最も人を殺した星霊だ。あの日の不条理を忘れたことはない。母はオリオン座と対峙し、殉職した」

夜の帳の下、燃えさかる業火の中で、百道はその決着を見ていた。

星霊と相対した母は、その半瞬後、無残に両断された。

戦闘とも呼べぬ一幕だった。

「正直、勝負にもならなかった。歴々の母がそれこそ赤子扱いだ。奴は強すぎたんだ。個としても、軍としても」

恋歌が暗然と呟く。

「よく、無事だったね」

「星祓隊に救われた。しかし彼らが駆けつけたその時には村は完壊、俺と妹以外の生存者はいなかった。俺はその日、故郷と妹以外の家族を失ったんだ」

「けどもう‥‥その妹さんも」

「ああ。瑚十ことと言うんだが4年前に死んだ。黒化病に晒されて」

「黒化、病?」

病名を聞き、恋歌の瞳孔が見開かれた。

「そ、そんな‥‥」

「許容量以上の瘴気を受けた人間は、体内の幻力に濁りを患い、黒化病を発症する。黒化病は不治の病だ。一度患えば身体中の幻力が黒化し、最期は絶命か、或いは星禍に墜ちる。救助された瑚十はいち早く搬送されたが、不運にも幻力の黒化現象を患った。それからの瑚十は寝たきりだった。ずっと動けず苦しんで、徐々に死に近づく恐怖に苛まれ、花瓶を投げられたこともある。無理もない。ずっと薄暗い病室で外にも出られなかったんだ。日に触れただけで炙られるような痛みを感じるんだ。身体は徐々に結晶化していき髪は黒く染まり、最期の方は会話も出来なかった。黒い結晶が顔中から生え、もはや表情も分からない程だったから辛かっただろう。最期は砕け散った。瑚十の形跡は何も残らなかった。俺は、助けられなかったんだ。俺の掌に唯一留まってくれた存在だったんだがな」

恋歌を見る。

彼女は自分事のように無念そうだ。

結んだ唇が何かに耐えるように引きつれ、膝に置かれた拳は悔恨を噛みしめるように震えている。

「すまない、こんな話をするつもりはなかったんだ」

ふと、恋歌の指が百道の指を絡め取った。

酷く細く今にも折れそうな癖に、頼もしい指だ。

「れん‥‥」

見上げると両目に涙を湛えた恋歌がいる。

「‥‥謝る必要なんかないよ。ありがと、話してくれて」

双方そのまま暫くの間は口をきかなかった。

傷をなめ合うようにただ黙って、同じ空間に存在するだけ。

やがて恋歌は椅子から飛び降り、百道に向き直った。

夕焼けを背に、彼女の紅蓮の髪が深い夕闇に染まっていた。

「もうたって大丈夫なら、帰ろう。皆が待ってる」






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