25.流され崩され、其処に在れ
睦月二十八日。
聚楽第にひどく似合わない一行が現れた。
携えるは、今宵現れるとの予告。
「こんな晴れた陽気にか」
空は青く、暖かな風が吹く。庭の松は青々と枝を輝かせ、梅の香りも広がっている。春が近い。
「天気は関係ございませぬよ」
部屋の内、竜丸の正面に座った青年はにっこりと微笑んだ。
「星読みの結果は真っ先に、関白猊下に討伐を任されている黒書院様にお伝えせねばと、陰陽寮一同で罷り越した次第」
青年の後ろに控えた、年頃は様々な男たちが一斉に首を振る。
皆揃って、烏帽子に直垂という姿。旧い家の出自を誇る禁裏の役人たちだ。
都の旧い家々の大部分が、当代の関白を成り上がりの田舎者と蔑んでいると噂される。その一群に属するであろう彼らは、関白の甥である竜丸へも侮る気配を隠さない。
外の陽気とは裏腹に、部屋の中の空気は重い。腰を下ろし、向かい合う男達の重みで畳が沈む。
つい、鼻に皺を寄せる。竜丸の後ろで藤太も渋い咳をした。
誰かが動かねば何も進まない、と頭を捻り。
「陰陽寮の役人だったのか」
と、竜丸は唯一頷く以外の動きを見せる青年を見遣った。
正面に座る彼の顔は知っている。
万丸の友人だ。名は、確か。
「一条青嵐、だったか」
「おや、ご存じでしたか。恐悦至極」
わざとらしい呼び捨てにも、にこりと返された。口元だけの笑みだ。
進め方を間違えたか、と思った瞬間。
「誤解無きよう申し上げますと」
青嵐は口を開いた。
「我らがしたのは星読み。その辺りにうろつく辻の占いとは違う、根拠あるものです」
「ほほう?」
つい、身を乗り出す。
「空に瞬く星は、決まった道を通ります。それに基づいて暦が出来る」
「それは知っている」
「おや、黒書院様にも学がおありとは」
「待て、どういう意味だ」
「白書院様が常々、貴方が話を聞かぬと嘆いておられたので」
「話を聞く聞かないが関係あるのか」
「教えを静かに受け止めるか否か、でございますよ」
「おまえは万丸――白書院の肩しか持たぬのか」
「いいえ。都の、この瑞穂國の…… ひいては世界の為になることを選ぶつもりですよ」
だから、と彼は笑みを絶やさない。
「百鬼夜行の出る道、日も、星の並びから読めるのです。そして、世界の為に、この結果を貴方にお持ちするのが最善と判断した」
分かるような、分からないような。竜丸が首を傾げると。
「敢えて付け加えるならば」
と青嵐は目を細めた。
「我ら陰陽寮だけでは百鬼夜行を消せぬと考えておるのですよ」
「つまり、我が殿に出張れと申しておるのか」
藤太が厳しい。視線も声も。
「ええ、そうですよ。関白猊下に一任されておいでなのでしょう?」
青嵐はひたりと竜丸を見つめてくる。
「それに今回に関しては、その星の並びを敢えて強めている者がいると考えられるからでもあります」
ごくりと唾を飲み込む。
「誰かが穢れを流しているから百鬼夜行が止まらない」
一瞬、風を思い出した。
「おや? お心辺りが?」
青嵐が嗤う。首を強く振る。
「俺を疑うのか?」
「まさか。そのようなことをなされるはずがないでしょう。関白閣下の信頼篤い、世継ぎ候補のお一人が」
ねえ、と青嵐が言うと。後ろの男達が初めて声を立てて笑った。
夜半、協力して洛中に出るということで話が固まる。
「気に入らないですね」
と、清綱は言い切った。
「莫迦にしおって」
藤太も口を曲げた。
「珍しいな、爺」
役人達が去った後の部屋で、つい、竜丸のほうが笑ってしまった。
「やはり、あやつは白書院の手先なのでしょう」
「嫌みしか言わぬあたり、気が合っていそうじゃ」
