第15話
その夜は皆、早めに床に就いた。
瑞紀は夢を見ていた。自分で夢だと気づいている夢だ。
クーハンの中で悠が笑っている。
悠の周りには瑞紀、真紀子、進二、順子がいる。四人とも穏やかに微笑んでいる。
瑞紀の夢の中に出てくる進二はいつも穏やかで、少し気弱に見えた。目覚めていつもの進二の強気な態度を見る時、瑞紀は芝居を見ているような気分になる。
いつの間にか夢の中の瑞紀は悠になり、父、母、順子に見下ろされていた。三人がかわるがわる悠になった瑞紀の髪を撫で、笑いかけた。
物音を聞いたような気がして、目が覚めた。
自分が涙を流していることに気づいた。
瑞紀、と呼ばれて顔を縁側の方へ向ける。
颯真が立っていた。月明かりを受けて、青い彫像のように見える。瑞紀はあわてて顔を伏せ、涙をぬぐった。
「何してるん」
「花火しに行こう」
颯真は瑞紀の傍にしゃがみこむと、耳元に口を寄せて小声で言った。
「靴はこっちに持ってきた。瞬を起こさんように、そうっとな」
瑞紀は静かに起き上がり、颯真と共に縁側から外に出た。素足にスニーカーを履く。颯真は花火を沢山詰め込んだバケツを持って歩き出した。瑞紀が後に続く。
「用意がええな」
「せっかく買うてきたしな」
「どこ行くん?」
「海岸。この近くでは出来へんわ。葬式の日に花火なんて、父ちゃんとかに見つかったら張り倒される」
生沢の家から高台へ向かって七、八分歩くと、海が見えてくる。眼下に黒い松林が広がり、その向こう側に月の光を映した藍色の海が横たわっている。
颯真は懐中電灯を取り出して足元を照らした。瑞紀がバケツを預かる。颯真は瑞紀の空いている方の手をとると、松林の中の細い道を下って行った。
瑞紀が夜この場所に来るのは初めてだ。昼でも暗い林の中は、電灯の光があたる場所以外は真の闇で、颯真に手を引かれていなければ一歩も動けないような気がした。
木々の間から青く光る砂浜が見え隠れしている。早くたどり着きたかった。砂地に落ちて散らばる枯れた松葉を踏みながら、瑞紀は急ぎ足で進んだ。
林を抜けると目の前に砂浜が広がった。松林の闇をくぐり抜けた目に、月夜の海岸は明るく感じられた。海に白い波頭が浮かび上がり、浜に打ち寄せては引いていく。久しぶりに間近で聞く波の音に、瑞紀はほっと息をついた。
海水浴場ではないこの浜辺は、昼間でも人気がない。瑞紀は毎年この海に来ることを楽しみにしていた。それなのに今年は何故、海に来ることを忘れていたのだろう。
「この辺でええかな」
颯真は足元の砂を平らにならして噴出花火を置き、火を点けた。赤い火花が飛び散ると、すぐに光は銀色に変わる。激しい雨のような音が鳴り続ける。花火の光に照らし出された颯真の横顔が揺らめいて見える。先に点けた花火の火が消えないうちに、次の花火に点火する。光の舞を止めたくなかった。
すべての花火が終わってしまうと、再び静けさが戻ってきた。波の音がまた響き始める。
颯真は空のバケツの中に海水をいれ、終わった花火を拾い集めた。瑞紀もまだ温かい燃えかすをバケツに放り込んでいく。
「これどうする?持って帰ったらやばくない?」
「どっか隠しとくわ。ゴミの日にこっそり捨てる」
颯真は砂の上に腰を下ろした。瑞紀も隣に座る。
星の光が薄れて見えるほど、月が明るい夜だ。瑞紀は颯真の短めの髪が風に煽られるのを眺めていた。
「とりあえず冬休みは来られそうやな」
「うん」
「瑞紀がここに住めたらええのに」
そう言って颯真は海の方に目を向けた。
「神戸があかんてわけやないけど、今のままやったらしんどいよな」
颯真は瑞紀の髪を軽く掴んだ。
「なあ颯真」
頭の上に置かれた颯真の手の大きさを感じながら、瑞紀は言う。
「あんな平和な家で暮らしてて、何でそんなことわかんの?」
颯真はわずかに目を見開くと、照れたように口を尖らせた。
「……愛結にいろいろ、話、聞いてたしな……」
「やっぱ、そうか」
やはり愛結にも葛藤があったのだと思うと、瑞紀は体の中に強い芯のようなものが生まれてくるのを感じた。
掴んで乱れた瑞紀の髪を颯真が指先で直した。何故か懐かしいような感触だった。まだ小さかった頃に、誰かがこんな風に瑞紀の髪に触れてくれたのかも知れない。
「愛結と別れる時にも、こんなんしてやればよかったのに」
瑞紀がそう言うと、颯真はまた口を尖らせた。
「愛結は女の子やからこんなこと出来へんわ。親戚でもないから一緒に住もうとも言われへんし」
急に早口になった颯真が可愛く思えて瑞紀の口元は思わず弛んだ。颯真は続けた。
「愛結んとこはもう決着ついとるし、愛結自身もしっかりしたやつやから心配いらん」
「おれのことは心配なん?」
「そらそうや。お前みたいに気ィ優しいばっかりやったら、まいってしまうで」
「そんなことないよ」
「あるわ。見てて怖いわ、お前」
瑞紀は体の向きを変えて、正面から颯真の目を見た。
「もう大丈夫」
颯真は一瞬、気おされたような表情になったが、すぐに強い視線で見返してきた。
「ほんまか?」
「ほんまや」
水色のビロードのようにうねる砂浜を見渡す。目を閉じて潮の香りを嗅ぐ。波の音を聞く。
「眠るなよ、瑞紀」
「あかんか、やっぱ」
「帰るで。家に着くまで頑張って目ェ開けとき」
颯真は瑞紀の頬を軽くつねった。
立ち上がって松林の方へ歩き出す。闇の中へ足を踏み入れる。
もう怖いとは思わなかった。
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