第11話 貴族街の扉、そして密やかな招き

 翌朝。王都の空は雲ひとつなく澄み渡っていた。

 宿の窓から差し込む朝陽を浴び、アリーシャはゆっくりと伸びをする。昨夜は遅くまでノートを整理していたが、今は焦りよりも「今日こそ次の手を打つ」という静かな闘志が勝っていた。


(研究所へ直接潜り込むのは危険だし、軍を当てにしても成果は望めない。なら、“貴族の情報網”にアプローチするしかない……)


 アリーシャは支度を整え、宿のロビーへ降りる。女将が立ち働く傍ら、他の宿泊客も朝食をつまんでいる。魔術師風の人物や官吏らしき人――学術区や王城方面へ通う人々が多いようだ。

 軽く食事を済ませた後、彼女は大通りへ出た。


 



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 王都の北東区画に位置する「貴族街」は、高い塀や厳重な門で区切られた、まさに“富と権力の象徴”ともいえる場所だ。

 アリーシャは大通りを抜け、門に近づいてみる。そこには甲冑を着た衛兵が立ち、通りかかる人々を一瞥しては出入りを管理している。


「ここから先は貴族街だ。用がない者は立ち入るな」

 門兵が頑固そうな表情でアリーシャを見やる。

 彼女は「用事があります」とは言えず、その場でどうしようかと足を止めた。うかつに嘘をついて通ろうとしても、身分証や紹介状を求められれば詰んでしまう。


(どうやって貴族街に入る? 誰か、コネがあればいいのだけど……)


 思案していると、背後から華やかな馬車の音が聞こえてきた。振り向くと、金や銀の装飾を施した立派な馬車がゆっくりと門へ近づいてくる。御者台には上品そうな老人が座り、馬車には紋章が描かれていた。

 門兵がすぐさま敬礼し、馬車を通そうとする。――そのとき、馬車の窓が少し開き、中から誰かが顔を出した。


「……あなた、見ない顔ね。門の前で何をしているの?」


 声の主は若い女性らしい。アリーシャは一瞬戸惑いながらも、礼儀正しく会釈した。

 門兵たちは動揺しているようで、「お嬢様、お知り合いですか?」と尋ねるが、当の女性は首を振り、「いえ、知らないけど興味があるわ」と続ける。


「わたしはセレスティア・ミルダ公爵家の娘、セレスティアよ。……貴女は何か用があるんじゃない?」

「……わたしはアリーシャ・フェンブリック。ええ、ちょっと貴族街の中を見てみたくて……」


 アリーシャが少し曖昧に答えると、セレスティアは「ふふ」と含み笑いをした。

 栗色の髪を上品にまとめた容姿は優雅で、馬車の内装も相まって「これが王都の貴族か」という威厳を放つ。だが、その微笑はどこか好奇心に満ちている。


「普通の庶民は入れないけど……興味はあるわ。ちょっと退屈してたところなのよね」

 セレスティアはアリーシャを一瞥して、門兵たちに視線をやる。

「わたしが招待する形なら、問題ないかしら? ほら、せっかく面白そうな人を見つけたもの」


 門兵はおろおろと目を泳がせたが、公爵家の令嬢の言葉には逆らえないようで、「承知しました……」と渋々うなずいた。

 思わぬ展開にアリーシャも少し驚きながら、「よろしくお願いします」と頭を下げる。


(助かった……ただ、これはこれで警戒しないとね)


 



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 馬車はゆったりと貴族街へ進み、整然と並ぶ邸宅の通りを走る。アリーシャはセレスティアの隣に座らされ、微妙に落ち着かない。

 窓の外には、美しい庭園や噴水を備えた屋敷が連なっており、王都の中心部とは思えぬ静けさが漂っている。


「あなた、魔法使いの方ね? 見たところ、何となくそんな気配がするわ」

 セレスティアが微笑みながら尋ねる。アリーシャは明確には否定せず、「研究をしていた時期があるので、多少は……」と答える。

「へえ。なら話が合うかもね。わたしも魔術書を読むのが好きなの。――でも、この国はちょっと騒がしくてイヤになるわ。戦だの資源だの、兵器だの……」


 セレスティアはため息をつく。公爵家の令嬢ともなると、国政や貴族間の噂も耳に入るのだろう。

 アリーシャはあえて“戦争”という言葉に反応しながら問いかけた。


「やはりこの国は、軍事の方向へ進んでいるんですか? わたしは外から来たばかりで、詳しくないんですが……」

「まあ、そうね。あちこちで『隣国に対抗するための兵力強化を』って声が高まってるわ。貴族たちの中には、軍と組んで魔導研究を押し進めようという派閥があるのよ。資源争いも絡んでるから、余計に厄介」


 セレスティアは眉をひそめる。

「父はわりと穏健なほうだけど……公爵家という立場上、いろいろ圧力を受けてるらしいわ。わたしは政治に口出しできるほど偉くないけど、正直、戦争なんて見たくない」


(穏健な貴族派の娘、か。味方になってくれるかも)


 アリーシャはそう考えながらも、軽々しく自分の正体や目的を明かすわけにはいかない。

 セレスティアはフッと笑みを浮かべ、馬車の窓から外を見やる。「さ、ついたわよ」と告げた先には、石造りの立派な屋敷があった。美しい蔦が絡むように庭を彩り、正面には紋章が刻まれた扉が鎮座している。


「ここがミルダ公爵家の屋敷。お茶でも飲んでいかない? 余所者は珍しいし、話がしたいわ」

「え……そんな、大丈夫なんですか?」

「構わないわ。父も不在だし、客人をひとり招くくらい問題ないでしょう」


 セレスティアが楽しげに答える。アリーシャとしては貴族街を見物できるだけでもありがたいが、まさか邸内にまで招かれるとは思わなかった。

 あまりに好奇心旺盛な令嬢だが、この機会を逃す理由もない。アリーシャは心の中で警戒を保ちつつも、微笑で応じる。


「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」


 



