第6話 男女のボタンの掛け違い

「男と女」

 確かに、お互いに元々他人が、夫婦という新しい家族を作って二人で踏み出した生活であったが、

「子供がほしい」

 ということで、子供を作り、

「家族が増えた」

 というわけだが、

「子供にこれほどの手間がかかるとは」

 ということを思い知らされるわけだが、もちろん、それなりに覚悟というものはしていただろうし、それなりの勉強もしていたことだろう。

 しかし、実際に、勉強をしていたとしても、お互いに、一つのことに対して、感じることの差が激しく、相手の気持ちを分かっていないということになると、その距離は、

「見えなくなるほどに遠い」

 ということなのかも知れない。

 しかも、

「父親と母親」

 になってしまったということを思い知るというのか、それとも、

「思い知ることもなく、ただ、苦痛の日々を訳も分からずに過ごすというのか?」

 ということは、それぞれが、違った考えになった場合、

「前者が母親で、後者が父親」

 ということになるであろう。

 なぜなら、

「他人である夫婦の間に、それぞれの血がつながった家族が一人増えた」

 ということになるからだ。

 母親の方は、

「自分の腹を痛めて産んだ子で、しかも、子育ては自分がしなければいけない」

 ということで、

「夫に構っている暇はない」

 と感じることであろう。

 そして、旦那の方は、

「かわいいとは思うが、奥さんが掛かり切りで自分を無視しているように思う」

 と感じてしまうことで、中には、

「子供など作らなければよかった」

 と思うに違いない。

 特に、

「奥さんが、子供がほしい」

 と言った場合で、自分はそこまで、

「子供がほしい」

 と思わなかった場合など、特にそう感じるだろう。

 だから、奥さんの方は、子供ができ、その子供が自分と血のつながりがあるということを意識しながら、子育てをしているのだから、余計に旦那のことを、

「他人だったんだ」

 といまさらながらに感じることで、子供にのめりこむ自分が、旦那をおろそかにはしているが、それを、

「しょうがない」

 と思うか、それとも、

「旦那が分からないのが悪い」

 と感じるかは、やはり、

「旦那は他人だ」

 と感じることになるからであろう。

 奥さんがそんな風に思っているなどということを旦那はきっと分かっているはずなどないに違いない。

 旦那の方は、

「子供と奥さんが絶えず一緒にいて、自分を蔑ろにしている」

 という意識を思っているために、

「俺の立場がない」

 という思いと、

「自分の居場所がどこにあるのか?」

 という孤独感にさいなまれることだろう。

 だが、そのうちに、

「子供など作るんじゃなかった」

 と思うようになるというのは、

「子供と血がつながっているという意識」

 はないからなのではないだろうか?

 その意識があれば、少なくとも

「子供がいなければ」

 などとは思わないだろう。

 それは、

「子供がいなければ、ずっと今までと同じで、相手の気持ちが分かるはずだ」

 と思うからだろう。

 だから、ここで夫婦の気持ちがすれ違う。

 しかも、子供というのは、

「大人の気持ちを分かってくれるわけではない」

 といえる。

「授乳は二時間おきで、それは、真夜中でも同じです」

 ということを、産婦人科で言われたが、旦那も奥さんも、話には聞いていたが、

「まさかそんな。うちの子に限って」

 ということを感じていたかも知れないが、実際にそうなってしまうと、奥さんは、旦那に気を遣って、子供が泣くのをなだめながら、授乳させなければいけない。

 旦那は、自分のことだけしか考えていないのか、それとも、

「子供は血がつながっている」

 という意識がないからなのか、

「うるさい。俺は仕事に行かなければいけないんだ」

 といって。布団をかぶって何とか眠ろうとするかも知れない。

 ただ、奥さんとすれば、

「何とかしないといけない」

 と思いながらも、

「私だって、昼間パートが」

 という人もいるだろう。

「保育園に預けるか」

 それとも、

「実家に預かってもらうか」

 というそのどちらかで、何とかパートに出ることができる奥さんは、まだいいかも知れない。

 特に保育園というと、昔から、

「待機児童問題」

 というのが慢性化していて、最初の頃は、それなりに問題になっていたということであろうが、今の時代では、マスゴミも騒がなくなった。

 マスゴミというのは、

「最初は騒ぎ立てるだけ騒いで、嵐を巻き起こしておいて、次の話題が生まれれば、まるで無視したように、そこから退去する」

 というものである。

 だから、

「まだまだ解決もしていない」

 というようなことを。

「すでに解決した」

 とでもいうようなことになり、問題は解決していないということを一番報道しないといけないことが、おろそかになってしまって、結局、

「慢性化してしまう」

 ということになるのだろう。

 そんな、

「慢性化」

 という発想が、

「夫婦間」

 というだけではなく、

「男女間」

 の間で巻き起これば、

「男女の別れ」

 であったり、

「離婚問題」

 というものは、この

「慢性化」

 という問題によって、引き起こされるということになるのではないだろうか?

