皮を剥ぐ

新巻へもん

誰でもできること

 その日、公安部の捜査員たちは色めき立った。

 某国のスパイではないかと内偵を進めていた男が人身事故を起こし逮捕されたのである。

 事故自体は歩行者の飛び出しが原因だったが、歩行者対車では後者の責任が重くなった。

 歩行者は足の骨を折る怪我で全治1か月の診断を下されたことから、警察はこれ幸いと別件逮捕に踏み切る。

 公安部の捜査員の中には飛び出した歩行者に感謝する者もいた。


 ただ、本人の身柄を押さえ、所持品や車を押収することはできたが、職場や自宅への家宅捜索には踏み切れずにいる。

 何か決め手があればいいのだが、容疑者の書類上の経歴と本人の語る内容に齟齬が全くない。

 日本海側にある辺鄙な村の出身で、大学入学のために上京し、在学中に情報関係の資格を取得して大手の情報通信企業に就職している。


 東京に出てきてから以降については裏が取れていた。

 しかし、それ以前については容疑者が18歳のときに天災により村自体が消滅しているため、書類上でしか確認が取れていない。

 容疑者は天災が発生したときの唯一の生き残りということになっている。

 そのタイミングで偽物と入れ替わったのではないか、というのが公安部の見立てだったが証拠がなかった。


 生年月日を確認するついでに干支を尋ねてみてもスラスラ答える。

 世間話を装って、容疑者の少年時代の流行歌や人気テレビ番組、トップアイドルなどの質問にも完璧すぎない程度に回答した。

 マジックミラーで隔てられた部屋の中で捜査員の焦燥が募る。

「くそ。完璧なカバーだ。偽装情報がしっかりと張り付いてやがる」


 こうなったら、勝負にでるしかない。

 多少強引でも捜査令状を取って家宅捜査に入るか、という声が上がった。

「いや、まて。もう1つだけ試験をしてみよう」

 ベテランの1人が案を思いつく。


 インカムで指示が飛び取り調べに当たっていた警察官が容疑者に立つように促した。

「座ったままだと体が強張るだろう。少し体を動かそうか」

 取調室の天井からニ長調の軽快なピアノ曲が流れ始める。

 警察官がラジオ体操を始めると容疑者もやや遅れて体を動かした。

 6つ目の「体を前後にまげる運動」が終わると警察官はいきなり体操をやめる。


「そのまま続けて」

 容疑者はすぐに動きが乱れた。

 平静さを装っているが次の動きが出てこない。

 容疑者もラジオ体操のことは知識として知っていた。

 しかし、体に染みついてはいない。

 次第に手足の動きが止まっていく。

 最後の一小節の音が消えると、取調室を沈黙が覆った。

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