闇夜へ~呪禁のやしろ

如月幽吏

プロローグ 第一話

パチンと弾けるような、電気の消える音。

それは、わたしの希望が掻き消える音でもあった。


瞬く間に視界は黒く塗り潰され、全身を冷たい泥が覆い尽くしているかのように、重苦しい諦念が支配する。

逃げられないないという証拠がある訳では無いが、直感的に絶望を肌で感じていた。

数分前、目を開けたその瞬間から、わたしはすでに暗闇に囚われていた。黒い帳が、あらゆる色彩、あらゆる形を呑み込み、ただひたすらに重い、底の見えない闇がそこに横たわる。


そして静かだ。


色だけでなく、音すらない。


あまりの絶対的な無音に、脳内で奇妙な耳鳴りが響き渡る。だがその不快な高周波ですら、この場を支配する沈黙を、ほんの僅かたりとも埋めることはできない。風の囁きも、遠くで交わされる人の声も、生命の息吹を示すいかなる微かな音も、ここには存在しない。あまりの静けさに、頭の奥がジンと痺れ、次第に鈍い痛みに変わってゆく。

外界との接続が完全に断たれたことは、言わなくともわかっていた。


次第に、内側からせり上がってくる感情の波に、わたしは激しく掻き乱されてゆく。


喉を引き裂かんばかりに叫び出したい。

喩え痛くとも、今よりの苦痛をともなおうと

この場所から、この状況から、一刻も早く逃げ出したい。

そして何よりも、この悍ましい現実を、この苦痛を、全て終わらせたい。

しかし、無情にも終わらない。

湧き上がる感情の奔流の後に、常に口を開けて待ち受けるのは、底なしの絶望だ。わたしの心に芽生えた微かな願いなど、この暗闇の中では、露と消える泡沫に過ぎない。ここは、そんな甘やかな希望が許される場所ではないのである。

だが、この圧倒的な現実を、わたしは信じたくない。脳が信じることを拒んでいる。しかし、逃れようのない真実として、否応なく信じなければならないのだ。その矛盾が、わたしの心をさらに深く蝕んでゆく。


肺の奥深くを、絶望が容赦なく締め付ける。だが、絶望にしみじみと浸る暇はなく、全身を凍りつかせるような恐怖が、荒波のように押し寄せ、わたしを呑み込んでゆく。あまりの感情の奔流に、わたしの意識は次第に希薄になり、あらゆる感覚が、まるで霧散するかのように虚無へと溶けてゆくのを感じる。

けれど、そんな一瞬の、ある種の解放にも似た安息は、あまりにも短命だ。より深く強固な絶望によって、あっという間に打ち砕かれて跡形もなく闇に熔け消える。


いっそ心も闇のように、静まり返ってくれたらと願う。このすべてを終わらせたい。この終わりのない絶望から解放されるのならば、わたし自身の存在が、この闇に完全に溶け去ってしまっても構わない。普段ならば決して脳裏をよぎることのない、そんな禁断の思考が抗いがたい誘惑となり、わたしの精神を蝕んでゆく。


ここから出れば、元の日常が待っているだろうか。

しかし、もう逃れられないだろう。この暗闇に、出口などはない。

永遠に闇を漂うか、苦しみながら息が止まるか、それしか未来は想像できない。

鼓動はかろうじて響くが、あまりに小さく、静寂を消せない。

やがて、その鼓動すら聞こえなくなった。


完全な静寂に染まった。


恐怖がわたしの心を貪る。だが、完全に心が消えることはなく、痛みだけが残る。


ここは少し前まで、何も聞こえない暗闇であった。

しかし、いつの間にかすかな音がわたしの耳に届くようになっていた。

それは誰かの助けを求める叫びのようだった。

しかし、その声はやがて、わたしの心をさらにかき乱してゆく。


迫り来る絶叫に、恐怖が襲う。

先ほどまで微かな音だったのに、今では、耳をつく大音声だ。

わたしも次の瞬間には同じ叫び声を上げているのだろうか。

逃げ場のない恐怖に、意識が遠のく。しかし、意識を手放すことも許されず、虚無と暗闇を彷徨った。

次の瞬間。暗闇に飲み込まれていくような感覚に襲われた。

ギャ―――――

今までの叫び声より、一際大きく聞こえたその叫びは自分のものであった。

やはり、先ほどの予感は的中してしまった。


怖い……怖い……

恐怖が襲い、叫びが増幅する。大きくなる一方の絶望に比例し、叫び声も大きくなっていった。

叫びの木霊する暗闇の中、わたしは底へと落ちてゆく。そこがあるかもわからない。永遠に落ち続けるのかもしれない。

腹を抉られるような不快な落下の感覚がわたしを包む。

恐怖に打ちひしがれ、意識を手放すことも許されず、絶望に襲われる。


わたしは一体どこへ向かうのだろうか。

そう、分かっている。

しかし、信じたくなかった。

わたしの行き着く先は、あの世だ。

気がつくと、闇の中には、光が見えていた。希望の光であろうか。いや、違う。優しい光ではなく、冷たく、狂気に溢れている。


叫びが響くたび、絶望に襲われる。叫びが響くたび、恐怖に襲われる。

ぎゃーーと叫び声がわたしの耳を劈く。

ギャーー

次に聞こえた叫びは美明のものであった。次々に違う声の叫びが響く。

傍らでは美明が叫び、下へ下へと堕ちてゆく。

周囲を見渡せば沢山の叫びの表情が目の中にに飛び込んでくる。恐ろしくて仕方がなかった。

底の光の中から歌声が聞こえる。決して優しい歌声ではない。とてつもなく、恐ろしく、どこか悲しみを含んだ声だ。

光を孕んだ人々はその歌を口ずさむ。

ここは阿鼻叫喚の地獄、そんな言葉がぴたりとあう場所だ。一瞬でも長く、ここにいるのは嫌だ。

だが、想いとは、裏腹に、わたしたちは深くへ堕ちて行った。

鮮血のカーテンが降りかかり、わたしは血染めの絵画の中に閉じ込められた。

誰の血であろうか。恐怖の中、わたしは思う。

死体が散乱し、山積みとなる。その中に、わたしがいた。

生きた屍と化した人々が、絶望の最中で呻き声をあげる。

腐乱臭がたちこめ無数の死体が絵画のように散らばっていた。地獄絵図より酷いかもしれない。

恐ろしくて、逃げたくて、わたしはまたも、叫び声を上げた。


欄れた肉の香りは、死の讚美歌のように広がり人々は血塗られた大地で虚無へと躍り込む。

無数に広がる血溜まりは、叫ぶ顔を無数に写し、阿鼻叫喚を閉じ込めていた。

目の前に広がる地獄絵図へとわたしたちは落ちていく。

もう逃げられない。死しかわたしを救えない。

心の中には負の感情が溢れかえる。

絶望に打ちひしがれ、どんどんと近づく、地獄絵図を見た。

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