 それを考えると、夫婦間の離婚の時、

「お互いに、どんな心境になる」

 ということなのかを

「検証する必要がある」

 ということになるのではないだろうか?

「離婚というのは、結婚の何倍も大変だ」

 ということは、よく言われることだ。

 離婚の理由というものが、どういうものなのかということを考えると、一目瞭然。

 結婚する時は、

「男女ともに目指すものは同じ」

 ということで、問題は、

「まわり」

 ということだ。

「結婚したい」

 ということで、家族に紹介することになるが、

「どっちの家に先にいくか?」

 ということで、微妙に変わってくることもある。

 それぞれの家庭によって。

「どっちを先にいくか」

 ということが決まってくる。

 だから、

「旦那の家から先」

 だとか、

「奥さんの方が先だ」

 ということは一概には言えないだろう。

 古いしきたりや、考えが昭和の旦那の家であったりすれば、

「まずは、こっち」

 と思うかも知れない。

 そこまでの旦那の家でないという場合は、まず奥さんの家で、

「お嬢さんを私に下さい」

 という

「儀式」

 を行う必要があるということだ。

 この時が、男にとっての一世一代の晴れ姿だといってもいいだろう。

 だからと言って、旦那の家に行った時に、奥さんが緊張しないというわけではない。旦那としては、

「自分の親が、奥さんになる人にちゃんと気を遣ってくれるように、最初から演出しておく必要がある」

 ということになるだろう。

「今度結婚しようと思うんだけど」

 と旦那が家に連れてきたとして、そこで、親が何か余計なことをいったり、何も言わなかったりすると、奥さんは完全に孤立してしまうことになる。

「ここが結婚する場合の一番最初の難関だ」

 といってもいいだろう。

 だから、それ以外というと、

「結婚式に向かっての、いろいろな手続きであったり、形式的なこと」

 ということになるだろう。

 結納であったり、式場の決定、それに際しての打ち合わせ。

 披露宴を開くとなると、

「出席者の選定」

「席順の決定」

 そして、招待状の作成と郵送。

 細かいことを言えばキリがないといってもいい。

 ただ、それらは、

「結構楽しい」

 といってもいいことだろう。

 確実に二人は、結婚に際して、気持ちの上で、一切のブレはないといってもいいだろう。

「もし、ここでブレているようであれば、まさに、成田離婚になってしまう」

 ということで、最初から亀裂の入りかけた夫婦であれば、

「新婚旅行というのは、最初の夫婦の危機だ」

 といえるかも知れない。

 本来なら、

「この時には分からなかったことが、新婚旅行でいきなり噴出する」

 というのが成田離婚の正体なのだろうが、実際には、

「最初からブレていた」

 という夫婦も一定数いるだろう。

 それを言わないのは、

「離婚する理由としては、薄いもので、理由にならない」

 と本人たちが思っているからなのかも知れない。

 お互いが離婚するということは、どういう心境なのかというと、

「最初からなかったことにしたい」

 ということで、本当になかったことにできればいいのだろうが、それは土台無理な話であった。

「結婚した」

 という履歴は残るわけで、

「戸籍が汚れた」

 ということになるのは必至である。

 さらに、

「子供ができた」

 ということになれば、

「子供に対しての責任」

 というのが明確に分かるわけで、それでも、

「離婚しないといけない」

 というのであれば、それは、お互いに絶対的な覚悟がなければいけないだろう。

 特に女性側は、相当な覚悟であろう。それをできるということは、やはり、

「男女で、別れるということに関しての感覚が違っているからなのかも知れない」

 ということである。

 つまりは、

「男女での違いというのは、いろいろ決定的なところがあるのだろうが、付き合っている人だったり、夫婦が別れるという場合が、一番大きいといってもいいのかも知れない」

 ということである。

 そういう意味で考えることとして、

「男は追加型で、女性は上書きだ」

 ということを聴いたことがあるが、それこそが、

「男女の別れの神髄」

 というものなのかも知れないと感じるのだ。

「お互いに普通に付き合っている時」

 あるいは、

「愛し合っている」

 という時は、お互いに、

「追加型」

 といえるのではないだろうか?

