愛と哀しみの舞踏会 〜妹に婚約者を奪われた時、冷酷な運命の扉が開かれる〜

小野シュンスケ

愛と哀しみの舞踏会


 公爵家で開かれた舞踏会でユニヨン様は、婚約者を放置して妹のネルティティとダンスを踊っていた。


 キラキラした微笑みを浮かべながらユニヨン様と妹は踊り続けた。壁の花になっている婚約者を一顧だにすることなく。


「あの人のあんな笑顔初めて見たわ……」


 ダンスが終わると人混みをかき分けて、ユニヨン様はネルティティの肩を抱いてやってきた。


「フリーザ、君に話がある」


 ユニヨン様の視線がネルティティに注がれた。晴れやかでそれでいて愛おしそうに。 


「どうやら僕は真実の愛を見つけてしまったらしい」


 その相手が誰なのか聞かなくても分かった。


「君との婚約を解消したい」


 周囲の人々は会話を止めて聞き耳を立てていた。


「何の冗談かしら?」


 驚くほど冷ややかな声音が自分の口から出た。


「フリーザ。僕はネルティティを愛してしまったんだ」


「っ……!」


「フリーザお姉様、真実の愛の前では人はあまりにも無力だわ」


 妹のネルティティはそう言うと、ユニヨン様と見つめ合った。


 周囲の好奇の視線に耐えきれず、くるりと踵を返して舞踏会場を後にした。



 最初はそれほどユニヨン様を愛していたわけではなかった。


 伯爵家同士の政略的結婚に過ぎないと割り切っていたはずなのに。


 いつのまにか好意以上の感情をユニヨン様に抱いてしまっていた。


 穏やかに微笑むユニヨン様の隣にいると心地よいと感じている自分がいた。


 彼の微笑みが自分に向けられることはもう二度とない。


 婚約解消を言い渡されて心はズタズタに切り裂かれてしまった。


 けれど、不思議と涙は出なかった。


 それよりも、あんな衆人環視の中でよくも婚約解消など言えたものだと、呆れと同時に激しい怒りがふつふつと沸き上がってきた。


 待機していた馬車に乗り込んで御者に告げた。


「帰るわ。出してちょうだい」


「はい、お嬢様」



 * * *



 突然馬がいななき馬車が急停止した。


「何事?」


 御者台に目を向けると御者の姿は既になかった。


 ガチャリ!


 馬車の扉が開き、伸びてきた男の手によって外に引きずり出された。


「あっ!」


 地面に投げ出され周囲を見渡すと、破落戸ごろつき三人に取り囲まれていた。


「お貴族様っていいご身分だよなあ。平民が圧政に苦しんでるってのに、のんきにダンスパーティーなんて開催してよ」


「俺っちたちにもおこぼれあずからしてくんねえかな」


「げへへへへ」


「あ、あなたちの目的はなに?」


「目的? そんなの決まってんだろ。お貴族様をいたぶるのが俺たちの唯一の愉しみなのさ」


「お金はたっぷり頂いた。あとはきっちり仕事を果たすのみ」


「俺っちたちを雇うなんて、ほんっとお貴族様って腐ってるよな」


「雇う? 誰かに頼まれたの?」


「まあな。ちょっとばかし痛めつけてくれってな」


「なっ!」


 恨みを買うようなマネをした覚えはまったくなかった。いったい誰が? 気がつかないうちに誰かの恨みを買っていたのだろうか。


 破落戸の手が伸びてドレスを掴んだ。


「かわいがってやんよ」


 ドガーーッ!


