その日わたしは全てを失い、1つのダジャレを手に入れる。

誰じゃ

第1話

 絶望だ。

 何か固いもので割ってしまうか?いや、怖い。

 指の中にガラス片が刺さったままで面接なんて受けられない。受けられるメンタルがない。


 これから人生の全てをかけた面接だというのに、なぜ私は試験管で遊んでしまったんだろう。

 左手の小指に見事にはまって、全く抜けそうにない。


 「ああ、どうしたらいいんだ?」


 無情にも迫ってくる面接へのタイムリミット。

 そう、時間は誰にでも平等。面接前に試験管を指にはめて遊んでいた男にも平等。




 部屋の隅に工具箱が置いてある。

 中からカナヅチを取り出す。

 カナヅチの先端の、しっかりとした鉄の重力を感じながら、左手の小指を包んでいるガラスにあてがう。


「ゴリッ」


 という感触がカナヅチを持つ右手に伝わる。

 左手の小指の肉の中に入り込むガラス片、動かすたびにチクリと痛み奥へ奥へと入り込んでいく……そんなイメージが私の脳内を汚染する。


「ダメだ、怖い…でも面接が…」

 

 目をつぶり大きく深呼吸を一つ、二つ…。


「よし」


 私は、カナヅチを勢いよく振り上げ、ゆっくりおろす。カナヅチを勢いよく振り上げ、ゆっくりおろす。

 割れない。

 なぜだ?

 おそらく、ゆっくりおろしているからだろう。

 工具箱の隣を見ると救急箱がある。だが救急箱では肉の内部に入り込んだガラス片の治療は無理だろう。

 仕方ない。




◇◇




「手、どうされたんですか?」


 面接試験が始まった。

 私の左手は救急箱にあった包帯で、試験管ごとぐるぐる巻きになっている。

 試験官の表情には動揺…あるいは同情の色が浮かんでいる。同情してくれるならありがたい。


「実験で手を焼けどしてしまいまして。でも、命に別状はありません」


「ああ、はい、それはそうでしょうけど…」


 試験官がチラチラ見てくる。なんだろう?

 変な格好はしていないはず。

 左手がこんな風なので着替えるのは難しいが、こうなる前にちゃんとスーツを着て、ネクタイも締めていたので大丈夫だ。

 スーツを着て、ネクタイもした男が、試験管を指にはめて遊んでいたので大丈夫だ。


「あの…」


「はい!」


「指…」


「指?」


「小指……長くないですか?」


「ありがとうございます。よく言われます」


「いや…褒めてるわけでは…」


 どうしよう。今のはマズいか?

 彼と同じ職場になって再会したら


「意外と指長くないですね」


 と、ガッカリされてしまう。




「えー、それではですね」


 試験官が何か書き込みながら言う。


「はっ」


 私はあることに気づく。

 彼は左手でペンを持っているのだ。

 左利き…ってことは、私がこの面接に受かった刹那。彼は私に握手を求めてくるだろう。

 左手で…


「ああ、試験官に試験管がバレてしまう」



                   完

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