清綱と藤太が頷き合う。
「ほら。俺と爺様の意見が一致したのですよ。油断禁物ですからね」
眉間の皺を深くした清綱が、竜丸を見つめる。
「同行するのも、手助けというよりは、殿の不手際を狙っているからではないですか?」
「本当にひねた見方をするな、清綱」
「殿は人が好すぎるのですよ」
ぎゅぎゅっとさらに眉を寄せて。
「そうでなければ、河原で会っただけの得体の知れない二人を信じるものですか」
「……馨と梨乃のことだな」
「ええ、そうですよ。その時以外にも、お一人であちらこちらほっつき歩いて、物の怪を焼いているのも存じ上げていますからね」
清綱の顔の前でひらひらと手を振って、竜丸は息を吐く。
「だが、青嵐は本当に手助けだと思うぞ」
彼の『世界の為になることを選ぶ』を信じれば良いのだ。
「本当に万丸と同じ
「言い切りましたね」
「おう」
胸を張る。清綱が吹き出して、藤太も頬を緩める。
「では、我らは殿に従い、お守りするのみ」
夜半。
武士と陰陽師達は揃って洛中へと繰り出した。
足音が奇妙なほど澄んでいる。向かう先ははっきりしている。
通りを南へ。
もう何度も通っている。暮れに火事があった処だ。
「十年前の戦でも焼けたと言っていたな」
馬を進めながら、隣に付いた藤太に訊ねると。
「焼けただけではございませんよ」
具足の鳴る音に、憂いを含んだ声が混じった。
「どさくさで、ね…… 火事場泥棒だけでなく、口に出せぬほど悍ましい行いをした輩がいたのです」
ぐっと唇を噛む。藤太の声は低い。
「女は初めて抱かれた男に背負われて三途の川を渡ると云いますな」
それはつまり。女人の誇りを奪うようなことがあったのだろう。
つまり。
「恨みで留まる死霊がいる」
それが此度の正体か、とふと思う。
――だが、それを『誰かが流している』?
何かを見つけたような思考は不意に断ち切られた。
「まもなく着きます」
先頭の武士が言う。
「嫌な感じですね」
直垂姿のままの青嵐が眉を潜めた。
月明かりの下、土が黒い。砂埃が舞うのに、足元がぬかるみに沈む感触がある。
徒歩の音と蹄の音が、同じ早さで道を行く。
「おかしい」
通りの先に、細い線が横に走った。
それがぱかりと広がる。
ずるずると柱が生えてくる。闇夜に鮮やかな朱の鳥居。そこからゆらり、ずるり。黒い靄が続けて出てくる。
「出たぞ!」
悲鳴ではない。鬨の声を上げる。
「突っ込むぞ」
竜丸の号令で、騎馬が一団となって駆ける。
途端、通りが歪む。
黒い群れが横を駆け抜けていく。太刀を振るっても届かず、走っても走っても、辿り着かない。
馬だけが前に出て、手は虚空を掴む。武者が転げ落ちる。
「ええい、どういうことだ」
いつまでも鳥居への差が縮まらないと舌を打つ。
「厄介なことですね」
陰陽師達が札を取り出す。
「結界を張ります」
「良いだろう!」
竜丸が吠える。
ぴりりと肌がひりついた。結界とやらは、動ける場を狭めるものらしいと直感する。やがて黒い群れは、太い芯をもった流れに収束した。
「怯むな! 斬れ!」
もう一度、鬨の声。立ち直った武者達の太刀が閃く。丸腰で呪文を唱える陰陽師達を庇い、振るわれる太刀。それらに斬られても、芯の周りは形を崩すだけで、流れに戻っていく。
斬っても斬っても終わらない。湧き出てくるのだ。
だとすれば。
「やはり、焼いてしまうか」
竜丸は前を見据えた。
ぼこぼこ、ぽこぽこ、門からは絶えず黒い靄が流れ出ずる。
その向こうに見えるのは三途の川か。
「焼くって、まさか」
隣に這い寄ってきた青嵐に、笑ってみせる。
「あの門だ!」
――今こそ、風を寄越せ!
