2-5:まだ悪霊じゃない

 こういう時、人間は『天秤』をイメージするという。

 実物は見たことがない。でもテレビのおかげで形は知っている。


 そして今、僕の中には天秤がある。

 これまでに何回も、タケユキから直接話が聞ければと思っていた。現在は幽霊になったおかげでタケユキとは言葉を交わせるし、相手も何かを知っている様子ではある。


「パルちゃん、騙されちゃダメだよ」

 二階に移動した後、ミズナちゃんから耳打ちされた。タケユキは一階のソファに寝そべっているが、首を動かして僕たちの様子をじっと見ている。


 どうしよう、と考えてしまう気持ちがある。

 本当に、哲宏たちがおばあちゃんを陥れたのなら、あいつらは僕にとっても憎むべき相手となる。


 だったら、と思わないでもない。

 頭の中の天秤は、わずかに揺れ動いていた。





 最終的に、天秤は傾かなかった。

 でも、『電卓』の方が動いた。


「いいよ、タケユキ。やってみるよ」

 夕方の時間になり、僕はソファの方へと向かっていく。ミズナちゃんは心配そうに見下ろしていたけれど、僕はチラリと目線だけを返す。


 大丈夫、心配ないよ。


「それより、ちゃんと約束だよ。僕がここでタケユキに向かって鳴き声を上げたら、ちゃんと知りたいことを全部話してくれる」


「ああ、約束だ。その代り、俺がここにいるって、こいつらにわかるまで続けろよな」


「わかった」と応え、哲宏と恵津子の様子を見る。

 今は夕食の時間。いつもと同じように、二人でテーブルを挟んでいる。

 僕がソファの方へ移動したので、ちょうど二人とも目線を向けてきていた。


「じゃあ、やるよ」

 二人には背中を向け、ソファの先のタケユキを見る。


「ナァーオ!」

 タケユキに向け、甘ったるい声を出す。

 ついで、前足をバタバタとタケユキにぶつけるように動かしてみせた。


「ナー、ナー、ナー」

 真っすぐ視線を外さずに、続けて声を出した。


 すぐに、面白いほどの反応が出た。


 ガタリと、椅子を引く音が聞こえてくる。振り向いてやると、哲宏たちが青ざめた顔をしている。

 二人は共に僕を見る。そして、僕の『視線の先』に目をやっていた。


 すぐに、慌てたように目線をよそへやる。


「おお、気づいた様子だな」

 タケユキが鼻を鳴らす。


 わかりやすい反応だった。哲宏と恵津子は互いに目を合わせ、素早く僕から距離を取ろうとする。そうして遠くから、僕の姿を恐る恐ると見た。


「これで、条件完了ってわけか」

 タケユキは得意そうに笑い、ユラリとソファから腰を上げる。


「じゃあ、二人ともってことでいいな。あとは、俺が触れればいいのかな」

 ゆっくりと、夫婦のもとへと迫っていく。


「くたばれ、クズ野郎」

 両手を伸ばし、タケユキは二人同時に手を触れた。





 やっぱり、僕の予想通りだった。


「なんなんだよ、一体」

 不満そうに、タケユキは自分の手の平を見る。


 僕は外へ散歩に出かける。タケユキは当たり前のようについてきて、隣でしきりにぼやき続けていた。


 朝になっても、哲宏たちには変化がなかった。僕の動きを見て焦ってはいたようだったけれど、呪いで命を落とす気配はない。

 ミズナちゃんもしばらく、驚いた顔をしていた。


 ずっと確認したいと思っていた。もしも僕が、ミズナちゃんがいることを誰かに伝えたら。その時は、やはり人が死んでしまうのか。


 これまで見てきた幽霊と違い、ミズナちゃんやタケユキは自由に動くことも喋ることも出来ている。だから、結果は違うだろうと思っていた。


「ちくしょう、使えねえな」


 近場の児童公園に移動し、僕はシーソーの片方に飛び乗る。


「じゃあ、タケユキ。約束だよ」

「はあ?」

「タケユキがいるってこと、僕はあの二人に教えた。そうしたら、知ってることを話すって言ったよね? 僕は、なんで呪いが広まってるのか知りたいんだ」


 隣にはミズナちゃんもいる。こっくりと頷いた。


「何か知ってるんだろ? 人間の世の中で何かがあったのか。タケユキは心霊写真でアツヤを殺そうとしてたんだ。それなりに、何かの話は知ってるんだろ?」

 再度問うと、タケユキは舌打ちした。


「約束、守ってよね」

 あからさまに、顔がしかめられる。


「違うだろ。俺は、『殺す手伝い』をしろって言ったんだ。でも、あいつらは生きてるんだから、お前はまだ何もしてない」


 ミズナちゃんが眉を寄せた。

「ふうん」と僕は返す。


 思ったより、心の中は静かだった。

 まあ、これがタケユキだよね。


「でもまあ、別にいいか」

 諦めようとした直後、溜め息をつかれた。


 おや、と僕はミズナちゃんと目を見合わせる。


「俺も正直、暇だしな。こんくらいはケチらないでやるよ」

 タケユキが僕に向き直る。


「俺も別に、そこまで詳しいことは知らない。でも、ショコラっていう猫のことは知ってる。そいつが、ばあちゃんとはぐれた後にどうなったのか」

 僕は無言で続きを待つ。


「ショコラは殺されてる。やったのは、この前やってきた桐ヶ谷遊水だ。あいつが周りの奴らを煽動して、ショコラが人間に呪いをかけたって話した。そのせいで、ショコラは大勢から袋叩きにされて死んだって聞いた」