 次の瞬間、破落戸は数メートル吹っ飛んでいた。


「な、なんだ!?」


「こういう汚いやり方は僕は好まない。不満があるなら政治の中枢に言うべきだ」


 そこにいたのは戦士のような鍛え上げられた肉体と圧倒的な美貌を誇る青年だった。


「誰だ、テメエ!?」


「通りすがりの辺境冒険者だ」


「田舎もんが口をはさむんじゃねえよ」


 ものの数秒で破落戸たちは地面に伸びてしまった。


「だいじょうぶかい?」


 顔を上げると辺境冒険者と名乗る青年が手を差し出していた。


「あ、ありがとう。助かったわ」


「御者もいなくなっちゃったね。家はどこ? 送っていくよ」


「家の場所は……」


 場所を告げると、辺境冒険者にお姫様抱っこされていた。彼はそのまま物凄い速さで走り出した。


「え? あの、ちょっと!」


「こっちの方が早いから」


 文字通り飛ぶようなスピードであっという間に屋敷に到着した。


「じゃあ、僕はこれで」


「あの、お礼を……」


 そう言いかけたときには、もう辺境冒険者の姿はどこにもなかった。


「な、なんだったのかしら? まるで夢でも見ていた気分だわ」



 * * *



「あら。無事に帰ってこれたのね」


 家に帰ってきたネルティティはしばし目を丸くしたあと、悪びれる様子もなく言った。


「ユニヨン様がどうしてもって言うものだから。ごめんなさいね、お姉様」


 言葉とは裏腹に、妹の顔には喜色が滲み出ていた。姉のものを奪い取ったときに必ず見せる妹の愉悦の表情。今さら見落とすはずがなかった。


 生まれてから15年間、妹のネルティティは姉のものならなんでも欲しがった。玩具に本、楽器にドレスにアクセサリー、挙句の果て婚約者まで。両親は妹には甘く、姉には特に厳しかった。姉と妹でなぜこれほどまでに差があるのか、全く理解できなかった。そのことも怒りをさらに増幅させる要因となった。


 ユニヨン様との婚約はすぐに解消されて、代わりに妹のネルティティが婚約者になった。


 両親はもちろん反対するはずもなく、こちらの考えを聞きもしなかった。


「ネルティティこそが婚約者にふさわしいと常々私も考えていたのだよ」


「これ、フリーザ。妹を睨むものではありません!」


「別に睨んでなどいませんわ」


「お母様、やめてあげて。お姉様のつり目は生まれつきなんだから」


「ネルティティはほんとうにやさしい子ねぇ」


「真実の愛によって結ばれたふたりに乾杯!」


「もうお父様ったら気が早いんだから。あたしたちまだ婚約したばかりなのよ」


 何が真実の愛かなんて知らない。妹が真実の愛と言えばそれが真実の愛になってしまうのが我がグレイマーシュ伯爵家の家風なのだ。



 * * *



 翌朝学園へ行くと、婚約解消の話は既に学園中に知れ渡っていた。


「おめでとう、フリーザさん」


「はあ?」


 目を向けるとクラスメートたちは大げさに身を縮めた。


「ああ、こわい! どうして睨まれるのかしら。妹さんの婚約祝いを申し上げただけですのに。それともご自身に何か不幸な出来事でもおありになったとか? 例えば」


「例えば?」


「婚・約・解・消、とか!」


「「おほほほほほ!」」


 クラスメートたちの嘲笑が教室内に響き渡った。



「フリーザさん、マグダレーネ様がお呼びよ」


 教室の入り口までやってきた上級生の令嬢に声をかけられた。


 上級生の後について三年生の個室に向かった。


「あらあらフリーザ、なんて顔をしてるの」


「……」


 公爵家の令嬢マグダレーネ様は学園最大派閥のリーダーで、常に数人の取り巻きに囲まれて過ごされている。


 無派閥のぼっち令嬢とは対極に位置するご令嬢だ。


「聞いたわよ、昨日の事。それであなたはどうしたいの? 新しい婚約者を探す? それとも奪われた婚約者を奪い返す? どちらもあなた次第よ」


「それは……」


 未練が全くないと言えば嘘になる。しかし、あのような手ひどい裏切りにあった相手と何事もなかったかのように寄りを戻せるとは思えなかった。


「あなたは大人しすぎるわ」


 マグダレーネ様は仰った。


「成績優秀、美貌もスタイルも何一つ妹に劣って無いというのに、唯一足りないのが思い切りの良さかしらねえ」


「思い切り、ですか」


「押しの強さと言ったほうがわかりやすいかしら」


 押しの強さという点においては妹のネルティティは秀でていた。


「あなたの思慮深さは長所でもあるわ。そこがいいという殿方はきっと現れる。ユニヨンはそうでなかったというだけの話よ。殿方を待ち続けるのも悪いとは言わないけれど、幸運は待っていてもなかなか訪れないものよ。少し自分から踏み出してもよいのではなくて」


