写真学生 加藤真の凡人録

駒門海里

第1話 東都工科芸術大学

 ふうわりとした風は、やはりこの季節特有の温もりと、前の季節を払拭するかのようにごく僅かな寒気を含んで、それはスーツの上から着た春物のコートにも心地よく絡んで吹き抜けた。

 「いや、まあ……」

普段ならば実に気分のいい晴れやかな春の日で、ともすればこのまま出掛けたくもなる日和だが、僕、加藤真は多分側から見ればどんよりした浮かない顔だったに違いない。

 「聞いてた、知ってたけどさあ」

周りを見ればその理由は何となく察しては貰えると思う。

 神奈川県厚木市、神奈川のほぼ中央に位置する街で周囲を相模川と飯山の山間部、丹沢山系に囲まれた、自然豊かと言えば聞こえはいいが即ち都心部から隔離されたような街、小田急線の駅である本厚木駅を中心とした市街は華やかなビル街、飲屋街を形成しているが少し外れたら容赦のない自然がそこまで迫っている。

 つまるところ、都心からのアクセスは極めて悪いのだ、加えて駅から大学までは路線バスに依存している、そんな所に殺到する似たり寄ったりなスーツの群れ、群れ……春の外気も何処へやら、バスの中は湿気と不快な体温で暑い位だ。

 「はあ、ふう……」

路線バスに揺られる事二十分弱、先ず口から出たのはため息だった。

前日に美容室に駆け込んで整えたくびれショートは形が崩れて、眼鏡は曇って汗ばんでいる。

 『東都工科芸術大学』

やや凝った造りの正門にはカメラの、なんて言ったっけ、部品をモチーフにした装飾が施されている、バスロータリーから降りて真っ先に目が行く正門の下には芸術学部入学式の白い看板。

 「さてと、まずは」

これから四年間が始まる、そんな感慨よりも何よりも僕には優先すべき事があった。

「トイレ!」

都合良く正門の横手には守衛室があって、多分中には案内看板が出ているんだろうけどそんなもの一々見ている余裕は無かった。

 トットットッ……──。

小刻みで軽快でも重みも含まれた音、そしてキキッと高い音、僕のすぐ横に風を感じて立ち止まると、そこにはロータリー内に停車した一台のバイク。

 「あっ、守衛さーん!」

ややのんびりした口調に明るい声、バイクは原付やスクーターでは無い、ちゃんと跨るタイプの大きいやつ、青いボディが光を反射してYAMAHAのロゴが煌めいて、持ち主は……女の子だった。

 「一番近いトイレって何処ですかー?」

僕と同じくスーツにコート、変に思えるフルフェイスのヘルメットの組み合わせ。

ナチュラルに割り込まれた、大きめな綺麗な瞳にナチュラルブラウンの長めの髪に緩くパーマが当ててあって、それだけでも充分目を惹かれた、でも最も特筆すべき特徴は。

 「デカ……」

その豊かな胸、いやスーツの上からでもしっかり解る、いや待てそんな場合では無い。

「あの、すみません、僕もトイレの場所を……」

彼女と守衛さんの間に入り込むように僕も早くにトイレの場所だけ聞こうと。

「君も? じゃあ一緒に行こー!」

めんどくさそうな顔一つしない守衛さんに教えて貰い、丁寧に頭を下げて。

 その間に、その彼女はバイクの後部シートに積んであるバッグから、何か取り出して肩にかけた、ありきたりなビジネスバッグじゃない大き目のカメラバッグ、アイボリーカラーにHAKUBAの文字だけが縫い付けられて。

 彼女はきっちり割れなく敷かれたレンガの道を軽々とバイクを手押しし、駐輪場に並べて振り返る。

 「もしかして、写真学科?」

「ん? そだよ、って君も?」

これが入学最初に知り合った同級生、八島楓だった。

「時間押してるから、トイレ行こ!」

「うん、そうだね!」

 とりあえずは挨拶とかそういうのは後回し、同じトイレに向かう事にした。

言い忘れたけど、僕、加藤真は女なのでそこはお間違え無く。

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