「へえ」と僕は相槌を打った。

 つまり、そういうことか。

 タケユキは先日、僕もいずれ殺されると言った。


「哲宏たちは、汚い奴らなんだよ。前にも話した通り、あいつらが詐欺を働いて、ばあちゃんの名前で人から金を巻き上げた。その上で、自分たちは何も関係ないって顔して、ばあちゃんのことを探りに来た女に対し、俺と母ちゃんのことを売った。巻きあげた金は自分たちのものにした癖に、ばあちゃんが死んで遺産を俺たちがもらったからって、俺たちが詐欺に加担してたようなことを言ったらしいんだ」


 本当なのか、と両目を見据える。

「だから、殺したかった?」


「そういうわけだ。あいつらのせいで俺だって死んだんだからな。まあ、やったのはお前だけどよ」

 言いながら、また不機嫌そうな顔に戻る。


「ああ、思い出したらムカついてきた。やっぱりお前はクソ猫だな」

 言って、僕の体を蹴ろうとする。


「そうだな。もうちょっと知ってることがあるが、どうするかな」

 一人で呟くと、自分の頭をかきあげる。


「なあ、クソ猫。その辺に霊ならいるだろ。そいつらを利用して、あいつら殺せよ。その方がお前にとってもためになる。そうしたら、他のことも教えてやるよ」


「パルちゃん、もういいよ」

 ミズナちゃんが間に入り、タケユキを拒絶しようとする。


「なんだ? チビガキ。てめえは……」

 タケユキが顔を歪め、声を荒げようとした。


 でも、最後までは言えなかった。


 気配を感じ、僕はすぐに目線を向ける。

 公園の入り口の辺りに、集まっている姿があった。


「ねえ、見て見てあれ。すっごく可愛い!」

 甲高い声が響く。


 制服姿の女の子たちがやってきていた。ブレザーを着た、高校生くらいの三人組。その子たちが僕を見つけ、すぐに『スマホ』を取り出してみせる。


 チ、とタケユキが舌打ちをする。


「見て。この子、すごくお洒落」

 公園の中にまで入ってきて、女の子たちは僕を近くで見る。


「ナオ」とサービスで鳴いてやると、すぐに嬉しそうな声が上がった。

 可愛い、可愛い、としきりに連呼しながら、僕がシーソーの上に座る姿を撮影し始める。ミズナちゃんは居心地悪そうに公園の隅へと移動していた。


「ねえ、一緒に撮影しよう」

 一人が言い、すぐに三人ともが僕の隣に移動してくる。そうしてスマホを手で掲げ、僕と一緒に写るようにとポーズを取った。


「へい、ピース!」

 そうしてシャッターが切られる直前、タケユキが間に入ってくる。

 女の子たちの顔のすぐ横に、自分の頭を割り込ませた。


「ふん、バカ女どもが」

 悪態をつき、すぐに三人からは距離を置く。


 ほくほくとした顔つきで、女の子たちは撮影した写真を確認していた。チラチラと僕を見ては、その度に頰を緩ませる。


 でも、幸せなのはそこまでだった。

 数秒後、三人の顔が凍りつく。


「ねえ、何これ?」

 僕のいる方向を見て、気味が悪そうに囁き合う。


「え、ちょっと、何これ……」

 撮影した『何か』を目にし、しきりに視線を公園に巡らせた。


 やがて、彼女らは一目散に公園から逃げ去っていった。


「ふん、バカ女が」

 タケユキだけは得意そうに、三人を見送っていた。





 その夜は、部屋の中で影が動いた。


 僕の寝る場所はリビングの片隅。僕の専用のベッドがあり、毛布にくるまって眠ることになっていた。

 当然、部屋は真っ暗。それでも、カーテンの隙間からは外灯の光なんかが薄く差し込んできている。


 そんな室内で、夜中に蠢くものがあった。

 タケユキだな、とすぐに察知した。ソファのところから立ち上がり、ゆっくりと部屋の外へと歩いていく。


 どうしたんだろう。

 頭だけかすかに動かすが、タケユキが壁をすり抜けるのしか見えなかった。


 それからはしばらく、眼が冴えてしまっていた。

 あいつ、どこに行ったんだろう。


 その日はどんなに待っていても、タケユキは戻って来なかった。

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