 幸運という言葉は自分には無縁だということは自覚していた。いつも側をすり抜けていく。


「私のところへいらっしゃい。皆押しの強い子たちばかりだから、勉強になるわよ」


「少し考えさせて下さい」


「ゆっくり考えて納得のゆく答えを見つけてちょうだい」


 以前から疑問に思っていたことをマグダレーネ様に投げかけた。


「なぜ気にかけて下さるのですか?」


「私も戦っているから、かしらね」


「何と戦っていらっしゃるのですか?」


「そうねえ。あえて言うならば『ヒロイン』と、かな」


「え?」


「ヒロインはあなたの妹とは比べ物にならないほど狡猾よ。王国征服を目論む強敵。生易しい相手ではないわ。既に何人もの殿方が陥落している。ヒロインを退けるためには一人でも多くの仲間が必要なの」


「申し訳ありません。意味がよく分かりませんでした」


「きっとこれから知ることになるわ。否応なくね」




 翌日、マグダレーネ様のもとを訪れて返答をした。


「マグダレーネ様、どうか派閥に入れて下さい」


「私の派閥は厳しいわよ。よろしくて?」


「はい!」


「いい返事だわ。これからよろしくね、フリーザ」



 * * *



 さっそく、王宮の舞踏会にマグダレーネ様の取り巻きの一人として参加することになった。


 華やかな装いに身を包む貴族たちの中でひときわ目を引いたのが、第一王子と第二王子だった。


 第一王子の側には、学園で時々見かける男爵令嬢の姿があった。


 ピンク色のふわふわの髪に無邪気な笑顔を浮かべて、大勢の殿方に囲まれていた。 殿方たちは熱に浮かされたように、真直ぐに男爵令嬢を見つめていた。彼女の表情はどこか妹のネルティティを彷彿とさせた。


 すぐに理解できた。


(あれが、マグダレーネ様の敵なのね)