右の拳に焔を熾す。手に重い、焔。
吠える。
重く重く、大きくなる焔に、さらに声を上げ。焔の玉を門へと投げた。
それが触れた瞬間、門の輪郭が歪んだ。
轟音。火柱が上がる。祓いの赤だ。
誰もが呆然としているうちに柱は崩れた。
音は無い。
月明かりの下、土は乾いていた。
荒い呼吸がいくつも響いた後。さり、と音を立てて、清綱がその場に立つ。
「どうだ?」
額の汗を拭う藤太が問うと、彼は何度も瞬いた。
「何も見えませんね」
見えない、と青嵐も繰り返す。
「門の破片もない? 灰も?」
「ええ、全く、何も」
清綱が重ねて言う。青嵐は長く溜め息を吐き出した。
「だとすれば」
彼が見上げた先には、星は無い。
「今は確かに崩れたようですね」
歓声。竜丸も清綱、青嵐と共に立つ。
確かに何も無い。無いように思う。
「崩れたと言い切る、それも星読みか」
「そうですよ」
だから、青嵐は眉を寄せる。
「誰かがまた門を築いたら……」
「誰が、どうやって、築くというんだ?」
竜丸の問いに、彼は首を横に振った。
「それが分かれば、すぐに解決するんですけどね」
――解決をともに求められるのは幸いだが、穢れを流すだの、門を築くだの、回りくどく話すのが貴族流か。
竜丸からの文には、そんなぼやきが記されていた。
「大活躍だったようだな」
馨はけらけら笑う。
竜丸の文に遅れることなく、斎院御所には百鬼夜行討伐の報せが禁裏からもたらされている。
これで年の暮れからの心配が片付いたと言いながら、馨は頬を膨らませた。
「陰陽寮の連中と顔を合わせとうなかったから行かなかったが。惜しいことをしたな」
「そうでしょうか」
そわそわと、梨乃は袖を弄る。
「竜丸殿を見たかったのは、宮様でしょう?」
「おお、勿論。妾は彼奴が好きじゃからな」
ずきり、胸の底が痛む。
「梨乃も気に入っておろう?」
「気に入る、とは?」
ぎゅっと唇を噛む。そこをふにふにと指先で突かれた。
「あれは勇ましい武者じゃ。鍛えられた男じゃ。我らは見たであろう」
河原の焚き火の傍で、彼の躯を。
「見ておりません」
ふん、と横を向く。
彼だって梨乃の肌を見ていない。見せびらかしていたのは馨だけ。そのはずだ。
当の馨はげらげらと笑い。
「この活躍で、すこしは洛中の穢れも流れると良いな」
すっと静かな笑みに変わる。
梨乃も頷き、もう一度文に視線を戻した。
竜丸は、また次の流れが来ると踏んでいるらしい。
「誰かが穢れを流している」
「困ったものじゃ」
ふふ、と馨が笑う。
そのまま他愛ないお喋りを続けていると、御簾が捲られた。
乳母殿だ。
視線だけで呼ばれ、廊下に出る。
「今宵は務めがあります」
見下ろしてくる乳母殿の瞳が冷たい。
「馨様を楽しませる事も大事ですが。分かっていますね」
「はい」
「では、すぐに用意するように」
「はい」
短い返事も言い終わらないうちに、乳母殿は踵を返す。
梨乃が身を清めるための湯と香を整えに向かったのだろう。
この流れに、とっくに慣れていたはずなのに。
足が重い。
香りに引かれて、御簾を上げれば。今宵の相手がにやついて待っていた。
「よういらした」
そう。
梨乃は己の足でやってきたのだ。触れられるために。
瑞穂國供養譚 秋保千代子 @chiyoko_aki
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