 その人との思い出というものは、ほぼ、時系列で積み重なっていくというもので、だからこそ、

「追加型」

 というものだろう。

 だから、アルバムを時系列でまとめたりするのが楽しいから、

「写真を残す」

 という行動に出るわけで、

 逆に、旦那が、

「結婚記念日というものを忘れていたとすれば、奥さんが怒ったりする」

 ということだ。

 新婚の間くらいだったら、

「もう、あなたったら」

 と甘くいって、

「許してるよ」

 と相手に思わせるが、奥さんとしては、相当なショックかも知れない。

 それを新婚の時は、意識をせずに、

「自分の中での不満」

 というのが、溜まっていっているのかも知れない。

 だが、旦那はそれをスルーする。

「奥さんが許しているのだし」

 ということで、下手をすると、

「忘れていたということをなかったことにしよう」

 と自分勝手に思っているかも知れない。

 そこで、すでに差が広がってくるのであった。

 奥さんは、無意識にストレスをためていく。

 その時、上書きされるということで、意識の最先端にあるのは、

「旦那が結婚記念日を忘れていた」

 という旦那に対しての不満の引き出しである。

 そう、男の場合は、

「思い出のスペースは追加型で、時系列になっているのだろう」

 しかし、これは女性ということであれば、

「思い出のスペースには、思い出のほかに、旦那への不満であったり、自分のストレスなど、さまざまなシチュエーションで分かれているというもので、だから、そのスペースに限りがあるとすれば、上書きということでないと収まらない」

 ということになるであろう。

 それが、男女の間の問題に、

「ひずみ」

 というのを生むわけで、

「男女の隔たりや、感覚の違い」

 ということになるのであろう。

 夫婦が別れる時、もう一つあることとして、

「すれ違い」

 というものがある。

 その一つに、

「女性というものは、まず最初に何かの異変やショックなことがあっても、耐え忍ぶということをする」

 ということだ。

 これは、ある意味、

「打算的」

 と考える人もいるかも知れない。

 というのは、

「我慢して耐えるのが女であり、それだけ、相手を信じようとしているからだ」

 ということで、自分を納得させようと考えるからではないだろうか?

 それを打算的といっていいのかどうか、難しいところであるが、特に、女性の方が男性よりも、夫婦間であったり、交際期間で相手に対して敏感になるということになるのではないだろうか?

 だから、

「私は最後まであの人を信じようとした」

 ということで、最後には信じられなくなったということで別れを決意するに至った時、

「すでに戻ることのできないところまで来てしまった」

 と感じるということであろう。

 それが、男性から見て女性の恐ろしいところである。

 男性の場合はそうではない。

 男の方は逆に、

「女性というのが我慢強い」

 ということは分かっているのだ。

 しかし、分かってはいるが、だからと言って、

「自分が奥さんのことをすべて理解しているか?」

 というのは別のことなので、どうしても、

「自分に都合よく考えてしまう」

 ということになるであろう。

 だから、

「奥さんが、何も言わないのは、何も問題がないということであって、何かあれば、SOSを出すだろう」

 と考える。

 実は

「すでに、SOSを出している」

 ということを分かっていない。

「SOSというのは、口でいうことだ」

 という思い込みが、すべてのすれ違いを生んでしまうということになるのではないだろうか?

 そのことを意識できていないと、

「すべてが、自分の都合よく考えている」

 ということになるのだ。

 しかし、それが分からないと、今度は、覚悟を決めた奥さんと話をしても、通じるわけはない。

 かたくなに、会話を拒否するかも知れないし、そうなると旦那の方も、

「何をいきなり離婚だなんて、そんなの卑怯だ」

 ということになるのだ。

 しかし、奥さんとしては、

「そのことに気づかないあなたが悪い」

 ということになり、お互いに、感じた時期がそもそも違っているのだから、すれ違っているのは当たり前というもので、

「旦那が気づいた時には、時すでに遅し」

 ということになるのであった。

 旦那は気づいたわけではなく、それも、

「奥さんが、初めて口にした時、離婚の話が出たことで分かった」

 ということで、結局、旦那が自分から理解することもなく、いきなりの離婚の申し込みで、当然旦那はパニックに陥ることだろう。

 その時に、

「子供がいると問題になる」

 というわけで、最初は、

「子供がいなければ、こんなことにはならなかった」

 と思うかも知れないが、次第に、子供がいとおしいという気持ちになり、

「奥さんよりも、子供と一緒にいたい」

 と思うようになった旦那も中にはいるだろう。

「本当は、旦那がそのことにもっと早く気づいていれば、少しは違ったかも知れないが、結局、覆水盆に返らずということで、離婚は免れないだろう」

 そのうちに、

「別れるということになるのであれば、憎しみあっての別れの方が、気が楽かも知れない」

 と思うようになるかも知れない。

 そうなると、結構すんなり別れられるが、旦那によっては、

「俺が犠牲になれば」

 と思う人がいるだろう。

 それは、

「子供が片親ではかわいそう」

 ということで、

「子供のために」

 といって、奥さんとの離婚を承諾しないとすれば、奥さんからすれば、

「旦那の言い訳」

 としか思えないだろう。

 そうなると、明らかに、

「すれ違いが露呈している」

 ということになるだろう。


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