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 屋敷に通されると、アリーシャは館の使用人に案内され、貴族らしいサロンへ案内された。重厚な調度品や高価な絵画、ふかふかのソファ――見慣れない豪華さに少し面食らう。

 しばらくして、セレスティアが軽やかに現れ、使用人がテーブルに紅茶と菓子を運んでくる。


「さ、くつろいで。そんな緊張しなくていいわよ」

「ありがとうございます……。素敵なお屋敷ですね」


 アリーシャがそう言うと、セレスティアは「ふふ、まぁね」と頬を緩める。

 紅茶を一口飲み、セレスティアは先ほどの話の続きを切り出した。


「ねえ、あなた……確か“アリーシャ”って言ったわよね。外の世界でどんな研究をしていたの? ここに来た理由は?」

「ええっと……。魔法や錬金術の研究をしていた時期があって、今は旅をしながら各地の知識を集めてるんです。ノーブルガルド王国は魔術が盛んと聞いて……」


 アリーシャが適度に事実を交えつつ、曖昧に語ると、セレスティアは納得した様子で「なるほど」と微笑む。

「それなら、この国の“王立研究院”とか興味あるでしょう? 今、一部の貴族や軍が資金を注ぎ込んでいるみたいで……わたしの父も、少しだけ関わってるらしいわ。具体的には教えてくれないけど」

「お父様は……公爵様は、軍事研究に賛成しているんですか?」

 アリーシャが尋ねると、セレスティアは少し渋い表情を見せた。


「父は反対派寄りなんだけど、周囲からの圧力が強いの。利権や名誉が絡むと、貴族たちは恐ろしいわ。下手に逆らえば、家の権力基盤が揺らぐし……」


 どうやら公爵家の内部でも苦悩があるようだ。穏健派の貴族たちが少数で、攻撃的な軍事拡張を推し進める派閥が優位に立ちつつあるという。

 セレスティアはさらりと続ける。


「そういう意味では、わたし……あなたみたいな人に少し興味あるのよ。外の世界を知ってるってだけで、いろんな視点が得られるじゃない?」

「視点、ですか?」

「そう。今のこの国が狂ってるのか、普通なのか、それすら分からなくなるくらい、貴族たちは自分たちの論理で動いてるの。もしよければ、外から見た“王立研究院”や、“魔導兵器”なるものがどんな危険を孕むのか、聞いてみたいわ」


 アリーシャは密かに胸を弾ませながら、あくまで冷静を装う。これはむしろ好都合だ。“魔導兵器”の危険性を訴える立場の人がいるなら、アリーシャにとっては協力者になり得るかもしれない。

 ただし、なまじ公爵令嬢が相手だけに、言葉を選ばねばならない。


「……わたしも詳しくはないですが、戦争のための兵器が増えれば世界は荒廃する可能性があると思います。自分自身が見てきた……とある未来では、それが結果的に大きな悲劇を生んでしまいましたから」

「未来、ね。言い方が面白いわ」

「例え話ですけどね。……実際、兵器が完成してしまえば、使いたくなる人が出てくるのが世の常で……」


 セレスティアはまっすぐにアリーシャの瞳を見つめる。その優雅な表情には、一抹の不安が宿っている。


「わたしもそう思うわ。……父に代わって“穏健派の声”を上げたいけど、実際どう動けばいいのか分からなくて」

「協力できることがあれば……と言いたいところですが、わたしはただの旅人で、権力も何も持っていませんよ」

「ふふ、権力はないかもだけど、あなたは魅力的な魔法を持っているかもしれないじゃない。研究者なんでしょ?」


 笑いながらも、セレスティアの瞳には揺るぎない好奇心が見える。

 アリーシャは内心“利用される”リスクを感じつつも、ここで知り合った縁を断ち切るのは惜しい――彼女もまた、何かを求めているのだろう。


「……お役に立てるなら、情報交換くらいは喜んで。わたしもこの国の実情を知りたいですし」

「ありがとう。じゃあ、また改めて時間を作るわ。父にもあなたのことを伝えておくかもしれない」

 そう言って、セレスティアはにっこり微笑む。その表情には、まだ疑念が混じっているような気もするが、悪意は感じられない。


 



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 しばらくお茶を楽しんだ後、セレスティアが丁重にアリーシャを送り出す頃には、日が大きく傾き始めていた。

 貴族街を出る際、門兵も「あの令嬢の客ならしょうがないか……」という顔で黙って通してくれた。アリーシャは無事に外へ出て安堵する。


(思いがけず貴族街の奥深くに入り込んじゃったけど、セレスティアさんが味方になってくれるかもしれない。彼女の父親が穏健派なら、協力できる余地はあるわね)


 人通りの多い大通りへ戻り、アリーシャは自分の宿へ向かう。

 この国での行動はまだ始まったばかりだが、今日の出会いは大きな一歩になりそうだ。王立研究院をどうにかする鍵を、公爵家が握っている可能性は高い。


「……さて、次はどう動くか」


 夜のとばりが落ちかける中、アリーシャは王都の喧騒を背にしながら、思考を巡らせる。セレスティアとの約束を活かしつつ、研究所へ近づく術を探し出さねば。

 そして、黒フード集団の影――彼らがこの王都にいるのはほぼ確実。どのように絡んでくるのか、油断はできない。


 “運命は変えれる”――そう信じているからこそ、いまの一歩一歩が大事なのだ。

 アリーシャは心に決意を秘めながら、王都の灯りの中へと歩みを進めた。



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