 妹に婚約者を奪われたおかげで見えてきたものが、異彩を放つ男爵令嬢の存在だった。



 マグダレーネ様と談笑していた第二王子の視線がわたくしに向けられた。


「おや? 見かけない顔だね。君はたしか……」


「フリーザ・グレイマーシュです」


「ああ、君がグレイマーシュ伯爵の。噂で聞いていた印象とはずいぶんと違ってるね」


「噂はしょせん噂ですから」


「たしかに。一曲いかがかな、フリーザ嬢」


「よろこんで」


 第二王子殿下がホールに現れると、人混みが割れて真ん中が空白になった。


 ホールの中心で、第二王子殿下とわたくしはダンスを踊った。


 背筋を伸ばし、胸を張り、しっかりと前を見つめて。




「七年前の君を覚えているよ」


 ダンスを踊りながら第二王子殿下は話をされた。


「初めて王城を訪れた君は、なぜか木に登って降りられなくなっていたね」


「は、はい」


 猫が木の上にいてニャーニャー鳴いていたので助けに行くと、自分まで降りられなくなったという、子供時代の恥ずかしい思い出だった。


「一緒に降りてきた君と猫の表情がそっくりで、おかしくて笑ってしまったよ。いや失礼」


「お恥ずかしい限りです」


「以来私は君のことが気になって仕方がなかったよ。ユニヨンと婚約したと聞いたときは、どうやってぶち壊してやろうかと画策したものさ」


「え!?」


「ステップが乱れてるよ」


「も、申し訳ありません」


「これからは気兼ねなく声がかけられそうで嬉しいよ」


「お声をかけて頂ければいつでも参ります」


「そういう意味ではないけれど、おいおい分かってくれればそれでいいさ」


「はい」


 やがてダンスは終わり、お互いに礼をして別れた。




 マグダレーネ様の元へ戻る途中、妹のネルティティが足早に寄って来た。


「お姉様ったらどうして第二王子殿下と? ずるいわ!」


 ユニヨン様も妹の後を追ってやってきた。


「ネルティティ、僕らも踊ろう」


 ネルティティは邪魔者でも扱うようにユニヨン様をあしらった。


「はあ? ひとりで踊ってくれば?」


「え!?」


 きょとんとしたユニヨン様を無視して、ネルティティは瞳を輝かせて第二王子殿下を見つめていた。


「ターゲットロックオン! 次は第二王子殿下を攻略よ!」


 暴走するネルティティを呆然と見送るユニヨン様のつぶやきは舞踏会の喧騒にかき消された。


「僕たち真実の愛で結ばれたんだよね……」


「真実の愛なんてちゃんちゃら可笑しくて笑いが止まりませんわ、オホホホホ!」


 妹とユニヨン様が遠ざかっていった。



 * * *



 急に会場がざわめいた。


「辺境冒険者風情がなぜここに!」


 貴族たちの怒りの視線が、黒目黒髪の女性を伴って現れた辺境冒険者に集中した。


「本日はお招きありがとうございます。第二王子殿下」


 女性が挨拶をし、第二王子殿下が応じた。


「うむ。よくぞ参った。本日は無礼講だ。存分に楽しんでゆくがよい」


「はい」


 破落戸から助けてくれたあのときの青年だとすぐに分かった。


 その隣の黒髪の女性は最近台頭してきた商人だ。平民の間で絶大な人気を誇っていると耳にしたことがある。


 辺境冒険者の青年と商人の女性は手を取り合ってダンスを踊り始めた。


 女性の方は馴れたものだったが、青年の動きはぎこちなかった。それでも鍛え上げられた肉体と圧倒的な美貌は周囲の目をくぎ付けにした。


 キン!


 金属がぶつかりあう音が会場に響き渡った。


 剣を振りかざした貴族を辺境冒険者の青年がナイフで受け止めていた。 


「背中からバッサリやるつもりだったのかい? 貴族って礼儀も何もあったもんじゃないな」


「ここは蛮族が来る場所ではない! 死んで罪を償え!」


遊佐ユサさん、こいつ切っちゃってもいい?」


「今はやめておきなさい」


 ドガッ!


 青年が蹴り飛ばすと、貴族の男は会場の端まで吹き飛んで動かなくなった。



 第二王子殿下は第一王子殿下を睨みつけた。


「これはどういうことですか兄上」


 第一王子の隣にいたピンク色の男爵令嬢が言い放った。


「その蛮族は王国に災いをもたらします」


 男爵令嬢のとりまき貴族たちが剣を抜いて辺境冒険者を取り囲んだ。


「辺境のゴミを駆逐しなさい!」




「この状況でも切っちゃだめなのかい?」


「仕方ないわね。あくまで専守防衛に徹してちょうだい」


「わかった」


 商人の女性はなにもない空間から剣を取り出して青年に渡した。


「マジックバッグだと!」


 貴族たちの間に動揺が走った。マジックバッグは高位魔術師あるいは勇者にしか扱えないレアな魔法スキルのひとつだった。


「ひるむな、殲滅しろ!」


 男爵令嬢のとりまき貴族たちはいっせいに剣を振り下ろしたが、次の瞬間には全員の首が胴体から切り離されていた。


 ビシャッ!


「キャアアアアアア!」


 鮮血が飛び散り、舞踏会場は悲鳴に包まれた。


「派手にやりすぎよ、アキラくん」


「ちょっとカッコつけすぎちゃった。君がいたからね」


 そう言うと青年は女性のアゴをクイッと持ち上げた。




「この役立たずのぐうたら貴族どもが!」


 ピンク色の髪の男爵令嬢は髪を振り乱して怒鳴りつけた。


「さっさと蛮族を仕留めなさいよ!」




 辺境都市の青年と商人の女性は冷めた目つきで男爵令嬢を眺めていた。


「あのピンク色のが元凶みたいだね」


「そのようね」


「やっちゃっていい?」


「人を殺せと命令しているのだから、自分がやられる覚悟も当然おありなのでしょう。遠慮なくやっちゃっていいわよ」


「りょうかーい!」




「やだ、うそぉ! あたしはこんなところでやられていい人間じゃないのよ! 第一王子!」


「これ以上は好きにはさせん!」


 男爵令嬢の前に第一王子が立ちふさがった。




 商人の女性は第二王子に指示を仰いだ。


「どうしますか?」


「あとは私たちが引き受けるよ。君たちは一旦引いてくれるか?」


「わかりました、アキラくん、帰るわよ」


「うん」


 辺境都市の青年は商人の女性をお姫様抱っこして、目にも止まらぬ速さで会場を後にした。



 残された貴族たちは、鮮血に染まった舞踏会会場を呆然と眺めていた。


 わたくしはというと、ただただブルブルと震えているだけだった。


「うふふふ。あのピンク頭、いいきみね」


 というマグダレーネ様のらしくないささやきを聞きながら。





【終】

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愛と哀しみの舞踏会 〜妹に婚約者を奪われた時、冷酷な運命の扉が開かれる〜 小野シュンスケ @Simaka-La

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