監視対象

「一条マリの家での滞在記録、午後四時二十二分から午後六時三分まで。特段の不審行動なし。以上、報告を終了します。」


モニターに並ぶ無数の映像のひとつで、タケルとマリの姿が静止した。

監視官の一人が端末を閉じると、隣の席の年長職員がため息をついた。


「高校生が詩を読もうが物語を書こうが、いちいち報告する必要あるのかね」

「あります。『思想萌芽監視規定』の第十二項に該当します。感情表現の過剰な連続は、虚構生成の兆候ですから」

「まったく、息が詰まる世の中だ…」


職員たちの会話は誰の耳にも届かない。

彼らの報告がどこへ行き、何を引き起こすのかも。


──


翌朝、タケルは学校の昇降口で奇妙な視線を感じた。

友人のユウゴが、廊下の向こうから声をかける。


「おいタケル!お前、昨日“虚構生成”タグついてたぞ!」


「……は?」

「コレクティブメモだよ!お前の端末、共有されてんだろ?昨日の夜の記録、『非科学的な文章構築行為の疑い』ってさ!」


一瞬、血の気が引いた。

マリの家で書いた、あの物語。

誰にも送っていない。SNSに投稿すらしていない。

──なのに、どうして?


「そ、そんなわけ…」と否定しかけたとき、端末が振動した。

画面に表示されたのは、「情報安全管理局(情管)」からの通知だった。


【警告】あなたの端末上で“虚構性を含む記述”が検出されました。

科学的根拠のない内容を第三者に共有しないようご注意ください。

詳細は校内メディエーターの指導に従ってください。


タケルは唖然としたまま、文字を見つめた。

冷たい活字が、心臓の奥まで突き刺さる。

「……なんで、俺のノートの中身を知ってるんだよ」


ユウゴが苦笑する。

「もしかして、分かんない言葉とかスマホとかで調べただろ?全部スキャンされちゃうんだぜ。最近は“感情解析AI”が搭載されてるから、文章のトーンでフラグ立つんだと。」


「……そんなの、盗みじゃないか」

「盗み?違う違う、“保護”だよ。デマや陰謀論を防ぐための。」


その言葉が胸の奥で爆ぜた。

保護──。

人間の想像を守るんじゃなく、殺すための言葉。


授業が始まっても、タケルの頭はぼんやりとしていた。

教師の声も、タブレットに映る公式の年号も、すべて遠くで鳴る雑音のようだった。


放課後、タケルは再びマリの家を訪れた。

ドアを開けると、マリは机の上で何かを焼いていた。

見れば、自分の詩を書いた紙を、静かに火の中に投げ入れている。


「何やってんだよ!」

「……もう終わりにするの。私の詩、全部情管に検出された。学校から警告もきた。もう続けられない。」


タケルは言葉を失う。

燃える紙の灰が、窓から流れる光に散っていった。


「でも、俺……あの話を書いたら、なんか生きてる気がしたんだ。意味なんか分からないけど、書くって、呼吸するみたいで……」


マリはうっすらと微笑んだ。

「分かるよ。だから、私はまだ信じてる。どこかに、“まだ物語を信じる人たち”がいるって。」


彼女は机の引き出しから、古びたメモリーカードを取り出した。

「これ、見せたいものがあるの。」


小さな端末に差し込むと、スクリーンに映し出されたのは、暗い地下室の映像。

複数の人影が、紙とペンで何かを書き続けている。

壁にはこう書かれていた。


「物語は、まだ死んでいない。」


タケルは息を呑んだ。

それは確かに現実には存在しないはずの“物語”を、生きて残そうとする人々の映像だった。


「彼ら、“ナラティヴ・リマインダー”って呼ばれてるの。非合法の物語保存グループ。もしかしたら、私たちも——」


その瞬間、窓の外からドローンの赤いライトが差し込んだ。


「情報安全管理局です。屋内スキャンを行います。全員その場で動かないでください。」


タケルは思わずマリの手を掴んだ。

マリの瞳が震えていた。

光が部屋を真っ赤に染め上げる。


物語を生む行為は、罪だった。

だがタケルはこのとき、初めて“恐怖より強い何か”を感じていた。


——物語を、守らなきゃ。

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折れた筆 根津 光 @zawawa

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